初出:『岐阜大学地域科学部研究報告』第28号(2011)pp. 17-31. この論文のPDF版はこちら(岐阜大学機関リポジトリ)。
*本文で言及したウェブサイト(映画の公式サイトを含む)にはリンクを張りました。また,本文で言及した画像のうち,インターネット上で閲覧が可能なもののいくつかにはリンクを張りました。画像関係のリンク先は,Google BooksThe Library of CongressThe National Gallery, LondonThe National Gallery of Art, WashingtonThe National Parks: America's Best Idea (PBS)The Sister Arts - British Gardening, Painting, & Poetry 1700-1832The Stereoviews of Carleton WatkinsThe Victoria and Albert MuseumWikimedia Commons,および Yosemite Online です。

ジェームズ・キャメロンの『アバター』に自然はあるのか?——仮想世界の風景論

内 田  勝

(2010年11月30日受理)

Is There Nature in James Cameron's Avatar?: Appreciating Natural Landscapes of the Virtual World

Masaru UCHIDA


1.『アバター』はどんな映画か


 ジェームズ・キャメロン(James Cameron, 1954-)監督の映画『アバター』Avatar, 2009)はいったいどういう映画なのかと尋ねられれば,次のような二通りの答え方ができるだろう。
(1)現在進行中の3D映画ブームを加速させるきっかけとなった実写3D映画であり,リアルな3D空間を体験できることが評判を呼んで,世界的には興行収入歴代1位(2010年1月25日時点で18億5500万ドル[約1670億円])を記録した大作映画である。(1)

(2)金儲けになる鉱物資源を求めて緑豊かな星の自然破壊を行おうとする地球人と,その星の自然と共に生きる原住民との争いを描き,生態系の調和と自然環境の保護を訴えるメッセージを持ったSF映画である。
 要するに重要なのは,「最新技術を駆使した3D大作映画」という点と,「人間と自然との理想的な関わり方がテーマ」という点だ。一見矛盾するこれら二つの要素が,案外しっくり馴染むことを論じるのが,本稿の目的である。
 映画『アバター』のあらすじは,ほぼ次のようなものだ。——アメリカ海兵隊の兵士だった主人公ジェイク(Jake)は,宇宙の彼方にある小さな星「パンドラ」(Pandora)に地球人が築いた資源採掘基地で特殊任務に就くことになる。原住民ナヴィ族(Na'vi)の身体に限りなく近い「アバター」(分身)と呼ばれる人工の肉体に,遠隔操作用の特殊な装置を通じて意識をリンクさせて,アバターとしてナヴィ族と交流しながら自然を調査するのが表向きの任務だった。しかしジェイクは傭兵隊のクォリッチ大佐(Colonel Quaritch)から,真の任務はナヴィ族の村に潜入してスパイ活動をしながら,彼らが生活の拠点としている神聖な巨木「ホームツリー」(Hometree)から立ち退くようナヴィ族を説得することだと聞かされる。ホームツリーの地下には「アンオブタニウム」(unobtanium)という貴重な鉱石が大量に埋まっており,これを使うと地球のエネルギー問題を解決できるため,採掘すれば大いに金儲けができるのだった。しかしアバターの身体を借りてナヴィ族の社会に潜入したジェイクは,緑豊かな自然と共に暮らす彼らに惹かれ,族長の娘ネイティリ(Neytiri)と恋に落ち,ついには自らナヴィ族の一員になりたいと思うようになる。いつまでたってもナヴィ族を追い払わないジェイクにしびれを切らした傭兵隊はホームツリーを武力攻撃し,ホームツリーはあえなく倒壊してしまう。悲嘆にくれるナヴィ族たちを見たジェイクは怒りに燃え,ナヴィ族の側に立って,クォリッチ大佐の率いる傭兵隊と戦う。ナヴィ族は奇跡的に勝利し,地球人たちは立ち去る。しかしジェイクは今や借り物の「アバター」ではない真のナヴィ族として,愛するネイティリと共にパンドラで暮らすことを選ぶのだった。

2.環境保護メッセージの嘘臭さ


 キャメロン監督が『アバター』に込めた環境保護メッセージについて,監督の伝記では次のように述べられている。
他のキャメロン映画すべてと同じく,『アバター』は純粋に現実逃避のための娯楽作品として観ることもできるし,人類の現状と将来に対する恐ろしい警告として観ることもできる。今回彼が警告しているのは,核戦争による人類の大虐殺ではなく,環境の大規模な破壊だ。「地球上のあらゆる生き物は,人間の科学がいまだに解明できずにいるようなやり方でつながっている」とキャメロンは言う。「ところがわれわれの産業社会は,生物たちが形作るネットワークをかき乱していて,その乱し方がどんどん激しくなっている。こんなことをしていれば必ず生物多様性を悪化させるし,最終的には人類にも深刻な悪影響が跳ね返ってくるだろう。われわれは自然に何も与えないまま自然から奪ってきた。その報いを受ける時が迫っているんだ」(Keegan 2009: 254)(2)
 またキャメロン監督は,環境保護メッセージを単に商売の道具にしているだけの人物ではない。彼は現実にも環境保護活動家としての側面を持っている。『アバター』公式サイトからリンクを張られている『パンドラからのメッセージ』(A Message from Pandora)というウェブサイトでは,ブラジルのベロモンチ水力発電ダム(Belo Monte Dam)建設計画によって破壊されようとしているアマゾン川支流流域の熱帯雨林と強制移住させられようとしている原住民の部落を守るため,ダム建設反対運動の支援を呼びかけている。このサイトに置かれた同名の短編ドキュメンタリー映画では,『アバター』の出演俳優たちとともに現地を訪れたキャメロン監督が,「われらの新たな戦士」として原住民から歓迎される様子が映し出されている。
 さらに,『アバター』で描かれたような,資源採掘が引き起こす環境破壊と住民の強制移住の問題は,実際に現実世界でも起こっている。資源・環境ジャーナリストの谷口正次は次のように指摘する。
「アバター」は,今でも現実に世界の発展途上国で起きている事実に基づく "フィクション" だと言える。
 その事実とは,強大な資金力と技術力を持った多国籍資源メジャーあるいはジュニアとよばれる探鉱会社そして新興国の鉱山会社が,資源豊富な途上国において,豊かな自然と共生して暮らしている先住民を強制的に移住させ,自然を破壊して資源採掘を行っているケースが多々あることである。
 会社は最初,先住民の移住を求めて補償金,雇用,学校建設などを提供する懐柔策に出るが,先祖代々受け継いできた文化と伝統そして環境を破壊されたくないといって抵抗する先住民に対しては,会社のセキュリティ部門,傭兵会社[…],地域の警察が連携して排除に当たる。場合によっては,その国の軍隊も加わる。そのような現場は,通常人々の目に触れることはない世界だ。
 映画を観た人は,「アバター」のストーリーが,この地球上の現実世界で起きていることと酷似していることに気づかれただろうか。(谷口 2010
 しかしこうした事実にもかかわらず,映画を見た直後,実を言うと私は,この映画が「人間と自然との共生」を唱えているのが,非常に「うさんくさい」と感じてしまったのだ。私が映画『アバター』の環境保護メッセージに嘘臭さを感じてしまった理由は,主に二つあると考えられる。
(1)『アバター』は巨額の資金をかけて製作・宣伝され,それを上回る多額の収入を生み出すであろう典型的なハリウッド・ビジネスの産物であり,自然環境破壊の根本的な原因である大量消費社会の申し子とも言える存在だから。

(2)「パンドラ」の緑豊かな自然とは結局,最新鋭のCGを駆使した3D映像によって作られた,人工の(つまり偽物の)自然にすぎないから。
 私はこの映画を,郊外の大型ショッピングモールに付属した映画館で見た。元の自然環境を破壊して作られた巨大な建物に入り,窓もなく外界から隔絶され,エアコンの効いた快適な空間がどこまでも続く建物の中を歩いて映画館に向かい,3D上映だというのでいつもより高い料金を払って使い捨ての特殊なメガネを受け取り,きっと観客一人一人が払う料金が高い分,興行収入も飛躍的に増えるのだろうなどと考えつつ,ゆったりと椅子に腰掛け,大量の資金と資源を消費して作られたであろう豪華絢爛な映像を眺めて楽しんだのだ。「自然」や「環境保護」のイメージからこれほど遠い体験もない。なのにこの映画の物語は,「環境を保護し,自然と共生することは大事だ!」と説くのだ。これが自己欺瞞でなくて何だろうか。(もっとも,そういう映画を心から楽しんでしまった私には,この映画の自己欺瞞を批判する資格はないのだが。)
 その上,主人公ジェイクをとりこにする自然——すなわち多様な動植物にあふれた美しい原生林や,空中に浮かぶ突兀たる岩山といった絶景は,どれほどリアルに見えていようとも,しょせんはコンピューターを駆使して作られた架空の風景でしかない。そのためジェイクはまるで,自然環境に親しむ人というより,仮想世界での冒険に熱中するあまり現実の生活をおろそかにするゲーム中毒者のように見えてしまうのだ。
 インターネット上で見知らぬ人々と交流しながらゲームを楽しむ仮想世界を離れられなくなったネットゲーム中毒者は,日本では「ネトゲ廃人」とも呼ばれる。彼らの生活を追ったジャーナリストの芦崎治は,大学生の時に「ネトゲ廃人」になったある三十代の女性について,こう語っている。
 彼女がはまったのは,ネットゲームの『ファイナルファンタジーXI』だった。
 リアル(現実)の世界では考えられないくらいすぐに友だちが出来る。ネットゲームの物語に入ると,どこからか冒険が始まる。知り合ったばかりの二人が同じ敵を倒し,同じ刺激と緊張感を共有して,そして同じ達成感を味わう。しかもネット上のキャラクターはイケメンか美人揃いで,みんなカッコイイ。
 ゲームをやるために,外での約束を反故にするようになる。ドタキャンを連発しても平気になってしまうのだ。
「ネットゲームをやっていると,リアルの友だちがいらなくなる。だって,画面上に友だちがいっぱいいますから。話をしていても本当に楽しい。わざわざお金をかけて外に出て友だちに会うっていうことの意味がなくなる」[…]。
『ファイナルファンタジーXI』は,巧みに作られたネットゲームだった。六人一組で動かなければならない。一人でも抜けると苦戦する。全滅する戦闘になるケースも出てくる。全滅すると,その日一日のみんなの努力が水の泡になる。六人が一丸となって,ゲーム通貨で一万を稼いだ。ところが一回死ぬと稼いだ一万が減ったりする。変に責任が重大なのだ。
「私が眠ると,みんな死んじゃう。自分が必要とされている感覚がすごくあるので,眠くてしょうがなくても『もう,寝るね!』とは言えない。続けちゃうんです」(芦崎 2009: 21-3)
『アバター』の主人公ジェイクは,衛星パンドラの緑の森の中で,この女性によく似た経験をする。やがてジェイクは,「今までが夢で,この世界(ナヴィ族の村)が現実だ」とまで語り,自分がいなければナヴィ族の森は守れないと思うようになる。最終的にジェイクは地球人としての生活を捨て,名実ともにナヴィ族の一員となる。映画はジェイクの視点から語っているので,この過程をたいへんかっこよく描いているのだが,一歩引いて眺めると,ジェイクは最終的に非現実の世界に囚われてしまったようにも見える。誰かが彼を現実に引き戻してあげなければいけないんじゃないか,と心配になってくる。
 そんなふうに,アバターとして体験する世界のとりこになっていくジェイクの姿を見て,観客はある種の居心地悪さを感じる。なぜならジェイクは,この映画の観客自身の比喩になっているからだ。
 ジェイクのアバター(分身)が森へ行ってナヴィ族と交流しているとき,現実のジェイクはアバター遠隔操作用カプセルの中に横たわって目を閉じている。眠って夢を見ているようにも見える。本人はじっとして夢を見ているだけなのに,夢の中の分身は活発に活動しているというのは,映画を見る行為の比喩である。
 映画研究者の加藤幹郎は,映画の主人公が持つ機能についてこう言っている。
映画の主人公は端的に言って観客を釣る擬餌である。理想的な観客は,スクリーンの彼岸から観客席に投げいれられた擬餌に釣られて向こう側の世界へとはいってゆく。主人公は理想的な観客が銀幕の向こうの物語空間に円滑に参入するための潤滑剤の働きをする。[…]。一般に映画の主人公は,理想的な観客をのせて物語世界を航行するテーマ・パークの乗物(ライド)のようなものである。観客は主人公がゆくところにゆき,主人公が見たものを見る。それゆえ主人公はスタンドインでもある。(加藤 2001: 23-4)
 ここではスタンドイン(代役)という言葉を使っているが,もちろんこれはアバター(分身)と言い換えてもいいはずだ。映画の主人公は,観客のアバターなのだ。
 大量消費社会の拠点である人工的なショッピングモールの映画館でじっと椅子に腰掛け,3Dメガネをかけて『アバター』の仮想世界に浸る観客は,観客自身のアバターとしての主人公ジェイクに感情移入することで,パンドラの自然を満喫しているのだ。わざわざサングラス状の3Dメガネをかけるところが,いかにも現実から目を閉ざしている感じである。われわれは現実から目を閉ざして,絵空事の自然の美しさを楽しんでいるのだ。
 こう考えると,おそらく制作者たちは意図していなかったであろう,映画『アバター』のもう一つのメッセージが浮かび上がってくる。すなわち,われわれ人間は,このようにして自然を眺めている。あるいは,このようにしか自然を眺めることができない——。

3.絵空事を通して自然環境に触れる


 そもそも,自然環境を描いたどんな映画も,映画である以上は「絵空事」にすぎない。現実の日本の里山の豊かな自然を描いたドキュメンタリー映画『映像詩 里山』(NHKエンタープライズ 2009)もまた,『アバター』と同じように絵空事である。そういえば,自然の風景の美しさを効果的に伝える場面での両者の演出法は,少し似ているようだ。
 YouTube上の『アバター』公式ページに置かれている「特別映像:パンドラの全て」Pandora Discovered)という短編映画は,『アバター』本編の映像からパンドラの美しい自然を描いた場面を抜き出してナレーションを加え,あたかも現実の自然ドキュメンタリー映画であるかのような体裁に仕上げている(officialavatar 2009)。この映像を見た後で『映像詩 里山』を見ると,現実の自然を撮影したはずの映像が,コンピューターで人工的に作った映像のように見えてしまうのだ。
 そうした印象を与える一因は,どちらの映像もコンピューターを駆使した人工的な撮影技術を用いて作られた「絵空事」であることだろう。『映像詩 里山』の撮影を担当したカメラマンの小迫裕之は,映画の中のカブトムシ決闘シーンに迫力を持たせるために,アメリカ映画『マトリックス』(The Matrix, 1999)で使われた「ブレットタイム」(bullet-time)という特撮技術を意識した撮影技法を用いたことを証言している。
Q: カブトムシの決闘のシーンも凄いですね。対決している2匹をカメラが周回しながら捉えていきますが,角で相手を投げ飛ばす瞬間まで映っています。
A: あれは,カブトムシの周りに,30台のデジタル・スチール・カメラを配置しています。跳ね飛ばされる直前にシャッターを押すと,隣接するカメラのシャッターが少しずつずれて撮影できるように工夫しています。それが1台目から30台目まで次々シャッターが切れる。そしてまた1台目に戻り30台目まで,2周撮影できるようになっているのです。[…]。
Q: 『マトリックス』で弾丸が飛んでくるシーンみたいですね。
A: 『マトリックス』は念頭にありました。小さな生き物の世界でも,同じような目線で見たいと思い,360度視点を動かしていくわけですね。ただ,あの撮影で二晩徹夜しています。放り投げる直前に合わせてシャッターを切らないといけませんから大変でしたね。
筒井 2009, 書式を変更)
 皮肉なことだが,現実の自然環境の魅力を効果的に伝えるためには,人工的な「絵空事」の演出法に頼らざるをえないのだ。
 それでは,こんなふうに絵空事を通して自然環境に触れるのは,人間として不健全なことなのだろうか? 私はそうとも言えないと思う。なぜならもともと人間は,自然環境を「風景」として眺めるとき,それまでに見聞きした映像や物語(つまり絵空事)が形作る自然に対するイメージ——いわば仮想世界——を,現実の自然環境に重ねて眺めざるをえないからだ。
 20世紀ベルギーの画家ルネ・マグリット(René Magritte, 1898-1967)に「人間の条件」La condition humaine, 1933)という作品がある。画家のアトリエを描いたものと思われ,部屋の窓辺に置かれたイーゼルに,油絵が立て掛けられている。窓の外には青い空と白い雲,緑の草原や木と遠くの山といった,美しい田園風景が広がっている。ところが窓をほとんど覆い隠す形で置かれている油絵には,窓から見えるはずの風景がそのまま描かれていて,どこまでが窓から見える本物の景色で,どこからが絵に描かれた景色なのかが,よく分からなくなってくる。この絵について,歴史学者のサイモン・シャーマ(Simon Schama)が次のように言っている。
「われわれはこのようにして世界を見る」と,ルネ・マグリットは自作の『人間の条件』[…]を解説する一九三八年のさる講義の中で言った。この作品では絵画がその描くところの眺めに重ねられており,そのために二つは連続していて,分かちがたい。「それは単にわれわれが内部で経験するものの心的表象でしかないのに,われわれはそれをあたかもわれわれの外部にあるかのように見る」。マグリットが言うには,われわれの理解という窓枠の外部にあるものはまずひとつ[人為的な]デザインを必要とし,それあってはじめて,われわれはそれを認識することから快楽を引き出すことは言うに及ばず,その形式を正しく認識することができるのである。そしてそのデザインをつくるのは,またわれわれが美として経験する質を網膜に与えるのは,文化,慣習,そして知識なのである。(シャーマ 2005: 21,[ ]内は私の補足)
 要するに,人間が風景を眺めるときは,その風景を美しいと思うにせよ醜いと思うにせよ,いずれにしてもその人がこれまで文化や慣習を通じて身につけた知識の色眼鏡を通して見てしまう,という話である。同じような認識に基づいて,もう一人の歴史学者アラン・コルバン(Alain Corbin)は,「風景」を以下のように定義している。
風景とは,必要とあらば感覚的な把握の及ばぬところで空間を読み解き,分析し,それを表象するひとつのやり方,そして美的評価に供するために風景[むしろ空間?]を図式化し,さまざまな意味と情動を付与するひとつのやり方なのです。要するに風景とは解釈であり,空間を見つめる人間と不可分なのです。ですからここで,客観性などという概念は放棄しましょう。(コルバン 2002: 10-1,[ ]内は私の補足)
 つまり自然環境が「風景」として眺められるとき,そこには必ず眺める人間の主観が入り込んでしまい,客観的には眺められないのだ。
 そんなふうに,人間が自然環境に自らの思い描くイメージを投影することで「風景」が生まれ,その美しい「風景」のイメージに沿うように,元の自然環境は改変されたり保護されたりするのだ。
 自然が改変された例として,18世紀イギリスのピクチャレスク美学(the picturesque aesthetic)に基づいて造られた,「風景式庭園」(landscape garden)がある。もともとピクチャレスクとは「絵のような,画趣に富む」という形容詞だが,ピクチャレスク美学の特徴について,建築史研究者の中川理はこう書いている。
この価値観が広まる契機を作ったのは聖職者・教育者のウイリアム・ギルピン[William Gilpin, 1724-1804]である。彼は,『版画論』(一七六八年)や『三論文』(一七九二年)などの著作により,ピクチュアレスクという新しい概念をさかんに提示しようとした。そこでのピクチュアレスクとは,従来の「美」が「平滑」で「整然」としたものであるのに対して,「粗さ」や「ぎざぎざごつごつしていること」が条件となるとした。(中川 2008: 24,[ ]内は私の補足)
 ピクチャレスクが不均衡な「粗さ」や「ぎざぎざごつごつしていること」をこそ尊重するのは,それが「ごつごつした岩山」を好んで描いた17世紀イタリア・フランスの風景画の影響下で生まれた美学だからである。英文学研究者のアリソン・バイアリー(Alison Byerly)はこう述べている。
十八世紀終わり頃,ピクチャレスクという語は絵画に関してよく使われた語であり,絵画の制作に特有の様式となっていた。ピクチャレスクのイギリスでの流行は,一七一三年ユトレヒト条約締結の後,イタリアに押し寄せた旅行者達によってイギリスに持ち帰られたサルバトール・ローザ[Salvator Rosa, 1615-73]とクロード・ロラン[Claude Lorrain, 1600-82]らの風景画にその源を辿ることができる。イタリアとアルプス山脈を訪れた旅行者達はイギリスでその思い出を追体験したがり,その結果突如,湖水地方やワイ峡谷や西部地方,それにスコットランドの一部は流行の旅行先となった。そのような旅行者達はガイドブックや風景詩が描写するピクチャレスクな景色を探すことを目的としていた。(バイアリー 1998: 175,[ ]内は私の補足)
 ピクチャレスク美学に染まった人々は,現実の自然の中に,まるでクロード・ロランやサルヴァトール・ローザの絵のような美しい風景を求めて回ることになる。
こうした意図的なフレーミング[風景を枠にはめて眺めること]の最も極端な例は,十八世紀の「ピクチャレスク」風景漁りの画家や旅行者に推奨されたいわゆるクロード・グラス[Claude glass]であった。裏に黒い箔をはったこの小さな携帯用の鏡の名は,古典建築,生い茂る小森,そして遠くの水を最も完璧に調和させたフランス人画家クロード・ロランの名にちなんだものであった。この鏡の中の眺めがこういうクロード的な理想の風景に近づく時,それは「ピクチャレスク」だから,鑑賞され,描かれさえして良いと判断された。(シャーマ 2005: 20,[ ]内は私の補足)
 さらに,イタリアやフランスの美しい風景画に憧れたイギリスの裕福な人々は,そういう「絵になる」景色を自分の屋敷の庭にも作り上げようと,その土地にもともとある自然をいったん破壊して,わざわざイタリア風の景観に改造した。それが「風景式庭園」である。英文学者の高山宏はこう書いている。
どこかにいかにも「絵になる」風景があると,風景画家がそれをいかにもという一枚の「絵」に仕上げる。すると造園家がその「絵」をベースに絵そっくりの風景を人工庭園の中に捏造してしまう。これを「風景式庭園」と呼び[…]十八世紀いっぱい大流行したこの作庭術の風景観が,外を見るためのヨーロッパ人の視覚構造を支配していった。(高山 1994: 122)
 こうした風景式庭園にみられる「自然」の人工性を,批評家のレイモンド・ウィリアムズ(Raymond Williams)はこう批判している。
遠くの丘にむかって一直線に続いている並木道,そこには全体の眺めの邪魔になるような細部はなにひとつない。このような風景を上から,造成して高くした位置から眺める。大きな窓,テラス,芝生。どっちに目をむけても視界をさえぎるものはない。管理と支配の表現。[…]それはすばらしい眺望であると同時に「損なわれていない」自然の極致でもある。これこそまさに偉業と言うべきもの,効果的でしかも堂々たる瞞着である。(ウィリアムズ 1985: 171)
 このような「風景式庭園」の場合,「絵空事」にすぎない風景画がきっかけで,現実の自然が改変されてしまうわけである。当然それとは逆に,「絵空事」を通して人間が抱く美しい「風景」,懐かしい「風景」のイメージを崩さないために,自然環境が保護されるという場合もあるはずだ。

4.郷愁が環境保護運動につながる


 人間を環境保護運動に駆り立てる最も主要な要因はもちろん,資源としての自然環境を保護しないと人間自身が快適に暮らしていけない,ということだろうが,もう一つの主要な要因は,自分の郷愁の中にある「風景」を守ろうとする衝動だ,と言えるかもしれない。シャーマの言葉を引いてみよう。
近代の環境保護思想の父,ヘンリー・デイヴィッド・ソロー[Henry David Thoreau, 1817-62]とジョン・ミュアー[John Muir, 1838-1914]は,「世界は荒野[wilderness,手つかずの自然]のうちに保たれる」とした。荒野がどこか外に,アメリカの西部の中心のどこかにあって発見されるのを待っている,そしてそれは産業社会のうむ毒にとって解毒剤となってくれるものという前提が,そこにはある。しかしもちろん癒しの荒野は,およそ庭というものを考えてみればいつもそうであるのと同様,文化の渇望と文化の枠づけの産物であった。(シャーマ 2005: 15,[ ]内は私の補足)
 人間は自然環境を眺めるとき,これまでに見たり聞いたりした映像や物語や歴史や自身の記憶などが醸し出すイメージを,どうしても結びつけて眺めてしまう。ありのままに自然環境を眺めることができないのだ。「屋久島」とか「長良川」といった有名な場所には特定のイメージがまとわりついているし,それほど有名な場所でなくても,「原生林」「清流」「里山」といった概念がその時代・その文化の中で醸し出すイメージを抜きにして,目の前の自然を純粋に眺めることはできない。良いイメージをまとって郷愁の対象となった自然環境こそが保護されるわけである。
『昆虫にとってコンビニとは何か』(2006)などの自然論を書いている高橋敬一は,こうした状況に対する皮肉を込めて次のように書いている。
対象が種であるにせよ,地域であるにせよ,保護運動にはある特定の個人の郷愁が強く関連している。それなのに活動家は,「私にとって大切な生物(地域)なので保護します」とは絶対に言わない。「私たち人類全体にとって失ってはならないかけがえのない生物(地域)なのでみんなで力を合わせて保護しましょう!」と叫ぶのだ。(高橋 2009: 39)

手入れの行き届いた雑木林と田畑などで構成される里山は年配の人々にとっての原風景である。里山保全などするなと言っているわけではない。やりたければどんどんやればいいのだ。ただそれは個人的な郷愁に基づく行動にすぎないことを常に忘れないでいたい。(高橋 2009: 32)
 私は環境保護運動については門外漢なので,上のような考え方が専門家の間でどう評価されているのかは分からない。私自身は文学研究が専門で,人々が物事に対して抱くイメージの価値を非常に重視する立場の人間なので,「郷愁に基づく行動」が良くないことだとは思えないのだ。堂々と「私たちにとって大切な生物(地域)なので保護します」と主張すればいいと思う。ただし,各人の郷愁の対象になる生物や地域は,その人が属する文化圏や世代によって異なるはずだし,自分たちの郷愁を他の人々が共有するとは限らないということは,わきまえておく必要があるだろうとも思う。

5.19世紀の3D画像と国立公園の成立


「郷愁」を生み出す要因には,自分自身が直接体験したことだけではなく,他人から聞いたことや,書物・新聞・テレビ・映画などのメディアを通じて知ったことも含まれる。ここでは,自然環境に関する鮮烈なイメージを呼び起こすメディアが,具体的な環境保護運動につながった一つの例を考えてみたいと思う。
 ここで取り上げるメディアは,19世紀前半のイギリスで開発された「立体写真」(ステレオグラフ/ステレオスコープ)である。1832年にホィートストーン(Sir Charles Wheatstone, 1802-75)が原理を発明し,1849年にブルースター(Sir David Brewster, 1781-1868)が改良を加えた立体写真は,1851年のロンドン万博で展示されて一般に知られるようになった。やがて携帯ビューアーを通して家庭で手軽に立体写真の3D画像が楽しめるようになったため,欧米では広く普及し,19世紀後半から20世紀初頭にかけて,世界各地の名所が立体写真に撮られることになる。美術史家のジョナサン・クレーリー(Jonathan Crary)はこう述べている。
写真を除けば,一九世紀における視覚映像[イメージ]のもっとも重要な形式はステレオスコープだった。ステレオスコープ体験がどれほど広く社会に浸透したかということ,そしてまた,写真によって生み出された映像を経験する主要な様態を,何十年ものあいだステレオスコープが定めていたことは,現代では安易に忘れ去られている。(クレーリー 2005: 174,[ ]内は原文のルビ)
 立体写真が画期的だったのは,それがいわば「さわれる視覚」を与えてくれるところだ。右目用と左目用に少しずつずらして撮られた二枚の写真からなるステレオ・カードを,携帯ビューアーのレンズ越しに眺めると,対象が目の前に,手を伸ばせばさわれるかのようにありありと浮かび上がる。立体写真の「さわれる視覚」に魅せられた人は,次から次へとカードを取っかえ引っかえして,目の前に広がるリアルな3D画像に酔いしれたのだ。
観察者が倦むことなく繰り返し生み出したのは,平板なステレオ・カードの二枚一組のわびしい映像を,魅惑的な深さの現出態へと,労せずして変容させることだった。一つのカードから別のカードへと眼を移し,同一の効果を,何度も何度も機械的に産出するという果てしのない反復作業自体の出来事性にくらべれば,映像そのものの内容などは全く重要ではない。そしてその度ごとに,大量生産された似たり寄ったりのステレオ・カードは,強制的でかつ誘惑的な「リアル」の幻想へと変貌するのである。(クレーリー 2005: 194)
 立体写真は,欲望の対象を手でさわれる形で所有する幻想を与えてくれる。そうした特徴の当然の帰結として,立体写真は次第にどこかいかがわしいものになっていく。「一九世紀が進むにつれ,ステレオスコープがエロティックな,あるいはポルノグラフィックな写真映像とますます同義になっていったのは,偶然でも何でもない」(クレーリー2005: 188-9)。クレーリーは,そんなふうにポルノグラフィと密接に結びついてしまったことが,立体写真というメディアが廃れた要因の一つではないかと示唆している。
 さて,立体写真が現実の環境保護運動に影響を与えた例は何かと言うと,ヨセミテ州立公園(Yosemite State Park)の成立である。十九世紀半ばのアメリカ合衆国で,カリフォルニア州ヨセミテの雄大な自然を撮影した立体写真が人々に愛好され,ヨセミテは「手つかずの雄大な自然が残る貴重な地域」であるというイメージが定着した結果,ヨセミテが州立公園,ついで国立公園となって,手つかずの自然環境が保護されることになったのだ。
 世界初の国立公園は同じアメリカ合衆国のイエローストーン国立公園(1872成立)だが,「手つかずの自然をそのまま保存する」という目的で作られた広大な公園は,南北戦争中の1864年に成立したヨセミテ州立公園が最初である。そしてヨセミテ州立公園が誕生するためには,写真や絵画といった文化的産物が作り出すイメージが,重要な役割を果たしていたのだ。
 現代のアメリカ人がヨセミテに対して抱いているイメージについて,歴史学者のシャーマはこう語っている。
最初にして最も有名でもあるアメリカのエデン[=アメリカ人の郷愁を呼び起こす原風景],ヨセミテを例にとろう。そのパーキング[駐車場]がパーク[公園]そのものと同じほど広く,熊たちがマクドナルドのカートンを漁っている有様なのに,われわれは今でもアルバート・ビアスタット[Albert Bierstadt, 1830-1902]が絵に描き,カールトン・ワトキンズ[Carleton Watkins, 1829-1916]やアンセル・アダムズ[Ansel Adams, 1902-84]が写真に撮ったような,人跡未踏のヨセミテを思い描こうとする。しかしその場所を(写真におさめるはもちろん)どこそこと特定できるというまさにそのことがわれわれ[人間]の存在を前提としているわけだし,われわれの存在とともに,われわれが道中ずっと抱いてきた文化という名の重い荷の存在を前提としているのは言うまでもない。(シャーマ 2005: 15,[ ]内は私の補足)
 シャーマは特に,1860年代にヨセミテの立体写真を多く発表した写真家,カールトン・ワトキンズについて「他のどんな絵よりも,ワトキンズの雄々しいあれこれの写真こそがヨセミテとビッグ・ツリーに対するアメリカ人の感性を形づくっていった」(シャーマ2005: 229)と語っている。ビッグ・ツリーというのはヨセミテの森に生えている,世界で最も背の高い樹木であるセコイアの巨木の総称で,アメリカにだけ天然分布するこれらの見事な巨木は,やがてアメリカ人の心のよすがになっていく。巨木が住民たちの心の拠り所になるというのは,どこか『アバター』の世界観を思わせる。シャーマからの引用を続けよう。
 彼[カールトン・ワトキンズ]のステレオグラフ[立体写真]には[…]人物たちが巨大な木の幹を背景にいかにもちっぽけに写り,雄々しくも傷ついた「グリズリー・ジャイアント」[ヨセミテの森に生えているセコイアの巨木の一つ]が嵐に打たれながらも堂々と耐えている姿をとらえていた[…]。
 ワトキンズの写真は一八六二年にニューヨークのグーピール・ギャラリーに展示されて爆発的な成功をおさめた。[…]。『アトランティック・マンスリー』に記事を寄せたオリヴァー・ウェンデル・ホームズ[Oliver Wendell Holmes, 1809-94, 当時の人気エッセイストで,立体写真携帯ビューアーの発明者]は,これらの写真を西洋美術の最も偉大なる作品にも等しいものとし,その主題を無垢なるアメリカの真の,生きたモニュメントと言って称賛した。[…]。
 ヨセミテとビッグ・ツリーがアメリカ共和国[アメリカ合衆国の別名]の独自性を圧倒的なばかり啓示しているというこの感覚を理解しない限り,南北戦争の最中アブラハム・リンカーンが,一八六四年七月一日を期してそれらを「人々の利益のため,人々の骨休めと息抜きのため,永久に譲渡されることなく」カリフォルニア州に与えるという前例のない法案になぜ署名したかはついに説明しえまい。(シャーマ2005: 229-31,[ ]内は私の補足)
 この法案成立(1864)によってヨセミテはカリフォルニアの州立公園となり,世界初の原生公園(手つかずの自然が保存されている公園)となった。ヨセミテの例は数年後の「国立公園」の誕生(1872,イエローストーン国立公園)につながっていく。立体写真の迫力ある3D映像が与えた雄大なイメージが,自然環境の保護につながったのだ。
 コミュニケーション学研究者のケヴィン・デルーカ(Kevin Michael DeLuca)らも,ワトキンズの写真を始めとするさまざまな言説こそが,アメリカの大自然の象徴としての「ヨセミテ」という存在を作り上げたと主張している。
ワトキンズの写真はヨセミテの現実を表象してはいない。むしろ,ツーリズムやナショナリズム,ロマン主義や領土拡張主義の言説と手を携える形で,それらの写真こそがヨセミテを築き上げているのだ。確かに,ハーフドーム[ヨセミテ渓谷にある巨岩]は実在している。しかしハーフドームが手つかずの自然の象徴という意味を持つようになったのは,さまざまな言説の作用が収斂した結果であり,とりわけワトキンズの作り上げたイメージを手本とした,写真という言説の影響が大きかったのだ。(DeLuca and Demo 2000: 244,[ ]内は私の補足)
 デルーカらの議論が興味深いのは,ハーフドームやエル・キャピタンといったヨセミテの雄大な自然の造形美を撮影したワトキンズの写真に,18世紀イギリスのサブライム(崇高)美学(the sublime aesthetic)の影響を見ているところだ。「ワトキンズがヨセミテを撮った初期の写真が強調するのは,何にもましてまずサブライムだ」(DeLuca and Demo 2000: 245)。サブライム美学について,中川理はこう解説している。
この崇高の価値観を理論的に提示したのが,イギリスの思想家エドマンド・バーク[Edmund Burke, 1729-97]の『崇高と美の観念の起源』(一七五七年)である[…]。ここで崇高(サブライム; Sublime)とは,均整調和に基づく古典的な「美」と対比させて,危険を望見しつつ身の安全を確信できるところに生じる歓喜と規定された。そこには,新しく風景として発見された自然環境の険しさに由来する,恐怖や苦しみがある。つまり,暗い森,断崖,奔流など,それまで恐怖として拒絶の対象に感じられていた感覚が,「美」として新たな価値を与えられることになるのである。この崇高(サブライム)の概念こそ,一八世紀後半以降に,イギリスにおいて展開された風景画の流れを導いたものなのである。(中川 2008: 23,[ ]内は私の補足)
 サブライムとは基本的に,「安全な位置から眺める危険が与える快感」である。その意味でワトキンズが撮ったヨセミテの写真は,見る人にサブライムな快感を与えるものであった。ワトキンズの立体写真や,彼が同時に撮影したマンモス・プレート(40cm×53cmほどの巨大サイズの写真)には,人跡未踏の荒々しい自然である万丈の山や千尋の谷が写っていた。実際にその場にいる人にとっては,うっかり足を踏み外せばたちまち転落死するような危険きわまりない場所である。しかしそれが写真である以上,見る人が危険にさらされることはない。安全な場所から危険な自然を眺めて楽しむことができるのだ。
われわれは実際には断崖絶壁でよろめいているわけではない。一陣の風によって奈落の底に吹き飛ばされるわけでもない。ワトキンズの写真は壮大なサブライムを家庭的なスペクタクルに変形する。それは観光客の,東海岸の都会人の,安楽椅子に腰掛けた冒険者の,私的所有物となるのだ。(DeLuca and Demo 2000: 247)
 こうしたサブライムな快感を与えてくれるワトキンズの写真は,商品としてよく売れた。また,1864年にヨセミテを州立公園とする法案を連邦議会に提出したカリフォルニア州選出の上院議員ジョン・コネス(John Conness)は,ワトキンズが撮ったヨセミテの写真を議員たちに見せて回ったという(DeLuca and Demo 2000: 251)。コネス自身,実際にヨセミテを訪れたわけではない。この時使われた,ワトキンズが1861年に撮ったヨセミテの写真は,カリフォルニアの汽船運輸業者イズリエル・ウォード・レイモンド(Israel Ward Raymond)がコネスに送付したものだった(DeLuca and Demo 2000: 241)。ヨセミテをカリフォルニア州に譲渡し,世界初の原生公園を誕生させた画期的な法案は,サブライムな写真が与えるイメージだけを元に議論され,連邦議会を通過していたのである。
 アメリカの国立公園制度とピクチャレスク美学との関連を論じた英文学者のバイアリーが指摘するところによれば,アメリカの手つかずの大自然は,危険な対象が引き起こす恐怖に快感を覚えるサブライム美学の対象から,「絵になる」風景を枠にはめて鑑賞するピクチャレスク美学の対象へと変貌していった。国立公園とは,そうした「絵になる」一連の風景を一定の境界線の内部に囲い込んだ場所にほかならないのだ。
実際,アメリカのウィルダネス[wilderness, 手つかずの自然]は崇高な風景から,次第に連続したピクチャレスクな景色へと変貌していった。[…]。「崇高」な風景が産んだ恐怖の表情は,その風景を見る者の,それを無限に視覚的に占有していこうとする支配的な力と可能性に関わる感覚に依存している。しかしながら,アメリカのウィルダネスは次第に減少し限定されるようになり,もはや無限に膨張していくようには見えなくなって,確立された境界線の中で制御されるものとなった。意識的かつ美学的に風景を閉じこめることはピクチャレスク運動を象徴したものであり,[…]そうした行為は我々の国立公園の注意深くひかれた境界線の中で模写されているのである。(バイアリー 1998: 173,[ ]内は私の補足)
 こうして国立公園に囲い込まれた自然は「ピクチャレスクな商品」となり,貪欲な観光客たちの消費の対象となる。
ピクチャレスクな商品としての自然という[…]感覚は,国立公園のデザインと管理に反映している。公園を通り抜ける高速道路は,理想的な写真を撮る場所だということを示す展望台や景観鑑賞のための駐車スペースで満ちあふれている。実際,ある意味ではロッキー山脈やヨセミテ,イエローストーンから多くの観光客が持ち帰るどれも同じような写真は,かつてイギリス人の観光客がイタリアや湖水地方から持ち帰った水彩画のレプリカなのである。(バイアリー 1998: 183)
 観光社会学者のジョン・アーリ(John Urry)は,「イメージとしての自然」が消費の対象となることで,本来の意味の環境汚染とは別の意味で,自然環境が「汚染」されていくことを批判している。
[写真という]人びとの思い出を記録する手段が大衆化したことで,ツーリズムはさらに爆発的に発展した。それはとりわけ,環境汚染を免れた風景をめざす旅についていえる。しかしながら,当然,そうした場所は環境汚染とは別の意味でますます汚染されてゆく。ほとんど同じような(多くの場合,おきまりのあるいは見どころ案内の)風景を写真に収めようと,大勢の訪問客が訪れるからである。それゆえ,写真撮影はツーリズムと環境の関係が孕む矛盾を大きくしたともいえる。写真撮影によって,汚染を免れた特定の風景の人気が高まり,そのゆえにそうした環境を保存すべきだという要請も高まったのである。が,さらに写真撮影を目的に,とりわけ思い出に残る景色を収めようとする訪問客が増え,集まってきたことによって,そうした環境がかなり悪化することにもなったのである。(アーリ 2003: 292-3,[ ]内は私の補足)
 しかし一方,歴史家のサイモン・シャーマは,現実に自然環境が保護されていることを重視し,「イメージとしての自然」が環境保護運動につながったことを肯定的に評価している。
われわれがわれわれの文化と最も無縁のものと思っている風景でさえ,仔細に見ると,文化の産物であることがわかるかもしれない。[…]私が論じようとしているのは,これが原因で罪や悲しみではなく賞揚こそがうまれるということだ。いくら人が多い,絵や写真にされ過ぎているといっても,だからといってヨセミテが発見されず,地図が作られず,公園にされなかったほうがよかっただろうか。[…]。こうなると,地球生態系に対する人間の影響が完全に良いこととも言えないことは(たしかに)認めるにしろ,しかし長きにわたる自然と文化の関係はあらかじめそう定められたひたすらな災禍というわけでもなかったのだ。(シャーマ 2005: 16-7)
 ヨセミテの自然環境は,「手つかずの自然」というイメージの観光地になったがために保存されている。そこにはおそらく環境保護をだしにした金儲け主義が絡んでいるのだろうが,現実に自然環境が保護されている以上,観光地としてのイメージ戦略を,一概に批判することはできない。
 ただしそれは単純に「めでたしめでたし」で終わる話ではない。実はヨセミテの環境保護運動の背後では,人跡未踏の「手つかずの自然」という好ましいイメージを保つために,ヨセミテから排除されたものもあったのだ。デルーカらはワトキンズの写真についてこう語る。
アメリカ先住民および彼らの生活の痕跡の写真を撮らないことで,ワトキンズはより大規模な文化的プロジェクトに貢献していた。すなわち,アメリカ先住民を文字通りの意味でも比喩的な意味でも払拭して,人跡未踏の自然が存在するという国家的神話を作り出すというプロジェクトだ。その神話が具現化されたものこそ,ヨセミテという「人跡未踏の楽園」なのだ。(DeLuca and Demo 2000: 256)
 ワトキンズが撮ったヨセミテの風景にはアメリカ先住民がほとんど登場しないが,ヨセミテはもともとアワニチ族(Ahwahneechee)などの先住民が住んでいた土地である。国立公園とアメリカ先住民の関係について,歴史学者のマーク・スペンス(Mark Spence)はこう書いている。
[アメリカ合衆国の中で]のちに国立公園となったすべての地域は,かつてアメリカインディアンが住み,使用していた土地なのだが,ヨセミテだけは国立公園となったのちも境界内にアメリカ先住民の地域社会を含んでいた。実際,現在アメリカ人が彼らの国立公園を享受することができるのは,インディアンたちが意に沿わぬ形でその土地を立ち去ったか,居留地に強制移住させられたからなのだ。(Spence 1996: 27,[ ]内は私の補足)
 イエローストーン(Yellowstone)やグレイシャー(Glacier)といった初期の国立公園では,国立公園とされた地域に住んでいた先住民は強制移住させられたが,ヨセミテだけは例外的に先住民が公園内に住み続けることを許された。しかしその理由は,彼らがヨセミテに生息する野生動物たちと並んで,ヨセミテの自然の景観の一部と見なされたからであった。
インディアンが「手つかずの自然」の風景をある意味で補って完成させるという考え方は,ヨセミテを描いた初期の風景画家たちの作品に如実に示されていた。ヨセミテに現代の観光客を登場させたのでは,風景のサブライムな魅力を損ねることになるだろうが,「ピクチャレスクな」インディアンや彼らが作った構築物を描けば,絵に「土着」の雰囲気を添えることになり,描かれた人間の小ささは,ヨセミテの絶壁や滝の雄大さを際立たせることになるのだった。(Spence 1996: 35)
 自然の風景の一部とされ,観光客に対する見世物としての価値を認められたがゆえに残ることが許された先住民たちは,結局はそうした不自然な生活に馴染めず,20世紀前半には徐々にヨセミテを去っていく。
 このように先住民を排除することで成立する「手つかずの自然」というイメージを,スペンスは手厳しく批判する。「要するに,国立公園,国定記念物,国有林という形で保護された『手つかずの自然』は,強奪された『手つかずの自然』なのだ。何世紀にもわたってその自然と交流することで,その自然を作り上げ,自らを作り上げてきた人々から,強奪されたものなのだ」(Spence 1996: 58)。作家のレベッカ・ソルニット(Rebecca Solnit)もまた,アメリカ西部の自然が先住民から強奪されたものであることを批判してこう述べている。
無人の西部——われわれが「手つかずの自然」と呼ぶ無人の空間——という観念は,大部分が幻想だ。西部は無人だったのではない。無人にされたのだ。文字通りの意味では,マリポサ大隊[the Mariposa Battalion]などの[白人の]遠征隊によって。比喩的な意味では,多くの画家や詩人や写真家が作り上げた,人跡未踏の楽園というサブライムなイメージによって。それは単に,われわれの歴史の決定的に重要な一部が隠蔽されていたというだけのことではない。風景に対するわれわれのより包括的な理解が,歪んだものだったということでもあるのだ。(Solnit 1992,[ ]内は私の補足)
 ちょうど『アバター』の地球人たちが,貴重な鉱物資源を手に入れるために原住民を祖先の土地から追い出そうとしたのと同じように,多数派のアメリカ人は,貴重な「観光資源としての自然」を手に入れるため,先住民を祖先の土地から追い出していたのだ。これは,「郷愁」から生まれる自然保護活動が,すべての人を幸福にするわけではないことの一例だと言える。
 映画『アバター』で,鉱物資源のために祖先の土地を不当に奪われようとしているナヴィ族の姿の背後には,観光資源としての自然のために祖先の土地を不当に奪われた,アメリカ先住民たちの姿が透けて見えているのだ。

6.『アバター』に自然はあるのか


 本稿のタイトルである「ジェームズ・キャメロンの『アバター』に自然はあるのか?」という問いに答えるとすれば,「良かれ悪しかれ,イメージとしての自然ならふんだんにある」といった答え方になるだろうか。
 キャメロン監督は,イメージとしての自然を人工的な技術を駆使して描くことに対して,いささかも矛盾を感じてはいない。ウェブ雑誌『スラッシュフィルム』(/Film)のインタビューで,「テクノロジーの邪悪さを批判し,自然と共に生きるナヴィ族のシンプルな生活を賞賛する映画が,最先端のテクノロジーを駆使して作られているのは矛盾ではないか」という趣旨のインタビュアーの質問に,キャメロン監督はこう答えている。
私にとってそれは矛盾ではありません。皮肉ですらない。[…]。最先端のテクノロジーを使って,自然の持つ独創性を称えることはできると思うし,私たちはそれをやったんです。私にとって,テクノロジーそれ自体は邪悪なものではありません。しかし人間がテクノロジーを乱用することで,邪悪なものになる可能性が大きいのです。ですからそれらは私の映画の中でテーマ的に結びついています。[…]。『アバター』では人類が「アンオブタニウム」という鉱物資源を採掘していますが,なぜかと言えば,地球のエネルギー危機を解決するためです。映画の中ではっきり語ってはいませんが,その鉱物はテクノロジーの関係で必要なんです。しかし人類はそれを手に入れるために,自然界やパンドラ先住民の文化と交流するうえで,基本的に倫理や道徳を無視した選択をしてしまう。つまりこの映画は,人々に責任を持てと言っているのです。テクノロジーの使い方に責任を持てと。(Chen 2009
『アバター』には,自然環境や生態系や環境破壊に対して現代の欧米人およびその影響を受けた文化圏の人々が抱いている,典型的なイメージが反映されている。逆に『アバター』は,ジブリアニメやテレビ・映画の自然ドキュメンタリーなどその他の映像や物語と相まって,「イメージとしての自然」の一部となり,観客の自然観を形作っていくことになるだろう。
 環境保全に対して,「イメージとしての自然」,すなわち物語や映像などの文化的産物(絵空事)が醸し出すイメージの集積である「記憶」が果たす役割について,サイモン・シャーマはこう言っている。
環境保全の要請が聖なる神話的な性格を帯び,人々の習慣が日頃示すより以上に純粋かつ非妥協的な[環境保全への]献身が要求されている今この時にこそ,その[自然環境と人間の活動との]バランスを回復するのに記憶が役立ってくれるのではあるまいか。(シャーマ 2005: 28,[ ]内は私の補足)
「イメージとしての自然」に導かれた19世紀アメリカの自然保護運動が,世界初の原生公園を誕生させるとともに先住民の土地の強奪につながったように,「イメージとしての自然」を守ろうとする運動が暴走することで,人々が不当に迫害される事態は今後も起こりうる。しかし,キャメロン監督がテクノロジーについて語っている言葉をもじって言うなら,「イメージとしての自然」それ自体が邪悪なのではない。人間が自らの生み出した「イメージとしての自然」とどう付き合っていくかが問題なのだ。私が本稿で展開した読みを通して眺めれば,映画『アバター』のメッセージは,「イメージとしての自然をどう扱うかに責任を持て」ということになるだろうか。
 パンドラの緑豊かな自然への「郷愁」は,今後の環境保護運動に何らかの影響を与えていくことになるだろう。最後にキャメロン監督自身の言葉を引用しよう。
私は人々に罪悪感を感じさせようとしてるんじゃなくて,心から尊敬を感じてほしいというか,地球の扱い方に責任を感じてほしいんです。この映画[『アバター』]は,観客の情緒に訴えることでそれができると思います。[『アバター』のメッセージは]すでにみんなが知っていることだし,教えるのは簡単です。この映画は説教をしているわけじゃない。みなさんがすでに持っている情報に,情緒的な文脈を付け加えているんです。ひょっとしたらそうした情緒的な反応が,「一人じゃ何も変えられない,自分に影響があるわけじゃないから関係ない,気温がちょっと上昇するくらいどうでもいい」といった,われわれ自身が築き上げている拒絶反応に,風穴をあけるかもしれません。(Chen 2009,[ ]内は私の補足)


(1) 興行収入のデータは asahi.com(朝日新聞社)の記事「『アバター』興行収入歴代1位に 『タイタニック』抜く」(2010年1月26日)による。なお,興行収入ニュースサイト Box Office Mojo によれば,本稿執筆時(2010年11月22日)での『アバター』の全世界興行収入は依然として歴代1位であり,未公開映像を加えた「特別編」での公開を含めて27億7820万ドル(約2325億円)である。
(2)「参考資料」として日本語の訳書を挙げた文献を除き,英語文献からの引用はすべて私[内田]が翻訳したものである。

参考資料

(付記)本稿は,平成22年度岐阜大学公開講座/地域科学部企画「学生プロデュース "市民のための環境講座" 『育てよう! "I ♡ 地球人" 考えよう! 地球環境の未来』」における私の講義(2010年9月25日,岐阜大学地域科学部)の内容を元にしたものである。本稿の初期稿でもある講義当日の配付資料は,以下のURLに置かれている。<https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/avatar10.html>


内田勝「ジェームズ・キャメロンの『アバター』に自然はあるのか?——仮想世界の風景論」(2011)
〈https://www1.gifu-u.ac.jp/‾masaru/uchida/avatar-nature11.html〉
(c) Masaru Uchida 2011
ファイル公開日: 2011-2-14
ファイル更新日: 2011-2-16(画像リンク先の追加)
ファイル更新日: 2011-12-8(消滅したリンク先を Internet Archive Wayback Machine に保存されたスナップショットに差し替え)

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