TOP >センター資料TOPICS>「小學毛筆圖畫帖」





もう一点はこれが「図画」の教科書であるということです。最初は習字の初めの運筆の教科書かと思ったのです。
今回頂いたのはその内の三点ですが、全部で12冊と参考書(入門図入)の全13冊から構成されています。
本書の諸言によれば初めは、単純に直線の運筆の順序から始まり、曲線、そして器具、花卉などを書いて行き、最終的には筆において墨の濃淡で絵を描かせることを目的としています。
木炭を使用する場合も、第5巻まではいいけれど、それ以降は筆を使うようにと言っています。
いずれにしても、自分たちの図画の教科書とは、趣が異なっているのですが、「教科書教育百年史」p410~p413では美術教育について言及されていますので、それを見ますと、日本の美術教育は明治5年の学制以後のことで、小学校で「罫画」、中学校で「画学」を納めるようにとしています。これは洋学の影響を受けてのことです。
明治4年に最初の図画の教科書として「西画指南」が、
明治5年には「図法階梯」が出されますが、それらの前文には、今の図画の教育意図とは違う側面が伺い知れます。
即ち、「これらの図を描くことは、西洋のあらゆるものを勉強する際に、文章を読んだだけではわからない点を、補うと言う点で非常に大切であり、自らが図を描けるか否かは、その自らの勉学の理解のためには必要不可欠である」という様なことで、これは美術というものではなくて、洋学を修得するための補助学として、図を描くことに重点が置かれていました。
この写真の教科書はその流れを受けてはいますが、毛筆によるものです。
明治初期の文明開化の時期=「西洋模倣時代」には、鉛筆画が定着してきていました。一方で何もかも西洋のものにしてしまおうとする欧化政策に対抗するように国粋主義も盛んになってきました。それをこの図画の世界では毛筆を使うことを唱える者もあり、鉛筆画か毛筆画がかの論争が起こります。毛筆教育は、フェノロサ等によって日本文化が再認識されるようになったことが、この学科にも影響を与え、毛筆画の全盛時代がやってきます。
明治23~24年頃から毛筆画が鉛筆画を圧迫し明治26年からの10年間位が全盛期であったということです。本書の奥付の検定年は明治27年ですから、毛筆画全盛期の頃の教科書なのでしょう。明治24年制定の「小学校教則大綱」には「図画は、目及び手を練習して、通常の形体を看取し、正しくこれを画くの能を養い、兼ねて意匠を練り形体の美を弁知せしむるを以って要旨とす」とうたわれ、ここには現在の美術の萌芽を見ることができるとも言えます。
  この写真の教科書は、こういった時代背景のもとつくられたものなのでしょう。 まだ国定教科書の前の時代であり、これには裏に使用していた人の署名があることより、岐阜県にて使用されていたものといっていいのではないでしょうか? それにしても、古いものというものは、それが何かということ、さらにはそれが出て来た時代背景、そしてそれを特定して行くこと、これらがなかなか難しい物であると感じました。本書はこれから、保存処置を施しますので、暫らく現物をお見せすることは出来ないかと思います。

   参考文献:「教科教育百年史」奥田真丈 監修 建帛社(S60.9)
         「学制百年史」文科省 (http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317552.htm)

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