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3月26日
 柳ヶ瀬停留所 7:15美濃町行電車(現名鉄 当時は名岐鉄道)
  美濃町 8:30洞戸行バスに乗車 牧谷へ

 板取川沿いの牧谷 そこに見る紙漉き風景は製紙戸数多く、範囲の広い点では全国一と思われる。 下牧蕨生から川に沿って遡り、 9:50上牧郵便局前で下車 吊り橋を渡って対岸の役場(現乙狩)…恐ろしく粗末

役場の老人から紙漉き唄を二つ聞く(林さん 7歳) 林さんからの聞き取り
 二つの簀を交互に使い、座ったまま漉き上げていた頃について懐述してくれた。
「竹簀は、村で作る。   シノビツギという簀は、書院紙を漉くのに用いられ   ツキツケという簀は紗を貼って簀目を隠し、典具帖を漉くのに用いられた。
今は長い棒で紙グサを叩くのみであるが、昔は松又は樫で作った臼の刻み目をもった槌を両手に持って叩いた。
ネベシは黄蜀葵(トロロアオイ)を主とする。山ネベシという楓の葉のようなもの使うこともある
干し板は橡、但し薄様は乾燥機に頼る。
シト(紙床…漉き上げた紙をかさねたもの)をタネ
攪拌機をクマデ又はマグハ
楮をキガミという。
圧するには元々はハネオシを使っていたが、四角い切り石を2~3重ねる時代を経て、今のジャッキとなった

漉き家を見学する。この村(乙狩か?)の書院紙は三等品、それは殆どパルプか反故紙で漉いたものであるから当然だ。
 太田万右衛門宅は乙狩に工場を所有している。アメリカに渡って、コーヒーフィルター、タイプライター原紙になる典具帖紙、鉄筆原紙になる説明を受ける。
典具帖紙は純楮、鉄筆原紙は雁皮に三椏を配合して作る。
楮を晒す小屋、丸石を幾重にも積み重ねた石垣の上の漉き家数軒を見て
 太田方にて昼餉をごちそうになる。タニシを八丁味噌であえたものがおいしかった。
前年訪れた際に説明を受けた製紙工業試験場の坂井技師と再会し、紙の話をする。午後より雨になり、下牧の視察を断念する。

午後1:40に上野を通るバスにて美濃町に帰る。
同4:08に美濃太田行、美濃太田で太多線で多治見へ、中央線で瑞浪へ、瑞浪から明知行のバスに乗り、午後7時明知町の ささや旅館に投宿(以後は愛知県の旅へ)

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