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加子母村(現中津川市 加子母)の方々の聞き書き集です。
加子母村は、中津川から下呂へ抜ける国道257号線にから御嶽山の方へ山に向かって広がる村です。
岐阜方面から向かえば、下呂からこの道を通り、舞台峠を抜けると加子母村になります。
今から25年以上前に、何度か舞台峠まで、トマトを買いにいったことがあります。その頃の舞台峠は、まだ開発もされていなくて、路肩の無人野菜売り場の様な感じの野菜売り場がありました。そこから見る風景は道が東に向かって伸びて集落が拡がり、その左手には木曽に向かって山がそびえたつといった雰囲気でした。


簡単に中味の紹介を書かせて頂きます。興味を持たれた方は、センターに所蔵しておりますので、手に取って下さい。

1巻では、満州開拓の話が出て来ます。伊藤邦男さんの話では戦前、生活の苦しい村では満州に分村させるという政策をとっていたことで、この加子母近辺の恵那郡全体で恵那郷という団を作って、満州へ行く家があったとのこと。ただ加子母ではそんなにはないということで、ご本人は軍人として満州に赴かれたとのことです。
ついでを言えば、満州開拓は全国から約32万人の方が入植してみえますが、その数字も正確には把握されていないそうです。岐阜県からは全国で7番目に多い12,000人の方が行ってみえます。その多さからも、当時の貧しさというものも想像に難くないと思います。

 戦後の加子母村には、加子母村の開拓があり、入植者は加子母出身の方が多かったとのこと、戦後すぐから昭和30年代初頭にかけて行われており、そこに入植された佐藤すえさんのお話は、たいへんにパワフルです。若い頃のお写真をみると、とてもきれいな方で、名古屋に出て働いてみえたということなので、そのまま名古屋で生計を立てていくことも十分に可能であったのではないかと思うのですが、諸般の事情で加子母に戻って、親兄弟に助けてもらいながら、開拓に取り組む様子を読むと、とても真似できるものではないと思いました。
 山に関わる仕事をされてみえた青木正夫さん、丹羽守さんのお話は、林業の様子が事細かに語られています。

加子母の山は昔は御領林という事で宮内庁が管理していた山です。今でも国有林として、伊勢神宮をはじめ文化財の建設や修復に使用されているということで、立派な桧を管理していたことから、それを名古屋の白鳥の貯木場(昔は帝室林野局の管理)までどうやって運んで行くか、どのように節目を出さない様に木を育てていくか、木を切る仕事(杣)の事、等が語られています。又図などを多用して、解説されています。

そして東濃地方で特に盛んである地歌舞伎に取り組む和田冨郎さん細野廣志さんのお話、養蚕の話や糀室の話などは青木まさ子さん梅田ミヨさんによって語られています。

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