応用生物科学分野部門部長
応用生物科学部応用生物科学科
准教授安藤 正規
野生動物の動態をAIで観測する未来に向けて
シカがもたらす生態系への影響
私は森林科学(いわゆる林学)を学問的なバックグラウンドとしていますが、その中でもどちらかといえば生態学寄りの研究分野を専門としています。野生動物の生態や野生動物と生息地の環境(特に森林等の生物環境)との相互作用などを主な研究テーマとしており、その中でも特に今はニホンジカ(以下、シカ)の増加や分布拡大による森林生態系への影響、シカとカモシカとの種間相互作用に焦点を当てて研究を進めているところです。
現在、国内の多くの地域で、シカの個体数増加や分布域の拡大が問題となっており、大きな農林業被害が報告されています。また、経済的なダメージだけではなく、シカによる自然植生の衰退もかなり深刻です。シカの生息密度が高い場所の中には、樹高の高い木やシカの嫌う植物を除き、シカの口の届く範囲には全く植物がない程に下層植生が衰退した森林も多くみられます。岐阜県でも2013年頃にはこのような森林が県内で広がりつつあることが確認されていました。しかし現在までこの状況を改善することはできていません。シカの個体数削減が十分でないことも一要因と考えられますし、これに関連して現在特に危惧しているのは、県内の木材生産量増加に伴う森林伐採面積の増加です。県内の人工林の多くが現在伐採適期を迎えているため、森林伐採面積の増加自体は全く妥当な動向なのですが、一方で伐採跡地はシカにとって非常に好適な餌場となることが知られています。このため、伐採跡地での防除や捕獲努力が十分でない場合、森林伐採がシカの繁殖を促進する要因となってしまう危険があります。健全な森林の管理を進めるためには、この地域の生態系のサイクルやバランスをよく観察した上で、適切な施業・対策を実施していく必要があります。
森林や野生動物の現状や動態を把握するには
生態系のサイクルやバランスを知るとして、森林、特に人工林は人間側に植栽・育成の履歴があり、また伐採時期も人間側で決められます。一方、シカの動態、特に個体数の増減や分布の拡大は、これを調べるための特別な労力を払ってその動態を探る必要があります。では、“動態を探る”とはどうするのか?例えば、県内の下層植生がどのように衰退していっているか、シカの影響が現在どの辺りからどの辺りまで、どれくらいの規模で出ているのかという事を探る事が必要となります。このような調査は岐阜県が主体となって実施しており、私は岐阜県に協力する形でその調査に参加させていただいています。また、これとは別に、岐阜大学応用生物科学部附属岐阜フィールド科学研究教育センター位山演習林(岐阜県下呂市)において、赤外線センサーをもつ自動撮影装置(以下、カメラトラップ)を用いた野生動物の長期モニタリングを実施しています。カメラトラップは、動物が前を横切ると赤外線センサーが反応し、シャッターがおりてデジタル静止画像を保存する仕組みになっています。カメラトラップで得られた画像を確認して、「これはシカ」「これはイノシシ」と判別していけば、ある期間・ある地点におけるある動物の出没頻度がわかります。これを多くの場所で実施することによって、広範囲での野生動物の個体数増減や分布状況など、その動態を垣間見ることができるようになります。しかし、言うのは簡単ですが実施には大きな壁があります。撮影される画像の数が多すぎるのです。
自動撮影装置で得られる画像データの判別にかかる膨大な労力
一例ですが、私が演習林で実施している調査では、21台のカメラトラップによって年間5~10万枚程の画像が撮影されます。ただ、この中には、風によって揺れた枝や直射日光などによってセンサーが誤作動した際の画像も非常に多く含まれています。また、画像によっては動物の一部がフレームをはみ出ていたり、不鮮明であったりするものもあります。よってこの膨大な画像は誰でもさっと判別できるものではなく、熟練した調査者が注意を払って判別していく必要があるのです。しかし、多くの調査者はこの大量の画像を判別するための十分な時間を確保できません。また人が足りないからと言って外部に業務委託するとなると莫大な予算がかかってしまうため、現実的ではありません。さらに、この負担を減らす為に観測地点を減らすとなれば、広域での多点調査は実施不可能となってしまいます。この、人間の処理能力および予算の不足に由来する限界をなんとかクリアするために私が考えたのが、ディープラーニングの導入でした。
同学内でディープラーニングを用いた画像解析の研究をされている先生の存在を耳にし、森林科学の分野にこの画像解析技術を応用出来ないかと相談に行こうと考えていた丁度その頃、大学内で学部間連携が推奨されていたこともあり、研究相談と同時にタイミング良く研究予算も得る事ができ、そこから画像解析分野との共同研究がスタートしました。
ディープラーニングによる画像解析を野生動物調査に活用する
現時点の研究成果では、画像に動物が写っているか否かという判別においてはかなり高い精度を出せるようになってきています。今は研究用途をベースに判別モデルを構築しているため、画像内の動物の見落とし率を1%以下になるように(できる限り見落としがないように)調整しており、このため結果には25%強の偽陽性(動物が写っていないのに”在”と判別される)の画像が含まれていますが、見落とし率を5%程度まで許容することで偽陽性の割合をかなり減らすことができます。また、写っている動物の種判別の精度については、シカ、イノシシ、ツキノワグマ、カモシカの4種について80%程度の正答率を得ており、モニタリングに実用可能な精度まであと一息ということろです。また、判別モデルが”在”と判別した画像のみを調査者が確認するという手順であれば、従来の手順と比較して調査者の判別にかかる労力を半分以下に減らすことが既に可能となっています。
現時点での私たちの次の課題は、“撮影場所が変わると精度が低下する”という問題です。現在のモデルは画像の撮影された地点の背景も含めて学習しているため、背景の異なる新しい撮影場所では判別精度が落ちてしまうことが先行研究で指摘されています。このような問題に対応するためには、人間と同じように、背景が変わってもシカをシカだと認識出来るような汎化したモデルが必要です。また、並行して取り組む課題としては、カメラトラップで得られた「動画」の画像解析です。動画の判別は、静止画像の判別とは比較にならないほどの作業労力が必要となります。一方動画からは、静止画像では得られない動物の行動に関する情報も得ることができます。労力は大きいが得られるものもまた大きいこの動画解析において、様々な情報の取得をAIに任せる事が出来れば、カメラトラップの活用範囲は著しく広がるに違いありません。
この目標に向け、現在画像解析分野と連携して、実用化に向けた取り組みを進めています。
上記の研究成果は以下の論文として公開されています。
[原著論文] 深層学習(Deep Learning)によるカメラトラップ画像の判別