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    気になることば  75集  一覧  分類
    「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、背後にある「人間と言語の関わり方」に力点を置いています。
    積み上げ式に変更。新しい記事が上にきます。

    20001205
    ■戦中紙芝居の横書き

     私の研究室宛に、古本屋さんの目録がけっこう送られてきます。大概は、自分の関心のあるところをみるだけなのですが、カラー図版が載っている部分は、さすがに、ついつい見てしまいます。

     で、今日、目に止まったのは、『阪急古書のまち 25周年記念古書目録』の26ページ。6種類の戦中の紙芝居でした。図版は、もちろん表紙だけの小さなものですが、それを割り引いてもかなり鮮明。保存状態のよさがしのばれます。価格は、1.5〜3万円ですが、ちょっとほしいな、と思うくらいのものです。20〜25枚でワン・セット…… お宝コーナーではないので、このくらいに。

     で、各作品の表紙の題名は、すべて横書きなのですが、向きがそれぞれなのですねぇ。以下に掲げおきます。作者・画家などは、見やすさを考慮して、はぶきました(各作品ですべてことなります。ただし、画家を記してないのもありました)。

      135『勝ち抜く増産』(農山漁村文化協会。昭和18。農林省選定)左から
      136『兄さんの手紙』(大日本画劇。昭和16。商工省選定、戦時物資活用協会指導)右から
      137『仲よし五人組──翼賛紙芝居・銃後少年──』(大政翼賛会宣伝部。昭和16)右から
      138『ワン公と隣組』(東京市役所。昭和16。常会紙芝居・懸賞入選作品)右から
      139『われ等の捧ぐるこの感謝』(大日本画劇。昭和17。大蔵省国民貯金奨励曲後援)右から
      140『國思ふ』(日本教育画劇。昭和18)左から

     右からの横書きが優勢ですが、わずか6っつの例からそんなことを言うのもあまり意味はないでしょう。また、右からと左からとで、なにか即応する属性がないかと考えてもみるのですが、なかなかうまくはいかないようです。

     左からの横書きには、公的な後援・指導がない── 140はそうですが、135が反例。
     左からの横書きは、高等科(?)向け── 135・140はそうですが、136・139が反例。
     初等科向け(?)は、右からの横書き── 137・138はそうですが、他のものも掬いたい。
     大日本画劇は、右からの横書き── 136・139ですが、他の右からの横書きも掬いたい。

     下二つを「合わせて一本」風に考えればうまく行くことにはなるのですが。とまれ、こうした教育色の強いものにも、統一がないというのは、ちょっと驚きでした。


     「右からの横書き」は、「一行一字詰めの縦書き」と考えるのが普通なのかもしれません。が、当時の人も「右からの横書き」と言ったり、片仮名の長音符を縦長にしていない、などの理由から、「右からの横書き」と言っておきます。参考:右からの横書き 一行一字縦書き(?)の長音記号


    20001205
    ■「日和町」

     中耳炎併発の風邪で、早めに帰宅し、名古屋テレビ(だったかな)を見るともなくみていました。最近のニュースの天気予想コーナーはいろいろ豆知識や天気にまつわる話を紹介してくれたりして、工夫されてますね。

     で、今日知ったのは、名古屋市千種区に、もともと「田代町」と言っていたところを「日和(ひより)町」という名に変えたという話。そのきっかけは、名古屋気象台(Mapion)ができたから、と言ってました。

     これ、なかなか面白い。
     古い町名を変えることには、いろいろ議論があります。が、この場合、「日和町」というのが、なんとも、いいですね。天気を観察する機関だから日和見をするわけです。そこで「日和町」。ワン・クッション置いて、和語にしているところが、ニクイ。

     ただ、一方で、では、「田代町」と名付けられたときの由来は考慮しなくてもいいのか、という問題もあるわけです。どうだったんでしょうか。ちょっと気になります。

     気になるといえば、新設の鉄道で、駅名に人名が採用されるもの。ちょっと違和感はあります。智頭急行の「宮本武蔵」は、時代が近いのでまだいいのですが、井原鉄道の「吉備真備」になると、もうすごいなぁ、と感心するばかりです。


    20001203
    ■「韻鏡三十年」

     昨日2日は、M先生の退官記念の意味も込めた研究会だった。3人めの発表がM先生で、トリである。委員をなさっている国語審議会が、省庁再編成の関係もあって一旦解散するらしく、その区切りをつける仕事でお忙しいとのこと。そこで、これまでの御研究の「回顧と展望」。これは望外の幸せ。論文には現れない話も聞くことができた。

     M先生の逸話が、T大学国語学専攻に語り種として伝えられている。
     網羅的に調べた上で、自然な結論をみちびくのがM先生の手法である。が、それは、用例採集で時間が割かれてしまうことになる。そこで、先生は、能率をあげるべく、すばやく書くようになられた。用例をとるほどに、速度はいや増していく。その技、ついに神に通じ、ペンの動きを誰も見切ることができなかったという…… そんな話も出はすまいかと、あらぬ期待も。

     余談はさておき。
     先生は、卒業論文で『韻鏡』をとりあげるつもりだったという。『韻鏡』とは、3000種以上に及ぶ古い中国の音節を分類して…… ああ、簡単にすませよう。中国の五十音図のようなものである。で、指導教官のS先生に相談に。S先生曰く、「M君、『韻鏡三十年』と言ってね、なかなか、卒論であつかい切れるものじゃありませんよ」と。

     う〜ん。なんと簡潔で的確でやさしい言葉だろう。私も、『韻鏡』は苦手である。ことに別の時代の漢字音資料と突きあわせると、理論からはずれる例外も出てきて、混乱しがちでもある。江戸時代からの研究の蓄積もあるから、後進が調べ直して得るものは小さいかもしれない。それが分かっているから、あるいは別の方面の才能があると見込まれたのかもしれないが、ともかく、『韻鏡』は、ひとまず、させないでやりたい。が、傷つけない言い方はないだろうか……

     この際、「韻鏡三十年」は、いい言い回しだと思う。
     若い人にとって30年は、もう、永遠に近いような長さなのではないか。そのうえ「韻鏡三十年」と格言化しているとなると、それだけで真実味を帯びてくる。降参せざるをえない気持ちに、自然となってくるような気がするのである。

     それにしても、誰が言いだした言葉なのだろう。S先生が作られたのだろうか。


    20001202
    ■「行ってらっしゃい」

     ふぅ。間に合った‥‥‥ 

     岐阜羽島に向かうと、どうして街中の県道は混むかな。片側2車線もあるのに。土曜日でゆったり走りたいのは分かるけど。工事もあったしなぁ。でも、サタデー・ドライバーはやさしいよね。こっちも、寒いなか、ウィンドウおろして、手で合図しようって気にもなるしね。気分よく、パーキング・ライトも2回点滅させましたヨ。

     あれあれあれ? 入線予告のアナウンスじゃん! あと5分かぁ。駅弁は、諦めないとダメかな。ともかくホームへ…… よいしょっと。な〜んだ、腕時計、2分進んでたんだ。まだ5分前だね。よしよし、KIOSK、KIOSKっと……

     「えーっと」。
     「あ、ごめんなさい。2種類しかないんですけど……」
     「じゃ〜、美濃路弁当、ね」
     「はい、 お茶、どうします?」
     「あ、それはいいです」
     「はい、じゃ、840円ですね」
     「はい」
     「160円のお釣りです。行ってらっしゃい」

     はは。「行ってらっしゃい」だって。なんとなく品のいいしゃべり方だったなぁ、おばさん。なんか、気持ちがこもってるっていうか。ついこっちも、「寒いね」なんて言いたくなっちゃったよ。でも、陽があたってて、ブースの中は暖かそうだったからなぁ…… 「行ってらっしゃい」ね。なんかいいね。離陸する飛行機に、整備スタッフが帽子を振るのってちょっと感動的だけど、マニュアルに書いてあるんだってね。でも、おばさんの「行ってらっしゃい」は、違うよね。信じさせてね…… 

     よし! ひるめし、ひるめしっと。お茶はカバンに入って…… あ、入ってない!


    20001111
    ■「安東」

     そうそう、10月末には、学会にも行ってきました。久しぶり。

     広島の安田女子大学でしたが、市内からアストラムラインという、新交通システムに乗って行くのです。ひょっとして、運転手もいないのではないか、と思いましたが、ちゃんといらっしゃいました。スピードもけっこうでますね。ちょっと意外な感じ。

     中心部の始発駅からしばらくは地下ですが、やがて、ぐんぐん勾配を登って高架になり、広島市内をながめわたせるようになります。惜しむらくは、お城のすぐ近くを通るのだから、それも高架で眺めたいところ。でも、そうしたら景観上、このましくないのでしょうね。逆に。

     さて、会場の「安東」までは途中停車の駅が多いので、シートに腰掛けながら、ぼーっと市内風景をながめます。と、停車駅のアナウンスに、「やすひがし……」とありました。ん? 「安東」ではないな、と思い、眼を外に向けるのですが、次の瞬間、あることに気づきました。「安東」は「やすひがし」と読めるではないですか!

     あやうく、乗り過ごすところでした。

     私は、てっきり「安東」は「あんどう」と読むものと思っていました。同じ講座の同僚に安東氏もいることですし、なおさらだったでしょう。私の頭には「安東=あんどう」の図式しかなかったわけです。あらかじめ、こちらの方に正しい情報がはいっていないと、外から入ってきた情報との対照がうまくいかないものなのですね。これでは「引き寄せ効果」は発揮できません(久しぶりの術語…… なにやら懐かしい)。

     しかし、逆に、よくもぼーっとしながらも、「安東=やすひがし」に気がついたものです。ひょっとして、同じ講座の同僚に「安(やす)氏」もいるためかと、感謝するばかりです。


     私だけじゃないですよね。この勘違い。ちなみに、講座の同僚氏名一覧を参照いただけます。


    20001110
    ■「阪神京奈」
     ゆえあって、滋賀県を旅行しました。県立近代美術館から、湖岸道路を北上、彦根で一泊しました。彦根をゆっくり歩くのは、20年ぶりのことでした。

     夢・キャッスル・ロードとかいうものが新たに出来たとは聞いていて、車で通りすぎるぐらいのことはあったのですが、今回は宴会場をさがしもとめて歩きました。高をくくっていたのですが、よさそうな飲み屋(というには綺麗すぎますが)もあって、なかなかのものと見ました。甘鯛の唐揚げは、ウロコごと揚げてあって、ほっこりさくさく。よかったなぁ。

     もとい。宿は駅真ん前のサンルート・ホテル。そこのパンフレットで、上の文句を見つけました。「三都物語」と称して、京阪神を観光しましょうよと誘うのがJRです(した?)が、サンルートは奈良も忘れちゃいけませんというわけなのでしょう。

     それにしても、「京奈」が「きーな」とは。なにか、由来があるのかな。御存じの方は、御教示くださいませ。


     あ、ホテルマンに聞いてくるんだった……


    20001109
    ■「殊勲の●」

     11月8日のNHK、あさのニュース。標記のものは、正確ではない。「」ですね。

     寝ぼけ眼で、「殊勲の黒星」とはこれいかに、と思ってしまいました。そう、暗めのバックに明るい字で書いてあったので、黒板を連想。白地に黒で書くのをそのまま反転して、「殊勲の黒星」とみたわけです。

     こういうのは、なんとかしてほしいな、と思いました。が、塗り潰し(ベタ)を、黒と意識する私が悪いのでしょうか。


     ロシアで寿司がはやっているという話題もありましたね。看板に縦書きで「KAMAKYPA(かまくら)」とあったのがなぜか新鮮でした。

     というように、今集は、息抜きネタが多くなりそうです。ここのところ、旅がかさなったので、頭よりもからだが動いているのかな。




    *必ずしもことばだけが話題の中心になっているとはかぎりません。
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    ・金川欣二さん(富山商船高専)の「言語学のお散歩」
    ・齋藤希史さん(奈良女大)の「このごろ」  漢文学者の日常。コンピュータにお強い。
    ことばにも関心がおあり。