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その船浮への船が出る白浜-島の西の端から東を抜けて南の終点、南風見田浜にあるという「忘勿石」三度目にして発見することができました。
一応道には「浜より東200m岩の上」と案内板が出ているのですが、正しくは「浜より東200m突き当りを回れ」です。
今回は波が引いていて、なんとなく先に行けそうだったので行ってみてようやく見ることが出来ました。
これは集団疎開で波照間島から西表の南風見田に来た住民がマラリアで多くの命を落としたことを「忘れる勿れ」と当時の小学校の校長先生がそこの砂岩に彫りつけられたものを整備して、現在では立派な碑として建っています。
以前にも書きましたが、先の戦争では沖縄本島の地上戦があまりに悲惨であったため、その他の地域では何があったのか、あまり関心をよせることはありません。 八重山であったこと、詳しくは昨年の秋に訪れた時に書いてあります。(夏ではない石垣島を旅して)
南風見田の浜は、今回は夏の観光シーズンに入っていて、他の浜には多くの人が遊んでいたのですが、ここは海水浴には向いていない浜ということもあり、いつものように人は私だけというなんとも静かな海でありました。
西表島を訪れて見るのは、溢れ出んばかりの緑と、汽水域のマングローブの見事な群落です。集落の中でなければ、横から車が出てくることもなく、快適に自然を見ながらドライブできる場所です。
ただ、この島にも又深い歴史があるということを今回改めて認識してきました。
この島の西部には干立と祖納という部落があります。ここの“節祭”は500年余の伝統を誇り、国の重要無形民俗文化財に指定されています。節祭とは石垣市観光交流協会のHPによれば、「 節祭とは季節の折目や年の折目を意味し、この機にその年の豊作の感謝と五穀豊穣、健康と繁栄を祈願する祭り」ということで、八重山各地で行われる行事なのですが、干立の節祭りのミルク行列には他では登場しない“オホホおじ”が現れます。それを一度見てみたいと思っています。
私の西表の旅はまだ終わりません。

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