TOP >センター資料TOPICS>「小學毛筆圖畫帖」





先日、海津の方から提供していただきました、数々の資料…。 本当に多種多様な資料があります。長良川河口堰の旧訴の時に原告側の証言を頂いた方の家に残された資料という事で、長良川河口堰に関するものを想定していたのですが、この方を初め先代、先々代と大変な書籍の収集家でいらしたのか、提供いただいた資料は多種多様にわたりました。


保存状態に若干の問題があるため、今後保存のための処置を施していくことになるかと思いますが、それには時間を要します。 せっかい提供いただいた資料を、それらの処理のために長時間放置しておくのももったいないと思い、珍しいものなどを幾つか紹介したいと思います。





ところが、これが一筋縄ではいかない代物ばかりです。

この写真は、「小学毛筆図画帖」というものです。

奥付の写真をみますと

と書かれています。
 現状の教科書検定制度に照らし合わせると、日付が不思議な気がします。  文部省の検定済年月日が、発行年月日より遅いからです。
 現在では、検定に通って後に、製造に入るものであって、その期間は三年を有します。
 不思議に思って、文科省の白書「学制百年史」の「国定教科書制度の成立」の項をみてみますと、
 明治十九年の「小学校令」第13条に「小学校ノ教科書ハ文部大臣ノ検定シタルモノニ限ルヘシ」と定められています。
 20年5月には「教科用図書検定規則」が定められ運用が開始されます。
 23年3月には教科書の採択方法について「公私立小学校教科用図書採定方法」が定められ、地方長官が審査委員を任命して、府県一律の採をするとしています。しかし審査委員と教科書会社の間の収賄事件が起こるようになり、明治35年には「教科書疑獄事件」として全国をにぎわせ、結果この検定制度は崩壊してしまいます。
 明治36年4月に「小学校の教科用図書は文部省に於て著作権を有するものたるへし」として、国定教科書へと姿を変えていったのです。この教科書は、年代的には、検定制度下でのものに相違ありません。ただ奥付を見る限りでは、現在の検定制度とは運用も違っていたのではないかと思います。

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