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Essays

目次

会社言葉の恍惚・ビジネス敬語もうどうにも止まらない
『人と経営 GIFU』1996年9〜10月号より

古本屋にて

推理小説を読むたびに 『いがぐり』(東北大学国語学研究室雑誌)より

ワインと奇跡から

折り鶴

キャサリン・マンスフィールド『園遊会』 『騎手』(岐阜大学教育学部国語国文学科有志機関紙)より

縁三話−−−仙台は遠くなったのか 『いがぐり』(東北大学国語学研究室雑誌)より




会社言葉の恍惚・ビジネス敬語もうどうにも止まらない

*中谷佳南氏構成*『人と経営 GIFU』1996年9〜10月号より

岐阜市のある専門商社のオフィス。電話が鳴って女子社員が受話器を取る。総務の係長に印刷会社からだが、係長は夏期休暇中。
「申し訳ございません。係長は本日、お休みをとらせていただいておりますが…」よどみなく女子社員が答える。応対を聞く総務部長の高田さん(五二)=仮名=は、いつもながらちょっとした違和感を感じる。係長が有給休暇をとったぐらいでそこまでへりくだる必要はないだろう。出入りの会社に休みをもらっているわけでもあるまいに。しかしまあ、丁寧すぎて叱られることはないから、よしとするか。
ハンランする多重敬語
時計が午後五時を回った。高田さんは社外の会合があり、「お先に」といって部屋を出る。部員たちが一斉に声をそろえる。「ご苦労さまでした」高田さんはここでもちょっと引っ掛かる。目上に向かって、ご苦労さまとはごあいさつだな。しかしまあいいか。言葉の使い方は違っていても、どうやら私を尊敬している気持ちだけは、あるようだから。
NHK岐阜放送局のチーフアナウンサー高野春廣さん。仕事柄、言葉には人一倍敏感。ラジオで放送中の『素敵なはなしことば』のテキストの筆者の一人でもある。最近の敬語の誤用、乱用は気になって仕方ない。特に営業、販売、サービスなどの産業社会で使われる敬語には問題あり、とみる。
まず、敬語の過剰。「社長さん」「〇〇会社さん」などと、やたら丁寧。「お会社」「どこさん(どちらさま)」などの不気味な表現もある。「休ませていただいております」のような敬語もバッコしている。一般にニ重敬語は好ましくないのだが、二重どころか、三重、四重の多重敬語が氾濫。過剰に使おうとするから、間違った用法も頻発する。尊敬語、謙譲語、丁寧語をごちゃまぜにして使う。乱用されれば、誤用が増えるのが当然だ。
応対は完ペキだが
しかし、一生懸命に敬語が使われているのに、高野さんの耳には快く響かない。
「いんぎん無礼に聞こえるからですよ。本当にそう思っていないのに言葉だけバ力丁寧だから、かえって腹が立つ。そこまで恐縮してもらう必要はない、と思っている人が多いのではないでしょうか」
と、高野さんは感じる。
国語学の岐阜大学教育学部助教授佐藤貴裕さんは、パソコンを使っていて疑問が生ずると、メー力ーの相談窓口に電話をかける。女性のよどみない応対に迎えられて、さっそく用件を切り出す。マニュアルがあるらしく、応対用語は完璧。それで用事が済むかというと、それは別。答えられるだけの十分な知識がなかったり、相手の役に立とうという意識も薄かったりで、会話はちぐはぐ。
「質問にちゃんと答えることよりも、応対の仕方で不快感を与えないことを重視しているのでしょうか。敬語でお化粧するのはかまいませんが、化粧が目的になると、本末転倒ですよね」
と、佐藤さん。
ビジネス会話がなぜ、過剰に敬語化していくのか。
例えば県内の金融機関の例。女子職員の多くは、「支店長さん」と本来敬称は必要がない職位に「さん」を付ける。お客様と接する機会の多い金融機関では、より丁寧な言葉使いを求められるので、「さん」がごく自然にでてくる。時代背景として経済社会のサービス化がソフトでマイルドな応対用語を求めるようになったのだ。そうした分野への女性の進出が、丁寧語、美化語の使用に拍車をかけてもいる。
誤りでも敬語は敬語
人間関係が希薄な建前社会が敬語をはびこらせている、と指摘するのは、東海女子短期大学助教授(秘書実務)の高木為一郎さん。
言葉使いのミスは、トラブルのもと。ならば、言葉を使い分ける苦労をするよりも、いつでも敬語を使っていた方が無難だ、ということになってきたとみる。
敬語を使っていれば無難、という考え方は、企業ではきわめて一般的だ。大垣共立銀行研修センター調査役安藤道子さんは、行内の職員研修のベテラン。
「言葉遣いは、やはりできるだけ丁寧にするように教えますね。行き届かなくて叱られることはありますが、丁寧すぎて叱られることはまずありませんから」
しかし、心のこもっていない敬語は、逆効果だとも付け加える。最高に丁寧な敬語を覚えてもらって、あとはその場にふさわしく自分で使いこなして欲しい、と安藤さんは願う。だが、敬語を使い慣れず、知識もない人にそんな応用ができることはまれ。敬語はより了寧なランクのものが使われ、エスカレートしていく傾向という。
「丁寧そうであれば、なんでも使う。尊敬語も謙譲語も丁寧語、何でもあり。耳ざわりのいい言葉でお互いの気持ちを撫で合うようなひよわな社会になってきた」
と、高木さんの指摘。
敬語の過剰化は、どうにも止まらないのだろうか。岐阜大学の佐藤さんはいう。
「京都では泥棒にも『泥棒が入らはった』と敬語を使う。敬語が文明の都市化、情報化に比例して繊細になるとすると、今後、さらにエスカレートするかもしれない」
冒頭に登場した高木さんは、敬語を操る女子社員の表情には、カラオケを歌うときの恍惚感に似たものがみられる、という。敬語を使うと気持ちがいいのだろうか。
敬語は気持ちよい
佐藤さんは、こう看破する。
人間にとって言葉は高等技術の一つ。言葉の一瞬のやりとりで、その技術を思い通りに使いこなせたとき、快感があるのは当然。それと、人の表情は、憎しみの言葉を吐くときは醜く、美しい言葉を使うときはやさしい。敬語を駆使しているときのOLは、自分の美しさを感じているに違いない。
気持ちよい刺激はクセになる。クセになるとさらに強い刺激が欲しくなる。使って気持ちよい敬語は、いよいよエスカレートするばかりかもしれない。
「しかし、それがカラオケのような自己陶酔であっては、コミュニケーションの高等技術として敬語が備えている力の未来は危うい」
と、佐藤さんは心配する。
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古本屋にて

 ある夏の日、神田へ足を向けた。
 専門書は、その専門の在庫をほこる店では売価が高く、 一般書を中心に扱う店は安い。いきおい、あちこちを一日 中さまようことになる。が、それももう苦にならなくなっ てきた。いろんな本屋があり、いろんな本に出会い、いろ んな人と話す。本好きで聞き上手にとっては、このうえな い楽しみでもある。とは言っても、ままならぬことも一再 にとどまらない。
 この日の目当ては、近世語の概説書で絶版となったもの である。以前、図書館から借りだして座右に置いていたこ とがある。よくもここまで用例・例証を渉猟したものだと 読むたびに驚嘆し、発憤させられた。是非欲しくなってく る、そんな本である。
 N書房やY書店にも見当たらないので、S書店へ行って みる。表通りからはずれたところに店を移したので、寄ら ずにしまうことが多くなっていた。久しぶりで気もせいた が、さすがに歩き疲れた。一番暑い時間帯を過ぎたとはい え、東京の夏は蒸す。喫茶店で一服という誘惑も起こった が、すぐに立ち去るつもりで直行することにした。
 まだ日差しの強い通りから店内に入ると、一瞬、暗さに 目が慣れず、とまどう。同時に、ひんやりと心地好く、そ れでいてゆかしい古書の香りをたたえた空気が感じられる 。この雰囲気がたまらず、古本屋へ足を運ぶのかもしれな い。あいかわらず天井まで蔵書が満ちている。通路が狭く 、先客とのすれちがいが辛いのも同様だった。
 「失礼」と片手拝みで移動する。ちょっと気恥ずかしく もあり、なぜか懐かしくもある。通路が狭いため、棚の全 体を見渡すには苦労する。上にある本を見るには向かいの 棚に頭をつけ、下の本をみるには腰をつけるか、体を横に しなければならない。そうこうしてさがすのだが、目当て の本はなかなか見つからない。冷房にも慣れ、ありがたみ は薄れてくる。あきらめかけたが、一応、店主に声をかけ た。四〇代半ばと見える面長に、インテリくさい眼鏡をか けている。高校の先生といった趣である。
「あのぅ、杉本つとむの『近代日本語の成立』という本が見当たらないようですが、在庫 ありませんか」
「ウーン。あの、四六版位の、ペーパーバックの緑のやつ ね。あれ、新書版だったかな。いまちょうど切らしてるん ですよね。いや、あるところにはあって何とかしょうと思 えばどうにでもなるだけどね。イヤァ、とんでもないとこ ろにあるんですよ。ついこの間のAデパートの古本市で見 かけたやつだと思うんですが…… で、いくらか時間いた だければ、なんとかしますがね」
長い答えに面食らったが、願ってもない反応である。な にしろ、それまでの店にはなかった本である。少々の時間 は何でもない。
「ぜひ、何とかお願いします。ただ、あした仙台へ帰るの で、そちらに送ってくださいますか」
「いいですよ…… ふぅん、仙台だと東北大学の……」
「ええ、院生です…… 失礼ですが、どのくらいの値段に なりますか」
「まぁ、ものがものですからね。内容はともかく、そう高 くはできないんですよ。この手のものはね…… と、いっ ても五〇〇円や一〇〇〇円ていうわけにはいきませんけど ね…… ところで、そのあたりを専攻にするつもりなの?」 「ええ。方言と近世語のかかわりをちょっと……」
「そう。じゃぁ、手に入ったら連絡しますから。住所は… … ハイどうも。んん、でもね、専攻なんてそう簡単に決 めちゃぁいけませんよ。修士課程でしょ? じゃぁまだ、 二十三か四くらいじゃないですか? もっといろんな勉強 やって、いろんな先生の講義を聞いて、それからでいいん ですよ。専攻なんて。あせっちゃいけません」
「はあ……」
 こんな調子で、私の言葉の十倍くらいは言い返してくれ る。話好きのようである。いつもなら大喜びでつきあうと ころだが、こちらは、久しぶりの東京の夏でバテている。 早々に帰るつもりでもある。心構えのできないまま、店主 のペースに引きずり込まれてしまった。
「このあいだ本を出した○○先生だって、もう四十過ぎだ けど、まだまだこれから頑張れるって感じでしょ。じっく り自分の道を見つければいいんですよ」
 これが皮きりとなって、諸先生の学問への情熱の話など が続く。汲めどもつきぬ、といった風である。感動させら れたかと思うと、思わず笑わされたりする。歯切れよく、 厭味のない口調に引き込まれてしまう。こんなときは適当 に相槌を打つだけでも楽しい。だが、時間はたち、のども 渇いてくる。
「ところで、東北大も、最近あまり本を買ってないでしょ 。一時はかなり注文があったんだけどね」
「ヘぇ。そんなことまで分かるんですか」
「このくらいのことを知らないようでは、神田に店は出せ ませんよ。ハハハ……」
 聞こし召しているのだろうか。あちこち歩きまわって、 もう帰ろうというときに、小一時間も相手となった。潮時 を悟ってもらうつもりで、手にあった本を示す。が、反応 がない。さっきの続きである。
「ほんとに、いろんな先生の講義を聞くことほど勉強にな ることはありませんよ。そのつもりで頑張んなさい」
「はァ」
 この際、余計な口は挟まないほうが賢明のようである。 面白い話だけれど、そろそろ切り上げてくれないものだろ うか。帰りの国電で立ちっぱなしかも知れない。それを考 えると少々うんざりしてきた。どこかに椅子はないか。水 くらい出してくれないだろうか……
 しばらく話を聞き、途中で、本の件を丁重に頼み、辞去 した。珍しく音を上げてしまった恰好である。
 一学生に過ぎない私に、なぜ、あのように話したのだろ うか。もともと話し好きなのか。陽気のせいでもあるまい 。いろいろ考えても分からない。どうも最近、変な人に好 かれて困る。まぁ本は手に入るのだから……などと帰りの 車中で考えたものだ。話しの中身よりも、長居したことだ けが澱のように残っていた。
 二週間ほどして頼んだ本が届いた。今までに見たことも ない、箱入りでハードカバーの増補訂正版であった。

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推理小説を読むたびに

 推理小説に「歴史推理」という分野がある。現代人や物故した著名人を探偵役にして、 一見よどみなく流れる史実の連続からあらたな問題をほりおこし解決するという趣向が多 いようである。また、史学の方面でも未解決の問題にいどんだ作品もある。そのほかにも 、いくつかの傾向の作品があって、なかなかおもしろく読める。
 最近読んだものでは、森鴎外を探偵役にした海渡英祐『伯林−一八八八年』、芥川龍之 介や折口信夫を駆使する井沢元彦の作品がよかった。が、豪勢な探偵役も、読むうちに、 その功徳は不思議なほど感じられなくなる。やはり、みどころは、文献資料の解釈である と思う。すばらしい着想も、資料のためにがんじがらめになる危険もある。そこで合理的 で斬新な解釈を披露してもらいたいのである。
 この点、高橋克彦の作品はいい。なかでも『写楽殺人事件』と『北斎殺人事件』は、傑 作だと思う。どちらも現代の浮世絵研究家が活躍し、写楽¥H田藩蘭画家説や北斎隠密説 を検証するものである。いくつか調べてみたが、文献資料にも忠実で、史実の解釈・再構 成はこってりとした構築感を味わえる。近世だと資料も豊富で、空想の羽をのばしにくい と思うのだが、みごとに読んでしまう。からんでくる役者も一流で、登場するのも無理が ない。
 高橋の作品に私淑するのには、まだ理由がある。『倫敦暗殺塔』や『歌麿殺贋事件』な ども含めて、登場人物が「人間」であることである。過去の疑問を現代の探偵役が解いて いく。しかし、彼も事件の渦中にのみこまれ、煩悶する…… 「血の通った」人間がうご きまわる、そこに、高橋作品の面目があるのではないか。
 また、分野は異なるが、研究が舞台なので、事実が一つ一つ確認されていく過程には釘 付けになるし、登場する研究者の考え方には「わかる」ものが多い。おそらく、高橋が登 場人物をして言わせているのだろう。たとえば、『北斎殺人事件』では、塔馬双太郎にこ んなふうに言わせている。
「まさか。北斎が金持ちだったと津田君から教えられたからだよ。ものの見方ってヤツは 新しい事実のために百八十度転換する……」
「金持ちと分かれば、北斎ほど不審な行動をとった人間はいない。一挙に謎が噴きだして くる。まりも羊羹みたいにね」
だから、登場人物に同志のような愛着も感じてしまう。高橋自身、「研究」を意識して書 くこともあるらしい。『写楽殺人事件』についてはこんなコメントもある。
 秋田蘭画説には、ほとんど物的証拠らしきものがない。すべて状況証拠というものばか りだ。だからこそ、論文では発表できなかった。小説の形で示唆する以外に方法がなかっ たのである。(『浮世絵ミステリーゾーン』講談社)
一方では、こんな「小説」が、うらやましくもあるのである。

 将来、東京アクセントは、平板一型になってしまう、と思うことがある。似たようなこ とは何かで読んだ気もするが、ともかく、その徴証とおぼしい現象は認められる。
 高校までは、私の「図書館・バイク」のアクセントは、トショカン〇●〇〇・バイク●〇〇であった。 大学に入ってトショカン〇●●●・バイク〇●●ときくたびに鳥肌がたったが、いまでは使うこともある 。こうした平板化は、そのものの専門家や親しみのある人々に多いように思われる。ジャ ズが好きな人は、(カウント)ベイシー〇●●●と言うことが多いのではないか。
 これは、なしくずしの変化というよりも、かたくいえば、文節の切れ目の表示を、より 単純な方法で実現しようとすることに由来するものではないかと思う。ただし東京アクセ ントの一拍目の低まりは音韻論的な意味がよわいから、バイク〇●●がバイク●●●として、トショカ ン〇●●●がトショカン●●●●として許容される。だから、東京アクセントの変化の原因が、私の推測ど おりだとは限らない。もちろん、文節の切れ目の表示を目的として一拍目の低まりが意識 され、音韻論的な意味をもつようになることも考えられるわけだが……
 こんなことを小説で書けたら面白いだろうに、などと思うことがある。似たようなこと は、他にもあるが、予測の確認がいつになるのか分からない。自身で確認することはでき ないだろうという見当がつくに過ぎない。

 そういえば、高橋の作品にこんな一節があった。
 ……君は私の弟子だ。君はどう思っているかしらないが、君を育てることができて私は 満足している。浮世絵の研究は今後百年も二百年も続いていくだろう。それを思えばひと りの努力など高がしれている。本当に研究者がしていかなければならないことは、それを 続けていくための後継者を育てていくことだ。その意味から私は満足していると言うのだ ……
いまの私の年令や立場からではまだ強く意識されてこないが、東京アクセントの将来のこ となどを考えるとおぼろげながらも感じられるのである。
                 一九八九・二・一二
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ワインと奇跡から

「ところで、ワインを飲むのに、男性と女性のどちらが先か御存知ですか……」
と、あるものが謎をかけてきました。会食になるとなぜか下手物食いの話になり、その くせ気持ちが悪くなってしまう面目ないメンバーの集まりでしたが、今宵こそは失地回復 と上品な話になったのです。私も、ワインは好きですし、後学のためにも関心のある話題 です。やはり、西洋のものゆえ、レディーファーストでしょう……
「いえいえ、男性が先なんですよ。男のほうが、味見をするのがエチケットなんです」
いや、そんなのは西洋でのこと、そのような形式にとらわれているのは植民地根性のな せるわざ、ここは日本だ、ワイン後進国らしく通暁しているものが先に飲むべしと、民族 意識の発揚もあってかレディーフアースト発言も棚に上げられ、衆議一決となりました。 私も、この意見に従ったものです。
  ◇   ◇   ◇
 林海峰九段(囲碁)は、対局になるとその集中力のゆえか食事が満足にとれず、プリン 二個で済ませているそうです。「プリン二眼で効率よく生きる」(小川誠子女流鶴聖)わ けです。私は、こういう人が好きなので、尊敬もし応援もしてしまいます。
 今年(昭和六二年)の名人戦は林九段が加藤正夫名人に挑戦となり期待も弥増したので すが、〇勝四敗で苦汁をなめることになってしまいました。中には「二手打ち」(交互に 打たず、二度続けて打つ反則)の負けもあり、林九段にとっては無念このうえない七番勝 負だったと思います。同情を禁じえません。
 が、私は、林九段が三連敗した時点でも、まだ勝機はあると応援していました。残り四 局を連勝しなければならない、ほとんど奇跡に近い勝ちかたですが、すでに林九段は二回 も成し遂げているのです。
 名人戦(昭48) 林海峰名人×石田芳夫 勝者・林 本因坊戦(昭58)趙治勲本因坊× 林海峰 勝者・林 棋聖戦(昭58) 藤沢秀行棋聖×趙治勲 勝者・趙 名人戦(昭59)  趙治勲名人×大竹英雄 勝者・趙
 いずれも、林九段と趙九段の業績ですが、林九段は、本因坊戦(昭和58年)で趙九段を 敗ってますから、一枚上手という評判です。それはともかく、あと一敗で敗退という、敗 局数からも精神的な圧迫からも極限の状況に立たされながら逆転するという「奇跡」が、 実はこれだけあるのです。むしろ、これらは奇跡でない、本当の奇跡は「三連勝三連敗一 勝」であるという人もいるくらいです(以上は、竹宮正樹本因坊の『竹宮正樹のふと気が つけば大宇宙』)。
    ◇   ◇   ◇
 このワインと奇跡の話は、本物とか本質とかいうものが実は別のところにあるというつ もりで致しました。一見本来的なものが実はそうでない、あるいは形式の方を重視してし まう。似たような事例は身のまわりにも多くありそうです。私も、知らぬ間に、また、生 活面や雑務の上では故意に、形式に頼ることがあります。が、本業のほう繙繧ニいっても 事象の捉えかたや考察そのもの繙繧ナは可能な限り回避したいと思っています。形式を重 んじることに異論はありません。がその前に、重んじるに足る形式かどうかの吟味は省け ないと思います。本質を反映する形式か否かの検証、と言い換えてもよいでしょう。

 世間の人には、国語学者というと、敬語の達人で、日本語の御意見番だという意識があ るかもしれません。他人の仕事は、結局、経験しないかぎり本当には分からぬもののよう ですから、しかたのないこととも思います。しかし、もし、国語学者が「私(の考えが) が日本語だ」という意識を持つとしたらどうか。「国語学者」という肩書を背景にして、 変な規範意識を押しつけていく。これこそ、日本語にとって最大の不幸だと思います。
 昨今、日本語の乱れを嘆く声が大きいようです。「日本語の乱れ」というとき、何を基 準として乱れというのでしょうか。多くの場合、それは、「乱れ」を嘆く人が使用してき た日本語です。どうも、こういう議論には、自分の尺度で決めつける傲慢さが感じられ、 ついていけません。そして、このことは、数千年生き抜いてきた日本語・日本文化に対す る冒涜とも言えるのではないでしょうか。世に連れ、種々の言語表現を可能にしてきた日 本語。それこそが日本語の歴史ではないでしょうか。どうも金科玉条のように日本語とい うものを考えがちのようです。日本語とは固定したものではないのではないか、数千年生 きてきたその課程こそが日本語なのではないかと思います。
 あるいはこれ以上変化させたくない気持ちもあるのかも知れません。が、そんなことが 実行に移されたなら、そのときから日本語の崩壊が始まるような気がします。日本語の歴 史をふりかえるとき、動きつづけ揺れつづけることこそ、日本語が生き残るための唯一の 可能性であったと思います。そのような柔軟性が失われたとき、他の言語が日本語にとっ てかわる時だとおもいます。
 したがって、私の頭の中では、国語学者の存在価値も、日本語の御意見番ではなく、日 本語の歴史を説き、日本語の未来をひとびとに知らせ、日本語をはじめとする言語に対し て正しい認識を持たしめることを仕事にしているものです。ずいぶん高邁なことを言いま したが、これが本当の国語学者であると思います。形骸を教えるのではなく、本質を一緒 に考えていく、私の理想とする国語学者です。

 本質への道は遠いのかもしれません。中島みゆきではありませんが「包帯のような嘘」 を幾重にもまとっているのかも知れません。あるいは、すぐにわかってしまう、人間のほ うが悟りやすくできているのかも知れません。が、それでもやはり、もっと目を見開いて いかなければならないと自戒の念を深くしている次第です。もちろん、これは心眼とでも いうべきものについてのことです。実際にはどうかといいますと……
  「独眼竜正宗」(NHK)が、十三日に終わった が、思わぬ発見をした人が日本中 に意外と多いので はと思う。というのは、私は町の小さな眼科医院の 医師だが、「正 宗は不自由だろうな……」と、ドラ マを見ながら片目をふさいでみたら何も見えなくて 、 驚いてやってきた患者さんが二人もいたからです。 片方の視力がよいと、案外と他 方の視力低下に気付 かぬもの。みなさん、たまには片目をふさいでみて 下さい。(東 京都中央区・横山正子=w朝日新聞』 昭和62年12月17日「はがき通信」)
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折り鶴

 最近、折り鶴の「つなぎ折り」に凝っている。
 睡眠不足の原因ともなっている。論文が遅れる理由にもできない。やっかいものをまた 背負いこんだ。
 三年ほど前、一枚の紙で男雛女雛が折れる工夫を新聞で見た。手順に従って折ると結構 なものに仕上がったので、翌日、研究室でも折ってみた。他の人も熱中して、かんむりや ぼんぼり・台座・金屏風まで用意された。なかなか見栄えがする。捨てるに忍びなく、三 月三日が過ぎても準備室の一角に鎮座していたものである。当時の関係者が良縁に恵まれ ないなら、その遠因は私にあるのだろうか。皆様、早く良き伴侶とめぐり会いますようお 祈り申しております。とは言え、私もまだである。祈る資格はないかもしれない。
 しかし、この前科だけでは、いまの凝りようの由来が説明できそうにない。ことの顛末 を追うことにした。
 一つには、折り鶴が一枚の紙から出来ることにあるようだ。二次平面が三次元のものに なる。均整のとれた立体。直線の交差の妙。可憐さ…… 器具を使わずにこれだけの造形 を成しうるところ、まさに究極の手技とも思えてくる。他の折り紙は寄り付くこともでき ない。三次元空間を二次元へと還元する写真の場合と、ちょうど逆の関係なのも面白い。 が、どうも、この説明も理が勝ち過ぎて、しっくりこない。
 最近、佐野洋の推理小説にも私淑している。さり気ない文体とどんでん返しの以外さが 魅力である。その一冊に『折鶴の殺意』(文春文庫)があった。折り鶴に造詣の深い県警 刑事部長が難事件を解決していく連作物である。もちろん、「折り鶴」はつなぎ折りであ る。彼の、つなぎ折りとの出会いは、入院中に読んだ折り紙教本の付録 『千羽鶴折形』( 魯縞庵義道・寛政9〔一七九七〕)だという。この本は、「折鶴をいろいろにつなぎ折り する方法(用紙の形、でき上がり図)が、四十九種取り上げられている。その四十九種を 折り上げると二百八十七羽の折鶴ができる」というものである。紹介はしたものの、スト ーリーを追って推理するのが楽しく、珍しい本もあるものだと思うだけで、『千羽鶴折形 』を取りよせる気も起きず、折り鶴も大して気にならなかった。
 ところが、この二月になって、つなぎ折りの鶴を偶然見た。バイト先の控え室の卓上に 、ベージュの包装紙で折られたのがのっている。親鶴が子鶴の、子鶴がさらに小振りの鶴 の尾をくわえている。日常、折り鶴を見ることが少ないだけに新鮮に感じたが、なぜ三羽 がつながるのか、どう折るのか、不思議であった。現物を目のあたりにして、衝撃は小さ くなかった。ただ見とれるばかりだった。小説のこともなぜか思い出さなかった。
 それでも何とかコツを知り、早速折ってみた。親鶴が子鶴に餌を与えているものである 。コツとはいっても、長方形の紙を大小二つの正方形の組みに切り、わずかなつなぎ目を 残して境目に鋏を入れる。あとは、それぞれを鶴に折るだけである。第二作目は、もう一 羽の子鶴を翼の先でつなぎ、兄弟の鶴が餌をもらう図とした。小さな正方形をもう一つ追 加するだけである。何のことはない。簡単なことだ。
 このあたりから、『折鶴の殺意』がちらつきだした。刑事部長が見たがった「巣籠」と はそんなに難しいものなのか、彼が考案した「親子鶴」はどう折るのか。とうとう、我慢 ができなくなった。
 注文するのももどかしい。早速、丸善へ行き、本をあさる。手にしたのは『最新・折り 紙のすべて』(笠原邦彦・日本文芸社・昭和61)である。『千羽鶴折形』は全編が収めら れていた。仕上がり図と用紙を見る。驚くほかなかった。例の「巣籠」は親鶴の背に子鶴 が乗ったもので、見た目にも可愛らしく素朴でもある。なんとか折れると思われた。が、 用紙は、大きな正方形の対角線上に四箇所゚型の切りこみが入っている。正方形の中にも う一つの正方形を作るのだ。先に試作した二つの用紙とは根本から異なっている。普通の 折り方でないことは察せられるが、折りの実際はまったく想像もつかない。華麗な「迦陵 頻」は何とその五段重ねである。切りこみは五重の入れ籠になっている。「早乙女」は、 親鶴の翼の両先を子鶴の翼の両先でつなぐものだった。明朗な姿である。が、つなぎ方が 分からない。そのうえ、切りくずを出さないという制約もある。どうも勝手が違う。笠原 氏も細部の折り方は示さない。なんと不親切な本かと思ったものである。
 それでも、ヒントぐらいはと、ひっくり返していると「折り方のコツ」があった。菱形 までの折り目を、たたまずに付けるのである。手間はかかるが、これを知らないと『折形 』の鶴は半分以上が折れないらしい。普通の折り方では、弱いつなぎ目が損なわれてしま うからである。これさえ分かればあとは工夫次第と思われた。
 小手調べに「巣籠」から折りはじめる。先に子鶴を折り、折り残しを正方形に集め、親 鶴を作る。「ヒント図」のおかげで段取りは思い浮かんだが、やってみるとほねであった 。どうしてもつなぎ目が切れてしまうのである。以前なら、その場でまるめて投げ捨てる のだが、ここ数年、根気のほうは大分養われてきていた。なおも、うなりながら折る。冷 やかす人も来る。が、有志も現れた。結局、柴田雅生君が仕上げたが、それでも、つなぎ 目が一箇所こわれてしまっていた。
 とても「迦陵頻」どころではない。私は「巣籠」も諦め、他のものを折って修行を積む ことにした。日夜量産している次第である。
     ◇   ◇
 修行の成果を披露できるのは、いつのことか覚束ないが、知見が一つ増えた。つなぎ折 りが、他の折り紙と同列のものでないことを知ったのである。折り続けていると、用紙の 切りこみ方、鶴の重ね折りなども分かってきた。応用すれば新作も折れる。が、私が楽し んでいるのは、切り方と折りの組み合わせなのに気付いた。つまり、パズルとして楽しん でいるのである。笠原邦彦氏もその妙味を十分知っていて細部までは教えない。そして、 仕上がり図と用紙しか示さぬ魯縞庵も、読者に謎をかけているに相違ない。彼らは、教え ることが容易なのを十分に知っているのだろう。あるいは、ささやかな功名心を満足させ るために言いたいのかもしれない。が、敢えて言わない。言わないことで一つの実に楽し いゲームを提供してくれた。粋なはからいである。大人の遊びである。知っていることを ことごとしく暴露するような子供ではない。そして、つなぎ折りも、決して童幼の慰みも のにとどまらない。
     ◇   ◇                
ここまで来て、私が興味を持つものはみな、実はパズルなのではないかと思えてきた。写真にしても、遠近感の再現より も、被写体を図形として捉えその組み合わせの面白さを狙いがちである。推理小説も、推 理そのものにパズル的な側面がある。音楽にしても、よい音とメロディを聞くのも好きだ が、構築感のあるものも聞きたくなる。どれも組み合わせが妙味であり、パズルそのもの ではないかもしれないが、通ずるものは大いにある。
 こうなると、本業の方も同様のおそれがある。事実、翻刻のほかは、この種の、手掛か りから推理し立論するものが主である。実は、翻刻も、推理が必要なことが少なくなく、 施注の作業は、参考文献を探しあてるのにも勘がものをいう。楽しい作業であった。
 どうも、私には、パズル解きの素質があるらしい。
 が、自分の限界が見えた気もする。これからさきも、好むものは、みんなパズルの要素 がからんでくるのではないか。少なくともそのような面を見出せない限り、好んでやる対 象にはならないのではないか……
 少し書きすぎたようである。
 つなぎ折りがパズルであることまで言ってしまった。発見の楽しみを一つ奪ってしまっ た。もうこの辺りで退散したほうが身のためらしい。私も大人になりたくなってきた。笠 原氏や魯縞庵をみならうことにしよう。
        (一九八七・三・一)

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キャサリン・マンスフィールド『園遊会』

 一〇年ほどまえの感想は、大きく変更しなくてよさそうだ。
 園遊会の準備にいそしむローラは、階級差別を馬鹿げたものと思える少女でもある。ふ と耳にした、近所の貧しい男の事故死。彼女は園遊会の中止を提案するが、大人たちはと りあわない。ローラは、ひとり贈り物を男の家に届け、死に顔に接する。それは「わたし は、満足している」といった「美しい」「驚異」に見えた。
 が、私には、その帰途に出会った兄との会話が不自然に思える。
「人生というものは繙縺vだが、人生とは何か、彼女には説明できなかった。それでもか まわない。ローリーはよく分かってくれた。「そういうものだろうね」とローリーは言っ た。
現実から遊離した幼い階級差別観からの覚醒がテーマなのだろう。ローリーの言葉はも とよりはまりすぎだが、「人生」を使うローラも若すぎないか。もちろん、「驚異」との 遭遇がなせる一瞬の成長などと辻褄は合わせられるが、唐突感は去りそうにない。実のと ころ、lifeの訳語として「人生・生活・生命」からの択一を迫られ た日本語の不幸なのかもしれない。ならば、「言語が世界観を規定する」というサピア= ウォーフの仮説の好例となるか。
描写も美しく、ローラの心理の揺れも読ませ、世評も高いが、いろいろ考えた一作だっ た。
    *新潮文庫・岩波文庫に所収。

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縁三話−−−仙台は遠くなったのか
                佐藤貴裕
 人生経験が残いためか、ちょっと珍しいことがあると騒ぎ立ててしまう。この文章もその賜物である。

 第一話。こんな縁があった。
 二年まえの四月一日。本当の話である。帰省ついでに悪友と一杯やることにし、京浜東北線南浦和駅で待ち合わせた。改札口が見えるところで待っていると、人波からまっすぐこちらにやってくる人がいる。悪友ではない。スーツがちょっとしっくりしないのも初々しい。私の目をみて「岐阜大学の佐藤さんでしょうか」と爽やかにズバリとおっしゃった。話をきけば照内弘通君(いがぐり番号二九四)で、私が夏休みに来仙したおり、研究室で見かけたという。よく似た人がいるものだと声をかけてくれたのだ。ありがとう。
 私は、さほどインパクトのある御面相ではない(これは嘘かもしれない)。また、人の名を覚えるのが苦手で、覚えても顔と一致せずほとんど用をなさないという情けなさである。わが身をふりかえれば、ここは彼の記憶力におくべきところである。もちろん奇遇にも。

 第二話。こんな縁があった。
これも二年まえの七月のこと。ゼミ生のMさんが卒論の相談にきた。まぁ、何をやるにも頑張りなさい、と指導とも励ましともつかぬ話のあとに雑談。彼女は、聞くものの注意をそらさないのがうまく、話題もつきない。ことにバイトの話は出色で、レンタルビデオ屋でAVのシリーズ物を記憶して顧客に応えたという、愉快な人なのである。
 聞けば伯母さまが仙台にいるとのこと。奇遇ではある。
 「で、お酒を作ってるんです。先生も飲まれたかも……」
 「えっ。天賞? 浦霞? まさか一の蔵じゃないよね」
 「それ、それです。一の蔵です!」
 あら? である。一の蔵といえば「しぼりたて」が好きだが、季節限定のもの。それをどこの酒屋が一番早く出し、また、一番遅くまで扱うか、鎌田君〈いがぐり番号二四七)と情報交換しあって求めたものである。聞けば、彼女の義理の伯父さまが、一の蔵の会長だという。いうまでもなく「しぼりたて」一件をお話したことであった。
 夏休みあけにMさんが来室した。仙台にいってきたという。「しぼりたて」一件を伯母さまに話したところ、その熱意に感激し、奇遇に驚いたそうである。
 一〇月のなかごろ、アパートに軽からぬ小包が届いた。
 Mさんの伯父さまからの「しぼりたて」二本であった。

 第三話。こんな縁があった。
 このところ節用集をおっかけている。いろいろな角度からながめているが、どんな人がどう使ったのか、言語生活史の一環として「使用の実際」も知りたくなる。文芸作品をあさる一方、知人にも念入りに御協力をあおいでいる。
 昨年の末、あるところから
節用集の展開を書けと依頼があった。未熟な私のでる幕ではないが、さる人の紹介でもあるので応じることにした。思えばこれが運の付き。きちんとした概説は前田先生(いがぐり番号八九)や他の先学のものを御参照願うことにして、少々たまってきた文芸作品などの用例をフルに使って書くことにした。
 締切日に書きあげ、投函前に一服。研究室の本をひさしぶりに整理する。三年ほど前に買った『叢書江戸文庫1漂流奇談集成」(国書刊行会)が目にとまる。内容が内容だけに底本は大丈夫かしら、と頁をめくっていると「和漢節用」と見えた気がする。僻目にや。が、確かに『南瓢記』の一節にある。これがすこぶる面白い。安南国(ベトナム)に漂着した船頭が節用集の愛用者だったことだけでも快哉なのに、節用集が漂流先で重宝し、土地の人にも珍重され、果ては安南国の宝になるというおまけつき。手の舞い足の踏む所を知らず。こんな話は一人占めにしてはいけない。できたての原稿を書きあらためることにした。
 で、何が仙台かというと、ちょっとずれるが、漂流した舟・大乗丸の持ち主が閖上浜村(ゆりあげはまむら。現名取市内)の彦十郎で、遭難したのも、南部藩の廻米を運送するため、石巻から寒風沢(さぶさわ。塩釜市内)をとおって江戸へ向かう途中でのことだったのである。
乗組員の多くもこの近辺の人だったろう。寛政六(一七九四)年、仙台弁が海をわたり、ベトナムでも聞かれたとは愉決ではないか。閖上といえば字と読みの珍しさにひかれて、五〇ccのバイクで行った思い出の地でもある。
 そんなわけで「南瓢記」は、面白さもさることながら、とても身近なものに思えた。それにしても、本は買って並べておくものではないと、何度目かの再認識をした。

 仙台をはなれて五年めになる。もう、年に一度訪れるかどうかになってしまった。が、こんな話が続くと、異次元空間ともいえぬルートがあって、何かの仕掛けでしっかりと通じているような気もする。私には、仙台が遠くなったとはとても思えないのである。
 

『いがぐり』第37号(1993)

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