徳山ダム補償

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「ぼくの家にはむささびが棲んでいた 徳山村の記憶」大牧冨士夫著

  これは「離村記」と同じ著者の本ですが、その視点は失われて行く村の民俗・自分の家の歴史等、昔を懐かしむ穏やかな文章であります。
所々に長年にわたってダムの話に揺れる村、補償交渉等が、記録と言うよりむしろトピックスとして書かれています。
その中に「道場の話」(p97)という項目があります。その前に「夏回り」という話が書かれており、夏になると越前の方から真宗誠照寺の行事で使僧が布教に回ってくるというものがあり、これは江戸時代から綿々と続いていたもので、その布教の場が道場であり、そこは宗教行事の場のみならず、村の集会所でもあり、共同体の心の拠り所とも言うべき場所であったと書かれています。
この場所も又補償の対象となるのですが、その行く末を巡って、宗教とは別の解決方法として、道場の補償金を分配するという方法がとられます。その次の項「僧侶と富山の薬売り」の中に「ダム離村に直面して、ぼくたち村人は異常な心理状態におかれていたのだろうか」(p99)と書かれています。失われて行く村の中で、明日への暮らしに思いを馳せた時、ここに書かれている行動は、そうせざるを得なかった村人の姿を思い起こさせます。

「日本一のダム(ムダ)」トクヤマダムのものがたり 平方浩介著

  これは、徳山村の民俗 特に動物に関係する言い伝え等を軸に、ダムについての想いを村人の立場から書いた、ファンタジーのような語り口です。それでも、徳山村という山村の暮らしや民俗がきちんと書かれています。読みやすい本でした。

「浮いてしまう徳山村 わが国最大の「ダムに沈む村」からの報告」朝日新聞岐阜支局編

は、朝日新聞の記者が取材した徳山村の記録です。村人に焦点を当て、話を聞き取りながら、ダムの出来ていく過程が記録されています。


ここに数冊の本をあげましたが、どの本にも、「徳山ダムは、本当に必要!!」というフレーズはでてきませんでした。これは起業者側の本ではないからなのでしょうけれど、一つの結論ではないかと思います。

行政というものは、時として非情なものなのだろうと、これら一連の本を読んで感じました。そうでなければ、大きな国家的事業はできないことでしょうし、所詮ものを考えているステージが違うのだろうと思われます。

 ただ この徳山ダムの計画が、大ダムの時代の頃に出来たものでないとしたら、果たしてダムはあったのでしょうか?
 今もし徳山村が存在していたら、確かにそこは限界集落に近い村になっていたかもしれません。けれど昨今の新しいツーリズムやまちおこしで、再生への道をたどっていたのかもしれません。

 徳山村を出た後、中には人生を狂わせてしまった方もいらっしゃるようです。それは誰にでもあることかもしれませんが、ダムがその遠因であることも頭にいれておかなくてはならないことだと思います。

 御母衣ダムの補償交渉とは一転したこの徳山ダムの補償交渉、時々の村人の心情、村を出た後の人々の暮らし等を、ちゃんと理解することは、公共という名のもとに時には、尊い犠牲があることを理解することだと思います。
 

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