初出:平成19年度岐阜大学公開講座/地域科学部企画「戦争と平和を考えるII」講義テキスト(2007年9月)pp. 35-44. 講義テキストの内容を発展させた私(内田)の論文へのリンクはこちら
*本文で言及した作品のうち、インターネット上で全文の閲覧が可能なものにはリンクを張りました。リンク先は「青空文庫」および「国立国会図書館デジタルコレクション」です。
*テキスト掲載時の明らかな誤字や年号の誤りを修正しました。(2007年12月17日)

9月29日(土) 15:00〜16:50

原民喜訳『ガリバー旅行記』を読む

内田 勝


*引用文の旧字は新字に改め、ルビの一部は省略しました。重ね字のくの字点は「/\」で表します。

1.後の時代の子どもたちへ

 詩人の長田弘は、晶文社版『原民喜のガリバー旅行記』(1977)の「解説」でこう書いています。
原民喜がスウィフトの『ガリバー旅行記』の再話を書き下ろしたのは、その死の直前のことだ。ガリバーを書きあげたあと、ガリバーが本になるのを待たずに、原民喜は自殺というしかたでじぶんの死を択んだ。原民喜が死んだのは、一九五一年三月十三日である。ガリバーが上梓されたのはおなじ年、死の三ヵ月後のことだった。[…]着物に穴をあけるほど机のまえに坐りつづけてすすめられたガリバーの再話のこころみは、原民喜にとって、どうでもよいような仕事ではけっしてなかっただろう。ガリバーを書いていた原民喜には、つぶすべき時間はすでにのこされていなかったし、スウィフトのガリバー旅行記は、原民喜というひとりの作家について決定的な意味をもった物語だった。むしろガリバーの物語をこそ、『夏の花』の作家は後の時代の子どもたちへのおくりものの本として、あらためてじぶんの手で死後にのこしておきたかったのだ。(223-4頁)
 短編小説「夏の花」(1947)をはじめとする原爆文学で知られる原民喜(1905-51)が、死の直前に後の時代の子どもたちへの贈り物として語り直した『ガリバー旅行記』(原民喜訳初版1951)は、もともとイギリス系アイルランド人の作家ジョナサン・スウィフト(1667-1745)によって書かれました。初版はロンドンで1726年に出ています。船医レミュエル・ガリバーによる「小人の国」「巨人の国」「飛ぶ島」および「馬の国」への航海記という体裁を取って、当時のイギリス社会や、ひいては人類全体の愚かさを痛烈に諷刺した物語です。
 主婦之友社から出ていた「少年少女名作家庭文庫」の一冊として出版するため、原民喜が『ガリバー旅行記』の再話に取りかかった1950(昭和25)年には、この物語はすでに日本人にとって身近なものになっていました。『ガリバー旅行記』の最初の日本語訳は、第一部の「小人の国」だけを訳した1880(明治13)年の片山平三郎訳『鵝瓈皤兒回島記』[がりばるす・しまめぐり]とされています。1909(明治42)年にはすでに松原至文・小林梧桐訳『ガリヴァー旅行記』という全訳が刊行され、昭和に入ると1940(昭和15)年の中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』(弘文堂 世界文庫)、1941(昭和16)年の野上豊一郎訳『ガリヴァの航海』(岩波文庫)といった普及版の全訳が出ていましたし、主に「小人の国」と「巨人の国」だけを語り直した児童書も多数出版されていました。
 しかし終戦直後の日本で、ガリバーの不思議な冒険物語は特別な意味を持っていました。戦後の子どもたちに向けて書かれた森田草平『ガリバー旅行記』(1948)の序文がそれを簡潔に言い表しています。
 第一の「小人国渡航記」は、人間社会の上へ出て、それを見下ろしたような話である。
 第二の「大人国渡航記」は、下から人間社会を見上げたような話である。
 第三の「浮島渡航記」は人間社会を裏返しにしたような話である。
 いずれも人間社会が引っくり返って、雀おどりを踊っているような話ばかりだ。だから、面白くもあり、可笑しくもなる。が、ただ可笑しいばかりではない。
 諸君は、このたびの敗戦によって、日本の社会が引っくり返ったことを知っていられるだろう。昔のようなひとりよがりの考え方では、もうこれからの世の中に生きては行かれない。ましてや日本の再建に貢献することなぞは思ひもよらない。
 それには、まず「ガリバー旅行記」のような本を読んで、人間社会とはどんなものであるかということをよく知ることが肝要である。上からも下からも見て、裏返して見たり、引っくり返して見たりして、よく人間というものの本体を知っておくことである。(2-3頁)
 敗戦によって「引っくり返って」しまった人間社会が、本来どんなものだったのかを改めてよく見定めるために、あえて斜[はす]から眺めてみる——原民喜の『ガリバー旅行記』もまた、こうした意図を持って語られているように私には思えます。しかも原民喜は、作中もっとも過激な諷刺である「馬の国」航海記を訳さず無視した森田草平より、はるかに本気で人間社会をひっくり返して見ることのできた人でした。なお、ここで森田草平が「ひとりよがりの考え方」を批判しているのは、原作との関連で重要です。スウィフトの『ガリバー旅行記』は何よりもまず、「ひとりよがりの考え方」に凝り固まって得意がっている人々をこそ笑いのめす作品だからです。

2.人間社会を上から見下ろす

 原民喜版のガリバーは「第一、小人国(リリパット)」で冒険の旅を開始します。17世紀の末、イングランドに妻子を残して南の海に旅立った船医レミュエル・ガリバーは、船が難破してただ一人未知の島リリパットに漂着しますが、そこはあらゆるものが通常の12分の1に縮小された小人の国でした。絵本でおなじみの、目覚めたガリバーの全身が小人たちによって細いひもで縛られている場面や、リリパット皇帝のおもちゃの兵隊のような軍隊がガリバーの股の下をくぐり抜けて行進する場面、ガリバーがミニチュア細工のような首都の街並みを見下ろしながらゆっくりと歩く場面など、楽しい場面が原民喜版でも次々と繰り広げられます。
 しかしそんなリリパットは、やはり小人の国である隣国ブレフスキュと戦争の真っ最中です。ガリバーが敵国ブレフスキュの港まで泳いで行って、先端に鉤を付けた綱で敵の軍艦を何隻もまるごとリリパットに引っ張ってくるという、これも絵本でおなじみの場面が語られます。小人国では小人たちを「上から見下ろす」立場のガリバーが圧倒的な力を持っていることも興味深いですが、ここで注目すべきは、二か国間の戦争の発端になったのが、ゆで卵の殻を割るとき、大きい方の端を割るべきか、小さい方の端を割るべきかをめぐる対立だということです。
 戦争を始めるにはあまりに馬鹿げた理由ですが、この対立はリリパットとブレフスキュの戦争ばかりでなく、リリパット国内での内乱も引き起こしてきました。しかもガリバーによれば、こうした「内乱というのは、いつでもブレフスキュ島の皇帝が、おだてゝやらせたのです。だから内乱が鎮まると、いつも謀反人[むほんにん]はブレフスキュに逃げて行きました。とにかく、卵の小さい端を割るぐらいなら、死んだ方がましだといって、死刑にされたものが一万一千人からいます。この争いについては、何百冊も書物が出ていますが、大きい端の方がいゝと書いた本は、国民に読むことを禁止されています。また、大きい端の方がいゝと考える人は、官職につくこともできません」(原民喜『ガリバー旅行記』42-3頁)。
 ここまで読めば、原作者スウィフトの同時代人には、ブレフスキュがフランス、リリパットがイギリスを指しており、卵の大きい端を割るか小さい端を割るかの対立は、カトリックとプロテスタント(この場合イギリス国教会)との対立を指していることが明らかだったのです。カトリック国フランスとプロテスタント国イギリスとの間の宗教対立などというものは、卵の大きい端を割るか小さい端を割るかと同じくらいくだらない対立だ、とスウィフトはほのめかしているのです。そんな愚かな宗教対立が原因で、たくさんの命が奪われているわけです。

3.人間社会を下から見上げる

 次の「第二、大人国(ブロブディンナグ)」では、ガリバーは巨人たちの国に漂着します。リリパットとの時とは立場が完全に逆転し、ガリバーはこの国の生き物にいつ食い殺され、踏み潰されるかわからない、弱くはかない存在になってしまいます。リリパットでは下界で起こっていることすべてを客観的に見下ろす目を持っていたガリバーですが、ブロブディンナグでは事態のすべてを見渡すことなどとてもできず、つねに死と隣り合わせの哀れな小動物として、何が起こっているのかわけのわからないまま、自分を上から襲ってくる恐ろしいものから逃げ回ることになります。蜂、ネズミ、猿、人間……さまざまな生き物が次々に彼を襲います。
 巨大な麦の立ち並んだ畑の中で、鎌を手にした巨大な農夫たちから逃げているガリバーの描写を読んでみましょう。「私は、できるだけ遠くへ逃げようとしましたが、この逃げ路が、なか/\難儀でした。なにしろ、株と株との間が一フィートしかないところもあります。これでは、私の身体でも、なか/\通りにくいのでした。[…]。そうこうしているうちに、鎌の音は、百ヤードとない後から、近づいて来ます。私はすっかり、へたばって、もう立っている力もなくなりました。畝[うね]と畝との間に横になると、いっそ、このまゝ死んでしまいたい、と思いました」(75頁)。
 必死で逃げるガリバーは、1945年の広島で、アメリカ軍の空爆におびえて逃げまどう原民喜の姿を思わせます。「壊滅の序曲」(1949)に民喜自身と思われる人物が描かれています。「正三もまたあの七月三日の晩から八月五日の晩——それが最終の逃亡だった——まで、夜間形勢が怪しげになると忽[たちま]ち逃げ出すのであった。[…]。……ある町角を曲り、十歩ばかり行くと正三はもう鳴りだすぞとおもう。はたして、空襲警報のものものしいサイレンが八方の闇から喚きあう。おお、何という、高低さまざまの、いやな唸り声だ。これは傷いた獣の慟哭[どうこく]とでもいうのであろうか。後の歴史家はこれを何と形容するだろうか」(『夏の花・心願の国』128-9頁)。
 『ガリバー旅行記』では、小人の国リリパットの次に巨人の国ブロブディンナグでの体験が語られることで、人間社会を「上から見下ろす」視点と「下から見上げる」視点の違いがはっきりしてきます。人形のように清潔で美しかったリリパットの人々に比べ、巨大な体を持つブロブディンナグ人たちは、たとえ王侯貴族であっても、何よりもまず不潔でグロテスクな肉体としてガリバーの目の前に立ち現れます。ガリバー自身も、一種の全能感を持つことのできたリリパットに比べ、ブロブディンナグでは、何かの偶然で簡単に屍体と化してしまう、死すべき肉体としての自分をつねに意識せざるをえなくなります。
 巨人の国で「下から見上げる」ことしかできないガリバーは、つくづく人間の肉体性を思い知らされる視点を手にします。リリパットで「上から見下ろす」彼が手にしていた、物事の全体像を把握し思い通りに操作する力を与えてくれる視点とは大違いです。言わば、「上から見下ろす」のは精神=〈あたま〉の視点であり、「下から見上げる」のは肉体=〈からだ〉の視点だ、と言うことができるかもしれません。
 生井英考著『空の帝国 アメリカの20世紀』に、こうした二つの視点に関する興味深い指摘があります。作家の佐多稲子(1904-98)は戦時中、中国大陸での日本軍の空爆を軍用機に乗り込んで上空から眺めた体験を持つとともに、東京でアメリカ軍の空爆を受けた体験も持っており、両方の体験についてエッセイを書いているのですが、自分の街が空爆を受けた恐怖を生々しく語っているのに比べ、空爆を空から眺めるときには、焼夷弾に焼かれる街で逃げまどっているはずの人々にまったく思いを馳せていません。それは決して佐多稲子個人の問題ではなく、「上から見下ろす」視点と「下から見上げる」視点それぞれが持つ特徴なのです。
 ひょっとしたら、大上段に構えて天下国家を論じるとき、私たちはつい「上から見下ろす」視点で世の中を眺め、「下から見上げる」視点を忘れてしまっているのかもしれません。
 ところでブロブディンナグはその地形上、周囲の国々から隔絶されているため、軍隊は持っていますが外部に敵がいません。そのためブロブディンナグ人は火薬や大砲、爆弾について何も知らないのです。ガリバーがブロブディンナグの国王に火薬や爆弾の威力を得々と語ったとき、国王は憤然として叫びます。「よくも/\お前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱けるものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない」(123-4頁)。もちろんこの場面は原作に忠実な再話なのですが、原民喜が爆弾——とりわけ原子爆弾——に対してどういう思いを抱いていたかを考えれば、ブロブディンナグ王の言葉の背後に原民喜自身の憤りが透けて見える台詞です。

4.「コレガ人間ナノデス」

 「第三、飛島(ラピュタ)」でのガリバーは、磁石の反撥力を利用して空に浮かぶ島ラピュタ、ラピュタの真下の陸地にある都市ラガード、さらにラピュタの周辺にある、日本を含むいくつかの島々を訪れます。ガリバーが日本のエドで「皇帝」に謁見し、踏絵をさせられそうになる場面も興味深いのですが、「上から見下ろす」および「下から見上げる」視点の話との絡みで重要なのは、頭でっかちで現実に対処する能力に欠けたラピュタ人たちの挿話です。
 空飛ぶ島という、まさに下界を「上から見下ろす」環境で暮らしているラピュタ人は、自らの〈からだ〉や現実世界をなおざりにして、〈あたま〉の中の世界に没頭しています。いつも深遠な考え事にふけっていて、ときどき召使がハタキのようなもので軽く叩いてあげなければ、他者とのコミュニケーションもままなりません。しかしいくら複雑なことを考えていても、現実に対しては無力で、「定規や鉛筆でする紙の上の仕事は大へんもっともらしいのですが、実地にやらしてみると、この国の人間ぐらい、下手で不器用な人間はいません。彼等は数学と音楽には非常に熱心ですが、そのほかの問題になると、これくらい、ものわかりの悪い、でたらめな人間はありません」(142頁)。
 下界の人間たちもラピュタに影響され、ラガードに学士院を作ります。ここでは農業や商工業など実用に役立つという触れ込みでさまざまな研究が行われているのですが、実際には学者たちがオタク的な深みにはまっていくばかりで、何の結果も出せていません。胡瓜[きゅうり]から日光を取り出す研究、人間の排泄物をリサイクルして食べ物に変える研究、政党同士の争いを調停するために、議員の頭を二つに割って反対派の頭と半分ずつ取り替える研究……。ラピュタやラガード学士院の人々は、自分の〈あたま〉の中の思い込みに没頭するばかりで、他者からそんな自分がどれほど愚かに見えているかに気がつきません。
 〈あたま〉の中の思い込みに閉じこもるラピュタ人の狂気は、原民喜が渡辺一夫(1901-75)のエッセイを引用しながら語った文章「『狂気について』など」(1949)の一節を思わせます。「僕たちはつい昨日まで戦争といふ『狂気』の壁に取まかれてゐたが、その壁ははたしてほんとに取除かれたのだらうか。(人間が自分の『思ひこみ』を反省できないばかりか、自分の主義主張の機械になり、いつの間にかがら/\まはり出す)危機が向側からやつて来ないと断言できるだらうか」(『日本の原爆文学1』256頁)。
 人間が〈あたま〉に偏ることの危険を知っていた原民喜は、〈からだ〉に還元されてしまった人間を描くことを余儀なくされた作家でもありました。代表作「夏の花」の一場面を見てみましょう。原爆投下直後、広島市内を流れる川の岸辺に逃げてきた人々を描いた場面です。
水に添う狭い石の通路を進んで行くに随[したが]って、私はここではじめて、言語に絶する人々の群を見たのである。既に傾いた陽ざしは、あたりの光景を青ざめさせていたが、岸の上にも岸の下にも、そのような人々がいて、水に影を落していた。どのような人々であるか……。男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかない程、顔がくちゃくちゃに腫[は]れ上って、随って眼は糸のように細まり、唇は思いきり爛[ただ]れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横[よこた]わっているのであった。私達がその前を通って行くに随ってその奇怪な人々は細い優しい声で呼びかけた。「水を少し飲ませて下さい」とか、「助けて下さい」とか、殆どみんながみんな訴えごとを持っているのだった。(『夏の花・心願の国』149-50頁)
 同じ情景は、連作詩「原爆小景」(1950)の一篇「コレガ人間ナノデス」ではこう表わされます。「コレガ人間ナノデス/原子爆弾ニ依ル変化ヲゴラン下サイ/肉体ガ恐ロシク膨脹シ/男モ女モスベテ一ツノ型ニカヘル/オオ ソノ真黒焦ゲノ滅茶苦茶ノ/爛レタ顔ノムクンダ唇カラ洩レテ来ル声ハ/『助ケテ下サイ』/ト カ細イ 静カナ言葉/コレガ コレガ人間ナノデス/人間ノ顔ナノデス」(『日本の原爆文学1』233頁)。
 ここでの原民喜は、「コレガ人間ナノデス」と何度も繰り返すことで、このように圧倒的な暴力によって人間が〈からだ〉に還元されてしまう状況が、単にどこか遠い場所で見知らぬ人々の身の上に起こったことなのではなく、同じ人間であるあなたや私の身の上にも起こりうることを思い起こさせようとするかのようです。
 「鎮魂歌」(1949)での、原爆によって屍体と化した人々の描写は衝撃的です。「人間の死体。あれはほんとうに人間の死骸だったのだろうか。むくむくと動きだしそうになる手足や、絶対者にむかって投げ出された胴、痙攣して天を掴[つか]もうとする指……。光線に突刺された首や、喰いしばって白くのぞく歯や、盛りあがって喰[は]みだす内臓や……。一瞬に引裂かれ、一瞬にむかって挑もうとする無数のリズム……。うつ伏せに溝に墜ちたものや、横むきにあおのけに、焼け爛[ただ]れた奈落の底に、墜ちて来た奈落の深みに、それらは悲しげにみんな天を眺めているのだった」(『夏の花・心願の国』209頁)。
 こうした状況を、私たちはなかなか我が事として受け止めることができません。原民喜は作品集『夏の花』(能楽書林、1949)に収められたエッセイ「平和への意志」で語っています。「一人の人間が戦争を欲したり肯定する心の根底には、他の百万人が惨死しても己れの生命だけは助かるといふ漠たる気分が支配してゐるのだらう」(『日本の原爆文学1』273頁)。人間社会を「上から見下ろす」視点と「下から見上げる」視点のバランスを保つことは、決して簡単な作業ではないのです。

5.不思議なヤーフ

 ガリバー最後の冒険「第四、馬の国(フウイヌム)」には、理性を持った馬フウイヌムと、理性を持たない人間ヤーフという、二種類の動物が登場します。青毛のフウイヌムに仕えることになったガリバーは、主人となったフウイヌムの家で家畜として飼われているヤーフの外見が、人間そっくりであることにショックを受けます。「私はそばにいるいやらしい動物が、そっくり人間の恰好をしているのに気がついて、びっくりしました。[…]この動物は人間より毛深くて、皮膚の色が少し変っているだけで、あとは身体中すっかり人間と同じことです」(187頁)。
 理性を持った馬たちの国には「戦争」というものがありません。ガリバーは主人に向かって戦争とは何かを解説しようとします。
「今、イギリスとフランスは戦争をしているのです。これはとても長い戦争で、この戦争が終るまでには、百万人のヤーフが殺されるでしょう。」
 すると主人は、一たい国と国とが戦争をするのは、どういう原因によるのか、と尋ねました。そこで、私は次のように説明してやりました。
「戦争の原因ならたくさんありますが、主なものだけを言ってみましょう。まず、王様の野心です。王様は、自分の持っている領地や、人民だけで満足しません。いつも他人のものを欲しがるのです。第二番目の原因は政府の人たちが腐っていることです。彼等は自分で政治に失敗しておいて、それをごまかすために、わざと戦争を起すのです。
 そうかとおもえば、ほんのちょっとした意見の食い違いから戦争になります。たとえば肉がパンであるのか、パンが肉であるのかといった問題、口笛を吹くのが、いゝことか悪いことか、手紙は大切にするのがよいか、それとも火にくべてしまった方がよいかとか、[…]そのほか、まあ、こんな馬鹿馬鹿しい争いから、何百万という人間が殺されるのです。しかも、この意見の違いから起る戦争ほど気狂じみてむごたらしいものはありません。
 ときには、二人の王様が、よその国の領土を欲しがって、戦争をはじめる場合もあります。またときには、ある王様が、よその国の王から攻められはすまいかと、取越苦労をして、かえってこちらから戦争をはじめることもあります。相手が強すぎて戦争になることもあれば、相手が弱すぎてなることもあります。また、人民が餓えたり病気して国が衰えて乱れている場合には、その国を攻めて行って戦争してもいゝことになっています」(197-8頁)
 ほとんど戦争が起こるあらゆる原因を網羅したかのような、うまい説明です。続けてガリバーは、ここでも人間の武器の威力を語ります。「私はわが国の軍隊が、百人からの敵を囲んで、これを一ペんに木っ葉みじんに吹き飛ばしてしまうところも、見たことがあります。また、数百人の人が、船と一しょに吹き上げられるのも見ました。雲の間から死体がバラ/\降って来るのを見て、多くの人は万歳と叫んでいました」(199頁)。
 ガリバーの話を聞いた主人は、人間がヤーフであるという確信をますます強めます。「お前たちと、この国のヤーフとは、身体の恰好がよく似ているだけでなく、心の方もよく似ていると思えるのだ。ヤーフどもがお互に憎み合うのは、ほかの動物には見られないほど猛烈なもので、[…]この国のヤーフどもの争いも、お前が言ったお前たちのその争いも、どちらも、どうもよく似ているのだ。[…]こゝにヤーフが五匹いるとして、そこへ五十人分ぐらいの肉を投げてやるとする。すると、彼等はおとなしく食べるどころか、一人で全部を取ろうとして、たちまち、ひどいつかみ合いがはじまる。[…]。また、あるときは、何の理由もないのに、近所同士のヤーフどもが、同じような戦争をはじめる。つまり近所同士で、折もあらば不意をおそってやろうと、隙をねらっているのだ」(201頁)。
 主人の理性的な思考や生活態度に感化され、フウイヌムの美徳に心酔していくガリバーは、その一方で自分の外見が汚らわしいヤーフに他ならないことを恥じ、せめて話し方も身のこなしも、可能な限りフウイヌムに近づこうと努力します。〈あたま〉は美しく気高いフウイヌム、〈からだ〉は軽蔑すべき醜いヤーフ。ガリバーの存在は二つに引き裂かれてしまいます。ヤーフとしての自分の〈からだ〉を嫌悪し、〈あたま〉の中にあるフウイヌムとしての自分に閉じこもって、馬のいななきのように話すガリバーは、頭でっかちのラピュタ人のように滑稽です。
 しかもスウィフトはどこまでも意地悪な作者で、ガリバーがそこまで憧れたフウイヌムの共同体も、実際には理想の社会とはほど遠いものです。何事も理性に従って行動する彼らは、戦争や犯罪に関わることがありませんが、しかし彼らは自分たちが正しいと信じる価値観——悪く言えば思い込み——に凝り固まり、それ以外の価値観を認めることは決してありません。原民喜があえて訳さなかった箇所では、フウイヌムの結婚が恋愛とは縁のない、徹底した優生思想に基づいて行われることが語られます。「結婚の際には、子供に不快な混血種が生れて来ないように、十分毛並の色を選択することを忘れない。男では力が、女では美しさが、最も尊重されている。だがそれは別に愛のためではなくて、種の退化を防ぐためである。[…]。若い者同士が夫婦になるのは、ただ両親と友人たちが決めるからそうするので[…]彼らもそれが理性的動物としての一つの義務だと考えている」(中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』357頁)。
 そんなフウイヌムの社会を、イギリスの作家ジョージ・オーウェル(1903-50)は「全体主義的組織の最高段階」(「政治対文学」273頁)と呼びました。原民喜の訳でも、数が増えすぎたヤーフを理性的に処理するフウイヌムたちの行為は、ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺を思わせるほどに冷酷です。「フウイヌムたちは大山狩をして、ヤーフたちを取り囲み、年とったものを殺してしまい、若いのだけ、フウイヌム一人について二匹ずつ、小屋を作って飼うことにした。そこで、あばれものゝ動物も、少しは馴らされ、とにかく物を引かせたり、運ばせたりするくらいの役には立つようになった」(209頁)。
 結局フウイヌムたちは、生半可な理性を持ったヤーフであるガリバーを自分たちの国に置いておいては、他のヤーフたちに悪影響を与えかねないという理由で、ガリバーを追放します。かくて憧れのフウイヌムたちに拒絶されたガリバーは泣く泣くフウイヌムの国を去るのです。

6.妻の腕の中へ

 イギリスに帰り着いたガリバーは妻子に再会するのですが、「感動の再会」とはいきません。すっかりフウイヌムの価値観に染まった〈あたま〉を持って帰ってきたガリバーには、自分の妻や子ですらおぞましいヤーフにしか見えず、妻がガリバーを腕に抱いてキスをすると、あまりの気持ち悪さに卒倒してしまうのです。
 原民喜版と同じ年(1951)に出た小沼丹訳のガリバーは、帰国後のガリバーの生活を原作に忠実に描いて終わります。「いまでも僕は家のものが僕のパンにさわったり、同じコップから飲んだりするのは許さない。最初の一年ばかりは、とても家の者といっしょにいられなかった。僕がいま一番好きなのは二頭の馬で、次にそのせわをする馬丁だ。馬丁が馬小屋のにおいをさせているのをかぐと、僕はほっとする。僕は一日に四時間ぐらい、馬と話をする。大体わかるのである。僕は馬となかよしで、僕たちは友人だ」(小沼訳「ガリヴァ旅行記」291頁)。
 しかし原民喜は、ここまでずっと原作に忠実に進んできたにもかかわらず、物語の最後では、夫婦の再会シーンを原作とは全く異なる印象を与える文章で描いています。「てっきり私を死んだものと思い込んでいた妻子たちは、大喜びで迎えてくれました。家に入ると、妻は私を両腕に抱いてキスしました。だが、なにしろこの数年間というものは、人間に触られたことがなかったので、一時間ばかり、私は気絶してしまいました」(216頁)。確かに原作を書き換えているわけではないのですが、意図的にここで話を終えることで、ガリバーが久しぶりの妻との再会に、嬉しさのあまり気絶したようにも読めてしまうのです。
 スウィフトのガリバーは、欲に駆られてお互いに争ってばかりいるヤーフに徹底的に愛想を尽かし、ヤーフの世界の中で自分だけはフウイヌムとして生きようと、もっぱら馬とのみ語り合う偏屈な人間になって終わります。一方、原民喜のガリバーは、人間が邪悪なヤーフであることをつくづく知り尽くしながらも、自分もまたヤーフの一人であるという事実を率直に受け容れたうえで、仲間の人間たちの世界に戻ってきているように思えます。そこにはそのまま原民喜の人間観が反映されていると考えるべきでしょう。
 もともと原民喜には人間嫌いの厭世家という側面がありました。彼は「火の唇」(1949)で書いています。「昔、僕は人間全体に対して、まるで処女のように戦[おのの]いていた。人間の顔つき、人間の言葉・身振・声、それが直接僕の心臓を収縮させ、僕の視野を歪めてふるえさせた。一人でも人間が僕の眼の前にいたとする、と忽ち何万ボルトの電流が僕のなかに流れ、神経の火花は顔面に散った。僕は人間が滅茶苦茶に怕[こわ]かったのだ。いつでもすぐに逃げだしたくなるのだった」(『夏の花・心願の国』200頁)。そんな人嫌いは現実生活にも支障をきたすほどです。「原さんはまるで幼児のように生活にたいして不器用きわまる人である。ごく親しい人ならばとも角、はじめて会った人にはほとんど口もきけず、遠い所に行く時、切符さえどう買うのか、まごついているのを見たこともある」(遠藤「原民喜」279頁)。
 そんな彼を精神面でも生活面でも支えてくれたのは、彼の最愛の女性であり、彼の文学の最大の理解者でもあった妻の貞恵でした。しかし貞恵は糖尿病と結核を病み、五年間の闘病生活の末に、1944(昭和19)年の秋に亡くなってしまいます。貞恵と結婚したばかりのころ「もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために」(「遙かな旅」『原民喜戦後全小説 上』253頁)と思ったという民喜は、その悲しい美しい物語を書き記す前に、貞恵の死から一年も経たない1945年8月6日、広島で原爆を体験するのです。
 講談社文芸文庫版『ガリバー旅行記』の解説を書いた川西政明によれば、原民喜は『ガリバー旅行記』の翻訳に取り組んでいたのと同じ時期(1950-51)に、死にゆく妻との暮らしを描いた悲しい美しい連作の最後の二つ、「美しき死の岸に」(1950)と「死のなかの風景」(1951)を執筆していました。川西政明はこう書いています。「二つの短篇は、祈りのなかで書かれた。そこで妻の魂は癒されている。妻と共に生きた彼の魂も癒されている。[…]。原民喜版の『ガリバー旅行記』には、この祈りの視点が入っている。原作にある人間そのものにたいする呪詛を通りこしてしまうような祈りの通路みたいな道を原民喜がつくろうとしているのがよくわかるのだ」(230頁)。
 かけがえのない妻の死への嘆きと、広島の無数の隣人たちの死への嘆きが、原民喜の中で結びついていきます。「一つの嘆きは無数の嘆きと緒びつく。無数の嘆きは一つの嘆きと鳴りひびく」(「鎮魂歌」『夏の花・心願の国』251頁)。下から見上げる〈からだ〉の視点を忘れ、上から見下ろす〈あたま〉の想念に引きずられた戦争が、どれほど残酷に人間を〈からだ〉に還元してしまうかを、彼は知り抜いていました。そのようにグロテスクな〈からだ〉に還元されてしまった人々のために、〈あたま〉の描き出す美しい花の幻を取り戻してあげることこそ、戦後の原民喜の文学の目標であったように思えます。
 だからこそ原民喜は、ガリバーを他のヤーフから孤立させず、彼をヤーフの仲間としてもう一度人間社会に戻すことにしたのでしょう。妻にキスしてもらって嬉しさのあまり失神する場面をラストシーンにしたのは、もちろん川西政明が解説に書いているように、「最後に妻の両腕に抱きとられることは、原民喜の夢だったから」(240頁)なのです。

7.最後に一言

 なんだか悲痛なガリバー物語の紹介になってしまいましたが、これは原民喜の『ガリバー旅行記』を彼の他の作品に関連付けて「深読み」した結果にすぎません。原民喜訳『ガリバー旅行記』は、むしろ穏和でユーモアに富んだ楽しい文章です。読者はガリバーの冒険を楽しみながら、いつの間にかスウィフトのブラック・ユーモアの魅力に引き込まれていくことでしょう。長すぎず短すぎず、原作の煩雑な記述は切り捨てながらも重要な諷刺はきちんと活かした名訳です。残念ながら講談社文芸文庫版は現在絶版のようですが、すでに著作権が消滅しているため、インターネットのサイト「青空文庫」で全文読めるようになっています。今の日本でスウィフトの『ガリバー旅行記』に興味を持った若者がおそらく最初にたどり着く翻訳がこの版だというのは、『ガリバー旅行記』という作品にとって非常に幸運なことだと思います。

参考文献

・生井英考『空の帝国 アメリカの20世紀(興亡の世界史 第19巻)』(講談社、2006年)
・岩崎文人『原民喜——人と文学』(勉誠出版、2003年)
・遠藤周作「原民喜」『影法師』(新潮文庫、2004年)271-301頁
・ジョージ・オーウェル「政治対文学——『ガリヴァー旅行記』論考」『鯨の腹のなかで——オーウェル評論集3』(平凡社ライブラリー、1995年)252-89頁
・長田弘「解説」原民喜『原民喜のガリバー旅行記』(晶文社、1977年)223-7頁
・ジョナサン・スイフト著、小沼丹訳「ガリヴァ旅行記」『小沼丹全集 補巻』(未知谷、2005年)211-96頁
・ジョナサン・スウィフト著、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』(新潮文庫、1951年)
・富山太佳夫『「ガリヴァー旅行記」を読む』(岩波書店、2000年)
・原民喜『ガリバー旅行記』(講談社文芸文庫、1995年)
[著作権が消滅した名文を公開しているサイト「青空文庫」で全文が読めます。検索ページで「ガリバー 原民喜」を検索するか、または以下のアドレスにアクセスしてください。]
http://www.aozora.gr.jp/cards/000912/card4673.html
・原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫、1973年)
・原民喜『日本の原爆文学1 原民喜』(ほるぷ出版、1983年)
・原民喜『原民喜戦後全小説 上』(講談社文芸文庫、1995年)
・森田草平『ガリバー旅行記』(広島図書 銀の鈴文庫、1948年)
・四方田犬彦『空想旅行の修辞学——「ガリヴァー旅行記」論』(七月堂、1996年)
・Swift, Jonathan. Gulliver's Travels. Ed. and introd. Claude Rawson. Notes by Ian Higgins (Oxford: Oxford University Press, 2005).


内田勝「原民喜訳『ガリバー旅行記』を読む」(2007)
〈https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/tamiki07.html〉
(c) Masaru Uchida 2007
ファイル公開日: 2007-10-2
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