TOP >センター資料TOPICS>「名古屋都市計画史」





名古屋都市計画史」上巻 (昭和32年刊)

名古屋開府を「清州越え」をもって慶長15年(1610)とし、そこから、大正9年(1920)の「都市計画法」の施行までを記述。
名古屋開府―名古屋城築造により、城下町としての名古屋が誕生し、市街制―町割の出来たことから名古屋のまちづくりがはじまった。その最初は道路改修・開墾開田にあった。これらはまさしく近代の都市計画に繋がる基礎的事業と言ってよいでしょう。従ってこの本では、名古屋開府の時期からを取扱っています。
 “各地に散在している数多い資料を探し求めて、その一冊一冊について苦心の調査研究があって初めて出来上がった書物です”(同書p4)と書かれている様に、発刊当時に於いては、都市計画に関する書物は極めて少なく、名古屋の古い時代からの都市計画について、史料に基づき詳細に書かれた書物としては本書がはじめてです。
 本書では、明治維新期から大正末期に到る道路、橋梁、運河、公園等の事績をはじめ市街の発展過程等を叙述しています。そして特に道路施設に重点がおかれています。それは道路系統が都市計画の基礎的事業であり、道路交通こそわれわれの祖先が最も古くから親しみを有って来たもので、都市生活の動脈であり、そこから今日の計画・事業設備が萌芽していったと考えられるから(同書p2-3要約)です。
 ということで、取り扱う期間は約300年と長いものではありますが、本書は名古屋のまちの成立を 時に法令の成立過程や議会のやりとりなどを織り込みながら書かれています。

「名古屋都市計画史」(平成11年刊)

本書は上巻を受けて、大正8年から昭和44年までについての名古屋市の都市計画についてを書いています。
第二次世界大戦からの復興については、別途「戦災復興誌」が発刊されているため、本書で特にページをさいているということはありません。
 まず日本における近代の都市計画の推移をみたいと思います。
 明治維新以降の急速な近代化は、必然的に都市への人口・産業の集中をもたらします。都市は、それに対して何らかの根拠法令もないため、無秩序の膨大する都市域の対応に苦慮しました。
 すなわち、道路幅員の狭さと密集した建造物による大火等、上下水道等のインフラ整備の遅れ等であり、東京については、既に明治17年(1884)に内務省に「東京市区改正審査会」が設置され、21年(1888)に「東京市区改正条例」が公布され、計画が立案されましたが、実施には至りませんでした。その後、幾たびか委員会が設置されて、計画の検討がなされましたが、実施にこぎつけることが出来ずにいました。
 1900年代に入り、特に第一次世界大戦の特需を受け、経済が飛躍的な発展を遂げ、それに伴い加速度的な都市化の進展に対処すべく、東京市は、臨時市区改正局を設置、事業規模を縮小し、道路拡幅及び上下水道の整備をおこないました。
 このような例は、東京のみならず、他の大都市においても状況は同じようなものであり、大正7年(1918)には、横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市に「市区改正条例」が準用されました。
 これにより名古屋市では、同年9月11日準用都市の指定を受け、「市区改正設計」及び「市区改正事業計画」の設置が内務省に進達され、特に急を要する五大幹線道路*1の設計及び事業に対して認可が下り、事業に着手します。これが名古屋市において都市計画と称されるものの最初です(「名古屋市都市計画史」序説p1)
*1五大幹線道路:岩井線・高岳線・千早線・明道線及び大津町線
 国内ではさらなる法整備をもって、都市の建築の統制が必要となってきており、 大正8年(1919)市街地建築物法(建築基準法の前身)・都市計画法(旧法)が制定され大正9年(1920)1月1日付 施行されました。
 それに伴い「市区改正条例」は廃止されましたが、大都市において、廃止前に条例により認可を受けたものは都市計画法による都市計画とみなされ、引き継がれました。 この都市計画法は、多少の改正はあるものの、昭和43年の現在の都市計画法にとってかわるまで都市計画の根幹となるものでした。
 事実、名古屋市においては、これらの法律の施行を受けて、都市計画区域・防火地区・用途地域・街路計画・運河計画・公園計画と都市計画上重要な施設が順次決定され、実行に移されて行きます。
 時代の変化と共に修正が加えられ、第二次世界大戦後の復興計画では、従来の街路計画と公園計画は形式上廃止(100m道路の設置や墓地の集団移転に伴う平和公園の構想)されましたが、基本的には大正時代に決定された都市計画が、今日の名古屋市の都市計画の母体となっています(同書p41)

 「名古屋市都市計画史」(大正8年~昭和44年)は、この旧都市計画法に基づいた名古屋の都市計画について、計画前夜の概況・都市計画法による最初の都市計画・当初決定から終戦までの計画・戦災復興のための都市計画・復興以後の都市計画と区分して、記述されています。さらに年表編・図集編の三冊でこの時期の都市計画の詳細を記述しています。

 

「名古屋都市計画史Ⅱ」(昭和45年~平成12年度)

 本書では、まず、昭和43年に公布された新しい都市計画法の成立の背景について述べられています。
 考えてみれば“旧都市計画法”が大正8年から戦争を挟んで、約50年間維持されたかという点について、当時同法律の改正の陣頭指揮をとった大塩洋一郎氏ば、“法律の規定が極めて簡潔で解釈上の弾力性に富み、決定手続きの運用面に相当の幅があるので、それぞれの時代の要請によく対応し得たからであるといえる”(同書p1)と述べています。
 その一方で “国・都道府県・市町村という三層構造の中で、国と地方公共団体の間で、また都道府県と大都市・市町村の間で事務と権限を再分配する問題が容易には解決しなかった”(同書p1)という行政手続きが相当煩雑であったという側面もあったようです。この改正については、当時の総理大臣佐藤栄作からのトップダウンの支持要請の決断があったようです。
 本書では、高度成長期から、それに陰りが見え、バブルがはじけて、長いトンネルには言った言った時代を背景として、上位計画から、実際の事業までを網羅しています。上下巻で約1800頁にも及ぶ労作です。
 本書のあとがきに先に紹介した、「名古屋都市計画史 上巻」については、刊行は昭和37年ではありますが、第二次世界大戦中に編纂が企画着手され、昭和23年には一旦原稿は出来上がっていたこと、続く「名古屋都市計画史」は波瀾に富んだ時代を扱い、資料収集から困難を極めたこと、そして本書においては、平成20年より着手し、あしかけ10年間の編纂作業があり、20世紀の終焉、成長期の限界を見た時期の都市計画の一端を見せることができればと述べられていました。

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