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 長良川河口堰がつくられ、稼働されるに到った経緯を 極力事実のみにて説明したものです。造る側にも、住民の側にもそれぞれの考えがあります。それを中立の立場より、説明したいと思います。

●  何故長良川に河口堰をつくる必要があったのか

現在より約50年前、日本は高度成長期を迎え、右肩上がりの成長を遂げていた。
S29年~32年には“神武景気”S33年~36年・S33~S36年“岩戸景気”・続くS36~S39年は“オリンピック景気”と昭和30年代の経済成長率は約9%昭和40年代初頭には10%にもなっていた。
 中部地方においても、大手企業の工場進出と急速な人口増加により、水需要の確保が急務となった。S40年に新河川法(水系を一貫して管理するシステムの法律)が施行されたのを受け、水資源開発公団(現独立行政法人水資源機構)により、木曽川水系を「水資源開発促進法」による開発水系に指定し、「木曽川水系水資源開発基本計画」を定められた。そして、S43年にはその計画の一環として、「長良川河口堰」建設が閣議で決定された。これは、あくまで“利水的側面”からの建設である。それによれば、河口堰の建設によって、湛水位(水を溜める高さ)を海抜1.3mとし、毎秒22.5tの水を供給する事ができるとされている。
 一方 同じ昭和30年代、この地方はたびたび大きな水害に悩まされてきた。特にS34年から36年にかけては、台風や大雨により 長良川では毎年、各所で破堤を繰り返し、治水の面からも、長良川は改修を迫られていた。
 洪水を防ぐために、長良川流域で大雨がふった時に、その水を安全に海まで流すためには、

  1. 堤防を高くする(堤防の嵩上げ)
  2. 川幅を拡げる(引堤)
  3. 川底を掘る(浚渫)

の3つが考えられるが、コストの面から考えて、③の浚渫の方法をとることが考えられた。すると、それによって、海からの海水(当然塩水)が川をより上流まで遡ることとなり(真水と塩水では水質が違い、当然重さも違ってくるので、海水は、川水の下を這うように上流まで遡ることとなる。これを“塩水楔”という。)、塩害の発生が問題となってくる。
 この問題を解決するためにも、即ち塩水の遡上を防ぐという観点からも河口堰の建設は有用であるとの見解にいたり、ここに、利水・治水の両面から有用である河口堰の建設が構想された。(初めに利水ありきで、治水は後からとってつけたものである・・・・これについては、裁判等でも争点となっていた所です。)

公団は河口堰建設に先立ちS48年に木曽川三川河口資源調査団「KST」を結成、当時の学識者ら90名により、約4年をかけて河口堰が長良川に与える影響についての調査を行い、報告書をとりまとめている。
これについても、あくまで資源に関する調査であって、自然環境そのものの調査とは言い難いということで、裁判等で問題にされてきた。

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