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長良川から西方眺望

先日長良川の堤防を羽島から車で遡ってきまして、荒田川が合流する地点で、長良川の流量が多いように見えたので、車から降りて数枚写真をとりました。 その中の一枚です。
ここに立って見える山々は岐阜県西部の山です。 それが、幾重にも重なった山襞になっていて、徳山へ向かう谷筋であったり、能郷白山へ向かう谷筋であったりで、岐阜県は森林面積比率で言えば日本第二位と本当に山の多い県ですが、それぞれの谷筋には、独特の民俗が残っている(あるいはいた)はずです。 そんな山の谷筋の一つ、根尾に先日センターから出向いてきました。

根尾谷断層・地震断層観察館

根尾谷断層 根尾谷断層

根尾谷断層-岐阜県民であれば、歴史で濃尾震災の際に根尾谷にできた大規模な断層のことを習っていることだと思います。濃尾震災は明治24年(1891)に起こっていますから、今から120年位前のことです。現在でも水鳥(みどり)地区にある地震断層観察館の近くの田圃には、断層の跡が残っていました。又観察館では地下を掘って断層面を実際に眼に見ることができます。
 濃尾震災は、写真記録等を取ることが可能になって、最初に起こった震災で、地震断層観察館のパンフレットによれば、マグニチュード8.0 、日本の内陸部で起きた最大級の直下型地震で震度は7でした。
 この際にこの根尾谷では縦に6m、横にも最大9.2mのずれが生じています。それを実際に、地下観察館でみると、家の二階分位が落ち込んでいるのがわかり、そこに横ずれまでくるとなると、捻じ曲げられてしまうような感覚がわかります。活断層という言葉も今では、皆が知っているような言葉になっていますが、この根尾谷断層は、記録の取られた最初の断層ということで、世界的にも有名になっています。
 ここを訪れてたいへん興味深かったのは、一点としては、断層という物を自分の目でたしかめることができるということ、さらには地震の起こるメカニズム-プレートテクニクスについて解説がしてあり、地球を覆う多くのプレートの状態を確認することができたこと、又活断層についても同様です。
もう一点は当時の状況についての歴史的資料が比較的多く展示されていて、根尾のみならず「ギフナクナル」と打電された、焦土と化した岐阜の様子、長良川に落ちた東海道本線の鉄橋の様子などの当時の写真を多く見ることができますし、今でも車かあるいは便数の多くない樽見鉄道でしか行けない根尾に、全国から手弁当でボランティアの方が押し寄せた等という記事等を見ることができます。
 科学的な難しいことは、ここはその専門部署ではないので省かせていただきますが、地震というものを知るには良い場所だと思います。
 別に阪神淡路大震災並みの震度を体験するコーナーもあります。実際にこの震災を経験された先生曰く、忠実なものだということですので、一度体験されるのも悪くないのかと思います。
 ここ水鳥地区は、はっきりと縦の断層面が出ている場所ですが、濃尾震災の時の断層面は、実は北は福井県、南は岐阜県可児市の帷子まで続いていたということで、「断層写真集根尾谷断層の今昔」監修村松郁栄・著者野村倉一を見てみますと、野村氏が村松氏の指導の下、岐阜県下の断層のを後をたどって写真記録を残された、大変な労作であることがわかります。 根尾から、美山・高富・関・可児と今では、都市部となっている箇所にも断層があったということは、心に留めておかねばならないことだと思いました。

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