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ワサビにおける農産物直売所が果たす役割と文化地理学的傾向 
―道の駅の聞き取り調査から―

山根 京子
岐阜大学応用生物科学部

キーワード:遺伝資源、山菜、市場外取引、地域特産物、中山間地、乱獲、Eutrema japonicum    

   「農業および園芸」 86巻 11号 1078〜1091(2011)より改変   
  1. 緒言
「ワサビ」といえば、刺身や蕎麦を食べる際に 添えられる緑色の「練りもの」をイメージする人が多いだろう。練りものの正体ともいえる「生のワサビ」となると、どれほど認知されているのだろうか。近年、こうした生のワサビが購入できる場所として農産物直売所が重要な役割を示すようになった。農産物直売所は全国約1万ヶ所に設置され、年間販売額も増加傾向にあり、年間販売額に占める産地別販売額の割合をみると、地場農産物の割合も増加している(平成19年農産物地産地消等実態調査結果より)。これは、こうした直売所が、「特定の品目やまとまった数量以外の農林産物は基本的に集荷されない、既存の販売経路に乗りにくい地域特産物」に、あらたな市場性を寄与する施設として、地域振興への貢献も期待されている。ワサビもまた、地域特産物として各地の直売所で販売される品目の一つとなっている。

農林水産省などが公表している主要中央卸売市場におけるデータによると、平成18年時点でワサビの生産量が計上されていない都道府県はわずか3府県(千葉、大阪、沖縄)のみとなっており、ワサビは、全国各地の広い範囲で生産されていることがわかる。しかしながら、市場に出荷していない小規模農家の状況は本データでは把握できない部分が多く、その実態は全く把握されていないのが現状である。全体的にみてもワサビ生産量と生産額の推移を調べたデータによると、近年、総生産量(および生産額)にしめる静岡県の占有率が他府県を大きくひきはなし、その差は年々ひらく傾向にある(生産量64.2%および生産額81.6%、2007年)。このことは、現在の日本のワサビ生産が、静岡県一県に依存していることを示しており、全国各地に存在するはずの小規模農家の出荷は減少傾向にあることも意味している。これとは対照的に、外国産ワサビの輸入量は確実に増えつつある。生産量が確認できているだけでも、タイ、中国、ニュージーランド、北朝鮮、アメリカ、カナダなど、14カ国にのぼる国でワサビが栽培され輸出されており、これらの安価な外国産の輸入が続くことでますます単価が下落し、日本の小規模農家の衰退がすすむことが懸念される。さらに、ワサビは日本固有種であるため、種子や苗はすべて日本由来のものであり、様々な要因で枯渇傾向にある資源や技術が、無防備に海外に流出されている現実もある。こうしたなか、市場取引データからだけでは把握しきれていない日本各地の小規模なワサビ市場の実態を把握することは、持続的にワサビ資源を利用するためにはどのようにすればよいのか、その方策を考えるうえで重要な基礎データとなる。

ワサビは、文化・民族学的にみても重要な植物である。ワサビは日本で栽培化されたとされる数少ない植物の一つであり、日本の食文化に重要な役割を果たしてきた。国土の約65%が森林に覆われる日本においては、中山間地におけるこうした植物資源の利用は、ごく自然に行われてきた営みであり、そこには多くの伝統や歴史が刻まれている。ところが近年、こうした森林環境と資源の利用は、大きく変わりつつある。山間部では過疎化、高齢化がすすみ、そこに長い間培われてきた技術、知識、資源など、文化的所産が失われつつある。しかしながら、文化・民族学的な調査が全国規模で行われることがなかったため、地域間でどのように違いがあるのか、どのような文化的側面を持つのかなど、基本的な情報が皆無であった。

そこで本研究では、約8割が中山間地に設置されている「道の駅」に着目し、ワサビが市場外においてどのように生産・販売され利用されているのか、特産野菜の直売所を併設する全国の道の駅を対象に電話をし、聞き取り調査を行った。そして、ワサビにおいて農産物直売所が果たしている役割を明らかにするとともに、ワサビの利用に関する文化的な特徴が、地域間でどのように異なるのか、また、ワサビ文化の多様性の中心地はどこであるのかを明らかにすることを目的とした。

 
  2.調査内容
本研究では、全国の道の駅のなかから無作為に対象施設を抽出し、
電話による聞き取り調査を行った。
質問内容
@ (加工品でない)生のワサビを販売したことがあるか
A @で「はい」の回答が得られた場合の、販売部位、販売価格、売れ行きは
B 道の駅周辺地域でワサビ栽培がされているか
C 道の駅周辺地域でワサビが自生している地域はあるか
D ワサビの料理法
E おいしいワサビとはどういうワサビか
F ワサビに関して、他のよび方はあるか

     

3.販売・栽培・自生ワサビの現状と実態
3-1. 販売実態〜根茎よりも葉、茎、花などの地上部の方がよく売れていた 
質問@「生のワサビ販売の有無」に対する回答として、109店舗(57%)で「販売あり」の回答が得られた。
 
     
  図1から、生のワサビの販売が確認できなかったのは北海道、青森、埼玉、千葉、神奈川、山梨、滋賀、大阪、三重、長崎、鹿児島、沖縄の12道府県であった。地理的にみても、東北から九州まで広い範囲で販売されていることがわかった(図1)。また、ワサビの販売実態に関しては、根茎だけを販売している店は109店舗中9店舗にとどまり(図1)、道の駅では主に、葉などの地上部が販売されている実態が明らかとなった。  
     

さらに詳しく販売されている植物の部位を比較してみると、最小単位の販売価格の平均額は、根茎で523円、地上部(葉、茎、花を含む)で217円と、根茎が地上部の2倍近い価格で販売されていることがわかった(表2)。売れ行きに関して回答者の印象をたずねたところ、葉などの地上部は、ほとんどの店で「置けば完売」、「すぐ売れる」と好調さが目立ったのに対し、根茎では、5店舗中1店舗の割合で「あまり売れない」との回答が比較的多く得られ、根茎よりも地上部の方が総じて売れ行きがよいという結果が得られた(表2)。地上部を購入者した人に関して、「どのような客層であったか」を確認したところ、「食べ方を知っている地元の人」と回答する店舗が22件でみられた。その一方で、地上部の食べ方がわからない客層に食べ方を教えたり、レシピを配布するなどしている店舗が23店舗あり、食べ方を知らない人でも購入できるよう工夫がなされていることがわかった。この23店舗中の22店舗では、地上部は「置けばすぐ完売」、残りの1店舗も「まあまあ売れる」と、いずれも売れ行きが好調であったことからも、こうした販売努力は売り上げ向上に貢献していると考えられる。
また、地上部と根茎では、販売時期にも違いがみられた。地上部は、春(60店舗)、秋(1)、冬(1)、冬春(6)、春秋(1)に販売されていた。地上部の場合、ほとんどが春に販売されており、他の山菜と同様に、「季節もの」として扱われていることがわかる。これに対し、根茎は、春(3店舗)、夏(7)、秋(4)、秋冬(2)、冬(3)、冬春(1)、年中(10)と、全国的に、決まった季節に販売される傾向はなく、店舗により販売している季節が異なる傾向があることがわかった(表2)。
 
   
  3-2. 栽培実態〜ワサビは全国各地で栽培されており、高齢化も著しい
道の駅のある地域でのワサビの栽培状況について調査をしたところ、「栽培あり」と回答があったのは91店舗(有効回答数中48%)であった。ただ、ワサビの場合、「栽培」の定義が明確でなく、道の駅に持ち込まれたワサビは、真の意味で栽培によるものなのか、あるいは自生しているものを採集しただけのものなのか、今回の聞き取り調査だけでは正確に把握することはできない。いずれにせよ、上記の結果は回答者が「生産者」として認識している人とみなすことができる。生産者の年齢層もたずねたところ、確認できただけで70代以上では13人(59%)、60代以上(70代以上も含む)は18人(82%)となった。ワサビにおいても栽培従事者の高齢化著しいことがうかがえる。こうした状況はワサビに限った傾向ではないと考えられ、「あと数十年もすれば特産物を持ち込む人もなくなり、道の駅としても大きな損失になるだろう」と話す駅長もいた。

3-3. 自生ワサビについて〜過剰採集のおそれあり
春になると、全国各地の直売所には、ワサビも含めてコゴミ、タラの芽など、いわゆる「山菜」とよばれる品目が店にならぶようになる。地域特産物のうち、とくにこうした山菜がイネなどの一般的な作物と異なる点として、「栽培」を経なくても収穫ができる点があげられる。ここで疑問が生じる。それは、こうした山菜類が栽培されたものでない場合、どのようにして店に持ち込まれるのだろうか、という点である。もし、天然資源が持ち込まれているとすれば、不特定多数の人に対する販売行為が、植物資源の枯渇につながっていないか懸念される。現在のところデータもないが、今後は調査が必要であろう。ワサビにおいて、この点を検証するために、「自生ワサビ」に関して質問をした。
質問C「道の駅周辺地域でワサビが自生している地域はあるかどうか」に対し、91店舗で「あり」との回答が得られた。道の駅のほとんどが中山間地に立地している点を考慮に入れたとしても、高い数値といえよう。こうしたなかで注目すべき点は、ワサビの「販売あり」と答えた店舗のなかで、「栽培なし」(「不明、わからない」は除いている)としながらも、「自生あり」とした店舗が20件におよんだことであろう。この結果は、少なくとも回答者が、道の駅に持ち込まれるワサビが栽培されたものではなく、自生状態のものであると認識していることを意味している。さらにこの20件のうち、6件(30%)では、根茎も販売されていることがわかった。このことは、現地から「根こそぎ」採集したワサビを販売していることを意味しており注意が必要だ。とくに、昔から持続的にワサビを利用してきた地元の資源利用に詳しい人物であれば、採り尽くさないよう注意しながら採集されている可能性もあるが、何の知識もなく、ただ採集してきて販売しているとすれば、絶滅を招く危険な行為といえるだろう。ワサビに限らず、栽培ではなく、山に自然にはえている山菜を採集して販売されているケースがある。そのため、資源枯渇を防ぎ、持続的に利用するためにも、直売所での販売が、植物資源の過剰採集につながっていないか、今後はモニタリングが必要であろう。
 
  「ワサビは昔に比べて減ったかどうか」という質問をしたところ、「減った」(48人、59%)、「増えた」(1人、1%)、「変わらない」(20人、21%)、「わからない」(27人、28%)となり、「昔より減った」と感じている人が圧倒的に多いことがわかった。その要因をたずねた結果が表3である。ここで注目すべきは、最も回答が多かったのが「乱獲」23人(30%)であった点であろう。著者の現地調査でも、乱獲が深刻な問題であることは認識していたが、今回それを裏付ける結果となった。営利目的で集団を絶滅に追い込んでしまうほど大量に略奪するケースもあれば、登山などでたまたま立ち寄った人に持ち帰られるケースもある。後者の場合でも、頻度が多ければ、集団を消滅させることはたやすく、深刻さに変わりはない。その一方で、同じく人間が関係する理由でも、「山を手入れする人(または山に入る人)が減ったから」という回答も15人(19%)から得られた。ワサビは史実として最初にあらわれる飛鳥時代から1400年にわたり利用されてきたことがわかっている。   
以来、ワサビは様々な人の関与を受けながら、現在まで絶えることなく受け継がれてきた貴重な資源といえる。山に自然にはえているものでも、森林利用および管理の一環として、なんからの人の関与により個体数が維持されてきたとすれば、このまま放置すれば、乱獲による個体数の減少がとまらなくなる可能性が否めない。この件に関しては、これからの植物資源としてのワサビの保全計画にもかかわるため、さらなる調査が必要といえる。また、「動物による被害」を要因としてあげる人も16人(21%)いた。ワサビに限らず、中山間地における植物資源の動物による被害は、全国的に非常に深刻な問題となっており、ワサビも例外ではないようだ。
 
  3-4. ワサビにおける農産物直売所の果たす役割と今後の展望
本調査から、農産物直売所においては、茎や葉などの地上部が、根茎よりも多く取り扱われ、その範囲も日本全国各地の広い範囲におよぶことが明らかとなった。農産物直売所においては、ワサビは特別な野菜というよりは、「山菜」として位置づけられていることが多く、そのため、販売価格も、他の野菜に比べてもそれほど高い価格帯ではなかった。根茎はこれに対しておよそ倍の単価で販売されており、売れ行きも地上部に比べると落ちる結果となっていた。ここで疑問が生じる。なぜ、農産物直売所では根茎ではなく地上部が主な販売部位となっているのだろうか。その要因として、近年のワサビをとりまく様々な状況の変化が考えられる。形がよく大きい根茎を栽培するためには、優れた品種を的確に栽培する技術システムが必要となる。そのためには「高い技術」が必要となるだけでなく、ワサビ田にかける「コスト」や「労働力」が要求されることになる。そのため、高齢化や、過疎化がすすみ労働力の確保が難しい農家や、物流の点で不利な地域では、根茎を主目的とした栽培は、より困難になることが容易に想像できる。それでも、バブル期までのように販売単価が高ければ、栽培する意欲も失われることなく、こうした地域でも栽培が続けられてきた。しかしながら、冒頭でも述べたように、ワサビの販売単価はバブル期以降下落の一途をたどり、出荷するまでに平均して2年(あるいはもっと)かかるような根茎の栽培は、「わりに合わない」とされ、次々にワサビ田が放棄されているのが現状だ。それでも、長年その土地で守り続けられてきたワサビを捨てることができず、細々と栽培を続けてきた農家にとって、農産物直売所がどれだけ大きい意味をもつのか、想像に難くない。しかしながら、こうしたワサビ農家も高齢化がすすみ、「代々受け継がれてきたから」という理由で残されてきたワサビ田を継承する若い人材がみあたらないのが現状だ。こうした状況では、地上部、根茎に関係なく、ワサビの栽培そのものが消えつつある。その一方で、よそから来た人による「乱獲」が続けば、貴重な資源の枯渇は避けられないだろう。中山間地をとりまく環境が激変する今、持続的に森林植物資源を利用するためにはどうすればよいのか、早急に検討すべき課題である。

 
  4.ワサビにおける民族・文化的側面とその地理的傾向
4-1. 植物としてのワサビに対する距離感〜日本海側に多く見られる「ワサビは珍しい植物ではない」
 
  植物としてのワサビに対する距離感を明らかにすることを目的として、「道の駅のある地域ではワサビは珍しい植物かどうか」たずねた。その結果、「珍しい植物ではない」と答えた回答者は45人(全回答者中24%)にのぼった。この場合のワサビが栽培、野生(=天然)のいずれを指しているかはわからないが、少なくとも45人はワサビという植物が身近な存在であると感じているようであった。地理的な分布をみると、日本海側に「珍しくない」と回答した店舗が多い傾向にあることがわかる(図2)。
 
     
    逆に、ワサビの主要産地である静岡県を含む太平洋側で、「珍しくない」と回答した人が少なかった。伊豆地方では、いたるところでワサビ田の風景に出合えたり、食べる機会も多くなる。しかしながら、どこにでもはえている身近な植物、という認識ではないようだ。実際、著者の現地調査でも、ワサビの主な分布は日本海側であることがわかっており、また標本の分布データからも、同様の結果が得られている。ワサビはもともと、日本海側を中心とした分布域をもつ植物であり、そのため、日本海側に住む人々にとっては、「珍しい植物ではない」という印象を与えている可能性が高いと考えられる。
では、こうした植物としての分布が、「文化」に関してどのような影響を与えているのだろうか、食文化にまつわる幾つかの質問に対する回答の傾向を分析することにした。

 
  4-2. 料理法について―辛みを出すための「コツ」が存在する地域がある
 
  ワサビの料理といえば、すりおろしたものを刺身や蕎麦の「薬味」として用いるほかに思いつかない人も多いだろう。実際は、現在でも葉や茎などを使った料理が全国各地でみられる。調査の結果、96人からワサビを用いた何らかの料理法に関する回答が得られた。漬物(56件)やおひたし(14件)といった地上部を利用した料理が多く、販売部位が地上部の方が圧倒的に多かった結果と矛盾しない。注目すべきは、漬物やおひたしにするまでの過程だ。まず最初に、湯にくぐらせる(または湯をかける、とおす)など「(熱)湯」を用いると回答した人が57人(59.4 %)におよんだ。興味深いのは、その理由である。
 
     
  ワサビの場合、湯を用いるのは、「辛味を出すため」または「辛味を強くするため」だという。なかには、「ちょうど74度でないといけない」、「温度計を使うとうまくいく」、など、正確な温度にこだわりをみせる人もいた。温度だけではなく、「辛さ」を増すためには、他にもコツが必要だという回答も多数得られている。たとえば、「もむ」、「たたく」、「ふる」、「砂糖を加える」という行為だ(34店舗)。こうした手順を通すことで、本当に辛味は増すのだろうか。実は、こうした手順は科学的にも矛盾がないことがわかっている。湯、もむ、たたく、などに共通する効果は、「組織を破壊する」という点である。ワサビや他のアブラナ科植物に含まれる辛み成分の本体ともいえるアリルイソチオシアネートは植物にはじめから含まれる成分ではなく、組織が損傷することで生成される成分である(Wittstock and Halkier 2002)。じつは、薬味として用いられている「練りもの」も、根茎を「すりおろす」ことで、辛みが引き出されているといえるのである。このように、すりおろす以外で辛みを出すための手順がなされている店舗に関して、地図にプロットしたのが図3である。図で示したように、辛味を出すために「砂糖」を加えると回答した6店舗が長野県を中心とした糸魚川構造線沿いの日本列島を縦断した地域に集中していることもわかった。興味深いデータではあるが、現在のところ、なぜ辛みを出すために砂糖を使う文化が本地域に集中しているのかについてはわからない。ワサビだけでなく、この地方独特の食文化を検証する必要があるのかもしれない。また、「湯」、「もむ」、「たたく」、「ふる」、の全ての手順が行われている店舗は、九州から東北までの主に日本海側の地域に集中していることがわかる。興味深いのは、図2で示した「ワサビは珍しい植物ではない」と回答をした人の分布とよく似ている点であろう。ワサビが身近にあり続けた食材だからこそワサビ料理の歴史も古く、そのため、いかに辛みを出すかという工夫が重ねられてきた伝統が、長い間受け継がれてきたことを示す結果なのではないだろうか。
 
  4-3. おいしいワサビとは?〜味へのこだわりがみられる地域が存在する  
質問E「おいしいわさびとは」に対しては、45人(24%)が「質問の意味がわからない」、あるいは「見解をもたない」と答えた。おそらく、植物としてのワサビをみたことがない都会に住む人々のほとんどが、同様の印象を持つのではないだろうか。植物としてのワサビとの距離と、「味へのこだわり」は関連しているかもしれないという仮説のもと、販売の有無と、味へのこだわりの有無に関してフィッシャーの正確確率検定を行った。その結果、有意な結果が得られた(表4)。
  つまり、ワサビの販売の有無と、ワサビの味にたいするこだわりの間には、何らかの関係があることが示された。145人(76%)もの人が、同質問に対して、なんらかの回答を示し、「辛い」「甘い」など、54通りもの答えが得られた。しかしながらこのなかには「きれいな水」「静岡」「色」など、イメージを答える回答者が多く、直接的に「味」を表現したものとは言い難い。そのため、明らかに「味」を表現していると考えられる「甘み」、「風味」「香り」「ねばり」「うまみ」「味がある(または味わいがある)」「ぬめり」「こく」「こい」について、どれか一つでも答えた人に関して、地図にプロットし、地理的な分布を確認した(図4)。    
     
  その結果、中部から九州にかけて、広い範囲で味へのこだわりがみられた。さらに、「辛み」が重要な要素である、とした回答も多数得られ、同様に地理的な分布傾向を調べた(図5)。「辛み」が重要であるとした人は、東北でも一部みられたが、関西地区ではみられないという結果が得られた。地理的分布状況から、「甘み」「風味」など、「味へのこだわり」と、「辛み」が重要である、の両方の回答が得られたのは、中国地方と北陸から伊豆にかけての地域であった。
その結果、中部から九州にかけて、広い範囲で味へのこだわりがみられた。

 
     
  4-4. ワサビの呼称について〜関東地方では呼称の多様性はほとんどみられなかった
 
  ワサビに関する呼称は、121店舗(有効回答中64%)で何らかの回答が得られ、合計20種類〔オカワサビ、ガニメ、カワワサビ、クキワサビ、サワワサビ、セイヨウワサビ、センナ、タニワサビ、ツクリワサビ、ナマワサビ、ネワサビ、ハタケワサビ、ハタワサビ、ハナワサビ、ハワサビ、ホンワサビ、ミズワサビ、ヤマワサビ、ワサビナ、ワサビバナ(複数回答あり)〕が確認できた。ワサビに対する方言としては、日本植物方言集成で、「カラシ」「シャンショノキ」「センノ」「ヒノ」「フシベ」「フスベ」「ワサビナ」が紹介されている。しかし、このいずれも本聞き取り調査では得られていない。恐らく、こうした方言をより詳しく調べるためには、ワサビに関して文化的に重要な地点を集中的にあたり、高齢者を中心とした聞き取り調査を行う必要があると考えられる。しかしながら、本調査でも、ワサビの呼称に関して重要かつ興味深いデータが多数得られている。本調査で得られた呼称の特徴としては、「ワサビ」の前後に「ヤマ」「ハ」などが付けられたものが多い点があげられる。これらはワサビの部位や、生育環境の違いを区別するための言葉であり、ワサビがより身近でないとうまれない言葉だ。また、ワサビの言葉そのものが変化していた呼び名として、「センナ」と「ガニメ」が得られた。「センナ」は富山県を中心とした北陸地方でみられるワサビに対する呼称で、根茎の小さなワサビを総称して呼ぶこともあれば、ワサビ料理(漬物)を指していることもある。「ガニメ」は、2店舗(山口県と島根県)でみられた呼称で、ワサビの分げつ(=新芽)を指す中国地方特有の表現である。得られた全ての呼称に関して、地理的な分布状況を調べた(図6)。  
   
  その結果、かなりの広範囲でワサビに関する何からの呼称が存在していた。この結果は、ワサビの販売が日本全国の広い範囲で行われていた現状と一致する。最も多様によび名が用いられていたのは、山形県〔田沢〕と大分県〔せせらぎの郷かみつえ〕の2箇所であった。いずれの地域でも現在でもワサビ栽培が行われている産地である。呼称の多様性の地理的分布の特徴としては、中国、北陸、東北地方でより多くの呼称が用いられているようである。伊豆半島を含む静岡県や関東地方で、ワサビに関する呼称がみられなかった点も重要だ。個別にみると、20種類ある呼称のうちで最も多く用いられていたのは、「ハワサビ」であった。回答が得られた121人中じつに100人(82.6%)に用いられていた。ワサビといえば、太い根茎をすりおろして食べるもの、という一般的なイメージがある一方で、いかに葉の利用度が高いかがうかがえる。このことは、販売部位としては地上部が多い点とも矛盾しない。地理的な傾向としては、オカワサビ(6件)(足立 1987)は長野県を中心とした地域に、ハタケワサビ(またはハタワサビ)(17件)は中国地方に集中していた(図7)。中国地方へ行くと、ワサビを畑状態で栽培している農家も多く、林床など、必ずしも水が常時流れている沢とはいえないような環境に群生している状況もよくみかける。こうした光景は、ワサビの産地として知られる静岡県や長野県ではみられない。ワサビの生育状況をより反映した呼称といえるかもしれない。
 
     
  また、「ハタケワサビ」や「オカワサビ」と対照的な呼び名として「タニワサビ」がある。興味深いことに、「タニワサビ」も「ハタケワサビ」と同様に中国地方に局在しており、これらの呼び名が中国地方において、生育状況の違いを表したものとして長年用いられていた可能性があると考えられる。

 
  4-5. 地理的傾向からみえるもの〜ワサビの文化的多様性中心地
 
 
 
  これまで、本調査で実施した質問に対する回答内容の地理的分布傾向を明示してきた。これらを整理すると、「料理法」(図3)「味に対するこだわり」(図4、5)「呼称の多様性と分布」(図6、7)の全ての図において共通して多様性が高いことが示され、文化的に重要であると考えられた地域は、図8で示したとおり、中国地方と北陸地方の2地域であることが明らかとなった。次に、「呼称の多様性と分布」(図6、7)においてのみ、多様性が認められなかった地域が、伊豆地方となった(図8)。
 
     
  以上の結果から、本研究においては、これら中国地方と北陸地方、伊豆地方を、ワサビ文化において重要な「センター地域」と位置づけることとした。さらに、図8に示したように、中国・北陸地方を1次センターに、伊豆地方を2次センターとするに至った根拠は次の通りである。まず、著者はワサビに対する距離感を調べた結果を重視した(図2)。本調査結果によると、1次センターとした2地域は、いずれもワサビに対して「珍しくない」とする人が多かった。つまり、これら2地域では、ワサビが身近な存在であることを示しており、このことが結果的にワサビ文化を多様にしたのではないか、というのが根拠である。また、栽培、野生の違いを問わないとする前提であったにもかかわらず、現在栽培がさかんな伊豆地方では、「ワサビは珍しい植物である」ととらえられていた。前述したとおり、この結果は標本の分布とも一致している。著者が全国4箇所の標本庫に所蔵されている標本資料を全て調べた結果、ワサビは主に日本海側を中心とした地域で、近縁の野生種であるユリワサビは太平洋側を中心で標本が採集されていたことがわかった。著者の全国調査で得られた結果とも矛盾がなく、ワサビはもともと日本海側を中心に分布する植物である可能性が高いといえる。これらのことから、ワサビが身近にあり、そこで自然発生的に文化的多様性がうまれたと考えられる中国・北陸地方の方が、伊豆地方に比べて歴史的に古い文化的要素を持つのでは、と考え、1次と2次に区別するに至った。伊豆地方は、江戸期以降、すりおろして薬味として食べる文化が発展したことと関連して、栽培技術が発展し、現在に至った経緯を持つ。それ以前の、同地における史実が記録された資料が存在しないため、江戸期以前からワサビ文化が根付いていた地域なのかが不明であったが、本調査の結果から、少なくとも中国・北陸地域よりは歴史的に浅いのではと推察している。ただし、伊豆地方を中心とした地域を2次センターと銘打ってはいるが、本地域は現在、日本全国から技術や情報が集まっており、今や日本のワサビ産業を代表する髄一の地域であることは間違いない。外国産ワサビの台頭により日本のワサビ産業の衰退が懸念されるなか、優秀な品種が育成され、安定的な供給がなされている本地域は、もはや産業においてだけでなく、ワサビ文化の今後を担う重要拠点にもなっている。
本調査で得られたワサビの料理法や呼称などの情報は、比較的若い人からも得られている。これは多くの人が「生産者や両親あるいは祖母、または近所の人から聞いた」結果であり、伝承ルートがとだえてしまえば、消えてしまうデータであるともいえる。このことは、ワサビに限ったことではない。中山間地におけるあらゆる伝統的知識や知恵など、多くの知的文化財産ともいえる情報が今、消えつつある。一刻も早く、残されている情報を収集し、記録しなければ、取り返しのつかないことになるだろう。そのことをここに述べておく。

 
   5.謝辞
本研究を遂行するに当たりご助力くださった宇藤初恵氏、鷲見真弓氏に深く感謝いたします。また、常に有益なご助言を頂いた山口大学農学部助教丹野研一博士にお礼を申し上げます。
 
  以上   
   



 
       
       
       
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