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気になることば 第46集   バックナンバー索引   同分類目次   最新    

*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、 人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。

19980227
■「半閉鎖音」−−出口はどこだ

 実は別のことを書くつもりでヤコブソン『失語症と言語学』(岩波書店)読んでいたのだが、ちょっと理解に苦しむ箇所があった。
 幼児が,対応の閉鎖音に対立する半閉鎖音を習得するのは,同系列の摩擦音を習得することを前提とする。
伊豆山敦子訳「幼児言語の音法則と,その一般音韻論における位置」
 問題は「半閉鎖音」である。具体例もなければ、原注・訳注もなく、原語も付されていない。 何なんだろう。

 この文脈であてはまる例を考えてみる。 「閉鎖音」をt、「半閉鎖音」を∫、「摩擦音」をsとすれば、分からない話ではない。 ところが、『音聲學大辞典』(三修社 1976)*1 をひくと、アフリカータ(破擦音)を見よ、といった印がある。すると、ヤコブソンは「シャを習得してから、チャを習得するのよ」と言っていることになる。これは、どうも腑に落ちない。 もしそうなら、幼児がデンチャ(電車)と言うはずがない。

 実は幼児のシャという発音をめぐって書こうと思っていたので、先入観があったのかもしれない。 初めから出直そう。

「閉鎖音」をt、「半閉鎖音」をts、「摩擦音」をsとしよう。 「サを習得してからツァを習得するのよ」。これならわかる。 日本語ではツ以外に ts はほとんど使われない。 ツェツェ蠅だってエリツィンだって字では書けるけど、そう発音するのには慣れていない。 (こういう場合、文字が音声に先行することもあるってことね)。 言ってみれば、大人でもまだ習得しかけの音である。 特に音韻(音素)として自立しているとは言いにくい。

 いや待て。それはそれでいいかも知れないが、∫と t∫の関係はどうなんだ。 やっぱり、ヤコブソンの言うとおりにはいかないゾ。*2 あちらを立てればこちらが立たず.....平重盛みたいだ。 そうではなくて半閉鎖音を破擦音とした『音聲學大辞典』がいけないのか。

 せめて一つでいいから例を挙げておいてくれたらよかったのに。 少なくともどっちつかずの状態だけは避けられたはず。

 はっ! 気がついてしまった。 ts−s系列でも問題はあるゾ。 古い日本語のサ行子音が ts だったとする説があるじゃないか。 もしそうだとすると、その当時、 ts を習得するまえのsはどこで使ったのだろう。 サ行子音以外にsになる行はなさそうだし??? *3

 やりなれない仕事を二日もして頭が麻痺しているというのに。 もう、ギブアップ!
*1『音聲學大辞典』、なぜか旧字。「撥音(ン)」を引くと「手扁に発」なのに。 もう、いやッ!
*2「t−ts−sは対立・系列を構成するが、t−t∫−∫はそうでない」ということなら問題ない。
*3 サ行内部で割れていた(=一部はs、他がtsなど)とすれば、とりあえず問題はない。 また、サ行子音=ts説が誤りなら問題ない。



 大体やねぇ(と自分の太ももをさすって言うわけではない....私、壊れかけてるかも)、「半閉鎖音」っいう名称もねぇ。 あまり使われないからいいのですが。
 『季刊 本とコンピュータ』という雑誌で、「小公子の部屋」が紹介されたらしい。 未見なので、どういう形での紹介かわかりませんが、ま、リストの一項目なのでしょう。

19980228
■「チャ」より「シャ」が先−−出口の一つ

 「t−ts−s」と「t−t∫−∫」の習得順序の話の続き。 日本語の場合、「t−ts−s」はヤコブソンの言うように他の言語一般と同様 ts が最後になるが、「t−t∫−∫」の場合、∫ が最後になりがちである。 忠ならんとすれば孝ならず....ということになる。

 「t−t∫−∫・s」についての論文を岡島さんが知らせてくださった。いつもすみません。
 この論文では、昨日引いたヤコブソンの原稿をもとに、日本語のt∫の習得順序を例外として位置づけようとする。
 日本人の幼児にとってのみ、破擦音の方が、摩擦音より早期に習得しやすいなどとは言えないであろうし、現に、親が正しく教えさえすれば[t∫]を発音するようになる前に[s]をかなり正しく発音する。 幼児がサ行音をチャ行音にかえて発音する根本原因は、むしろ親や回りの友人達にあり、一般に年長者が幼児に話しかける時、いわゆる「幼児語」を用い、その中でわざわざサ行音をチャ行音にかえてしまうのである。
(中略)
 そのような時期の親達は、新しい社会の規範が「サ行音は摩擦音」であることを知りつつも自分達にとって難しいことは幼児にとっても難しいと考え、サ行音を含む語をチャ行音にかえて教えたであろう、とそのような解釈が成り立つと考える。
丸山徹「中世日本語のサ行音」(『国語学』124)
 たしかに、ありうべき推測と思う。ただ、気になる点もないではない。 「自分達にとって難しいことは幼児にとっても難しいと考え」るのはなぜなのだろうか。 やはり∫・sよりもt∫の方が発音が容易であるという根拠があるのではないか。 もちろん、「子供はオチャカナ(お魚)・デンチャ(電車)と言うものだ」ということがらが、社会通念となっていることは考えられるけれども。

 『本とコンピュータ』での紹介、やはりリストの一項目のようです。 岡島さん、御教示感謝。

19980301
■「t−ts・t∫−s・∫」は難しい

 ふたたび、岡島さんからの御教示。なまけものの私はまだ確認してなかった。深謝。
 体系上の不整合を解決しようとの案である。
 ただし、もし古代日本語の子音体系がtとts(および、おそらくシとセではt∫)とをもっていて、しかもs(ないし∫)を欠いていることになると、これは、体系としてはかなり奇異である。 また、sを欠いてtとtsとの対立しかもたない言語があるばあい、tsの前飾の部分、すなわちtは、音韻論的に価値がない、いいかえればirrelevantである。 わたくしは、もと日本語にはtとtsとsとの三個の音があってたがいに対立しあっていたのだったが、そのうちsは文献にその存在のあとをのこすことなしに消えさってしまったものではなかったかと考える。 (この仮定にたって考えると 説明のつきやすいかにおもわれる現象もなくはない。)
かめいたかし「すずめしうしう」
 「sを欠いてtとtsとの対立しかもたない言語があるばあい、tsの前飾の部分、すなわちtは、音韻論的に価値がない」。しびれますね。理路整然です。

 でも「もと日本語にはtとtsとsとの三個の音があってたがいに対立しあっていたのだった」という想定は気になります。 だとすると、t・ts・s(∫も?)はそれぞれどの行の子音に対応していたのだろう。 あるいは、たとえば s(∫)a・ts(∫)i・s(∫)u・ts(∫)e・s(∫)o のようなサ行内での住み分けを想定してのことだろうか。 が、その場合「(音韻論的)対立」を構成すると見ることは可能だろうか。

 また出口を見失ってしまった。 ひとえに私の勉強不足なのかもしれませんけれども。
 「音楽館」に掲げていたトゥルーの2曲、 蛮勇をふるってClassical Midi Archivesに投稿してみました。 かたじけなくも「{カ}(特によい)」の評価をいただきました。 技術ではなく、曲のよさへの評価だと思っています。 今後とも、トゥルーへの御支援をよろしくお願いいたします。

 このあいだみつけた新しい酒屋さん。デキルと見ていってみた。 名の知れないものばかりで、「久保田」「一の蔵 しぼりたて」もおいてない。 が、あいさつがわりに名にし負う「天狗舞」の山廃吟醸を買ってみた。 ところがいま一つ。しかも醸造用アルコールを添加している。 純米だと思っていたのに。

19980302
■「百年河清を俟つ」

 ある掲示板で「百年河清を俟つ」の意味を問われました。 その方によると、自分は待っても仕方がないよ、の意味で理解していたのが、 ある人は「努力をいくらしても、人間であるが故に無理」というようなニュアンスを持つものと教えてくれ、 また別の人は「とにかくひたすら待つ、ただ待っている、という意味が主」と教えたそうです。

 自分からは使わぬことばなのでちょっと調べたのですが、問うた人が理解していたようなものでよいようでした。 それにしても、他のお二人が示したようなニュアンスが派生したことは、それはそれで面白いと感じました。

 ちなみに、「河清」とは常に濁っている黄河が清く澄むことですが、伝説によれば1000年に一度「河清」が起こるそうです。 「河の清むを俟つ、人寿、幾何(いくばく)ぞ」(春秋左氏伝・襄公八年)あたりから「百年河清を俟つ」が出たようです。

 とすると「百年」はどこから出てきたのか。 日本で付けられるようになったものでしょうか。 千年が百年になったのか、千年のうちの百年なのか。 また、「百年」が付けられたことで、ニュアンスの派生も出やすくなったことは考えられないか、など、ちょっと宿題が出来ちゃった感じです。
 読み返していたら思い出した。 昨日、デキそうな酒屋さんに、「一の蔵 しぼりたて 純米」が手に入るかどうかを聞いてみたのだったっけ。 なんせ思い出ぶかい酒ですから、気になります。 「問屋に電話で確認します」といってくれて、今日にも、電話をもらうはずだったのだが。 「河清を俟つ」なんてことになりませんように。

19980305
■「まん真ん中」

 預金を自動預け払い機考えてみると随分がんばった造語だで降ろしていると、とあるポスターに目が行った。
 十六銀行は/首都機能移転に/協力します

 新首都/「東京から東濃へ」/日本のまん真ん中/岐阜県
「ど真ん中」という言い方はもともと西日本のもので、関東では「まん真ん中」と言うのだ、という話を読んだことがある。 とすると、岐阜県は、このことばにかぎっていえば、東日本ということになりそう。
 そういえば、預け払い機に貼ってあったステッカーに「100万円までお支払いいただけます」とあったような。 考えるとこんがらかりそうな言い方だと思った。

 あいかわらず酒屋からは電話がない。 もしかしてデキナイ酒屋なのか。

19980309
■「都心」捜索計画

 岡島さん・小矢野さんはじめ各位にご協力いただきました「都心」ですが、 佐藤の業務繁忙のため、その後の展開はほとんどありません。 せめて、調査計画だけでもお示ししようと存じます。

 現在のところの初出例は『大辞典』(昭和11)。 辞典ですから、やはりこれをさかのぼる実例あっての立項でしょう。 では、その実例をどこにさがすかが問題になります。

 建築史の方では、大正のなかばから昭和の初期にかけてを、都市計画史上の一時期と捉えて重視してます。 各主要都市では、国主導で都市計画が、法制化などの形で進められつつありました。 計画の骨子は、時局柄、軍事都市化ということのようです。
参照:石田頼房『日本近代都市計画の百年』(自治体研究社)

 そのうえ、この時期には、どうしても外せないできごとが起こっています。 関東大震災(大正12年)です。 首都を直撃した震災だけに、その復興は焦眉の急もいいところだったはず。 すなわち、この震災をきっかけに、大規模な都市計画が急ピッチで推進されたと思われるのです。 むろん、議論も多々あったでしょう。そのなかで「都心」という概念・ことばも生まれたのではなかったか。

 このような想定にもとづいて、まず、資料を限定すると、諸法案でもいいのですが、さらに建築の専門家たちが議論を交わした場の方がより早いでしょう。 そこで、ターゲットを雑誌『都市公論』(大正7創刊)と雑誌『都市問題』(大正14創刊)に設定してみました。 ところが、うちの大学のバックナンバーは、ずっと後年のかけらくらいしかない。(T_T)  というわけもあって、調査が遅々として進まないのです。
 今日、こちら(第ニ話)で登場した卒業生Mさんがやってきた。 なんでも転職するので、成績証明証をとりにきたのだとか。 「こちら」は3月2日にアップしたのだが、その同じ日に転職を決意したのだそうだ。 どこまでも因縁がつづきますね。
19980310
■「養生」

 うちのキャンパスに芝生を植えたところがあり、その外縁をロープで囲ってある。 そして、何本か立て札が設けられている。「芝生養生につき、立ち入らないこと」。

 「養生する」のは人だけではないと知った。 私が赴任する直前、国語学会があったときから気づいていた。 園芸用語なのだろうと勝手に解して、あまり気にとめなかった。

 ところが、赴任してきてわかったが、どうやら方言のようなのである。 ちょっとくたびれた段ボール箱の底に、クラフト・テープで補強することがある。 それを「養生テープ」と呼んでいたのを聞いたことがあった。

 ただ、そう呼ぶときの感覚には微妙なものがあるらしい。 呼んだ本人は笑いながら言っていた。 使えないことばではないのだが、なにがしかの可笑しみがともなうようだ。

 昔使っていたことばを思い出して、「そういうことばも使ったっけなぁ」という感慨が混じる笑いだろうか。 私なら、エビガニ(ざりがに)・ズルコミ(割り込み。多く他地方でヨコハイリ)・アイケンチ(じゃんけんぽん)などを使うときだろうか。

 いや、それでも足りない気がする。 もうこの地でもほろびかけた「養生」(対非人間用法)と、それよりは確実にハイカラな「テープ」とを結び付け、再生させた面白さだろうか。 思いがけない二つの語の出会いが、可笑しみを生んだのだろう。

 そして、「養生テープ」を聞いて即一緒に笑える人がいる。 いわば岐阜の文化を共有しているわけだ。 そういう表現を耳にするとき、自分が確実に外の者であることを確認するのである。
 ちょっと気取りが過ぎましたか。 昨日の『レディース囲碁』の冒頭に似たものを感じますね、我ながら。 梅沢初段と小林二段が、片手を腰にあて、残った片手の人差し指をスッとカメラにつきだし、「貴方も夢中! レディース囲碁」(と梅沢、低音にて思入れ)とやったのである(毎回やってるんでしょうか ^^;)。
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岡島昭浩さん(福井大)の   高本條治さんの(上越教育大)の耳より情報