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今年の10月に開催された中国共産党第17期中央委員会第3回全体会議(三中全会)で農地使用権の流動化促進政策が決議・採択されました。これによって農地の集約と大規模経営による農業経営の効率化が図られる予定です。中国の農地は個々の農家が1軒当たり1ムー前後(500〜1,000u)の農地耕作権が保証されていますが、この面積では零細農業しかできず、コムギ、トウモロコシ、ダイズなどの国際穀物市場ではまったく競争力がなく、現在中国はこれらの穀物をもっぱら輸入する輸入国となっています。国際穀物市場での生産国としての地位を確保するためには大規模機械化農業を進めるほかなく、実質上の農地の流動化を伴う可能性をはらみながら決議が採択されました。当然、農地使用権を工業会社が買い取った場合には農地の減少を伴うため、無制限の流動化促進は農業生産力の低下を招きかねません。とはいえバイオエタノール騒動でトウモロコシの国際価格が急騰し、その影響を受けてコムギやダイズからトウモロコシへの作付け転換が行われたために、これらの穀物も引きずられるように高騰しており、穀物輸入国である中国政府も危機感を感じざるを得ない状況です。
この政策のもう一つの目的は、生産技術の効率化を図り大規模農業を進めることによって余剰となった農業従事者人口を工業に転用できることです。この政策はかつて農業基本法の制度化で日本が歩んできた道です。
日本は田植機やコンバインの導入によって農業生産性の効率化を図り、その余剰人口の工業への転用が成功して工業立国として成長してきました。しかし、農業生産性の効率化は大規模経営の促進に繋がることはありませんでした。戦前に大地主と小作人との関係を解消するために行った戦後の農地解放政策は、現在の大規模経営とは立脚点が異なる政策であったにもかかわらず、この農地解放がくびきとなって、国際市場で競争力を持つ大規模経営を目指した農地の集約化はついに進展することはありませんでした。
昨年から今年にかけて、機会に恵まれてインド、ケニア、エクアドル、コロンビア、エチオピアといった新興切花生産国を訪問する機会に恵まれましたが、いずれの生産国においても平均生産面積は10〜20haと広大でした。日本で最大のバラ生産会社の大分県メルヘンローズの面積は4haで、次いで愛媛県のたんバラ園の3ha、山口県のダイヤモンドローズの2.4haです。日本のバラ生産はこの零細性のために販売市場が日本国内に限られてしまい、隣国に急成長する中国・上海などの大都市を持ちながら国際市場に乗り出すことができない状況で、逆にインド、ケニア、エチオピアなどの国々からの輸出攻勢を受けて生産面積は縮小し始めています。
現在の国内販売のみを考えると、これ以上の規模拡大は無謀であるのは事実ですが、中国やインド、ベトナムなどの新興国での経済成長に伴う今後のバラ消費の増加を考えると、日本の生産技術、育種能力、マーケティング能力を最大限に活用できれば輸出は十分可能であると思います。今回11月10〜16日まで訪問したエチオピア生産会社や大使館の職員の方々の口から出てきたのは、「日本のバラ生産者は高度な技術力、経営能力を持っています。何故エチオピアで生産を始めようという生産者や経営者が出てこないのでしょうか?」
物価高による資材の高騰に加えて様々な制約を受けて大規模生産が困難となる国内から、海外に目を向けて適地での低コスト生産と経済発展が期待できる東アジアへの販路拡大を目指すmade in China by Japaneseが実現できないものでしょうか?
日本国内には趣味のバラを楽しむ人々の全国組織である(財)日本バラ会があります。日本バラ会の名誉総裁はェ仁親王妃信子殿下がつとめられておられ、2006年には世界バラ会議を大阪で開催しています。主にガーデンローズを楽しむ方々が多く、バラを文化として捉えてバラの普及に取り組んでおられる方々の会です。活動内容には、「バラは世界中の人々に最も好まれ、愛され続けています。特に女性の人気は群を抜いています。バラの素晴らしさを、バラ好きだけにとどまらず、もっと多くの人に知ってもらいたい。公園は勿論のこと、色とりどりのバラが咲き乱れ、芳香漂う庭が満ちあふれるのを夢見て、バラ会員は活動しています」とあります。日本バラ会の会員の方とお話しする機会がありましたが、主にガーデンローズを楽しむ方が多く、バラに関する知識が豊富で、ヨーロッパのバラの歴史や野生種に関する知識も深く、まさに「バラマニア」ともいえる方々でした。
これに対して、生業として切花生産をおこなっている切りバラ生産者の全国組織として「日本バラ切花協会(日ばら会)」があります。切りバラを生産して日本の消費者に広くバラを普及する役割を持っており、花の女王であるバラを生産して日本の消費者に提供することを通じて心の安らぎを感じてもらうことに使命感を持っておられます。
私は、これまで趣味としてのバラ愛好家の組織とは敢えて交流を持つことはしませんでした。岐阜大学応用生物科学部園芸学研究室は産業である農業としての園芸を支えるための研究を行う研究室であって、趣味の園芸を支える園芸学ではないと考えてきましたし、園芸学の講義でもそのような講義を行ってきました。したがって、日本バラ会の岐阜県支部組織である「岐阜ばら会」の会長は岐阜大学農学部を退職された松井鋳一郎名誉教授が務められていましたが、これまで岐阜ばら会の会合に参加したことはありませんでした。これに対して日本ばら切花協会(日ばら会)の岐阜県支部である「岐阜バラ会」では特別顧問に就任しており、毎年開催される総会や研究会にも積極的に参加してきています。
しかし、よく考えてみると切花としてのバラを頻繁に購入するバラのヘビーユーザーは「バラ好き」であり、必ずと言って良いほど庭にもバラを栽培しています。彼らは、私がこれまで提唱してきた「バラらしくないバラ」の良き理解者であり、イングリッシュローズの切花の世界を高く評価してくれるユーザーでもあり、いわゆる三角形のバラの消費構造の上位に位置するバラのヘビーユーザー層と重なり合う消費者層でもあります。
海外から輸入される安価な「バラらしいバラ」は、バラの消費構造の底辺に位置する初心者的切花消費者層に対して広くバラを普及させる力を持っています。「バラらしいバラ」を楽しんだ消費者がステップアップして香りや花型などのバラの魅力を追い求め始め、「バラ好き」に成長していった時には、日本のバラ生産者が目指すべき「バラらしくないバラ」の魅力を最も高く評価してくれる日本バラ会が大きな力を発揮していただけるように思います。
新しい日本のバラ文化を発展させるために、趣味のバラ愛好家の組織である日本バラ会と日本オリジナルのバラ新品種を生産供給する組織である日本ばら切花協会が共に手を携えて協力する必要があるように感じます。
バラの消費構造は三角形で表現することができ、3段階に区分することができます。(pdfファイル)
世帯当たりの花の購入調査結果では60%の世帯が花を購入していないといわれており、まさに「バラどころか花すら購入したことのない人」が三角形の底辺の外側に存在しています。バラの消費構造の三角形の底辺には、「花は買ったことがあるが、バラは花保ちが悪く価格も高いので、なかなか手が出ない人」がいます。この人達は花の魅力をある程度認識しており、バラが花の女王であることも感じており、バラ消費者の中の初心者的存在ということができます。花店に行けばバラ専用花保ち剤が売られていますが、この人達は鑑賞する技術や情報を持ち合わせていないため、バラを取り扱い難い切花と感じています。
バラの消費構造の中間段階になると、花保ち剤に対する知識も持ち合わせており、「最後まで咲き切ったバラの美しさ」を実感した経験を持っており、「バラは花の女王で大好きな花の一つ」と思うようになってきます。バラを購入する機会も次第に増えて、バラ消費者の中の中級者的存在といえます。中級者の上位には庭や鉢植えでもバラを栽培している人もいますが、病気や害虫に悩まされ「バラの栽培は本当に難しい」と悩んでいる人達です。
バラ消費構造の上位段階になると、「バラマニアといわれる人」がその上位に出てきます。普通のバラでは満足できない「オールドローズやイングリッシュローズのとりこになっている人」が現れます。これらの人達は香りや色、花型にこだわり、季節に応じて家の中にバラを飾り続けるバラのヘビーユーザーです。バラ消費者の中の上級者的存在で、気に入ったバラであれば1本千円でも購入してしまうバラマニアです。
バラ消費構造の底辺の外側にいる人達に対しては青山フラワーマーケットが展開したミニブーケは極めて効果的で、「かわいい」という感性が契機となって花を購入するようになり、適切なアドバイスさえ受けられればスーパーで安価な切花パックを購入する消費者層に成長していきます。当然、その中にバラが入っていれば次第にバラの魅力にとらわれるようになります。ミニブーケや切花パックをしばしば購入して室内に飾り始めると、できれば安価なバラの花束が欲しいと思うようになります。国際バラ価格が暴落して安価な輸入バラが花店で販売されると、それまで高くて手が出なかったこれらの人達は真っ先にバラの花束を購入することになります。また切花パックにバラ専用花保ち剤が付いていれば無条件でこれを使用して鑑賞すると予想されます。
バラを楽しむことは「バラ文化」を体現することだと私は考えます。文化は導入から発展、そして究極を目指す心の発露の結果として成熟をむかえます。まさにフラワーブーケをカッワィッと言って購入する人達こそバラ文化を将来発展させてくれる担い手であり、彼らのバラ購入意欲を高める手立てこそが10年後、20年後のバラ産業を支えてくれる人達であると思います。バラ文化に一歩を踏み出した彼らを大切にしましょう。彼らがバラに親しんでくれるためであれば安価な輸入バラも容認しましょう。安価な輸入のバラを頻繁に購入して室内で鑑賞し始めると、庭や鉢物でもバラを栽培したくなり、バラの持つ香りや雰囲気に魅力を感じ始めます。こうなるとバラマニアへの第一歩を踏み出した消費者です。確かにバラの栽培は病気と害虫との戦いであるかもしれません。しかし、NHKの趣味の園芸やバラに関わる技術指導書は世の中にあふれるほどあります。インターネットにはバラマニアの方々が豊富な栽培情報を掲載しています。大切なことは、バラマニアへの第一歩を踏み出そうとする人達に対して的確な情報を提供できる組織を準備することでしょう。
バラ業界に携わる方々、彼らに対するフォローアップ体制は充分といえますか?もう少しバラの魅力を判ってくれるようになって欲しいと勝手に思い、野放しにしていませんか?
中級段階にに一歩を踏み出すと自立したバラマニアに成長してくるようになります。それと同時に普通の「バラらしいバラ」に飽きてきます。切りバラにはない香りに目覚め、バラの歴史を知るようになるとオールドローズやイングリッシュローズに興味を持ち始めます。こうなったら情報を提供しなくても勝手にバラの世界にのめり込んでしまいます。まさにバラマニアの世界に一歩を踏み込んだ人達は、ダレも何も言わないのにバラの香りのとりこになり、1本千円のバラであってもウンチクを語る素材としてバラを購入する上級者層に成長していきます。
バラ消費者の初心者に対して、バラの香りや花型の魅力を語っても理解してくれませんが、中級・上級者に対しては積極的にバラの魅力を伝えましょう。このためには、消費者と直接対面する生花店へのバラにまつわる情報の提供は不可欠です。
2008年9月にエクアドルの花展示会AGRIFLOR 2008に参加した時に感じたことですが、エクアドルのバラ生産はアメリカとロシアが需要の原動力となって拡大をしていました。毎年600haの生産面積が増加しており、2007年の輸出量は52億本に達しています。同様に2008年11月に訪問したエチオピアでもロシアとEU諸国は主要な輸出相手国で毎年400haの生産面積が増加しています。
5月以降にアメリカのサブライムローンの破綻が契機となって急速に世界中に波及した金融危機は、アメリカは当然のことながらドイツやフランスをはじめとするEU諸国をも巻き込んで世界的な消費低迷を引き起こしています。さらに7月に1バーレル140$を記録した原油価格は12月には40$と1/3以下に暴落し、原油輸出によって急激な経済成長を示してきたロシア経済も、国家予算維持のための原油想定価格70$を大きく下回ったことで大きく減速してきています。アメリカ、EU、ロシアはいずれも世界のバラ需要を牽引してきた消費地域ですが、この世界金融危機や原油の暴落によってこれらの地域のバラ消費力が著しく低下してしまいました。
バラは木本植物ですので種子繁殖性の植物とは異なって生産調整が難しく、一度植栽すると需要の有無に関わらず定期的に切花が生産できてしまいます。これまでの輸出対象国であったアメリカ、EU、ロシアの消費量が減退しても切花が収穫できてしまう以上、輸出は継続せざるを得ない状況となります。世界のバラ生産輸出国であるケニア、コロンビア、エクアドル、インド、エチオピアの中で、国内消費力を持っているのはインドだけですが、インド経済も世界金融危機の影響を強く受けており、インドも他の輸出国と同様に輸出が継続して行われます。その結果として、恐らく今後のバラの国際需給バランスは大きく崩れ始めて、国際バラ価格が暴落が起きるのではないかと考えます。
この国際バラ価格の暴落の影響は、当然日本のバラ市場価格にも大きな影響を及ぼすものと考えられます。さらに、エクアドルを訪問したした際に交流のあった日本人育種家の西川公一郎氏のブログによると、エクアドルのバラ生産者はリスク分散を考えて日本への輸出を真剣に検討し始めているとのことですし、実際に私の所にもAGRIFLOR 2008で訪問した切りバラ生産会社から日本の切花輸入商社の紹介依頼メールが届いています。このように新たな輸出先国として日本が選択されることで、現在でも国内流通量の30%近くのバラが輸入されているのに加えて、これまで以上に輸入量の増加が見込まれます。
さて、日本国内のバラ生産者の皆さん。正面からこれを受け止めて、日本のバラ産業のあり方を考えるための新たな戦略がこれまで以上に必要とされる時代が到来することになります。
★花育事業は自己満足に陥っていないか? (2008/12/13)
小学生や幼稚園児の頃から花に親しみを持ってもらい、将来の花の購入層を拡大しようという「花育」運動が農水省の積極的な取り組みの基で全国で展開されています。私の地元の岐阜花き流通センター青年部でも7年前から「花咲か大作戦」として小学校や幼稚園での花壇作りに取り組んでおり、JFMAでも「花ごと事業」を展開しています。
子供の頃から花に親しむ習慣を付けること自体は何も異議を唱える試みではありませんし、大いに促進するべきだと思いますが、取り組み事業に対する効果の検証という意味で問題があるように思います。子供達との花育事業に携わっていると、子供の感動を感じる気持ちに揺り動かされますし、ストレートな感情表現に感動すら覚えます。しかし、花育事業は刹那的な感動を感じるために行っている事業ではなく、将来の花の消費者を確保するために行っている事業であることを忘れているのではないかと感じることがあります。岐阜花き流通センター青年部の花咲か大作戦の報告会でもJFMAの事業報告でも、「子供達の花に対する素直な感動の心を大切にしたい」との言葉を聞きますが、花育事業はその言葉を聞くための満足体感事業ではありません。事業に携わった方々が子供達からの満足感を体感したから事業が成功しているのではなく、その事業が将来の花き消費にどの様に結びついて行くのかを検証することが重要であると思います。花育事業に携わっておられる方々は自己満足に陥っていませんか?
MPSフローラルマーケティング(株)が2008年6月に全国520人を対象に行った「花と環境に関する調査」結果で、「子供の頃、花が身近にあったか」と「この一年花を購入したか」の質問に対する回答の相関関係をみています。「子供の頃、家の室内に定期的に花が飾られていた」と回答した人の80.4%がこの1年間に花を購入していたのに対して、「子供の頃、花が身近になかった」と回答した人でこの1年間に花を購入した人は38.5%にとどまっています。同様に、「花が室内に定期的な飾られていた」人の86.2%は「花は生活に必要である」と考えているのに対して、「花が身近になかった」人では36.5%しか「花は生活に必要である」と考えていません。
このデータから判断できることは、大人になってからの花の購入に影響する子供の頃の体験とは、自分自身が花に触れる体験ではなく、花を大切に思う親の影響を多大に受けているということではないでしょうか。私達の昭和生まれの年代は、小学生の時には必ずアサガオやホウセンカなどの花を育て”させられた”のではないでしょうか。それにも関わらず花の消費金額は年々低下の一途をたどっていることからみると、果たして一時的な花育事業が将来の花の消費を着実に伸ばす効果があるのか疑問に思えてきます。
MPSフローラルマーケティング(株)のアンケート結果を見る限り、重要なことは小学生や幼稚園児の花への興味を持たせる取り組みではなく、その親達への花に対する興味の向上の方が有効ではないかと思います。まさにターゲットは20〜30歳代の女性に対するプロモーションなのではないでしょうか。彼女らの花に対する興味を高めて、「花が室内に定期的に飾られている」、あるいは「庭に花が咲いている」状態を提供することの方が、子供達への花育事業より効果的な気がします。
花育事業は「子供に花に触れる機会を増やす」事業であって、単発的な花飾り事業にとどまってはいけないと思います。20歳後半から30歳代にかけての女性を対象にした「花育事業」に対する取り組みがほとんどないのは、何か花き業界として大きなミスマッチをしているのではないでしょうか?
バラと言えばイギリスでしょうか。1455年におこったバラ戦争は、白バラを家紋とするヨーク家と赤バラを家紋とするランカスター家が30年にわたって争ったことから付けられた名前です。また、ナポレオンの妃ジョセフィーヌがバラの園を作ったことから、バラはヨーロッパの花の代表と言われるようになっています。
しかし、実はそうではありません。バラ戦争やジョセフィーヌの時代のバラは、春にしか花が咲かない一季咲きのバラしかなく、花色も白と赤紫、ピンク、薄いクリーム色しかありませんでした。花型も一重、半八重、ロゼット咲き程度の変化しかなく、香りもダマスク・クラシックと言われる香りに限られていました。
これに対してバラの野生種の遺伝資源の宝庫である中国では、漢の時代(紀元前206年)からバラの育種が行われており、庚申バラ(Rosa chinensis)から受け継いだ四季咲き性に加えて高芯咲きの花型や朱赤・クリームイエローの花色、大香水月季(Rosa gigantea)の形質を受け継いだ剣弁咲きやTeaの香りなどの現代バラの持つ主要なバラの形質を持ったバラの育種が行われ、発展していました。ヨーロッパの大航海時代に象徴されるアジアの植民地化政策によって1700年代後半に中国からヨーロッパに伝播した中国のバラ育成品種の月月紅、月月粉、彩暈香水月季、淡黄香水月季の4品種がヨーロッパのバラの育種に大きな影響を与えました。
現代バラの典型的な形質である高芯剣弁、四季咲き性、赤いバラ、Teaの香り、クリームイエローの花色など、ほとんどの現代バラの形質が実は中国から伝来した形質といえるのです。
現代バラは誰が作った?確かに現代バラの基礎となるハイブリッド・ティー(Hybrid Tea)を作ったのはフランスのGuillotであり、La Franceこそが現代バラのルーツといえます。しかし、その遺伝形質のほとんどは中国が由来であり、ヨーロッパ人が作ったものではありません。
私は国粋主義者ではありませんが、アジアの文化の象徴として古来から発展してきたバラを、ヨーロッパの植民地化政策のもとで発展したヨーロッパ文化に置き換えられ、アジアのバラの歴史をなかったものとする考えに対して敢えて抵抗したいと感じています。
2006年に大阪で開催された世界バラ会議の後に、岐阜県可児市の花フェスタ記念公園で開催された世界バラシンポジウムで、バラの育種に貢献した中国古代のバラ「月月紅、月月粉、彩暈香水月季、淡黄香水月季」について講演したところ、同席された元世界バラ会連合会長のヘルガ女史はご機嫌が悪く、コメントすらいただけませんでした。
高芯剣弁の現代バラだけがバラのすべてではありません。日本の感性、アジアの風こそが世界のバラの育種の王道であることを認識しませんか。
2007年に訪問したインドのバラ輸出国は、日本、EU、UAEなどで、ケニアはEUが主体でロシアが急成長しています。2008年に訪問したエクアドルはアメリカ、EUに加えてロシアが主要輸出国で、エチオピアはEU、UAE、ロシアとなっており、いずれもアメリカ、EU、ロシアが中心で、特に今年訪問したエクアドルとエチオピアでは異口同音に「ロシアの需要が高い」と期待感を表明していました。これらのバラ生産国で自国内消費が可能な国はインドのみで、他の輸出国の人口はエチオピアが7,700万人ですが,エクアドル1,300万人,ケニア3,383万人と少なく.、生産した切りバラのほとんどを輸出しています。
アメリカのサブプライムローン破綻問題が契機となって世界中に広がった世界金融危機は発端となったアメリカのみならず世界中の金融機関に影響を及ぼし、ヘッジファンドなどの投機的動きの変化によって原油価格の高騰とその後の暴落を引き起こしました。その結果、これらの輸出相手国であるアメリカやEUに加えて、最も大きなバラ需要国であったロシア経済をも揺るがし始めました。これまで堅調であったアメリカやEUに加えて、バブル景気の様相を呈していたロシア経済も金融危機と原油の暴落の影響を受けて経済成長率が低下すると予想されており、バラ需要も急速に小さくなる可能性が推定されています。
これらの輸出国では、この数年間、世界的な経済成長を期待して年々数十%の割合で生産面積が増加しており、なかでもロシアの7〜8%という高い経済成長はこれらのバラ生産増を支えてきました。世界に広がった金融危機はバラ消費の減退を引き起こし、生産量の増加スピードが衰えない輸出生産国のバラ生産供給量とのアンバランスが生じて、今後世界的な生産過剰の状態へと転換すると予想されます。
エクアドルからの情報によると、これまでのアメリカ、ロシア一辺倒であった輸出相手国から、日本を含めたアジア諸国への輸出量の増加による危険分散を図り始めているとのことです。11月に訪問したエチオピでも、エミレーツ航空の旅客便貨物では輸送能力に限度があるためエチオピア航空の成田乗り入れを真剣に考え始めており、旅客便に加えて貨物便の運行を期待しているとのことでした。恐らく、需要と供給のアンバランスから国際的なバラ価格が数十%低下すると推定でき、この輸入バラの価格低下が国内のバラ価格にも影響を及ぼすと考えられます。
日本国内のバラ生産者の皆さん、バラは国際商品となっていることに気が付いて下さい。バラは輸入保護政策の対象品目ではありません。高芯剣弁の「バラらしいバラ」は国際商品であり、「バラらしいバラ」を生産する限り、国際的な価格競争に対抗できる生産コストの低減を図る必要があります。高芯剣弁の「バラらしいバラ」を生産しているオランダでは既に生産会社の淘汰選別が始まっており、生産コストの低減が図れない生産会社は倒産や廃業に追い込まれています。生産コスト高を招くヒートポンプの導入は国際商品である「バラらしいバラ」を生産するための対抗戦略にはならないことを充分理解して下さい。
★バラ生産における夜間冷房の効果と課題 (2008/11/20)
ヒートポンプを導入されたバラ生産者の中で、この夏に夜間冷房を初めて試みられた方が多く、その効果についての感想は「???」という方が多いようです。
西南暖地における夜間冷房は、高夜温による夜間の呼吸量の抑制による収量増加効果に加えて、日温度較差を大きくすることで花径や切花長の増大が期待できます。しかし、夜間冷房は適切な処置を行わない限り、温室内の温度を下げることは難しい技術です。
家庭の居間や店舗と違って夏の温室は極めて過酷な環境です。日中にギラギラと差し込む夏の太陽にはふんだんに赤外線(熱線)が含まれています。この赤外線の照射によって温室内の骨材、ベンチ資材、地面の温度が上昇し、骨材などは手で触れないほどの高温に達します。これを防ぐために遮光カーテンで内部遮光すると、遮光カーテンと屋根ガラスとの間の空気が70℃以上の高温になります。太陽光の赤外線で温度が上昇した骨材や資材、地表面、遮光カーテン上部の空気は、日没後になると赤外線の再放射を始め、温室の気温が下がりにくい保温効果を維持します。この状態でヒートポンプを用いて冷房を行ってもまったく効果を発揮することが出来ません。
夜間冷房で最も重要なことは、(1) 日中の太陽光の赤外線を除去すること、(2) 日中に温められた資材などからの放熱を日没後速やかに行わせること、(3) 冷房を開始したら暖房時と同じように断熱を確実に行うことです。
(1)-1 夏の太陽光はバラの光合成には充分すぎるほどの可視光線を含んでおり、30%程度の遮光はバラの光合成に対してほとんど影響がありません。30%のアルミ蒸着遮光シートで「外部遮光」することによって、温室内への赤外線の入射を抑えることが出来ます。(1)-2 この数年間にヨーロッパから導入された農業資材で、光合成に必要な可視光線に影響を及ぼさず赤外線だけを選択的に遮光する特殊遮光剤が販売され始めました。「トランスパール(TransPAR)」と「レディヒート(ReduHeat)」は、いずれも赤外線を50%程度遮光し、可視光線の遮光率は10%にとどめる特性を持っています。この特殊遮光材を温室のガラス外側に噴霧塗布することで、外部遮光と同等の効果を発揮します。
(2) 日没直後から冷房を行うことは、熱せられた温室資材からの放熱によって冷房効率が著しく低下します。日没後に充分な換気を行って温室内の温度を少しでも低下させてからヒートポンプを稼働させることが重要です。また、光合成によって葉で蓄積されている糖を根部や株基に転流させるためにはある程度の温度が必要で、日没直後に所定の温度まで急激に低下させる必要はありません。このことは夜間電力を夜間冷房で使用するという観点からも効率的です。深夜電力使用可能時刻まで充分に温室内の空気を室外に換気してからヒートポンプを稼働させましょう。
(3)夜間冷房を行う場合には外気の温度は高く、温室外からの熱伝導が行われます。暖房時には内張カーテンなどの点検を充分行いますが、夜間冷房時に内張カーテンを適当に設置している事例がみられます。出来れば2重カーテンをし、側面のカーテンも地上部まで充分に降ろして断熱を確実に行うことが重要です。
切りバラ生産者の団体である日本ばら切りバラ協会の会議での会話です。「ヒートポンプで夜間冷房や除湿をしたバラを市場に出荷しているのに、市場はまったく評価してくれない。生産コストが掛かっているのだから、ヒートポンプで生産したバラを特別に表示して差別化販売できないか?」
たしかに、夜間冷房や除湿にはかなりの電気代を必要とします。花径は大きくなり切花長も長くなり、夏のバラの代名詞であった「暖地の貧弱な夏のバラ」のイメージを大きく払拭できます。しかし、山形県などの東北地方で生産されたバラは夜間冷房や除湿をしなくても充分な花の大きさと長さが確保できていますし、ましてやケニアやエクアドルから輸入されてくるバラは天然のクーラーが働いており、木造施設で栽培されているにもかかわらず立派なバラです。ヒートポンプの使用で電気代が掛かったとしても、消費者にとってヒートポンプのバラと輸入のバラが区別できなければ販売価格へのコストの上乗せを理解していただけないと思います。
さて、この議論が導く大きな課題は、ヒートポンプのメリットを最大限に引き出すための品種選定の重要性です。ケニアやエクアドルは日温度較差が20℃以上あり、夜間の高湿度と葉面での結露が大きな問題となっており、灰色カビ病などに抵抗性のある花弁の厚い品種が生産されています。また同様に、10時間を超える航空貨物での輸送中の温度変化に伴う結露が輸送中での灰色カビ病の発生を助長します。このようなことから、ケニアやエクアドルでは花弁が厚く堅い品種を選んで栽培が行われており、これらの品種は日本でも灰色カビ病におかされにくいバラ品種として広く普及しています。
ケニアやエクアドルで生産されている同じ品種を、ヒートポンプを使って夜間冷房や除湿をして生産した場合、市場では低コスト生産の輸入バラとの価格競争になるのは当然のことです。なぜなら、生花店や消費者にとって輸入バラとヒートポンプ生産のバラが「見た目」で区別ができず、「見た目以外」で差がなければ、価格の安い方を選ぶ以外の価値判断しかできないからです。
折角ヒートポンプを導入したのです!ヒートポンプの価値を最大限に発揮でき、差別化できる品種の選択が重要だと考えます。
夜間の湿度が高く、輸送中の高湿度条件に悩まされているケニアやエクアドルでは生産できない「花弁が薄くて柔らかいため灰色カビ病に弱いけれども、独特の雰囲気を持っているバラ」を生産しませんか。灰色カビ病に弱くても、ヒートポンプで除湿さえ出来れば問題なく生産が可能です。これまで生産していた温室にヒートポンプを入れたため、相変わらずローテローゼを夜間冷房と除湿をしながら栽培することに疑問を感じませんか。ヒートポンプ栽培の特別表示での差別化ではなく、生花店や消費者がメリットを感ずる見た目の差別化、花保ち期間の延長など体験できる差別化を目指すことが重要であり、これこそがヒートポンプでの夜間冷房や除湿で付加された生産コストに対する価格評価となるのではないでしょうか。
「ヒートポンプを設置すればすべての問題を解決してくれる」わけではありません。バラ生産者の皆さん、ヒートポンプの設置はすべての始まりです。ヒートポンプでの栽培に適した品種の選定で差別化、区別化の第一歩を歩み始めませんか?
温室内の湿度コントロールのもう一つの重要な点は病害対策です。切りバラ生産において主要な病害としてウドンコ病、灰色カビ病、ベト病がありますが、これらの病害の発生には夜間の高湿度が密接に関係しています。これらの病害は葉や花弁での結露(ぬれ)が発生すると菌糸の伸長が促されて発病を著しく高めることになります。
葉や花弁での結露(ぬれ)は温室内の温度ムラによって発生します。温室内に循環扇が設置されていた場合であっても、植物体は低い位置にあるため、温室内の気温に対して植物体温度は低くなる傾向があります。図のように温室内が18℃に設定されていた場合に植物周辺が14℃になっている温度ムラのある施設を仮定しましょう(この設定は一般に温室でみられる温度ムラ条件で、これより大きい温度差がある施設もあります)。
表は露点温度表といいます。縦の罫に温度、横の罫に湿度が表示されており、その交わった所の数値が露点温度を示しています。18℃(縦罫)、湿度90%(横罫)の空気の露点は16.4℃と読むことができます。すなわち、18℃の空気が16.4℃まで1.6℃下がると結露(ぬれ)が始まることを意味しており、図のバラの葉や花弁で結露(ぬれ)が起きていることを示します。
温室の温度を18℃に保ちながら葉や花弁での結露(ぬれ)を防ぐためには、温室内の温度ムラを1.5℃以内に保つか、湿度を75〜80%に下げる必要があります。
温室内の空気を動かすための様々な循環扇が販売されていますが、実際問題として温室内の温度ムラを1.5℃以内に保つことは至難の業です。したがって、病菌の菌糸の伸長を促す葉や花弁での結露(ぬれ)を防ぐためには除湿が最も効果的であり、循環扇と除湿機(冷房除湿)を必ず併用することが重要であることが理解できると思います。
「ヒートポンプを設置すればすべての問題を解決してくれる」と思っておられるバラ生産者の皆さん、ヒートポンプの設置はすべての始まりです。ヒートポンプの設置、温室内の空気の循環、除湿の3点セットを使いこなすことから始めましょう。
★バラ生産における除湿の成長促進効果 (2008/11/09)
植物にとって空気中湿度は生理学的に重要な影響を及ぼします。60%以下の低湿度条件になると植物の葉の気孔からの過剰な水の蒸散を防ぐために気孔を閉じてしまいます。気孔が閉じられて蒸散が抑制されると根からの水の吸収も少なくなり、養分の吸収が悪くなります。また気孔は葉からの蒸散作用だけではなく、光合成のための二酸化炭素の取り込みを行っています。低湿度条件によって気孔が閉じられると、太陽光線の日射が充分にあっても光合成を行わなくなり、生産性の低下を引き起こします。逆に、空気中湿度95%以上の高湿度条件になっても気孔からの水蒸気の蒸散は抑制されて根からの養分の吸収が悪くなり、さらに気孔を介した二酸化炭素と酸素の交換も抑えられることから、低湿度条件と同じような現象が発生することになります。
植物にとって最も適切な湿度は80%前後といわれており、この湿度環境では気孔からの蒸散が促進されて根からの吸水、養分の吸収が促され、成長速度が高まります。また植物体内の物質移動も促進されて葉で作られたアミノ酸の転流も良くなります。当然、気孔を経由した二酸化炭素の取り込みも良くなり光合成が促進されるとともに、光合成で作られた糖の分配も促されます。
このように温室内の適切な湿度コントロールはバラの成長を良くし、収量の増加をもたらすことが明らかです。これまでバラの成長は温度との関係が深いといわれ、生産者の多くは温度管理に多くの精力を注ぎ込んできました。このこと自体は間違ってはいませんが、実は湿度も大きな要因であったことに注意が払われていませんでした。冬のバラの成長が悪いのは気温と日射量が低いことが原因であると考えられてきましたが、実は冬の成長が悪い原因に温室内の高い湿度が大きな原因となっていたのです。実際に、温室内の温度は18〜20℃に維持されていることからみて、温度が低いことが成長の悪い原因とは考えられません。冬の温室は暖房しているために内張が厳重にされていて高い湿度が保たれる結果となっています。冬の温室にはいると眼鏡が曇ることでも実証済みです。
ヒートポンプを導入されたバラ生産者の皆さん。今年の冬は以下のことに注意を払って収量の増加を図ってみませんか?
(1)昼夜含めて湿度を80%に維持するような温度と湿度の管理
(2)夜間も給液を止めないで、レベルコントロールなどで養液を給液する
(3)天気の悪い時には二酸化炭素濃度を朝から夕方まで1,800ppm程度に維持する
注:曇天に1,800ppmの二酸化炭素施与を行うと、晴天の時と同じ光合成を行ってくれます【図参照】。
重油が昨年10月の78円から140円に高騰したことを受けて、施設生産におけるヒートポンプの導入が急速に始まりました。世界金融危機の影響で10月現在の重油価格は80円前後に落ち着いていますが、2006年からの3年間でバラ生産施設に導入されたヒートポンプは7,800台程度と推定され、国内のバラ生産施設の40%の面積にヒートポンプが導入されたことになります【重油価格の推移】。ヒートポンプは産業用エアコンのことで、石油依存型施設園芸からの脱却、そして洞爺湖サミットの中心的話題ともなった京都議定書の発効を受けた地球温暖化を防止するためのCO2削減をも達成できる切り札ともなる新技術といわれています。
ヒートポンプを導入することによって、西南暖地であればCO2を発生させる重油をほとんど燃焼することなく高効率で電力による温室の暖房が可能となります。心の安らぎを提供できるバラなどの切花だけではなく、食の豊かさを提供できるトマトやキュウリなどの野菜を周年供給することもできるようになります。人間生活にゆとりや豊かさを提供しながら、化石燃料浪費型産業と揶揄された施設園芸の立場を大きく変える転換点ということができると思います。
数年前のA重油価格のリットル40円時代には、花き市場卸売価格の低迷もあって、胡蝶蘭などの一部の花を除いては花き生産業界でヒートポンプを導入することなど想像もできない状況でしたが、ヒートポンプの性能が急速に向上したことに加えて、2年前のリットル65円への高騰を受けて全国のバラ生産施設で約800台のヒートポンプが導入されました。昨年の80円台への高騰を受けてさらに約2,000台のヒートポンプが導入され、今年はNEDOの支援事業や農水省・県などの補助事業を受けてさらに5,000台の導入が推定されています。
ヒートポンプの導入による経営効果は重油価格65円と同等の効果をもたらすと言われており、さらに今後のヒートポンプの性能向上が期待されることから、ヒートポンプ導入による経営改善効果は著しく高いと考えられます。
さて、ヒートポンプは産業用エアコンであることを考えると、ヒートポンプを単純な暖房設備として使用することは極めてもったいないことではありませんか?ヒートポンプは夏の高温期の夜間冷房に使用することもできますし、6月や10月の高い湿度環境で除湿機としても使用することができます。というより、皆さんの家庭のエアコンは暖房機としてではなくクーラーや除湿機としての使用頻度の方が多くありませんか?
重油高騰という逆境の中で重油の節約、あるいは二酸化炭素削減を目指した中で産まれたヒートポンプの導入ではありますが、せっかく手にしたヒートポンプという武器を最大限に活用して、世界に誇る日本の高い施設園芸技術をさらに大きく発展させることに繋げるべきではないかと考えます。
生産環境の除湿による効果は著しく、灰色カビ病などの病気の発生を抑えることが出来ます。また植物からの蒸散を促すことによって養分吸収も促進され、光合成も活発になります。ヒートポンプを導入された方、これからヒートポンプの導入を考えている方は、是非、除湿や夜間冷房での使用についても同時に検討されることをお奨めします。
バイオエタノール問題から端を発した食料危機がマスコミで大きく取り上げられ始め,最近の報道番組でも頻繁に日本の食料自給率の低さが問題として取り上げられています。日本の食料自給率はカロリーベースで39%で,先進国の中でも飛び抜けて低いと指摘されています。近年は野菜の自給率ですら低下し始めており,2006年には79%まで低下しています。今回新たな輸入冷凍加工食品の殺虫剤問題を受けて,国内自給率の向上が一層脚光を浴び始めていますが,食料自給率の向上の掛け声だけで食料安全保障は達成されるのでしょうか。
現在の稲作で最も重要な要素は石油です。田植機,コンバインの燃料,肥料,農薬に至るまで石油がなければ米の生産はあり得ません。野菜でもそうです。施設園芸による周年生産が達成されているからこそ,年中キュウリやトマトが美味しく食べられるのであって,露地野菜だけでは現在の豊かな食生活を維持することはできません。施設栽培のキュウリやトマトの生産には暖房のための重油が不可欠で,温室の被覆ビニル,肥料,農薬,出荷容器・・様々なものに石油製品が用いられており,最後には消費者の手元に渡るための流通においてもガソリンが必要です。
日本のエネルギー自給率は20%ですが,石油自給率,鉄鉱石自給率,原子力燃料自給率・・・いずれも自給率0%で,原材料の100%を海外に依存しています。このような状況の中で食料自給率だけが何故取り上げられるのでしょうか?一つは,石油,鉄鉱石,原子力燃料のいずれも国内で自給することがほとんど不可能であるのに対して,食料自給は不可能ではないことが挙げられます。もう一点は,日本の経済の中で農業は年間1.05兆円で,これを加工して提供する食料・飲料卸売業まで範囲を広げたところで年間48兆円に過ぎません。これに対して工業卸売業界だけ見ても電気機械器具卸売業は61兆円,自動車卸売業は17兆円,一般機械卸売業は32兆円と,工業生産業界を含めると日本産業の著しく大きなウェイトを占めていることが判ります。工業界は原材料の自給率が問題ではなく,原材料を加工して付加価値を高めることで産業が成り立っています。したがって,数年前にみられたように,中国での鉄需要が高まったために国際的に鉄価格が高騰して鉄不足に陥ったように,原材料費が高騰しても付加価値をさらに高めながら生産コストを低減して対応しています。まさに自立した産業であるといえます。
これに対して農業ではどうでしょうか。農業を産業として捉えることができず,零細な兼業農家の保護政策を継続した結果,国際化の流れから大きく取り残されてしまった現状において,農業は職業としての魅力が次第に低下し,農業従事者の高齢化と共に,後継者不足が将来の農業の継続性を困難にしています。農業世帯の子弟が職業として農業を選択せず,農業従事者がいなくなる状況の中で,人ごとのように自給率だけが一人歩きをすることに対して疑問を感じる評論家はおられないのでしょうか。
食料自給率の向上という耳障りの良い施策を拠り所としたバラマキ福祉のような補助金を頼りにするのではなく,日本の食料生産のあり方を正面から捉えて,大きな農業改革をするべき時期に直面しているのではないでしょうか。
農業を,工業やサービス業のように自立した産業にしたいと願っています。
園芸生産物の中で、果樹や野菜と違って花は、政策的な恩恵が少ない農業分野です。先日、岐阜県で行われた日本ばら切花協会サマーセミナーin岐阜において、「他の農産物と違って輸入の切花には何故関税がかけられないのか?」といった質問が出ました。先日決裂したWTOのドーハ・ラウンドでも、日本に輸入される様々な農産物に対する驚くような関税率が新聞に出ていましたが、花に関しては以前から大量の切花が無関税で輸入されてきています。
政策的な農業保護の基本精神は、国際的な競争力を確立するまでの取りあえずの手段であって、保護政策を受けている期間中に国際競争力に耐えられる基盤を整備して、産業としての自立を目指すことを目的としています。なかには、国内産業として維持する必要があるという国民的なコンセンサスが得られる場合に限って、敢えて国際的な非難を受けてでも高い関税を課すこともありますが・・。
前者の典型的な例として、ガット・ウルグアイ・ラウンド裁定を受けて韓国が実施した事例があります。韓国では、ガット・ウルグアイ・ラウンドをうけて農業保護政策として多額の補助金を施設園芸設備の充実に注ぎ込みました。その結果として、現在の韓国は切花、果菜類の輸出国に成長し、農業者の経営基盤が確保できるようになっています。
日本の農業保護政策はどうでしょうか?産業としての国際競争力を確保するという本来の政策目的とは大きくかけ離れて、国際価格との格差を埋めるための価格補填が相変わらず行われています。保護を受けている農業者も、産業として国際競争力に耐えられる基盤を確立するなどという考えはまったくみられず、「価格補填の補助がなければ経営が成り立たないので、補助金は継続してもらわなくてはいけない」という発言が聞かれます。政治家も官僚も地方行政も農家も、本来の農業保護政策の意味を理解していないとしか思えないように感じます。
花は食料ではなく、米と比べれば農家数も少なく、政治家にとっても官僚にとってもアピール度が低く、農水省職員からも軽く見られているところがあります。以前、地方農政局の職員と話をしていた時に、研究の専門分野を聞かれて「バラの耐病性です」と答えたところ、「花はマイナーですからねぇ・・。重要度が低いですよ!」とあからさまに言われたことがあります。
しかし、産業としての農業を考えると花は優良産業です。法人化も農業の中で最も進んでおり、「農家」の意識を超えた経営者も数多くみられます。私の住む岐阜県でも、年間売上げが1億円を超す生産法人が数多くありますし、後継者の就業率は60%を超えていると思います。果樹や米では、定年退職して先祖の田畑を守るために就農した方を後継者とカウントしなければ、限りなく後継者就業率が0%となってしまうのに対して、花は若者にとっても魅力のある産業として評価されています。
花は政治家や官僚に評価されなくても良いではありませんか!農家ではなく、産業人として高い志を持とうではありませんか!花き生産者の皆さん。自立した経営者として社会に認められる産業人たれ!
★井上ひさし氏の言葉と大学の教育力 (2008/10/31)
井上ひさし氏の言葉で私の大好きなものが「むつかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをゆかいに,ゆかいなことをまじめに」です。
岐阜大学応用生物科学部の教育方針は「高度職業人教育」です。高度な知識と技術を持つ職業人として学生を教育し,社会に送り出すことを目標にしています。当然,教員の教育力が重要な大学の資源であり,学生が講義内容をどれだけ理解してくれたかが重要な鍵となります。
岐阜大学でも学生による授業評価が行われており,授業科目ごとに数項目にわたって評価が行われます。しかし,授業評価結果の取り扱いにあたって必ずしも肯定的な意見ばかりではなく,なかなか活用できない状況です。「評価が高い授業が良い講義ではない。講義内容のレベルを下げれば学生の授業評価点数は高くなる。内容レベルを上げれば学生がついてこれなくなって授業評価点数は下がる。だから授業評価は信頼できるものではない」。そして最後には「高い授業評価を得ようと学生に媚びる講義をすることは、授業の根幹を揺るがすゆゆしき問題だ!」とまで言われると、反論をする気持ちすら萎えてしまいます。
私達大学教員は文字通り「教育」を職業にしています。難しいことを難しく話せば,理解できる学生は少なくなります。まさに難しいことを易しく講義する。しかし易しく講義したからといって中身が浅くなってはいけません。高度職業人を育てるためには充分な内容の教育を行って習得させることが目的です。
私が担当している2年生の講義で植物生理学があります。植物生理学というと、光合成、蒸散、物質転流、植物ホルモンなど、いわゆる高等学校の「生物」の延長線上の基礎科目として理解されがちで、いわゆる記憶主体のつまらない科目の一つと思われています。私の講義では「植物生理学は人間の食料を効率的に生産するために必要な知識であり、植物生理学の知識を活用して最大限に植物を成長させることが食料生産の本質です」と言いながら、実際の施設園芸で行われている最新農業生産技術と植物生理学との関わりを実例を紹介しながら講義しています。
今年の講義の期末試験では次のような問題を課しました。『私はイチゴを生産している農家です。甘くて大きなイチゴを収穫したいと考えていますが、どの様な栽培管理をしたら良いのか、植物生理学の知識を用いて述べよ。』
ほとんどの受講生が、A4の解答用紙の裏表にビッシリと栽培管理方法を書いていて、大変うれしく思いました。
『難しいことを易しく,易しいことを深く,深いことを愉快に,愉快なことを真面目に』
中国では一人っ子政策が徹底して進められ、特別な場合を除いて子供は1人です。一人っ子政策が始まる1979年以前の世代はまだ定年退職をむかえておらず、大学卒業生の就職状況は極めて難しい状況です。これに加えて、2008年1月から改正施行された労働契約法で定年までの雇用の保障や労働者の給与上昇の保証が明文化されたことを受けて、企業が新たな雇用を控え始めたために大学新卒者の就職が一層困難状況となっています。今年4月に訪問した上海師範大学でも、8月に訪問した広西大学でも、教授の口から出るのは「学生の就職を何とかしないと大学の存在が問われる難しい状況になってきた」という言葉でした。
中国は古代の科挙の歴史から試験で選ばれた者が優遇される風習があり、大学入試の結果が人生の全てを左右します。どの大学に入れるかによって就職が決まり、結婚の相手も決まります。このような状況もあって小学校入学時から子供の教育への関心が高まっています。有名大学への進学率が高い有名小学校、中学校、高校へ進学させることが親としての義務のような雰囲気です。有名小学校に入学すると毎日膨大な宿題が課せられ、夜10:00まで勉強しないと宿題が終わらない日々を過ごさせられます。以前、半年間岐阜大学近くの小学校で過ごした留学生の子供が、帰国後に「宿題のない日本の小学校に戻りたい」と言って泣いたという笑えない話も聞いたことがあります。高等学校では宿舎から通学し、学校以外に宿舎からの外出は厳しく制限されていて、毎日勉強以外の娯楽も許可されておらず、日曜日の帰宅が唯一の安息日という少々寂しい毎日を送っているとの話です。
日本に留学した卒業生から聞いた話ですが、「日本の子供は今の中国のような厳しい勉強をしていないのに、何故日本は高度経済成長を果たせたのか?日本の教育内容や方法に興味がある。どうも中国の教育は試験勉強対策技術に偏り過ぎているのではないのか?」。
大学教育も含めて知識の教授にとどまっている限り、本来の教育の成果は果たせないということでしょう。学んだ知識を使って、様々な事象に直面した時にそれを活用できる能力を授けることこそ教育の本来の意味だと考えます。
さて、私は果たしてそのような教育ができているのでしょうか。いささか不安が頭をよぎりました。
★農業は本当に産業として認知されているのか? (2008/10/23)
自民党の総裁選に立候補されていた5名の候補者と民主党の農業政策をきいていて寂しい思いをしました。
日本の農業従事者には零細兼業農家しかなく、バラマキ福祉のような個別補償政策しか農業政策はあり得ないのでしょうか?サラリーマン兼業農家が農業に対してどの様な産業意欲を持っているのかは私は理解できていませんが、「日本の食料自給率を支えるのは兼業農家で、その兼業農家に対する個別補償である補助金を交付することが日本の産業としての農業の発展に繋がる」という公約が堂々と語られているのを聞き、それが国民に認知されている農業という産業であるということに対して、農業に関わる人間として情けない思いをし続けています。
もっと明確な表現をするとすれば、日本の農家の平均耕作面積である50a(5,000u)の水田を持っている兼業農家の年間収入は50万円以下であることが国民に正確に理解されているのでしょうか?そして、そのような兼業農家が産業を支えている「農家」であるという定義が受け入れられているのでしょうか?
私の長女は大学院生ですが、昨年のアルバイトでの年間所得は45万円でした。この程度の所得をはるかに超える学生は私の研究室にも多くいます。しかし、農業経済学の研究者は「50万円以下の農業所得であっても農家である」といわれ、「直売所での農産物販売に代表される地域に根ざした地産地消こそが将来の日本が目指す農業のあり方である」といわれます。20年後の日本の農業が、産業分業制が不完全であった今から50年前の日本の農業に戻ることを目指すのであればその通りであると思います。ただしその時には、日本の人口が減少しており、日本人の多くが半自給的な食料生産という行為に少なからずも参加していることが前提となります。東京という食料生産とはまったく次元の異なる地域が存在することは前提とはなりません。そうでなければ、東京では「地産地消」なんてあり得ないのではありませんか?(岐阜は大丈夫ですけれども・・・)
トヨタやホンダ、アイシンやデンソーの従業員は、食料生産に従事していないことを引け目に感じていません。工業従事者として日本の産業を支えていることに誇りを感じています。では、50a(5,000u)の水田を持っているサラリーマン兼業農家は農業に誇りを持っておられますか?そうではなく、30ha(300,000u)の専業農家こそが日本の食料生産を支えているという自意識を持っておられるのではないでしょうか。
20年後の日本の農業のあり方を正面から考えている政治家がいないことに情けない思いをしています。キット、衆議院総選挙直前には兼業農家への個別補償というバラマキ農業政策が行われ、「これこそ日本の将来の農業を支える政策なのだ」という論戦が自民・民主・それ以外の政党も含めて行われることになるのでしょう。
本当の意味での日本の将来の産業としての農業を発展させる政策についてダレが提示してもらえるのでしょうか?目の前の農業者票しか見えない政治家には無理な相談なのでしょう!かといって、現在の農業しか見えない農林水産省の官僚にも期待できないことなのでしょうねぇ・・。
こんな日本の農業の将来に思いを寄せること自体がむなしい国、これが日本であるということに改めて気付かされています。
8月に中国遼寧省瀋陽市のスーパーマーケットで日本のお米が売られているのを見つけました。日本からの輸入米は2kg入りで75元(1,125円)、日本の品種を中国で生産されたお米は50元(750円)、中国産のお米は25元(375円)でした。この隣には一般の瀋陽市民が通常に食べる5元(75円)/kgの中国産の量り売りのお米も販売されていました。日本での米の販売は、新潟県の北魚沼郡のコシヒカリでも2kg単価は1,600円で、一般のブランド米は2kgで1,000円程度です。中国の物価指数を勘案すると、1,225円のお米は2kgで3,000円に相当するとんでもない価格ということができます。(少なくとも私の生活では、そのような食費を支払う能力はありません。)
瀋陽市は東北の中心都市で日本で言えば札幌のようなイメージです。瀋陽市は人口740万人の大都会ではありますが、上海や北京、香港と比べれば中国国内では田舎の地方都市です。それにも関わらず高価な日本輸入米がスーパーで販売されていたことは中国の富裕層の広がりの大きさに驚きを感じました。
中国国内で食べられている一般の米は大きく2種類に分けられます。南部を中心に流通している長粒種(いわゆるタイ米と同じ種類)と東北を中心に流通している短粒種(日本のお米が相当)です。南の地方で食べられている短粒種は、タレの多い中国料理をご飯にぶっかけて食べるとご飯が汁気を吸って大変美味しく、私自身は結構大好きです。それはともかくとして、日本からの輸入米が上海や北京、香港ではなく、普通の地方都市にまで普及していることは、今後の中国経済成長の将来を予想する大きな指針になると考えます。
一般の中国評論家は、中国の沿海部の大都市の経済成長を特殊な状況として評価しているようですが、瀋陽市のスーパーでの超高価な日本からの輸入米の販売を見る限り、上海を夢見る地方の富裕層も着実に増加していることを示す事象ではないかと感じました。
研修生、実習生、留学生に加えて観光旅行など来日経験のある中国人は年々増加しています。日本に来た中国人が食事の時に必ず口にするのが日本のお米であり、必ず「日本の米は美味しい」と評判になります。
中国人の特徴として、一般に知られている超高級品よりも、見たことのない新しい物を評価する傾向があります。大理石の超高級トイレよりTOTOのウォシュレットの方が高い評価を得ていることとも共通する事象かと思います。同様に中国では、豪華な白や赤の高級コチョウランより、新しい花色のコチョウランの方が高価格で流通していますし、見た目で大きな特徴のある新品種が信じられない高価格で取引される事例など枚挙のいとまがありません。
農水省が音頭を取って日本の農産物を中国に輸出しようという動きが活発になっていますが、重要なのは単純な高品質や高級という日本的な観点ではなく、中国人が評価できる高品質であり高級感であるところが重要です。日本の花業界には中国で高い評価が得られる能力を持った商品がいっぱいあるのではありませんか?
確かに無断増殖の危険性や商品代金の回収など不安要素は色々あります。しかし、何かを始めなければ何も始まりません。先日も長野県の伊那市のサンダーソニア切花生産者と「中国ではタイ・チェンマイから昆明経由でわずかなサンダーソニア切花が入っているだけで、北京や上海でもほとんど見かけることはないです。サンダーソニアのオレンジ色は中国人が大好きな金色を連想させ、高く評価されると思いますよ!春節にむけて輸出しませんか?」という話しをしました。いかがですか?
北京オリンピックの最中の8月19〜26日に中国の遼寧省・広西省・海南省を訪問しました。訪問した地域は、あいにくオリンピックが開催されていた北京から遠く離れた地域でしたが、どこに行っても話題はオリンピック一色で、誰もが金メダルの数を誇りにしていました。オリンピック前には、行方不明者を含めると8万人以上の犠牲者が出たまさに天地を揺るがす四川大地震があり、チベット問題やウイグルでのテロなど心配な事件が続きましたが、国家の威信をかけて北京オリンピックを成功させました。色々な批判もあるとは思いますが、中国国民が一つの意識を持って国を挙げて大事業を達成した感がありました。
とはいえ、オリンピック後の情勢に不安がない訳ではありません。オリンピック開催に費やした多額の経費を捻出するために財政的な締め付けも強く、今回訪問した研究所を含む国や省などの公共機関の予算は大幅に削られており、さらに四川大地震の復興のためには今後も莫大な予算が必要となってきます。また、GDP成長率11%という高い経済成長の裏ではインフレも大きく、原油高の影響もジワジワと広がってきています。
ただ今回の訪問で感じたことですが、中国のインフラの整備は目を見張るものがあります。高速道路は全国至る所まで広がっており、各省の大都市はもちろん、中規模の都市も北京に続く高速道路網で繋がっており、自家用車の普及も急速に進んでいます。また地方の空港整備もこの数年でほぼ完了した感があります。インフラ整備は経済成長の原動力であり、物流を支える基本です。恐らくこのインフラ整備の成果がこれからの中国の経済成長を支え、少なくとも2010年の上海万博まで走り続けるのではないでしょうか。
もう一点は、今回の北京オリンピック閉幕式で見られたような若い人達の心を素直に表現する力です。以前の中国の選手は何かに縛られたような行儀の良さを感じましたが、閉会式ではあたかも一昔前の奔放な日本の若者と同じように自由に喜びを表現していたように思います。この若者達がこれからの10年先、20年先の中国を担っていくと考えると、中国はこれから大きな力を発揮するのではないかと感じました。それと同時に、現在の日本の若者は自分の気持ちを素直に表現できているのか不安になりました。
今回訪問したベトナム国境の広西省の省都南寧では、毎年11月に東南アジア諸国10+1の協力会議が開催されていることを知りました。日本が経済成長を遂げていた時には中国・韓国・東南アジア諸国からの輸入を制限しようと障壁を作る方向に傾いていたのに対して、中国は東南アジアからの輸入を含めた貿易障壁を低くして協力関係を強めようとしている姿勢に少々驚きを感じました。
北京オリンピックを通して中国をみながら、国際化の中での将来の方向性を含めた日本の役割を改めて考えさせられました。
★鉢物生産の生産量と価格からみた変遷 (2008/08/07)
財団法人花普及センターが発行しているフラワーデータブックは過去の花き生産の変遷をみる上で貴重な資料です。鉢物の生産量と卸売価格との関係をみていて、生産需要状況から、(1)成長期、(2)生産過剰期、(3)淘汰開始期、(4)淘汰期、(5)衰退期の5段階に分類できることに気が付きました。【PDF file】
「成長期」に分類されるものとして、2000年前半までの花壇苗の変遷を見ることができます。生産量が年々増加しているにも関わらず一定の価格が維持され続け、マーケットが年々拡大していることを示しています。需要に生産量が追いつかない場合には、生産量にかかわらず価格が上昇し続ける場合もあります。1990年代のコチョウランがそれに相当し、生産量は一定であるにも関わらず価格が急騰する状況です【PDF file「コチョウランの価格と生産量」】。同様に2001年から2004年のシンビジウムも成長期ということができます【PDF file「シンビジウムの価格と生産量」】。
成長期の後には「生産過剰期」が訪れます。成長期の状況判断から、生産者が次々と生産面積を増やして需要を上回った生産が行われ始めると、需要と供給のバランスの崩れから価格の低迷が始まることになります。1990年から2000年前半までのシクラメンがこれに相当します。1980年代はシクラメンが年末の定番商品となっており、生産量を上回る需要があって年々価格は上昇したのですが、バブル崩壊後には急速にシクラメン需要が低下しました。しかし、それにも関わらず底面吸水栽培方式が開発されたことを受けて生産量が急増し、価格は年々急速に低下しました。まさに生産過剰期をむかえていたということができます。同様に2000年以降のコチョウランも同様に生産過剰期をむかえていると考えられます【PDF file「コチョウランの価格と生産量」】。成長期から成熟期へと変化したマーケットの需要を読み間違えて生産量を闇雲に増やすと、生産量が需要を上回って生産過剰の状態となります。
生産過剰期においては、価格が低下するにもかかわらず損益分岐点を下回る状況になるまで生産を続ける状況となります。生産コストの高低は生産者によって異なるため、より生産コストの高い生産者から品目の転換や廃業によって淘汰される「淘汰開始期」が訪れ、まさに体力勝負の我慢比べの状況をむかえます。ベゴニアではムービングベンチの導入によって省力化が図られ、ヒートポンプが導入された施設では重油高騰による生産コストの低減や周年生産、さらには生産ロスの減少などの生き残り戦略が図られています。また、生産が難しい特殊な品種を生産したり、より高品質な商品生産を行って高価格を維持するなどの方策を取ることで生産を継続している生産者もみられます。いずれにしても、生産者自身の生産技術能力や経営能力を正確に判断することが不可欠です。淘汰という言葉は負け犬的なニュアンスが感じられますが、他品目に転換することは経営体として重要な選択肢であり、悪いことではありません。
「淘汰期」をむかえた品目は生産量と需要が一致するまで価格が低下し続けます。ここで生き残れるのは大規模生産による省力化を図れた生産者や特別な高品質商品を生産出来る職人の技を持った生産者に限られ、特定の生産者による寡占状態となります。淘汰が終了して需要と供給のバランスが取れ始めると価格は一定して「安定期」の状態に移ります。ドラセナは観葉植物としては重要な品目の1つでしたが、南米からの原木輸入の急増による生産過剰に加えて、リース事業の縮小など需要の減少を影響を受けて、生産過剰期、淘汰期をむかえましたが、その植物としての魅力は依然高く評価されており、近年、生産量が落ち着き価格も安定し始めています。安定期では、他の要素が関与しない限り、安定した経営を続けられる状態となります。
しかし、消費者の購買意欲は日々変化し続けるため、安定期の品目でも消費者の目から見た目新しさがなくなった状態になると「衰退期」をむかえることとなります。アザレアは花色や消費者の管理の容易さなど花鉢物として優れた特性を持っていますが、品種の豊富さや仕立て方などの点において斬新さに乏しく、次第に消費者に飽きられており、生産量が減少しているにも関わらず価格は低下し続けています。スパティフィラムは、1990年代に起きた観葉植物の冬の時代に多くの生産者が淘汰されて生産量が激減しました。ようやく2000年前後に淘汰が終了し、安定期に達して生産量が一定したのですが、新たな商品提案が不足しており、価格が下がり続けています。シンビジウムにおいても1990年代や2004年以降において、衰退期をむかえているように思います【PDF file「シンビジウムの価格と生産量」】。「シンビジウム業界の悩み(2008/07/27)」でも述べましたが、衰退期を打開するためには消費者が認識出来る新しい商品性を提案したり、需用者を特定したマーケティング戦略を行うことで再び成長期をむかえることが可能です。
いずれにしても、重油の高騰や花全般に対する需要の低下など、花き産業を取り巻く環境が必ずしも良いとはいえない状況のなかで、花き生産者は現在のマーケットの位置付けを的確に把握し、それに対する対応策を適切に講ずることが求められていると考えます。
コチョウランの価格が低迷しています。【PDF file】
1993年以降、バブル経済が崩壊したにも関わらずコチョウランの評価が急速に高まり、卸売市場価格は1993年の2,674円から2000年には3,668円に高騰しました。しかし、それ以降は生産量の増加に伴って価格が低落しています。コチョウランの生産は、そのほとんどが台湾からの開花直前の大苗の輸入で行われており、苗購入費が生産費の中で大きなウェイトを占め、さらに花芽分化を促すためにクーラーで温度を下げる必要があることから生産コストも他の花鉢物とは比較にならないほど高額となり、販売価格の低下は大きなダメージとなっています。
コチョウランは輸入苗の購入費用が大きな投資金額となるため、輸入品種はどうしても売れ筋の品種に固定される傾向があります。このことが新たなチャレンジの阻害要因となっており、15年前からコチョウランのイメージに変化がなく、「花色は白で10輪以上の3本立ち」が定番となっています。当然、生産者が花き市場に「どんな品種が売れるだろうか?」と問い合わせても同じ答えしか返ってこず、多額の投資金額を確実に回収するために大輪系の白のコチョウラン品種の苗の購入に走ることになってしまいます。
「日本人は大輪系の白いコチョウランが好き!」と言われますが、誰が決めたのでしょうか?自らが園芸店や購入者を対象にした顧客調査を行わず、市場まかせのマーケティングに頼った結果、無難な定番の大輪系の白い胡蝶蘭が生産温室にあふれ、大量に店頭に並ぶことになってしまっています。
台湾や中国に行くと、コチョウランの評価が日本と大きく違うことに気が付きます。ピンク、黄色、クリーム色、ライトグリーン、トラ縞模様など、様々な胡蝶蘭が販売されています。同様にヨーロッパでもコチョウランは大きなブームですが、日本で生産されているV3のような大輪系のコチョウランではなくアマビリス(Phalaenopsis amabilis)系の小輪のコチョウランが中心です。
図【PDF file】に示した2000年以降の価格の低下が、贈答用の高価格商品に加えて、ホームユースでやや価格が低い小輪系コチョウランの生産が多くなったことによるものであれば大きな問題ではないのかもしれません。しかし、1990年代に大輪系コチョウランが贈答用の花として高い地位を確保していながら、新たな提案による顧客ニーズ拡大の努力をしないまま大輪系の白いコチョウランの大量生産に向かった結果、現在の価格の低下を招いているのであるとすれば、コチョウラン業界は極めて重大な壁に直面しているように思います。この後に発生するのは生産者の淘汰の時代をむかえることになると考えます。
アメリカがエネルギー政策としてバイオエタノールを取り上げた途端に世界中のトウモロコシ先物市場が活気を帯び、これまでダイズやコムギを生産していた地域が一斉にトウモロコシへの転換を図ったために世界的な食糧の高騰を招いています。スーパーではコムギを原料とする食品や豆腐などのダイズを原料とする食品の価格が高騰し、養鶏、畜産農家もトウモロコシ飼料の高騰にあえいでいます。この影響を受けて、これまで食糧輸出国であった国々が輸出制限を始めており、アフリカやバングラディッシュなどの国々では食糧が充分に行き渡らない事態を引き起こしています。
石油に依存しない文化への転換やCO2削減を目指す持続的な生活文化の構築に対しては大賛成ですが、「食べ物で車を動かす」という発想にはいささか抵抗を感じます。バイオエタノールであれば、トウモロコシを収穫した後の茎葉でエタノールを合成するべきであって、人間の食料や飼料であるトウモロコシ澱粉で車の燃料を作るべきではないと思います。
しかし、ようやくここに来てホンダが稲ワラからエタノールを作る研究を始めたり、生ゴミや廃材からエタノールを作る研究が進むなど、いわゆる第2世代新型バイオ燃料への取り組みが始まっています。また、生活習慣病への対応として砂糖の摂取量が減少していることから、サトウキビやテンサイなどからのエタノール合成に関する取り組みも盛んに行われています。
私がバイオエタノール騒動で疑問に感じるもう一つの事はガソリン価格です。最近のガソリン価格の高騰が海外ファンドの投機的原油市場への投資によって引き起こされていることにはいささか抵抗を感じてはいますが、よく考えてみると、コンビニで売っている500mlのペットボトルのミネラルウォーターが105円に対して、ガソリンは1000mlで170円。ミネラルウォーターはタダではないことは理解していますが、一方のガソリンは油田を開発して、掘り上げた原油をパイプラインで港まで輸送し、タンカーで日本まで運搬した後に精製工場で製造してタンクローリーでガソリンスタンドまで輸送して販売されているのに、ミネラルウォータの半額の値段であることは何か疑問を感じるのは私だけでしょうか。
ミネラルウォータは贅沢品だからある程度の高価格を許容し、ガソリンや軽油は経済産業の発展や生活必需品として不可欠な資材なのでそれなりの低価格を保証する必要があることは判りますが、冷静に考えるとおかしな価格設定のようにも思います。安いから石油に依存しがちな状況が生まれるのではないでしょうか。バイオエタノールがその低価格のガソリンに対抗するためには、発酵効率が高く、容易に生産可能なトウモロコシ澱粉に頼らざるを得ません。トウモロコシの茎葉や稲ワラ、廃材からエタノールを生産すると、ガソリン価格との関係から製造コストが合わないという論理が先行してしまっているように思います。
かといって、これ以上ミネラルウォータと同じ価格(200円/リットル)まで上がるのも困りますし・・・悩ましい問題です。
岐阜大学は4年前に農学部から応用生物科学部に名前を変えました。まさにガソリン価格と競争できる製造コストの低減が図れるためのバイオエタノール生産の研究をすることが必要でしょう。いや、それを目指している研究者は既に出てきています。岐阜大学応用生物科学部のような大学研究機関が世界中に現れてくることこそが、これからの地球環境を救うことになるのでしょう。
洋ランの価格低迷がひどく、ラン生産者は苦境に立たされています。洋ランのなかで日本の育種力が世界をリードし、洋ランの象徴とまで言われたシンビジウムは25年前は年末贈答品の筆頭にあげられるほどの高級鉢物でした。しかし、20年前から生産量が減少する中で価格が低迷し、ホームセンターでは一鉢980円の価格で販売されるシンビジウムすら見られるようになり、高級鉢物の片鱗さえ感じられなくなってしまいました。一般に、市場への供給量が減少すると需給バランスから価格は上昇するのですが、市場供給量が減少しても価格が低下するシンビジウムは、市場性が低い商品であったということができます。ところが2001年頃から生産量には大きな変化が見られないにも関わらず価格が急上昇し、急速に需要が高まりました。この需要向上の要因となったのが「アーチ仕立て」や「カスケード仕立て」と言われる商品で、再び年末贈答品の上位に躍り出ましたが、最近再び価格の低迷が始まっているようです。何故このような現象が起きるのでしょうか。【PDF file】
25年前のシンビジウムは「あんみつ姫」ブームに代表される高級贈答鉢花の代表でした。しかしその後は新品種のヒットがなく、園芸店での人気も次第に低下し始めて、生産者は新たな販売ルートとしてホームセンターなどの量販店を開拓し始めました。シンビジウムは苗の購入から出荷までに3年程度と長期間を要するため、シクラメンなどの1年以内に資金が回収できる鉢物とは違って確実な運転資金の回収が重要な鍵となる作物です。そこそこの価格で確実に大量に購入してくれるホームセンターは生産者にとってありがたい存在でした。しかし、このホームセンターでの販売がシンビジウムの高級贈答品としての地位を大きく損なうこととなってしまいました。ホームセンターで1980円、ひどいところでは980円で販売されているシンビジウムを見た消費者は贈答品として選択する意欲が低下し、シンビジウムの鉢花としての魅力が減退して、供給量が減少するなかで価格も低迷するという現象が見られるようになったと考えます。
しかし、2000年頃から始まったカスケード仕立てのシンビジウムはそれまでのシンビジウムのイメージを一掃しました。カスケード仕立てはその特異な花姿に加えて、スタンドとのセットが不可欠であるために特別な個別包装の必要性もあって高級感が生まれ、再び高級贈答品としての価値が高まって価格が再び急上昇し始めました。
過去の失敗を糧にしたマーケティング戦略が取られるものと思っていましたが、シンビジウム生産者は再びこのカスケード仕立てのシンビジウムをホームセンターでも販売をし始めました。その結果が再度の価格の低落を生む原因となってしまい現在に至っています。
何故同じ失敗を繰り返すのでしょうか?せっかく取り戻した貴重な経営資産としての高級シンビジウムの地位を自ら放棄して、目の前の資金回収に走る経営体質は改善できないのでしょうか。
同じようなことは、中国へのシンビジウムの輸出戦略においても見られた現象です(教授の一言コラム2005/12/01)。1月下旬の中国春節では日本産シンビジウムは高級鉢物の筆頭にあげられていました。中国産や韓国産にはない高度な生産技術に裏打ちされた日本産の高級シンビジウムは中国富裕層の注目の的で、超高価格で販売されていました。しかし、実際に大量に輸出されたシンビジウムは年内の日本市場で売れ残ったB級品であり、せっかく手にした高級品市場をシンビジウム生産業界は自らそれを手放してしまったのです。最近はそれに気が付いたシンビジウム生産者が中国春節用に特別に生産したA級品を輸出し始めてはいますが、一度失墜した評価を再度高めることの難しさを改めて感じているようです。
ラン生産業界は、観葉植物や花鉢物業界とは違って組織力が強く、日本花き生産協会の部会の中でも最も活発に活動している部会の1つです。組織が一体となってマーケティング戦略を図っていただきたいと希望しています。
★第25回花葉会サマーセミナーに出席して (2008/07/14)
7月12−13日に開催された花葉会サマーセミナーに出席しました。花葉会が開催するサマーセミナーは少々参加費が高額ですが、花き業界がまさに目指さなければいけない課題を的確に選択し、最適な講師を的確に選任して開催されるために、私も最近はほぼ毎年のように参加しています。今回のサマーセミナーは第25回という節目の開催で、「花卉産業を環境創造ビジネスに−環境の世紀の論理武装と展望−」という、いかにも安藤敏夫会長の得意なアジテーションのタイトルでしたので、大いに期待して参加しましたが、内容は玉石混淆で少々気が抜けました。
「玉」の筆頭は、TBSサンデーモーニングのコメンテーターも務める涌井史郎(雅之)氏の「感性価値の時代の花卉産業」でした。涌井氏は造園家という肩書きですが、愛・地球博など数多くの国家プロジェクト事業をプロデュースするなど、まさに文化としての造園学をリードする第一人者で、花き業界に不足している大所高所からの視点からの数多くの示唆をいただきました。同じ植物を扱う者として、文化論から造園学を積み上げて人間社会の中で植物の持つ意味を考え、その延長線上に産業としての花き産業が位置することを教えて頂きました。
私自身、花き産業は花の文化の創造者であるべきであると口では言っていましたが、実際には私も含めて花き業界に属する人々は、ややもすると目の前の事象に拘りすぎて先を見通す目が育っていなかったのではないかと反省しましたし、このような状況では、消費者や行政、周辺産業界をも含めた花き産業以外の分野に属する人々に花き産業の重要性を納得させる能力を持っていなかったために、花の消費拡大を大きな社会の流れにさせることができなかったのではないかと感じました。
造園業界では涌井氏のような大所高所からの造園の文化的意義・あり方から始まって、2日目の明治大学の興水肇氏の講演にもあったように、屋上緑化の歴史文化やその実質的効用、さらには都市空間の中で屋上緑化が持つ意義や人間生活の中での効用などを的確に説明できたからこそ、行政の協力が得られ、民間の投資を促し、万人が納得できる政策として成長できたのではないかと思いました。
私自身は、花き生産業界に近い存在であることを自認してこれまで様々な取り組みや提言を行ってきましたが、VSOPのP(Personality)の真っ只中に突入していることをもう一度考え直して、自分自身の行動規範を見直してみたいと感じた次第です。
最後に、花葉会には今後も花き業界の発展を目指して様々な提言を期待しておりますが、次回は玉石混淆ではなく、「金玉」や「月の石」を揃えていただきたいと願っています。
最近の重油高騰を受けて、切りバラ生産者の間ではエネルギー対策に関する話題が盛んになっています。日本ばら切花協会やエアリッチ・アーチング栽培研究会に参加すると、必ずといって良いほどエネルギー対策に関する意見交換が沸騰しています。
そこで感ずるのは、切りバラ生産者のエネルギッシュな姿勢です。バラ生産にとって、重油の高騰は死活問題であり、リットルあたり35円から現在の110円への異常な重油の高騰は経営を脅かすほどの大打撃であり、これに伴う肥料や生産資材、輸送費の高騰、加えて消費の停滞による価格低迷、さらにはケニアやインド、エクアドルをはじめとする海外からの怒濤のような輸出攻勢にさらされ、本来ならば青息吐息で意気消沈してもおかしくない状況であると思います。しかし、各研究大会では、ヒートポンプの導入による重油の節減、除湿、夜間冷房が話題となり、さらには高圧ナトリウムランプによる補光の導入を検討している生産者も現れています。ヒートポンプや高圧ナトリウムランプの導入は高額な設備投資を必要とし、価格の低迷が続く現状では極めて大きな経営上の投資を伴うと予想されるにも関わらず、前向きな投資を行ってこの困難を乗り切ろうという姿勢は敬服に値します。
バラ業界に関わる方々のエネルギーはどこから来るのでしょうか?
まず私が感じるのは、バラ生産者のバラに対する熱き思いです。バラを単なる収入源と考えているのであれば、現在の状況ではバラよりトマトの方が収益性が高く、実際にもバラからトマト生産に転向した方々を何人も知っています。それにも関わらずバラを生産し続けるということは、バラが好きであり、バラを買う消費者が感じてくれるバラの魅力に誇りを持っているからであり、より高い品質のバラを消費者に提供することによって日本の花の文化を創造したいという自負心があるものと考えます。
重油高騰によって引き起こされる様々なエネルギー問題に対抗する「人間のエネルギー」こそが、エネルギー問題を乗り越える最も重要な要因であると感じています。
★日本の米は世界から隔離された食料である(米とコメ)) (2008/07/07)
世界的にみてコメは主要な食糧穀物であり、コムギ、トウモロコシと共に世界三大穀物の一つで、世界の穀物消費の30%を占めています。
このように書くと日本の米は国際競争力を持っているように感ずるかもしれませんが、実は日本の米は世界から隔離された食糧穀物です。コメの主要な生産国は中国、インドであり、国際的な輸出国はタイ、ベトナム、インドです。世界で生産流通されている米の80%は長粒種(インディカ種:Oryza sativa subsp. indica、いわゆるタイ米、チョット前まではガイマイ(外米)といいました)であるのに対して、日本人が食べている短粒種はジャポニカ種( Oryza sativa subsp. japonica)いい、両者は植物学的に亜種として分類されています。したがって、日本の米は国際流通から隔離された農作物であり、日本の生産技術が高くて大量の米が生産できるからといって国際流通できる能力を持っていませんし、逆に足りないからといって輸入することも出来ません。このような状況から日本の米農家は国際化の中から大きく取り残され、さらに国際競争力という観点からも隔離された生産体系が維持し続けられてきました。
ガット・ウルグアイラウンドによって関税を課し続ける代わりに最低限のコメの輸入が義務づけられています。しかし、輸入したコメは長粒種であるために日本国内では消費能力がなく、輸入するだけの状態が続いています。原油高とバイオエタノール問題が発生する以前から食糧危機に陥っている発展途上国があるにも関わらず、消費できないコメが輸入され続けられて穀物倉庫に備蓄(?)されていることを農水省は敢えて公表することを避けてきています。それは、この問題が大きくなること自体が日本の農業が抱える大きな矛盾をあぶり出す可能性があるからです。
米の自給率が100%を維持できていることは、単純に米の消費量が減り続けているからであって、米が海外では生産されておらず日本でしか通用しない限られた農産物であることに起因しています。したがって、この点に限っていえば、国際的に閉鎖的な食糧穀物「米」の自給を維持し続けるために補助政策を取ることは間違っていないのかもしれません。しかし、減反政策を撤廃すると米が余って価格暴落が起きて農家が生産意欲をなくすから減反補助政策は維持し続けなければいけないという論点には疑問を感じます。
日本の稲作は機械化が進んで、面積あたりの労働生産効率が極めて高い状況になっています。例えば、10a(1,000u)の水田で米500kgを生産するための労働時間は年間たったの40時間で、この労働効率の高さが兼業農家という不思議な形態を維持できる原因となっています。その結果、産業として稲作を行おうとすると労働人口1人あたり20〜30ha(30万u)の農地で稲作を行わない限り経営が成り立たないと言われていますが、このような大規模稲作が行われている所は極めて少ない状況です。別の表現をすれば、日本の稲作は産業としての形態を取ることが出来ない状態を国策として維持し続けており、本当にこの政策が国民に理解されているのか疑問を感じざるを得ません。農水省としては、一時期国際競争力を持つ農業生産を目指して政策転換をしようとしましたが、昨年の参議院選挙で自民党が敗退したことで再び元に戻ってしまった状況です。農家の反乱とかムシロ旗とか言われていますが、これからの日本の農業が目指さなければいけない方向性をもう一度考える時期が来ているのではないでしょうか。
日本の食料自給率が39%と低いことや米の自給率は100%であることが意識的に公開され、本当の産業としての農業のあり方を理解していない評論家が感情論を前面に出して声高に「先進国の中でこんなに自給率が低いのは大問題!今すぐに何とかしないといけない!」というのを聞いていると情けない思いになります。マスコミも感情的な論調の方が素人受けするのだと思いますが、今がまさに日本の農業の矛盾を正面から考え直すべき時期に来ていると思います。
日本の食料自給率を高めてそれを維持することは何を意味しているのでしょう。
日本は第2次大戦直後の1961年に制定した農業基本法において、産業としての農業に対して大きな政策方針を示してきました。それは、農業の機械化を導入して農業生産の効率化を図ることによって、小面積の農地を維持管理するための農業従事者人口を削減し、その結果として余剰化した農業者人口を工業生産従事者に振り向けて、工業立国として日本は成長していくことを目指しました。
その政策によって日本は世界に冠たる工業国として成長し、高度経済成長を支えてきました。私が大学生だった30年前の日本の電機メーカーは、アメリカやヨーロッパでは今の中国の電機メーカーと同じように「価格は安いが品質が悪い」と評価されていました。しかし、その後の多くの工業界の方々の努力による品質向上にむけての取り組みが次第に評価され始め、現在のような国際的な電機メーカーと肩を並べる状況になっています。
このような工業生産の成長が牽引した高度経済成長の裏側として、産業としての農業の衰退が始まりました。農業生産の効率化を目指す機械化の導入は、本来は農地の集約による大規模農地における機械化農業生産を目指すべきであったのですが、農業者が工業発展の犠牲となったという引け目から、農地の集約ではなく零細農家の保護政策を継続し続け、また戦前までの大農家による農業生産の寡占状態を打開するために戦後に実施された農地解放政策の影を引きずったために、本来の農業の機械化とはまったく方向性の異なる小規模水田での機械化を目指すこととなりました。
すなわち、高価な田植機や小型コンバインの導入による費用対効果を無視して、すべての零細農家を対象に補助金を手当てして高額な田植機や小型コンバインを整備してしまいました。田植機の価格は100万円、小型コンバインは300万円です。平均的な農家水田面積1ha(10,000u)の米の収穫量は5,000kgで、米の平均農家買上価格で換算した年間収入は90万円にしかならないことを考えると、これらの機械の購入にかかる経費400万円の減価償却はどう考えても不可能な状況です。補助金が出ているからこそ、このような無謀ともいえる機械化が成り立っているのであって、通常の産業経済観念では考えられません。これに加えて、いわゆる逆ザヤといわれる政策補助金が注ぎ込まれ、高価格で米を農家から買い取り低価格で消費者に販売する政策が、形を変えて現在でも継続されています。さらに米の過剰生産を抑えるために減反政策がとられて減反補助金が支払われ、加えて将来の展望もなく農地を維持するというだけの観点で転作補助金が支払われ、国際競争力の観点からみても需要が低いダイズやコムギが生産されています。
この補助金を受けられるのは「農家」だけであって、農家以外はこの恩恵を受けることができません。この「農家」を規定するために様々な矛盾を持つ制度が作られ、「兼業農家」という他産業では理解できない制度が定められています。例えば、役所に勤める年収1,000万円の公務員であっても、ゴールデンウィークに田植えをして、お盆休みに稲刈りをし、30aの水田から25万円の収入を得ると立派な「兼業農家」に指定されて多額の補助金を受け取る資格を得ることが出来ます。
公務員の奥さんがスーパーでレジ担当のパートタイマーをしていたとしても「兼業サービス業」という産業従事者資格が認められるということは聞いたことがありませんし、逆に年収1,000万円で30aの水田を持つ公務員を「専業公務員」という言い方もしません。あくまでも農業を保護するための補助金を受け取る資格を認めるだけの政策として「専業農家」や「兼業農家」という便法を取っているということになります。同様に、産業として農業を真面目に取り組む企業が出てきたとしても補助政策の対象としにくいということから農業への法人の参画を容易に認めたくないという方針が出てくることにも繋がります。
農業自給率を高めるということは、現在の農業政策を大きく転換しない限り達成することは不可能です。小手先の「国民の米消費量を増やすこと」ではとても達成することは出来ません。
石油の高騰とバイオエタノール問題に端を発した国際的な食糧危機に直面して、日本国民が安定して食料を確保でき、日本の農業が国際社会の中で生きていけるための政策を真面目に考えてこそ日本の自給率向上を論議できるのであって、現状の農業が抱える矛盾に目を向けることなく感情論を先行させて食料の自給率を高めることは出来ないと考えます。
バイオエタノールが引き起こした食糧危機は、一躍国内の食料自給率問題に発展しています。米の自給率はほぼ100%を維持していますが、コムギやトウモロコシに至っては各々10%、0%と情けない状況です。
単純な政治家が、「減反政策をやめて米を作り、国民がもっと米を食べれば食料自給率が確保できる」とか、「自給率を高めるためには、休耕田で米ではなくダイズやコムギを作ることが重要だ」などと的はずれなことを言っています。さらには「水田で飼料米を作れば輸入飼料トウモロコシに代替できる」とまで行くと、国内農業の現状をよく判っていないのではないかと思います。農業も産業の一つであり、日本が国際社会の一員である限り、国際競争力を持たない農業は産業として生き残ることは出来ないと考えます。
国際化が進んでいる花き業界は、補助金での補填措置もなく海外からの切花が大量に流れ込んでいます。これに対抗するための方策として、大きく2つの方向が模索されてきました。第1は生産コストの低減で、低価格の海外切花に対抗するために出来うる限りの生産コストの低減を図る取り組みです。第2は高品質戦略で、低価格の輸入商品にはない品質を目指して、高価格であっても高付加価値商品生産に取り組むことで国産花きを消費者に選択してもらおうという試みです。
さて、コムギやダイズ、トウモロコシでこの2つの戦略を志向することが出来るのでしょうか。第1の低コスト生産戦略についてです。コムギ輸出国の筆頭であるアメリカのコムギ生産会社の平均栽培面積は100ha以上です。大規模農場で大型機械を使って生産、収穫し、トンあたりの生産価格は10,000円/tで、国際価格が30,000円/tであることから、国際競争力を持った産業として発展してきました。これに対して日本のコムギの総作付面積は21万3500haですが、農家あたりの生産面積が小さいため生産効率は著しく低く、生産価格は150,000円/tととても勝負になりません。何とか農水省が補助金を注ぎ込んで価格調整をして市場に流通させることが出来ているのが現状です。生産コストの低減を図るとすれば、アメリカ並みの100ha以上の大規模コムギ転作圃場を確保する必要がありますが、現状では非現実的な話と言わざるを得ません。この点から考えて、日本で国際競争力のある低価格のコムギを生産することは不可能といえます。
第2の高品質戦略についてみてみましょう。コムギの利用方法の主なものはパンと麺類です。パン用のコムギ品種としては、タンパク含量が高いカナダ産のNo.1 Canada Westernとアメリカ産のHard Red Winterの評価が高く、国産コムギはタンパク含量が低いためにコムギの品質としては太刀打ちできない状況です。一方麺類としては、日本の麺類用に育成されたオーストラリアのAustralian Standard Whiteの評価が高く、日本でもウドン専用品種として「さぬきの夢2000」などが育成されていますが、品質上の問題でオーストラリアのAustralian Standard Whiteには及びません。
このように考えると、現状で国産コムギが品質で国際競争力を高めていくことは難しいと推定されます。すなわち、一般的な状況では国産コムギやトウモロコシは国際化の中で生き残ることはできないという結論になります。
それでも国産のコムギやトウモロコシ、あるいはダイズを維持し続けるためには、これらを生産する農業が国際競争力を持たない産業であることを日本国民に対して納得できるように説明する事が第1なのではないかと考えます。納得できる説明をすることなく、食料自給率を高めることを感情論を先行させて論議することは間違っているのではないでしょうか。このことは、農業が抱える根本的な問題点ということが出来ます。
テレビ朝日系の「素敵な宇宙船地球号」という番組で,5月11日23:00〜23:30に「空飛ぶバラの秘密−巨大花産業の光と影−」でホンの一瞬ですが私のコメントが放映されます。この撮影のためには3時間の撮影取材を受けたのですが,色々な判断の基,ホンの一瞬の放映になってしまったようです。
番組制作会社の(有)海工房の門田修氏には,ケニアのバラ生産の状況,国際流通商品となっている切りバラ,その中での日本のバラ産業のあり方など,様々なお話しをさせて頂き,門田氏始め海工房のスタッフは国内紛争まっただ中のケニアにも現地取材に行っていただきました。ただ,番組が「素敵な宇宙船地球号」ということで,国際経済問題を取り上げる趣旨とは異なっているため,あくまでもケニアのナイバシャ湖を中心とした環境汚染とバラ生産,そして日本国内でも始まった環境を考えた花生産認証システム「MPS」という観点での番組放映となりました。番組では,MPS認証参加者として愛知県のARF(Aichi Rose Factory)の三輪真太郎氏も出演されます。
これまでテレビ映りする顔ではないこともあって,テレビとはまったくご縁がなかったのですが,立て続けに撮影取材を受けました。NHK名古屋放送局制作の番組で,母の日後の5月12日18:10〜18:30の「ホットイブニング」で,中国から大量に輸入される無断増殖されたカーネーションについてのコメンテーターとして放映されます。こちらは少々放映時間が長そうなお話しでしたが,残念ながら東海3県(愛知・岐阜・三重)しか放映されません。
いずれにしても,両方の番組ともに海外からの切花の輸入が急激に増加し始めていることに注目して制作された番組であり,このような事実が一般の消費者の目に触れることは良いことかと思います。
というのも,スーパーの野菜コーナーのイチゴでは,品種名,産地の県名が記載されていますし,輸入の野菜には必ず国名が載っています。しかし,花店のフラワーケースには「バラ」とは書いてありますが,品種名が書いてある花店は数えるほどしかなく,当然産地は書かれていません。消費者は知らないうちに輸入の切り花を購入することになりますし,「品種」という明確な区別性も理解することが出来ません。このような状況を見ると,野菜業界に比べて花業界は遅れているのかもしれません。
農産加工品には製造年月日があります。しかし,農産物などの生鮮品には製造年月日はありません。その理由は,米などを含む貯蔵性の高い農産物に対して製造年月日の概念がなじまないことによります。
しかし,今回の赤福餅で明らかになったように,加工食品の場合には,商品を製造して冷凍した場合には製造した時点を製造年月日としています。しかし,冷凍むきエビを輸入してそれを解凍してエビフライの加工商品を製造した場合には,冷凍むきエビを製造した時点ではなく,解凍してエビフライの加工商品を製造した時点が製造年月日となるとのことです。なかなか難しい問題のようです。
さて,貯蔵性の高い米などの農産物の場合には,収穫日が製造年月日なのか,貯蔵庫から出庫して精米した時点が製造年月日になるのでしょうか。いわれてみると何か違和感を感じるのですが,よく考えてみると,確かにあまりこのことに注意すら払っていないのかもしれません。例えば,リンゴは秋の果物の筆頭ですが,CA貯蔵技術が発達した今日では,スーパーの店頭には一年中ふんだんに山積みで並んでいます。6月に購入するリンゴは半年以上前に収穫されたものですが,特に目くじらを立てることなく購入します。リンゴは貯蔵技術の発達によって周年供給が実現した農産物といえるでしょう。とはいえ,リンゴのすべての品種が長期貯蔵できる訳ではなく,半年以上の長期貯蔵が可能なのはフジなどごく一部の品種です。私の大好きなジョナゴールドは半年近く貯蔵が可能ですが,4月に食べるジョナゴールドは収穫直後のジョナゴールドとは味が全く違います。
2年前に得た情報ですが,オランダではバラを30日冷蔵保存できる技術が完成したとのことです。このことによって,ケニアやエクアドルで生産されたバラを船便で世界中どこにでも輸送することが可能になります。また,非需要期に収穫されたバラを需要期まで貯蔵して出荷することも可能になります。リンゴを半年以上貯蔵できる技術が開発されているのですから,不可能ではないとは思いますが,何か違和感を感じますねぇ・・・・。
バラの長期間貯蔵はすべての品種に適応できる訳ではないようで,なかには全く貯蔵できない品種もありますし,低温から常温に移したとたんに障害が発生する品種もあるようです。恐らくこのような品種は国際流通商品としてのバラには適さない品種であり,国際流通を目指すケニアやエクアドルでは栽培されないバラ品種ということになります。長期貯蔵に適するバラには共通点があり,花弁が厚く,香りがなく,花弁数が多い特徴があります。
そうです。それです!「花弁が薄く,しなやかで,香り高いバラこそ本来のバラの姿」という嗜好が日本の消費者に広まれば,海外からの輸入バラはまったく怖くはなくなります。そして,心ある国内の流通・販売業者とバラ生産者が連携して,切花収穫日の製造年月日表示をすることで,消費者が望んでいる鮮度保証を提供することができると思います。
2月に滋賀県の國枝バラ園で開催されたLEX+オープニングデーに出かけました。今年発売される新品種やLEX+でこれから発売予定の品種,さらには最終選抜前の有力候補品種などが一同に栽培展示されていました。来場者はバラ生産者,市場関係者,生花店など多岐にわたっており,いわゆる生産者対象の品種展示会とは違った雰囲気でした。手渡されたアンケート用紙には自分のお気に入りの品種を書き込む欄があり,バラ品種の人気投票が行われました。
後日,来場者アンケートの結果が集計されたものが送られてきましたが,ビックリです。生産者が選ぶベスト5と生花店が選ぶベスト5がまったく違っているのです(pdfファイル)。これではバラ業界が活性化しないのは当然のことと思いました。生産者の人気投票トップ5の品種は,当然生産者から苗出荷の要請が多く,バラ苗生産・販売業と営む國枝バラ園にとっては売れセンの品種ということができると思います。しかしこれらの品種は生花店では評価が低いため,キット生産者人気投票トップ5の品種を出荷しても競売での評価は低くて市場単価も低いと予想されます。
どうしてこのようなことが起きるのでしょうか。園芸は「売ってナンボ!」の世界ですから,自分が好きであっても売れなければ仕方がないはずで,消費者や生花店で人気がある品種こそがよい品種なのではないでしょうか。
バラ生産者の皆さん。もっと消費者や生花店の声に耳を傾けませんか?もっと積極的にマーケティングに取り組みませんか?生産者の思いこみで商品を垂れ流ししているからこそバラ業界がしぼんでいくのではないですか?マーケティングの基本「顧客志向」,顧客の欲しがるものを,欲しいと思う人に,欲しい時に提供できれば,営業活動はいらない!
「価格が安いから切花収穫本数の多い品種を選択する」という考え方は,まさに「生産志向」であって,収穫本数が多くても結局,価格はさらに安くなるという悪循環を生み出します。たとえ収穫本数が少なくても消費者が欲しいと思うバラであれば価格は高くなって総収入が多くなるのはダレが考えても道理ではないですか?
山形おきたまフラワーEXPO2007の総合ディスカッションでインスティルの佐藤綾子さんが「花を買うのは,花を買っている自分を楽しむため」ということを言っておられました。会場ではなかなか理解されなかったようですが,私なりに理解してみました。
私の母は86才になります。認知症が少し入り始めていますが,いわゆる花好きの典型で,毎週日曜日の朝はNHKの趣味の園芸を欠かさず見ていますし,玄関先にはプランターや植木鉢に色々な花を植えて飾っています。花が好きなので,毎日時間があると一日中花がら摘みをしたり,水をやったりしています。
母が花の管理をしている時で最もうれしそうな顔をする時があります。通りがかりの人や近所の方から「いつもきれいにお世話をされていますねぇ」とか「このお花は珍しいですねぇ」とか言われた時です。花好きは「花に囲まれている時が一番幸せ」と言いますが,「花の世話をしている自分を褒められた時や注目された時」がうれしい気持ちになれるのではないでしょうか。佐藤さんが言われたのはこのことではないかと思いました。
十数年前にガーデニングブームが崩壊したといわれています。ガーデニングブームの当初は花き種苗業界や苗生産業界が主体になり新しい花が次々と提案され,消費者の興味・関心を掘り起こしてきました。ガーデニングブームの後半になるとエクステリア業界が加わって植物ではない様々なガーデニング商品が投入され始めました。ホームセンターでは花壇苗などの植物商品よりもガーデニンググッズの売り場面積が大きくなったところも見受けられるような状況でした。テラコッタ風の植木鉢までは良かったのですが,ガーデンテーブルや白雪姫のコビトの置物,イングリッシュガーデン風の噴水もどき商品など数万円の高価格商品が売り場を占領し,ガーデニングブームを楽しんでいる人達の本来の気持ちそっちのけで,数々のガーデニング雑誌がはしゃぎたててしまいました。
ガーデニングをしている人達が楽しいと思う時は,手間暇をかけて育てた植物を褒めてもらった時であり,高価なガーデニング商品を褒めてもらった時ではありません。商売をする側から考えると,低価格でロスのある花壇苗を売るより,在庫管理のできる高価なガーデニング商品を売る方が利ざやが稼げるかもしれませんが,大きな間違いを犯してしまったのではないでしょうか。
財布からお金を出して買ってくれている消費者の気持ちを大切にしないで,供給側の勝手な思いを押しつけることは,消費者の乖離を招くことに繋がります。くれぐれもお客さんの顔を正面から見て,お客さんの心を正確に理解することに気を配ることに留意して下さい。
假屋崎省吾氏の言葉,「花は心のビタミンです」。ウンチクのある良い言葉だと思います。
周年出荷と周年供給は一見同じように見えますが,大きく異なります。
周年出荷は,生産者が早生(わせ)・晩生(おくて)などの品種を用いて,促成栽培や抑制栽培などの作型を活用して加温温室で年間を通じて生産することを意味します。オランダで広く行われている養液栽培でのトマトやパプリカの生産,補光ランプを備えた切りバラ生産など,いわゆる施設園芸生産がこれに当たります。
これに対して周年供給は,消費者に年間を通じて安定して農産物を供給することです。日本では南北に長い特長を生かして,九州の春タマネギから始まって関西,東海,東北と生産地が移動して,最後には貯蔵性の高い北海道のタマネギが秋から翌年春まで出荷されます。地球規模でみると,季節の異なる北半球と南半球でのリレー栽培や,切花では一般的となり始めた年中気温が一定の赤道直下の熱帯高地からの安定した輸出などを挙げることができます。
日本は耕地面積が少なく土地が高いのに加えて人件費も高く,さらに限りある石油資源の重油を使って暖房してまで周年生産(周年出荷)にこだわる必要があるのか?といった意見が聞かれます。赤道直下の高地では年中気温が15℃前後であるために暖房は不要で,人件費も安く,農業生産には最適な地域です。人件費の高い先進国では付加価値が高く先端技術を必要とする高度な工業製品を生産し,労働生産性や土地生産性を追求する農産物は開発途上国で生産するという国際分業化がWTO交渉では常に主題となっています。
農業業界では地産地消という言葉がはやっています。これは限られた地域で農業経済を完結するという意味ではありません。農産物は生き物です。収穫後のコロコロとしたタマネギであっても呼吸を行って生きています。生き物であるからこそ鮮度が重要です。新鮮な野菜をみて美味しそうに感じるのは人間の本質的な感性として「鮮度」を感じる心が備わっているからだと思います。朝露がついた穫れたて野菜はそのままカブリつきたくなります。地産地消の範囲は鮮度を維持して流通できる地域ということができます。
安定供給の考え方は都市への人口集中によって生まれた発想です。工業と商業が発達することで都市に人口が集中し,都市住民に対して農産物を安定して供給する必要性が生まれました。これに対して周年供給は人間の欲が生み出したものです。自然の環境で収穫された旬の野菜に飽きたらず,早く食べたい,常に食べたい,といった欲望が周年供給を生み出し,さらに新鮮なものを常に食べたいという欲望が周年生産を生み出しました。
園芸産業の発達は人間の欲望を満たすことから始まりました。農産物に対する最高の欲望は鮮度だと思います。穫れたてのトマトを井戸水に冷やしてカブリつく,朝もぎの甘いトウモロコシ,朝露のおりたレタス,挙げれば切りがありません。効率が悪いといわれながら日本国内で農業を行うことの意味はまさに人間の欲望を満たすことであり,携帯電話を持ちたい,一人一台の車に乗りたい,薄型テレビ,食器乾燥機,乾燥機付き洗濯機などの工業製品が目指すものと同じといえると思います。
土地も人件費も高く,石油資源によるビニールを使って重油で暖房して周年生産(周年出荷)する意味は,より早く都市部の消費者に新鮮な農産物を供給することであり,日本国内での農業は鮮度を重視してこそ優位性が確保できるのです。
ケニアやエクアドルから輸出される切花に対抗するための大きな武器は「鮮度」であり,これを軽視した生産・出荷・流通は輸入切花に駆逐されるのは当然でしょう。鮮度を求める心は,顧客である消費者の人間の本質的な感性です。
テレビの経済番組で水産物業界の買参人の目利き力の低下を指摘していました。魚の種類が判らない買参人。鮮度の目利きができない買参人。料理方法を知らない買参人。せっかく鮮度に留意した取り扱いをしても,地場の特色ある魚を選りすぐって出荷しても,買参人がその価値を理解してくれなければ市場で正当な評価を受けることができません。関サバなどのようなブランドには反応するものの,ブランド魚と同じように味は良くてもブランドではない魚には見向きもしてくれないそうです。努力をしてもその努力を評価してもらえなければ,産業を支えよう努力している人にとっては努力のしがいがなく情けない思いです。
花き市場の担当者と話をすることが多くありますが,同じように生花店や園芸店の目利き能力の低下に関する声が良く聞かれます。例えば、ホルモン処理をしないシクラメンは年を越しても次々と花を咲かせて連休まで花を楽しませてくれます。しかし、このシクラメンは12月の花上がりが一斉ではないため,日保ちのしないホルモン処理シクラメンより見栄えが悪いのが欠点です。目利き能力のない園芸店の買参人は連休明けまでの日保ち性を理解できず,セリで見栄えの良いホルモン処理のシクラメンに高値をつけ、本当に消費者ニーズにあったホルモン処理しないシクラメンには値がつきにくい傾向にあります。
本当に情けない思いです。生産者の技術力や情熱を理解できず見た目だけでしか品質を評価できない最終販売業界に,生産者は自らの将来をゆだねなければいけない状況は歪んだ産業ではないでしょうか。確かに私の周りには心ある生花店や園芸店の方々も多くおられますが,全体としては大きな数ではないように思います。情報を伝えられない方々が消費の最前線にいるのは大きな問題ではないかと思います。
生産業にも問題がない訳ではありません。消費者ニーズを考えないで、作りっぱなしで市場に出荷し、市場価格の暴落を招き、同時に市場の機能を破壊しています。
魚屋さんがなくなりスーパーが主流になってきた時に,情報を伴った流通システムが動かなくなり、水産業界は尻すぼみに陥り始めました。生鮮品の花であるからこそ情報がより大きな価値を持ち、情報の価値を評価できる業界こそが将来発展できるのではないでしょうか。
日本の漁業は産業として危機的な状況をむかえています。魚の消費量は年々下がる一方で,なかでも若年層の魚離れは止まるところを知りません(PDF file)。一方,魚介類の海外からの輸入量は1985年前後から急増しており,これが日本の漁業に大きなダメージを与えています。さらに追い打ちを掛けるように鮮魚店(いわゆる魚屋さん)が廃業し,大量流通・大量消費をモットーとするスーパーが鮮魚店の役割を担い始めました。昔の魚屋さんでは2000/11/24のコラムに書いたようにお客さんとの心の通うコミュニケーションを前提とした店頭販売が行われていたのに対して,スーパーの魚介類売り場は,平積みの棚にメロやメルルーサに代表されるような姿すら想像できない輸入魚の切り身が発泡スチロールパックで売られており,「簡単手軽に魚料理」を合い言葉にパック切り身はフライ,ソテーなどに料理され,消費されてきました。しかし,魚の消費量の増加を図ることはできませんでした。
さて,最近のスーパーマーケットの魚介類販売コーナーが大きく変化しているのにお気付きでしょうか?一昔前には当たり前だった平積み切り身パック売り場は影を潜め,「鮮魚市場」とか「産直市場」などの看板がかかり,スズキやカツオが丸のまま砕氷の上に並べられて,あたかも鮮魚の場外市場の様相を呈しています。マグロの解体ショーを催したり,地場の近海魚を出荷漁港の名前を書いて販売したり,要望に応じて三枚や二枚におろしてもくれます。法被を着た鮮魚店風のお兄さんが「サァ〜,漁港から直送の獲れたて新鮮な地場の近海魚だよ〜!奥さん,どうネッ!三枚におろそうか〜!」と声を掛けています。なんだか私が子どもの頃の魚屋さんのようです。たしか,スーパーはこのようなサービスを回避することで販売経費の削減を図り,低価格を実現してきたものと思っていましたが,魚介類についてはどうもこの経営論理を超えているように思います。なぜでしょうか?
鮮魚店がスーパーによって淘汰されて町から姿を消した現在,魚について解説してくれたり下処理をしてくれたりするところがなくなり,魚の消費量が急速に低下してスーパーの鮮魚コーナーの売り上げが極端に落ちていることと関係しています。このことは,近海魚を売り物にする寿司屋が繁盛して優良顧客をガッチリ握り込んだり,回転寿司が産直を全面に出して近海魚の寿司ネタのレパートリーを増やしたりしていることも同じ方向といえるように思います。
さて,花の消費量が年々低下しています。世帯当たりの年間切花購入金額は2000年の11,551円から2005年は10,562円に減少し,歯止めがかかりません。町中の園芸店や生花店も次々と姿を消し始め,2002年から2004年の2年間で5,151店(19%)が廃業しています。これに対してスーパーやホームセンターなどの量販店での花の取扱額は2002年からの2年間で435億円から707億円と急激に増加しており,特にスーパーでのパック花束では海外からの輸入切花が大量に消費されています。そうです。まさに40年前の水産業界で起きたことと同じことが花き業界で再現されようとしているのです。園芸店や生花店の方々からは「花が売れないんだからどうしようもない!」と愚痴ともいえる言葉が聞かれますが,本当にそうでしょうか?花は素材として提供するものではなく,使い方,贈り方,楽しみ方のソフトと共に販売するものであり,一昔の鮮魚店,今のスーパーの鮮魚コーナーで行われているようなお客さんとのコミュニケーションを楽しみながら,花の魅力を伝えて販売することこそが,今求められているように思います。水産業界の低迷の轍を踏むことなく,花き業界が目指すべき将来の方向性を的確に見据えることが重要です。なかでも直接消費者と接して情報を提供する役目を担っている園芸店や生花店の従業員の教育は花の販売業界の発展に不可欠な要素であると思います。
★岐阜大学応用生物科学部の受験倍率向上戦略【U】 (2008/02/22)
岐阜大学の学生は愛知県出身者6〜7割,岐阜県出身者2割強で,大きな偏りを持っています。受験倍率向上戦略としては,自宅通学できる愛知県と岐阜県の高校生の受験を増加させる戦略と,自宅通学できない岐阜県内の高校生を増加させる戦略,他の府県の受験生を増加させる戦略に大きく分けられます。
自宅通学できない岐阜県内の高校生をターゲットとして受験倍率向上戦略を進める場合には,前述のような市場拡大戦略の手法が可能です。これに対して,自宅通学できる愛知県と岐阜県の場合についてみると,この地域は既に岐阜大学受験生市場として成熟していることから,市場浸透戦略ではなく新製品開発戦略の手法を取り入れない限り,これ以上受験生を多くすることはできません。
岐阜大学応用生物科学部の新製品開発戦略として何があるでしょうか。O-157問題から始まって,雪印乳業,ミートホープ,赤福と続いた食品偽装などの食の安全性を脅かす社会問題に対して,「食品科学などの自然科学教育に加えて,法律学や倫理学などの社会科学・人文科学も含めた食の総合教育を目指す教育課程を新設する」などを挙げることができます。東海地方には全国区の食品メーカーが数多くあり,学生の就職先は充分保証されています。これに対して,食品栄養学などを教育する大学はいくつかありますが,食の安全性の管理を総合的に教育できる大学はありません。岐阜大学応用生物科学部には食品生命科学課程食品科学コースがあり,食と健康に関する教育を行っており,得られる資格として食品衛生監視員や食品衛生管理者などがあります。これをさらに一歩進めて,HACCP,食品安全マネジメントの国際規格ISO22000などを含めた「食品安全管理者」養成に重点を置くことなどがあると思います。
また,昨今のエネルギー事情に対応したバイオエネルギーに関する教育コースとして生命科学コースを挙げることもできます。岐阜大学では十数年前からバイオエタノールなどの研究が既に行われており,まさに機を得た教育を受けることができます。当然のことですが私の所属する応用植物科学コースでもバイオエタノール原料の効率的な生産体系についても教育・研究が行われています。
このように,社会のニーズに応じて新たな教育内容を加えることによって,愛知県内の高校生の父兄のニーズ,そして卒業生の就職先ニーズに的確に対応した岐阜大学応用生物科学部の教育をアピールし,受験倍率向上を図ることが可能になると思います。
いやはや,大学もマーケティングを導入しなくてはいけない時代に突入したということができるのでしょうねぇ。
岐阜大学応用生物科学部の学生の出身県をみると,驚く事実に気が付きます。岐阜大学なのに愛知県出身者が6〜7割,岐阜県出身者は2割強です。これでは愛知県付属大学のようです。
これには明確な理由があります。愛知県は名鉄(名古屋鉄道)とJR東海が競合する地域で,大都市名古屋から少々離れた愛知県内地域でも公共交通機関が充実しており,さらに名古屋市と岐阜市の間は20分程度で行き来できます。したがって,愛知県東部の岡崎市や豊橋市からも自宅通学が可能です。これに対して岐阜県は主要公共交通機関はJRしかなく,岐阜大学に通学できる地域は大垣市,関市,美濃加茂市で,東濃地方の中核都市の多治見市ですら,岐阜市に行くためには中央線で名古屋に出てから引き返すことになり,通学可能地域としては微妙な地域ということができます。当然のことながら,同じ岐阜県内であるにも関わらず郡上八幡や飛騨高山は通学することができません。したがって,岐阜県内の多くの高校生が岐阜大学に進学する場合には下宿が不可欠となります。「どうせ下宿するのであれば,岐阜大学でなくても東京や大阪の大学にしたら」という判断が高校生やその父兄のなかで生まれてくるのは否めません。
さて,受験生獲得のための広告・販促政策(Promotion)としてどの地域をターゲットにしたらよいでしょうか。自宅通学できる岐阜県と愛知県の高校生を対象にする場合と,自宅通学できない岐阜県内の高校生を対象にする場合とでは戦略が異なってくると思います。
岐阜県内の自宅通学できない高校生は,これまで岐阜大学を受験しなかった地域の高校生ですから新たな市場拡大戦略をとることになります。岐阜大学応用生物科学部の魅力を改めて認識してもらい,岐阜大学の受験を促すことです。では,岐阜県内の高校生の父兄あるいは進路指導教員に対して,どの様な戦略を立てていくのがよいでしょう。
近年の少子化の影響を受けて子供の数は1〜2名です。また,近年の年金問題など親の世代の老後の不安はますます増えるばかりです。「できれば子供が近くに住んでくれれば安心だけど」と思うのは親心として当然かと思います。しかし,愛知県ましてや岐阜県では子供の将来にとって充分な勤め先があるかどうか心配で,「地元で就職しろ!なんて大きな声では言えたモンじゃぁない」というのも本心でしょう。
岐阜大学応用生物科学部の卒業生の就職先を分析しました。岐阜県内への就職者は27%に達しており,愛知県と岐阜県の企業への就職割合は68%です。まさに岐阜大学応用生物科学部は地域産業と密着した地方大学といえます。
このことは,大学を卒業したら地元に戻って欲しいと考える岐阜県内の高校生の父兄にとって大きな魅力といえるでしょう。たしかに同じ下宿するなら岐阜大学ではなくてもっと有名な首都圏の大学かもしれませんが,首都圏の大学に進学した高校生は再び岐阜県や愛知県に戻ってくる確率は極めて低いと思います。しかし,岐阜大学応用生物科学部に進学すれば地元の企業に就職してくれる確率が一段と高まります。加えて,岐阜大学周辺の学生アパートの家賃は首都圏の1/3,物価も安くて,東京での学生生活を想定して仕送りすればアルバイトをしないで勉学に集中することも出来ます。いかがでしょうか?岐阜県内の高校生の父兄の皆さん。岐阜大学は家族の将来設計を考える上で魅力的な大学ではありませんか?
オランダ花き協会はテレビや新聞,雑誌,ポスターなどで花の消費宣伝を行っています。ヨーロッパ滞在中にテレビで見たことがありますが,センスの良いコマーシャルでした。
日本の花き消費金額は近年の経済不安なども相まって年々減少しており,市場販売単価も下がり続けています。花き業界の集まりに参加すると,愚痴のように「消費者がもう少し花を買ってくれたら・・」と」いった声を必ずといって良いほど聞くようになりました。
花キューピッドのJFTDは毎年多額の費用を注ぎ込んで花の消費活動をしていただいていますが,生産者団体や流通業界などの協力が得られずなかなか思ったような成果を上げられないようです。誠に残念なことだと思います。
花の消費量が増えることは,花生産者にとっても,花き市場や仲卸業者などの流通業界にとっても,当然,生花店や園芸店などの販売業界にとっても大きな恩恵を受けることになります。花生産農家の経営が改善されれば,農業資材業界も当然恩恵を受けることができますし,種苗会社にとっても売上げ増が期待できます。
日本では生産,流通,販売,資材など縦割り社会が徹底されており,なかなか各業界が連携を取って事業を行うことが難しいようですが,ガーデニングブームが去って不景気の余波を未だに抜けきれない状況を打開するために各業界が手を結んで,オランダ花き協会のように消費促進事業を展開することはできないものでしょうか。
恐らく,各業界の方々が納得できる旗頭が必要なのではないかとも思いますが,花き業界全体に影響力を持ち,その発言に共感が得られる前東京農業大学教授のI氏,前静岡大学教授のO氏,元愛知県農業総合試験場長のY氏,千葉大学教授のA氏などを担いで日本花き協会を立ち上げられないものでしょうか。
各業界が勝手に事業を行ったり,農水省関連団体に依存して事業を行うよりも,花業界が一致団結して花消費促進事業を担う協会を立ち上げて活動する時期に来ているように思います。
★中国人富裕層が「安心」を求めて日本旅行 (2008/01/30)
昨年末に訪問した中国遼寧省農業科学院の研究員との会話です。
「最近は中国大都市住民の観光ビザが緩和されたことから,上海や北京からの中国人富裕層の日本への旅行が増えましたねぇ」
「上海の富裕層の人々は日本に買い物ツアーに出かけるのが流行なんです」
「日本は物価が高いのに買い物ツアーですか?」
「日本で売っているものは全て本物で偽物がないのが良いです。中国では高い買い物をしても偽物かどうかが判らないので,安心な日本で間違いのない本物を買えるのであればお金を出す価値があるんですよ」
「・・・・」
たしか昨年末に発表された2007年の日本の漢字は「偽」だったですよねぇ・・・。ミートホープ,白い恋人,赤福と「安心」を揺るがす問題が次々と起きました。真偽はともかくとして,段ボール肉まんに比べたらミートホープ社の偽造はかわいいものかもしれませんが,どうも日本人は「安心」というブランドに無頓着なように思います。空気や水のように本当は大切なものにも関わらず,それが当たり前のものになってくるとそれを維持することの大切さを忘れがちです。
岐阜県の鉢物生産者は岐阜花き流通センターという集出荷組織を作って北海道から鹿児島まで全国55市場に出荷しています。岐阜県の鉢物生産者は,大量に生産しても全国55市場に分散出荷できるメリットを最大限に活かして「安心できる高品質生産地」というブランドのもと,規模拡大を図ってきました。その結果,年商1億円を超える大規模生産者が多数現れてきています。これに対して集出荷組織を持たない他県の鉢物生産者は近隣の花き市場に出荷せざるを得ないため,大量に生産すると自らの出荷によって価格の暴落を招くことから大規模生産に踏み切ることが出来ず,いまだに零細な生産者が多数を占めています。
このように,岐阜県の鉢物生産者は岐阜花き流通センターという集出荷組織を立ち上げることができたために大産地として成長してきたのですが,この数年流通センターを経由しない出荷が増加し始めて,岐阜花き流通センター取扱量が年々減少しています。
何を考えているのでしょうねぇ・・・。自らが作り上げた集出荷組織のおかげで岐阜県の鉢物に対する「安心ブランド」を勝ち取ったにも関わらず,それが水や空気のように当たり前になってくると,それを維持する大切さを忘れ始めて,目の前の利益に目がくらんで量販店の大量物流に安易に流れていってしまう。
きっと岐阜花き流通センターが存続の危機をむかえた時にその大切さを改めて感じることになるのでしょうか。赤福にしても白い恋人にしても「安心」というブランドを作り出すために大変な努力をしてきたのだと思います。しかし,それが当たり前になってくると,そのブランド価値を軽視して目の前の利益に目がくらんだ結果,大きな社会的ペナルティーを受けることになりました。以前のコラムで富有柿の共選共販組織の崩壊について書いたことがありますが,全国から高い評価を受けている岐阜花き流通センターはその二の舞を繰り返すのでしょうか?
過去に高度経済成長期に大切な水や空気を公害で汚染させて,改めてきれいな水や空気の大切を理解した時に,それを取り戻すためにどれだけの努力が必要であったのか・・・。「安心」は無くした時に改めて実感できるものではなく,常に維持する努力こそが大切なのではないでしょうか。
これまで,このコラムでは敢えて大学に関することを書いてきませんでした。一つは私自身の学部長補佐の体験から,大学の管理運営機能にあまり期待をしなくなっていたことに加えて,アクセス解析の結果から,大学関係の方がこのコラムをあまり見ていないことがあります。しかし,この4月から心ならずも副学部長に就任することになり,大学のあり方についても書くことにします。
大学にとって学生とは何でしょう。大学内では学生を「顧客」と捉える教員が多くいます。教員の教育力や研究力に対して授業料という対価を支払って講義を受けて勉強し,その知識や体験を活かして社会に出て行くといった考え方です。
私は「学生は大学が製造する商品である」と捉えています。教員の教育力や研究力を注ぎ込んで作り上げる商品です。当然学生は物ではありませんので,簡単に工場で製品を組み立てるようにはいきません。「"意欲のある学生"は講義を聞いて自分で勉強して知識を習得するべきである」といった考え方では良い学生を育てることは出来ません。いかに教育や研究内容を理解させ,習得させるかが教育・研究力であり,その成果(商品)として有能な人材を社会に送り出すことが大学の仕事だと考えます。当然,大学が教育した学生を採用してくれる企業は,商品を購入してくれる顧客の一人です。同様に授業料を支払っていただける保護者の方も大学の教育力という商品に対価を支払ってくれる顧客の一人です。(この「大学の顧客論」については後日コメントします)
マーケティング概念からみると,国立と私立との授業料格差が大きく,国立大学の教育施設環境が優れていた時代は黙っていても高校生は国立大学を目指して受験してくれました。まさにマーケティング以前のプロダクト志向の時代であり,大学教員の教育意欲とは無関係に国立大学ブランドが出来上がっていて,教員は自分の興味で好きな研究ができ,勝手に講義をしていても高校生の父兄は自分の子供達に国立大学の受験を勧めてくれました。また国立大学生であれば,そこそこの能力を評価して企業も採用をしてくれました。
しかし,受験生人口が1992年の121.5万人から2007年の75.7万人に激減した今,勝手な思いで「勉強は自らがするものであってさせるものではない」とか,「就職は学生が自分でみつけてくるものだ」といった考え方が通用しなくなってきています。一歩進んで,「良い学生を育てれば必ず社会が認めてくれる」といった考え方もプロダクト志向を超えておらず,「良い学生」の概念が顧客のニーズとズレていれば意味がありません。まさにプロダクト志向からニーズ志向への転換期に国立大学は直面していると思います。
恐らく私立大学は受験生人口の減少やバブル崩壊後の就職氷河期に対応してニーズ志向への転換を終えているものと思いますが,国立大学はこの点で遅れを取っています。特に教員の意識改革が遅れているように感じます。農学系学部の近年の学部系統別受験倍率の変化をみると,受験倍率が連続して前年を下回っており,地方大学ではそれが顕著になってきています。実際に,国立大学農学系学部で定員割れ直前の危機に直面した大学は毎年複数校あるともいわれています。
岐阜大学応用生物科学部はどちらかといえば頑張っている方かもしれませんが,マーケティング戦略としての4P:製品戦略(Product),価格政策(Price),広告・販促政策(Promotion),流通戦略(Place)を真剣に検討する時期に来ていると考えています。
私の考える大学の教育力の基本は,井上ひさし氏の言葉「むつかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをゆかいに,ゆかいなことをまじめに」です。
秋も深まり紅葉の季節になり紅葉狩りに行く場合に,京都嵐山の紅葉を見に行く人と十和田湖の紅葉を見に行く人に別れます。前者は人工的な自然を楽しむ人々であり,後者は大自然の美しさを楽しむ人々です。
ヨーロッパにはアルプス以外で大自然というイメージがありません。ましてや自然の植物を観賞するというイメージはありません。これには理由があります。最終氷期の1万年前,ヨーロッパをおそった氷河はヨーロッパ北部全域を覆い,ヨーロッパの温帯植物のほとんどが全滅したといわれています。氷期が去って氷河が北上すると,植物も一緒に北上しました。しかし,温帯性の植物はアルプスの高山を越えることができず,それ以上の北上が阻止されてヨーロッパ中北部に進入することができませんでした。その結果,ヨーロッパの植物相は極めて貧弱な植生となり,例えばイギリス全土に自生する植物種は数百種しかありません。その結果,本来植物が豊富な森林地帯であっても下草がほとんどなく,森の木の下でフォークダンスや乗馬ができるほどの日本では考えられない明るい森の光景となっています。
これに対して中国を始めとするアジア圏でも同じように氷河が南下しましたが,アルプスのような高山がなかったため,氷河の後退と共に多くの温帯植物が北上して,現在でも豊かな植物相を形成しており,日本に自生する植物種は約4,000種といわれています。
そうです!日本人を始めとするアジア人が自然を愛して自然と共に植物を愛する心を持っているのに対して,ヨーロッパ人が人工的に加工した植物に美しさを見いだす違いがここにあると思います。
花弁が厚く高芯剣弁の自然界には存在し得ない人工的な現代バラは,自然の植物の美しさを知らないヨーロッパ人の作ったものです。私の友人の(株)インパックの守重知量社長いわく,「プラスチックで出来たようなバラに違和感を感じていました」。まさに肥後菊や伊勢菊のような風情のある植物美ではなく,限りなく人工的な美を追究した植物の美の象徴が現代バラではないでしょうか。
今一度,自然の植物が本来の持つ美しさを理解できるアジア人の感性でバラの育種を世界に広めてみませんか?日本の感性(Japonesque),アジアの風(East Asian Window),これこそがこれからの世界の主流になると思います。ヨーロッパ文化信奉主義ではなくアジア文化の主張こそが花の世界を変える動きになると考えます。
花の育種に取り組んでおられる育種家の皆さん!ヨーロッパの花の育種に限界を感じているのではありませんか?日本人の感性,アジアの感性を共に世界に広げませんか?
広島県の今井清氏(今井ローズナーセリー)が育成したバラ品種には大きな特徴があります。花弁が柔らかく,香りが良く,柔らかい雰囲気を持ったバラ品種です。
しかし,バラ生産者や花き市場の方々からは,「輸送中に花弁が痛みやすく,クレームが付きやすいので流通が難しい。もっと流通のことを考えて花弁の厚い品種を出して欲しい」とあまり良い評価をいただいていません。これに対して生花店やブライダルデザイナーからは,「香りが良く,柔らかい雰囲気がよい!」と高い評価を受けています。
バラ生産者はいったい誰のためにバラを生産しているのでしょう。花き市場の担当者は誰のためにバラを流通させているのでしょうか。
消費者や生花店,ブライダルデザイナーなどの利用者が欲しいといっているバラであれば,それを適切に輸送・流通する方法を考え出すことこそが流通業者の使命であり,少々の出荷の手間がかかっても生産出荷するのが生産者の使命です。
むしろ一般的な方法では流通しにくい品種を適切に流通させることこそ,国際商品となりつつあるバラに対抗する手段の1つとして,国内のバラ産業に従事する者として対応するべきことではないでしょうか。誰でもできるモノにはブランド価値はありません。誰もがマネできないモノこそ高い国際競争力を持つと考えます。
バラ生産者の皆さん。そろそろヨーロッパが作り出したバラ文化の象徴である高芯剣弁のバラをありがたがるのではなく,「ジャパネスクとアジアの風」を作り出しませんか?国際商品としてのバラを生産している限り,このままでは熱帯高地の切花生産国からの輸出攻勢に淘汰されてしまいますよ!
花き市場の皆さん。本当に花を楽しむ需用者のための流通を考えませんか?切花は生産者や流通業者のためにあるのではなく,バラを飾って満足する消費者のためにあることを再認識してください。消費者が欲しがるモノを適切に流通させることこそ,本来の流通業者のあるべき姿勢かと思います。
子年の年頭に当たって、メール年賀状を作成いたしました。ご覧下さい
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昨年は,大学内での激務に加えて,10月までお断りしていた講演依頼を断り切れなくなり,10月15日以来,教授の一言コラムを掲載できませんでした。
今年は子年ですので,ネズミに負けないようにコツコツと定期的な更新に務めますので,よろしくお願いいたします。