TOP>飛山濃水>五度目の八重山

 

事務員恒例の八重山旅行に行ってきました。 センターで仕事をすること数年、「門前の小僧習わぬ経を読む」という諺があるように、私も又少しだけ、まちや地域について考えるようになってきました。今回は、そういう事を考えさせられる旅でした。

新城島

八重山の島の中で住民が10人にも満たない島です。 そこは石垣島からの定期便も通っていない島です。
実は昨年も行ったのですが、この島は、この島出身の方がいないと島内には入れないことになっており、前回はそういうツアーに申し込まなかったため島の外周を見ただけでした。
 この島の豊年祭は、島出身者のみが参加を許された秘祭として有名です。私がこの島を知ったのもそこからでした。
 今回は、島出身の方が催行されるツアーに申し込みをして行きました。まだ観光シーズンではなかったので、同行する人も少なかったため、島内を散策しながら色々お話をお聞きすることができました。
 ここの御嶽は、写真を取ることは勿論、鳥居から先に入ることが許されません。それはこの島に暮らす人も又同じで、祭祀のあるときだけその先に入り、御嶽を清め祭祀を執り行うということを聞きました。
それをお聞きするまでは、外部を遮断しているようなイメージを受けていたのですが、自分たちも又同じだということは、祭祀をキチンと守って行きたいということなのだと理解しました。
この島にたまたま興味深い伝統や祭りがあって、外部から関心を寄せられたということであり、そこには真摯な態度でない場合も当然出て来るのでしょう。祭りと聞けば、ハレの場という事をとかく思います。そうではなく、自然の恵みに感謝して神様に祈りを捧げるという儀式としての祭りは、ハレの場ではないのだということを考えれば、誰もが見ることを許される様なものではないことを理解しました。

 又史跡となっている火番盛(海を航行する船を見て狼煙を上げて石垣島の蔵元に通信する場所)に上れば、一面に広がる原生林がありました。海の色は鮮やかで、人工の音は何も聞こえて来ません。価値観も多様になってきている現在では、もしその気になれば如何様にも開発することは可能なのかもしれません。
それは島に生きる方々の暮らしを金銭面では豊かにするのでしょう。それを敢えてしないということは、己の生きる場所について考えた時に、この場所を守るという選択をされたのだと思いました。  祭りの時には島から出て生活している人も帰って来て、数百人の人で賑わうと聞きます。 これは、この島を故郷に持つ人のアイデンティティの問題であり、又いつまでもこの島の御嶽の神様に感謝することを忘れない、信仰の深さなのだろうと思いました。
 「まちづくり」という言葉とは正反対にあるような場所ですが、これも又この島の人にとっての究極の「まちづくり」なのだと理解しました。
 そうだからと言って決して排他的なのではなく、今回初めて訪れたのですが、とても暖かく歓待して頂き、又おいでね、今度は泊まりにくるといいよと言って頂きました。  この島の美しさと共に、忘れられない思い出になりました。

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