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修了学生から一言
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修了学生から一言
第12期(2012年10月〜2013年8月)
約一年間岐阜大学で学習したことは、日本語を専門に学んでいる私にとって非常に良い経験になった。まず、場所に関しては、岐阜は人口の多い都会と違って、静かな所だと思う。それで、この町は住みやすくて、居心地がいいと感じた。次は勉強のことだが、全体的にみると、高度な日本語の授業や論文などのため、ここでの勉強はかなり難しかった。しかし、その勉強の難しさのおかげで、自分の日本語能力が母国で勉強していた時より著しく上がったと思う。そして、前期の授業でレポートなどを書いて、後期で小論文を執筆したのは、最も大きなチャレンジだった。私は日本のレポートと論文の書き方などをたくさん学んだ。それは、帰国して母国の大学でまた新しいレポートと論文を作成しなければならない私にとってとても役立つ練習であった。そして、口頭表現の授業なども、話すことが苦手な自分にとってかなり難しかったが、いい勉強だった。この授業で、自分の日本語で話す技能は発表やディベートによって鍛えられたと思う。更に、この留学で様々な日本文化の授業で履修して、日本についての多様な知識を身に付けることができた。それだけではなく、自分の興味によって自由に選択科目を選べたのも良かった。なぜなら、その選択科目では、外国人の私が日本人の学生たちと普通の日本語を使った授業を受けることができたからである。
初めて来た時、カルチャーショックなどもあって、日本人の友達とのコミュニケーションがうまくできなくて大変でした。岐阜は田舎なので、遊ぶ所が少なくて、ちょっと寂しかったですが、長い間住むと、離れたくないほどここの穏やかな雰囲気や景色が好きになってしまいました。岐阜は勉強する場所として最高だと思います。
この一年間、学問だけではなく、日本文化がいろいろ体験できてよかったと思っています。狂言や能、陶芸等いろいろありましたが、その中で茶道が一番面白かったです。先生はいつも親切で、分かりやすく教えてくれたから、うまくできたと思います。また、茶道の他に、生け花のクラスができればもっと素敵なコースになると思います。
論文を書いた時、はじめてこのようなものを書いたので、とても大変でした。資料の探し方も分からなくて読むスピードも遅かったので、論文がなかなか進まず、辞めようと思う時もありました。しかし、親切な先生方が励ましてくださったおかげで、その辛い期間を乗り越えて、論文を完成することができました。心から感謝しております。
機会があれば、また岐阜に戻りたいと思っています。
子供のときから、日本のアニメが好きになって、日本語を専門にしました。それがきっかけで、岐阜大学で1年間留学生として勉強しました。岐阜大学に来てから、最初は日本語のクラスを分けるテストがありました。意外にも一番レベルが高いクラスに入ることができて嬉しかったです。しかし、それはそのコースが一番大変なことを表します。前期のコースは日本語の勉強を中心にするコースでした。後期は前期より授業が少なかったですが、論文を書くために、様々に工夫しなければならないことがありました。前期はとても辛かったです。なぜなら、自分の日本語に自信がなかったため、意味が通じなかったり、聞き取れなかったりすることがよくあるためでした。前期が終わったら、諦めるつもりでした。しかし、私は先生たちとクラスメートたちに励ましてもらって、1年間のコースが終わるまで頑張ってきてよかったと思います。後期は論文を書くために大変でしたが、その辛さを克服するのはこのコースの目標の一つだと思います。また、日本語を勉強することだけではなくて、様々なイベントに参加して、日本の文化を体験することも大切なことです。
岐阜大学に留学しに来る前は、岐阜での生活などをぜんぜん知らなかった。しかし、ここに来て日研生の先輩たちは岐阜の日研生コースはとても厳しいといった。今振り返るとそれは本当だなと思う。
私は日研生コースからいろいろなことを得ることができた。秋期の授業はすごく難しくてきつかったが、そのおかげで私の日本語が以前より上達した。春期は論文の学期だと言われていたので、その学期はたぶんどこにも行けないと思ったので、秋期に東京・京都・大阪・北海道などいろいろな所に行ってきていい思い出になった。
論文を書くことは、私にとって一番つらいことだった。自分の国の言葉でも論文を書いた経験は一度もなかったので、分析の仕方や参考資料に対する意見の述べ方などもうまくできなかった。それで、先生に何回も注意されて、論文を何回も直したり、消したり、加えたりしてとても悩んだが、日研生の担当の先生、論文指導担当の先生のおかげで、いい論文ができあがって私は成長できた。
今回の日研生コースでの経験は「失敗は成功のもと」という日本のことわざに例えられるだろう。また、日本での生活が順調に送ることができたのは、先生方や友達のおかげです。本当にありがとうございました。みんなまたいつかどこかで会いましょう!
1年間の日研生としての生活と言うと、10月からの前学期には日本語の授業がいっぱいで辛かったという思いと、4月からの後学期は論文で苦労したという思いが強いです。しかし、後学期には論文だけではなく、様々な所に出かけて、普通の日本人でも、珍しい経験がいっぱいできてすごいと思います。そして、そんな1年を過ごして、日本語の能力だけではなく、私という1人の人間としても成長できたと思います。
岐阜大学の日研生コースは厳しいと言われているようだし、勉強もちょっと大変だとは思いましたが、私は、岐阜大学の日研生コースは留学生のために精一杯努力してくれていると思います。私は岐阜大学の日研生として生活できて本当に良かったと思います。
この一年間は本当に楽しかったです。たくさんの友達ができたり、いろいろな体験をしたりして、すごく素晴らしい思い出になりました。岐阜大学に留学することを選んで良かったと思います。
私は日本語が下手ですが、先生たちはいつも優しく熱心に指導してくださり、本当にありがとうございました。そして、日本語と日本文化だけではなく、儀礼や価値観などの面もいい勉強になりました。いろいろな面でずいぶん成長したことと感じます。
授業以外にも、郡上などへの見学や、歌舞伎、能、狂言、郡上踊りなどの日本伝統文化の体験ができて感動しました。私はもともと現代技術より伝統文化のほうが好きですから、たいへん満足しました。このようなイベントがもっと多くなると、もっといいと思います。
また、日研生の皆さんに感謝したいです。友達になってくれて、一緒に旅行をしたり、飲み会をしたりしてくれてありがとうございました。おしゃれなMちゃん、格好いいEさん、面白いCくん、賢いYちゃん、静かなDくん、真面目なAちゃん、優しいT先生、可愛いAさん、活発なMさん、熱心なYさん、お嬢様のSちゃん、また会いましょう。
最後になりましたが、また岐阜大学に行きたいです。これからも頑張ります。
日本での一年は「光陰矢の如し」だった。初めて日本に来た時の光景は今でも鮮明で、昨日のことのように目に浮かぶ。新しい生活をスタートしようというわくわくした気持ちが一番強かった。この一年間を振り返ると、様々なことを思い出す。簡単に一言では言えない。
岐阜大学では、新しい授業のやり方や理念を体験した。学生を主体とする発表やディベートが多いことは感慨深い。中国では、このような習慣が少なかったため、最初はぜんぜん自信を持てず、あまり自分を出さないようにしたが、岐阜大学の教員はいつも自信がない私を励ましてくれた。そのおかげで、自分の考えや意見をはっきり言うように努力するようになり、だんだん自信がついていった。
また、様々な文化イベントに参加し、日本の伝統的な文化に親しむようになった。例えば、歌舞伎、能を初めとした日本の伝統的な芸能の魅力を実際に感じる機会があった。歌舞伎の鑑賞を通して、舞台美術や色彩の美しさ、音楽の悲しさを味わって、日本の美意識を以前より強く感じるようになった。また、日本の国技である相撲を観戦した。身近に力士たちの姿を見、直に会場の盛り上がっている雰囲気を感じることができた。勝負の勝ち負けよりも、負傷をものともせず出場する力士が一生懸命戦う精神が、一番印象に残っている。
冬休みにはホームステイに参加し、日本の家族生活に溶け込むことを体験できた。ホストファミリーと一緒に和食を食べたり、テレビを見たりして家族の暖かさを感じることで、国の家族から離れて少し寂しく感じていたことが慰められた。私はホストファミリーに中国の伝統的な祭りを紹介した。春節と中秋を詳しく説明しながら、両国の祭りについて話し合った。その結果、中国と日本の祭りには共通点が存在することを認識した。両国でも除夜があり、夜を徹し新年を迎え、お年玉をもらうなどの習俗がある。両国の文化はお互いに影響されながら、融合する傾向があることが分かった。
論文を書くために、約半年頑張った。最後の発表は貴重な経験となった。初めて大勢の人の前で正式な発表するので、どきどきしたが、無事発表を終えることができた。発表があったおかげでこの一年間の自分への評価ができたし、論文を書いてみることによって、自分が以前から興味深く思っていた分野を、さらに深くまで追求しようと思うようになった。
この一年間、初めて一人暮らしして自立に一歩近づいた。また、日本のライフスタイルにも影響を受けたと感じる。例えば、電車の中では読書するようになった。そして、エスカレーターに乗るとき、無意識に左側に立ち、右側を急ぐ人のために空けるなど、日本社会のマナーを守るようにもなった。日本では日々の生活の中で他人を思いやり、良い雰囲気がただよっていることに感心した。
帰国したら、さらに研鑽を積み、日本で学んだ知識を中国で役立てるよう努力し、挑戦にあふれた人生を切り開きたいと思う。
10ヶ月岐阜大学で学習できて良かったと思います。岐阜は田舎というのですが、私にとっては、都会です。大学の周りには店が少ないですが、必要な生活品が買えるので、住みやすい所だと思います。しかし、岐阜駅から岐阜大学までは、約40分がかかるのは一番不便なことだと思います。
勉強の方は、簡単にいうと、ペースが速いです。私の大学でも、岐阜大学に留学したら、山ほどの勉強があるという噂があります。実際に留学してみると、勉強の量はかなりありますが、山ほどではないです。この速いペースの勉強のおかげで、私の日本語は上達したと思います。後期には、論文を書きます。これが難しくて、辛かったと思います。岐阜大学に来る前には、日本語で論文を書くのは「無理だ」と思っていましたが、担当先生のおかげで、また、日研生の皆で一緒に頑張って、この大きい壁を超えました。今はこの論文を見て、誇りに思います。
この10ヶ月を振り返ってみると、私は確かに、人間として成長することができました。さらに、貴重な思い出、素敵な出会いが沢山できて、今まで人生の中で一番楽しかった一年です。
これから、日研生の皆はそれぞれ自分の人生を歩みますが、いつか、皆さんと岐阜大学会いましょう!
日本への留学を考えていた時、岐阜大学への留学経験のある先輩や、岐阜大学から木浦大学に留学している友達の話を聞いて、岐阜大学の日研生コースを選ぶことにした。
岐阜大学に着いてみると、大学はとても田舎にあって私の思い描いていたものとは違ったが、岐阜で生活をしていくうちに岐阜の良さを感じることができた。この一年間を振り返ると、私にとって岐阜大学の日研生コースは、日本語の能力向上だけでなく、日本への理解や自分自身の成長にもつながったのだと感じる。
私たち日研生の面倒をみてくださった三人の先生方、留学生の生活をサポートしてくださった方々、留学生活を楽しいものにしよう頑張ってくれた岐阜大学の学生たち、一緒に生活をした日研生の仲間たち、皆のおかげでとても充実した思い出ができた。
中日新聞社の見学、日本の伝統芸術である能や相撲の観覧などの貴重な経験は一生忘れられない。
岐阜大学の日研生コースは勉強も頑張らなければならなかった。特に、修了論文を書くのは大変だった。まだ自分の意見や考えを伝えることでさえ難しいのに、それを文にすることは本当に苦労した。しかし、担当の先生の指導の下で最後までやり遂げたことに達成感を感じた。また、論文を書くためにいろいろな情報を探し、日本と母国との比較をすることで、日本に対する理解だけではなく、自分の母国についても省みるきっかけにもなった。そして、完成した論文を最後に岐阜市民の前で発表したのはいい経験になった。
もし、もう一度留学するチャンスがあれば、私はまた岐阜大学に行きたい。
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