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徳山ダム




徳山ダムは計画から廃村まで30年、ダムの完成までさらに20年近くの年月を要したダムですが、水利用に関しては当初の計画とは裏腹に、使われない水として存在しています。
又発電量に関しては、昭和48年の計画で40万キロワットとあったところパンフレットには15万3400キロワットと記されており、計画の半分以下にとどまっています。
ダムの規模については、48年の計画書とほぼ同じで、  堤高 161m・ 総貯水量 6億6千万㎥ となっています。水の問題は、河口堰にしても、使われるはずであった水がつかわれていない現状で、この山奥のダムから導水路をつくるのに、約890億円の税金を投下して作る必要があるのかどうかは、個人的には疑わしく思います。又水力発電に関しては、計画書通りの規模のダムをつくったのですが、下流に作る杉原ダムの建設計画が中止となり今の規模となってしまったようです。
 徳山村の歴史は古く縄文・弥生時代に遡り、又山に生きる人々独特の民俗が残っていた場所でもありました。 徳山会館で往時の村の写真を見ると、茅葺の屋根の民家が、たくさん立ち並んでいる様子が伺えます。
 限界集落・消滅都市など、人口の減少によって、やがて消えてなくなる運命が待ち受ける箇所が日本には多く存在しています。けれど、一つの事業によって地図の上から村がなくなるというような事態は、殆ど例のないことです。
満々と水を溜める湖面を見ながら、もしまだここに村が存続していたとしたら、どうなっていたのだろう。恐らく限界集落にはなっていたかもしれないけれど、村の祭事には故郷に沢山の人が戻って来てにぎわったのではないだろうか、又価値観の多様化によって、昔ながらの山村が観光資源になり得たかもしれず、さらにはここへの移住者が出て来たかもしれない等、新しい可能性も生まれていたかもしれません。 そういう事を考えながら満々と水を湛えるダム湖をみていると、湖面の下の村の姿が見えて来て、人々の声が聞こえてくるような気がしました。

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