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席田(むしろだ)・真桑用水


最後に、この場所は比較的行きやすい場所にあります。
道の駅「織部の里」の裏辺りにある「席田用水・真桑用水の取水口」です。
 昔、根尾川が増水で、川筋が長良川から揖斐川に変わってしまったことにより、この川の恩恵をうけていた下流の地域で激しい水争いがおこりました。
両村話し合いをするも決着もつかず、「火柱伝説」(話し合いがつかないので、燃え盛る火柱に早く抱きついた方が六分流すということにしたところ、席田側の一人がサッとその火柱に抱きついたということです)等を経て、席田用水36時間、真桑用水24時間と交代で水を分流して用水に流すことで決着しました。(1641年)
今でこそ水門があって、分流させるのも難しいことではないのですが、当時は、時間単位で堰止めたり、それを開いたりということを法螺貝を合図に人の手でやっていたということで(それも5分間程度の作業)、その為それを取り締まる役人(井頭)もいたということです。
 水というものがいかに大切なものであったのかを物語るものだと思います。そしてこの根尾川の水の分流についてはいまだに江戸時代の慣行水利権というものが残っているということで、二重にびっくりしました。
この用水については「岐阜県史 近世下巻」第二章 用水 に詳しく解説されています。 (参考図書:「もとすのくらし」本巣郡学校教育会編)

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