御母衣ダム

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御母衣ダム構想

  平瀬発電所から、小牧・祖山から椿原・鳩ヶ谷と庄川流域で電源開発が行われてきたが、 融雪期の水量を十分に貯水できず、既設発電所の能力を最大限に活かすためには、さらに上流に大規模なダムが必要あると判断された。それはかなり早い段階から持ち上がっていた。
 
  • 昭和 2年       御母衣ダム計画が持ち上がった
  • 昭和22年       日本発送電の実地調査
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  • 昭和26年      関西電力が荘川牧戸に庄川上流調査事務所を設置(日本発送電から関西電力に移管されたのは電力業界再編があったから)
  • 昭和27年       総理府告示により関西電力から電源開発へ事業が移管される。
  • 昭和27年7月    「電源開発促進法」制定により9月に電源開発㈱発足
  •             大規模な大貯水池式を採用し、それについては同時に治山治水に対する影響を考慮する必要があること、
                これには公的性格を持つ電源開発が、流域の総合開発計 画の一環としえ事業を行うこととなった。
  • 昭和27年9月27日 電源開発調整審議会(「電調審」)に於いて、建設方針を決定
  •    〃10月8日 総理府告示                               (p23参照)
 これが御母衣ダム計画が実行に移されるまでの経緯であるが、御母衣ダム建設にには懸念もあった。それはダムサイト予定地に破砕帯の断層が走っていることであった。破砕帯とは断層運動により、岩石が粉々に砕かれた部分が一定幅を持ち一定方向に伸びている場合の部分で、大規模な断層には大規模な破砕帯を伴い場合が多い。破砕帯の岩石は強度が低い為、地すべりの原因となる(破砕帯じすべり)そのため、昭和28年12月に事業は中断さて、 アメリカよりダム技術者と地質学者を誌招聘して調査にあたり、「ロックフィル式ダム」を採用することで問題はクリアされるとされた。(昭和29年春)
  •  昭和32年本体工事着工
  •  昭和35年試験湛水開始
  •  昭和36年竣工ダムは完成された。                               (p30-31要約)
   

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