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気になることば 第34集   バックナンバー索引   同分類目次   最新    

*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、 人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。

19971122
■「しまえる」
 『書物』には、現在の私らとして、こっそり削り去って、しまえたいと思うような部分は一カ所もない。
森銑三「増訂版序文」『書物』岩波文庫
 意味は「しまう」「おしまい」などからある程度推測できる。が、調べはじめるとけっこう厄介。

 『日本国語大辞典』だと「しまえる」で立項されており、「方言」との注がある。 「@終わる。なくなる。滋賀県彦根619 A家屋がなくなる。倒産する。岐阜県郡上郡541」。 森は愛知県の出身なので、このことばを使った可能性はありそうだ。 愛知県のが辞書にのっていないのは、資料がなかったからかもしれない。

 ただ、気になるのは、辞書のは自動詞だが、森のは他動詞だという点。これも資料不足が考えられる。 辞書に引かれる方言集は、研究者というより篤志家が作ったものが多い。 いきおい、編集方針が学術的というより、方言語形の珍しさだけにひかれてしまうことが多い。 もちろん、そういった方言集がのちのち貴重な資料として活用されることはこれまでにもあったし、 研究者が作ったにしても漏れはあろう。
 ただ、「しまえる」については隔靴掻痒というか、決定打にならなさそうだということ。

 とりあえず、自動詞ながらも「しまえる」があるのだから、 それのない地方よりは他動詞の「しまえる」のある可能性は高かろうと判断しておく。

 どうもフリンタと相性がわるい。専用のインクジェットはあるのだが、もたもたしてたりビショビショになったりする。 そこで、共用のレーザー(疑似1200dpi)を使うのだが、私が使おうとすると、誰かが前に使った設定が残っている。 それを私用に調整するのだが、ときには10枚ほど試し刷りで使ってしまう。 結局、専用のインクジェットの方が速かっただろうなぁ、ということになる。
 まぁ、しょっちゅう(これも口に慣れたことばだが、どうも漢語っぽい。 『広辞苑』には「初中後の転か」とあり)使うわけでもないので、あきらめますか。 しょっちゅう使うようになれば、慣れるのでしょうが。
19971123
■旧仮名遣い幻想

 gooで別のことを検索していたら、こういうページにいきあたった。 ページ作成者の読了本の簡単な評価である。 その25に水野泰治『歌麿殺人事件』(講談社)がある。

 その方の評価は評価として、私がむかし読んだときの感想は「読者をなめてる」である。 細部は忘れてしまったが、最後の方になって、問題の江戸時代の古文書が旧仮名遣いではないから偽物だ、というのが決め手になっていたと思う。

 江戸時代にも仮名遣いと称するものはあった。まず、中世からの定家仮名遣いがあり、ついで契沖『和字正濫鈔』(元禄6)があった。 なお、契沖のは、後続の国学者たちが発展させ、歴史的仮名遣いとなっていくものである。
 だからといって、これらを一般の人が使っていたとはちょっと考えにくいほど、奔放な仮名表記が行われていた。 もっとも、おおまかに見れば、助詞ハはワでは書かれにくいというような傾向はある。 が、それをさして「仮名遣い」、しかも「旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)」とは呼べない。 なんせ、契沖系のある仮名遣書の序文が契沖仮名遣いに合致しないものがある、という時代なのである。
この話し、どこかで読んだのですが、思い出せません。 ご存じの方、教えてください。序を書いたのは賀茂季鷹だったかと思います。

 さて、歴史的仮名遣いが国家に正式採用されるのは明治になってからのこと。 これは空前のことで、このときから、公用文をはじめ、広く一般に流布するような体制ができたのである。 したがって、江戸時代の文書が歴史的仮名遣いで書かれる可能性はきわめて低いとみておいてよい。

 というわけで『歌麿殺人事件』はちょっと杜撰なのだが、トリックなり仕掛けなりが理科系のものだったらどうか。 ある毒物で人が死ぬかどうかでも、ウィルスでも、アナフィラキシーで死ぬ確率でも、遺伝子鑑定の信憑性でもなんでもいい。 少しでも誤りがあれば、話題になりそうな気がする。 それが困るから作家の方も十分に取材をする、とも思える。
 ところが、ことばのこととなったら‥‥  「昔のことだから、旧仮名遣いでいいだろう」ですか。 看過してもいいという理屈は、どこを押しても出てこないはずなのだが。

 こうなったら、ことばに「こだわった」推理小説を書くしかないのかもしれない。
 ともあれ、『歌麿殺人事件』は、読んだ時間と払ったお金を返してもらいたい、と本気で思わせた珍しい本である。
 高橋克彦『歌麿殺贋事件』(講談社)はいい本です。題名が似てるので気をつけましょう。

 NHK教育の囲碁トーナメントを見ていたら、ちょっと事件があった。 女流の小林泉美・ニ段が、一回戦に続いて二回戦も男性棋士(九段)を撃破したのである。 どこまで行くか、期待したい展開。
19971124
■「おどかし」
 「長野の大川原にまで連中の手がまわっていたらしい。また威(おど)かしがあったと‥‥‥」
高橋克彦『南朝迷路』実業之日本社

 「だからハガキや切り抜きの脅迫状で我々を威かしておいて、逃げ出そうとするヤツを殺す。
高橋克彦『パンドラ・ケース』文藝春秋
 わたしは、脅迫の意味では使わない。「おどし」をつかう。 ついでにもとの動詞「おどかす」も脅迫するの意味では使わない。 いやひょっとすると使うかもしれない。 が、おもに使うのは、「驚かす、びっくりさせる」の意味である。 だからかえって、脅迫の「おどかし」をみると違和感も感じるのだが、それは、滑稽味をおびたものになる。 笑っちゃうな、そんな犯人じゃ、たいしたことないな、と。

 高橋の作品を読んでいてたびたびであうのだが、それまでは、脅迫の「おどかし」を見たり聞いたりした記憶はない。 とすると、新しい言い方なのだろうか。
 だとしたら、それはそれで面白そう。
   脅迫 ←──────────→ 驚愕

   おどす − おどかす − おどろかす
   おどし − おどかし − おどろかし

  └────┘      │
 佐藤の脅迫用法      │
  └・・‥‥…──────┘
   (推測) 高橋の脅迫用法
 私よりも高橋の方が(多分)脅迫用法の単語の範囲が広いのだろう。 そして将来的には「おどろかす(し)」が脅迫用法を持つようになるかもしれない。

 しかし、高橋はわたしより一三才年上。さらに年上の筒井康隆にも脅迫の「おどかす(し)」があったように思う。 とすると、むしろ、脅迫用法の範囲は縮小する方向にあるとした方が自然か。 あとから知ったので新しい、と感じたのは私の読書範囲の狭さということで。
19971125
■気持ちの「割引き」
 私は頭を振って、改札口のほうへと引き返した。帰って妻に話してやろう。 話しながら、一緒にビールを飲もう。これはお祝いなのだから。
 彼が私のことを覚えていなかったぶん、少し割引しなくてはならないけれど。
宮部みゆき「過ぎたこと」『「傑作推理」大全集』上(光文社)
 宮部みゆきは若い。もううんざりですか?  こういう、「気持ち」からなにがしかマイナスするという場合、わたしなら迷わず「割り引く」を使う。 「割引きする」を使っては、何かしら、その「気持ち」が物質化するというか、乾いた感じがしてしまう。

 もちろん、値段の場合はちがう。「割引きせんでどうする!」「えー、割引きしないのぉ?」「割引きしてよ」 「割引きする店でしょ」「割引きすればぁ」「割引きしろ」などと使える。 値段の場合、やはり「割引き」という名詞が即応するものだからなのだろう。 なじんだもの動詞、ではなく同士ということか。 まぁ、単に「引か/き/く/け/こ」を使うことの方が多いかと思うが。

 だから、動詞「割引く」があるのに、名詞形にしてから「する」を付けるとは何事か!  というほどには石頭ではない。 かと言って、「割引きする」を気持ちの方にまで使うほどには簡素化してはいない。

 本当は「引っ越す/引っ越しする」にも触れる予定でしたが、どこかの引越し業者の宣伝みたいになるのでおあずけ。 というより、「割引く/割引きする」よりも微妙なことに気づいたので。
参照「再動詞化

 こういう再動詞化、「お茶しない?」など、名詞にどんどん「する」をつける傾向と軌を一にするものなのでしょうかね。
 「お茶しない?」と言って、お抹茶を立てに行く人もいるそうです。 あ、これ、ことばの上で、どうのこうのというわけではないんです。 このところ、ちょっと硬い文章になってるので、出してみただけ。笑ってくださって結構な部分です。
19971126
■「またたきする」
「お客さんだ」と、その坊主刈りの男の方が言った。太い声だった。 事務机に向かっている河野の脇に、両手をズボンのポケットにつっこんで、 やや姿勢を崩して立っていた。
 またたきするほどの短い間に、二人の男が視線をあわせ、彼女にはわからない無言の言語で、 何事かを話し合ったことを、梨恵子は悟った。
宮部みゆき「たった一人」『とり残されて』文春文庫
 今日も宮部みゆきなのだが、別に意図していたわけではない。 最新刊の文庫を読んでいたら出てきた。むこうから飛び込んできた感じである。

 太字部分、私なら「まばたきする」になる。 宮部が誤っているというつもりではなく、私ならそちらの方がしっくりするということ。
 が、それはそれとして、「またたきする」はおもしろい。

もとの「またたく」は「目+叩く」の語源意識が失われている。 現代では、星や遠くの街灯のように小さな光源がちらちら光って見える、の意味で使うのが普通だろう。 もちろん、原義を生かした「またたく間に」という慣用句があるにはあるが、 「生かした」というよりは「生き残った」ものだろう。 「またたく」とはどういう意味か聞いてみると、答えが返って来ないことも少なくないように感じる。

 ところが、宮部の「またたきする」は、連用形派生の名詞にスルをつけたことによって、 派生元の「またたく」の原義を復活させたものになっている。 もちろん、短い時間を表すために使われているので、何らかの形で慣用句「またたく間に」を踏まえているのだろうが、 どうみても慣用句然とはしていない。

 こういうスルの使い方は、やはり、「お茶する」などと同じ感覚で使われるのだろうか。 そして、カンフル剤のように、原義まで復活するという効用(?)もあるものなのか。
 大学の北側には山があります。その裾一帯が柿の畑で、霞むように赤く色づいています。 そんな季節、近くの農道には腰くらいの高さのほこら様の施設(というのは大げさですが)には、袋詰めの柿が並びます。 おそらく、商品にはならない、けれども捨てるには惜しい柿が並べられるのでしょう。 値段もそれに見合っています。一袋10個前後の富有柿が入っていて100円也。

 ほこらには柿と空き缶と「一袋100円」の札があるだけです。 番をする人もいません。 失敬しようと思えばいくらでもできるのですが、そういう人はいないのでしょうね。 まぁ、並べる方も、どうせ捨てるんだから、ということなのかもしれませんが、あまりそうは考えたくない。 商品にならないといっても傷は表面だけで、なかは全然痛んでません。 もったいなくて、いつも200円入れてきます。

 「中部日本・日本語学研究会」のページをアップしました。当面、間借りということで。
19971127
■「あからさまな秘密」
「本当にそんな芸が出来るのか」
「はい」
「葛籠に仕掛けでもあるのか」
 浮城は黙ってしまいました。 手妻師には種は大切なものですから、あからさまな秘密は喋りたくないのでしょう。
泡坂妻夫「夜光亭の一夜」『自来也小町  宝引の辰 捕者帳』文春文庫
 宮部みゆきが続きそうなので、むりやり、別の本を手に取った。 それが『自来也小町』だった。NHKでもドラマ化したのでご存じの方も多いでしょう。 で、その原作本というわけなのだが、話題がけっこうある。 しばらく、泡坂のものが続くかもしれません。

 やっぱり、これは「あからさまに」と書くところを名詞「秘密」にひかれて連体形になっちゃったんでしょうね。 ということで解決解決。めでたし、めでたし。それでは、またあした。(^_^)/~~~

 ではあまりにあっけないので少しだけ。
 考えてみると「あからさまに」「秘密は」「喋りたくなかったんでしょう」の三つを使って、 一つの表現にしようとすると、けっこう難しい。 まぁ、「喋りたく‥‥‥ 」は最後に置く、ということでいいだろう。
 あからさまに秘密は喋りたくないのでしょう。
 秘密はあからさまに喋りたくないのでしょう。
 文法的にはどっちでもいいのだが、何かしら落ちつかないような気がするのですが、いかがでしょうか。 私だけの異常感覚かもしれませんが。
 そこで泡坂さんもいろいろ思案していて「あからさまな秘密」ができた可能性はないかしら。 考えながら書いているとそういうことってないですかね。 「横浜」と書くべきところを「梹」と書いて澄ましていたりとか。

 妄想ついでにもう一つ。日本語スペルチェッカをかけたらどうなるのだろう、ふと思った。 自分では「あからさまに秘密は‥‥‥」と入力したにもかかわらず、スペルチェッカをかけたがために、 「あからさまな秘密は‥‥‥」なんて勝手に改められたりしないのだろうか。

 実は、私、ワープロソフトっていうやつは、まったくと言っていいほど使ったことがありません。 最初のソフトはOASYS/Winでしたが、どうも使い勝手が悪い。 ワープロ専用機の方に圧倒的に慣れていたから、というのもあるのでしょうが。 ましてや(でもないか)、一太郎やらワードなんて。 重いし、場所(ハードディスク)ふさぎだし。

 というわけで、ワープロソフトをお使いの方に実験していただきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
 パソコンを長年使っていそうな人だからと言って、何でも知ってると思わないであげてください。 まして、「ねぇ、あの人、パソコンが趣味って言ってたでしょ。 だから、ワープロのこと、教えてもらおうと来てもらったんだけどね、 ぜんぜん知らないのよ。笑っちゃうわねー」などと非難してはいけません。
 いえ、別に、そういう被害にあったわけじゃないんですがね。

 と、書きおわってFTPしようとしたら、モデムがつながらない。 変だなと思って確認したら、LANにつなぎっぱなしでした。 なんと1時間半も。たまに利用するinterQの方じゃなかったのが、せめてもの救い。
19971128
■「希有(けぶ)」
「そりゃ、聞いただけでも希有(けぶ)だ。本当にそんな芸が出来るのか」
「はい」
「葛籠に仕掛けでもあるのか」
 浮城は黙ってしまいました。
泡坂妻夫「夜光亭の一夜」『自来也小町  宝引の辰 捕者帳』文春文庫
 時代色を出そうとしたものなのだろう。辞典類を引けば、用例もあるので、たしかに存在した言い方。 本来のケウでは、聞いたときの印象(聴覚印象)が薄いので、間に子音をはさんだものだろう。

 こういう子音ばさみには、いくつかのタイプがある。
 タイプ1。「春雨(はるさめ)」のたぐい。この場合、国語学の概説書などではSが挿入されたとする。 しかし、なぜ挿入されるのがSなのかについては説明されないのが普通。 実のところ、「春」「雨(あめ)」は知っている時代の人たち(現代も当然含みます)にとって、「春雨」のSはまったく余計でしかない。 そこで、余計なものは後から挟まったんだろうくらいにしか思ってないのだろう。 現在の単語の存在の状態を主にして考えるからそうなるのだと思う(引き寄せ効果の反作用のバリエーションですね)。
 そこで、実は、むかし「雨」のことを「さめ」と言っていたのだ、と考える人たちもいる。 それだと、Sはもとからあったものなのだから、「挿入」ということを言わないで済む。 たしかに、複合語はあたかも冷蔵庫であるかのように、現代人の知らない古語を冷凍保存することがある。 たとえば、まえに触れた「すりこぎ」などがいい例である。 こう考えてくると「雨=さめ」説は説得力のある見解ということになってくる。 鳥取県の「三朝」をミササと読むのもこの伝でいけそう。

 タイプ2。渡り音(グライド)の独立化である。
 「見合い」がミヤイ、「試合」がシヤイ、「具合」がグワイと発音されるたぐい。 発音が、母音i・uから母音aにうつる際に、母音i・uに近い子音j・wが挟まってしまうのである。 この場合、もとの形の方が「正しい」言い方とされ、実際、そちらの発音を使うのが普通だろう。 が、ダイヤルとダイアル、ダイアモンドとダイヤモンドなどの外来語では、どちらも使うか、 変化後の形が多く使われるような気がする。

 タイプ3。「希有(けぶ)」のたぐい。
 このタイプはあまり説明されたことがないように思う。 そこで、どう説明していいかわからないが、とりあえず、ウに近い子音が挟まれたと考えておく。 前の母音に近い子音が選ばれたのがタイプ2だった。 が、タイプ3は、その母音(あるいは、後ろにくることになる母音)に近い子音が選ばれるということになる。

 ただ、そうするとuの場合、Фの可能性もあることになる。さてどうしたものか。
 聴覚印象を強めるためになされたのであろうから、強い子音の方がふさわしい。 そこで、弱い摩擦・有声のФよりも破裂(閉鎖)・有声のbが選ばれたとでもしておきましょう。

 以前、面白く読み、素人にしてはうまい語り口だと思っていた「会社潰れてしもたがな」が本になったそうだ。 今後、インターネット発の書籍もどんどんでることでしょう。
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