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 白山中居神社の前に位置する「石徹白長住邸」は、その流れを汲むお宅で、中を見学させていただき、お宅の奥様より石徹白の歴史や民俗についてたいへん詳しいお話しをして頂きました。
全部聞き取れなかったのが残念ですが、聞き取った内容としては
二階に御神前(お宅のある上在所地区は天照大御神をお祀りしている)をお祀りする部屋と、御霊(亡くなった方)をお祀りする部屋がある。
仏教のお仏壇には、最上段に仏像を祀りその下の段から位牌を置いていきますが、神道では神様と亡くなった方を一緒にお祀りすることはないということで、二間の祭祀の場所があるということでした。近年火葬になっていますが、遺骨も家には入れず、お墓に直接納めるとのことです。
年間を通じでも古くからの祭祀が行われており、特にお正月は日ごとに定められた風習がありそれをしっかりと守ってみえるということでした。
生活の中に神道が生きている場所だということがわかるお話しでした。
 郡上から高鷲に到る156号線を離れて、山を登り、途中には「阿弥陀ヶ滝」という「日本の滝100選」にもなっている有名な滝がありますが、そこよりヘアピンカーブの連続の山を登り桧峠を越えたところに、ぽっかりと開ける雪深いこの場所は、単なる山奥の山村ではない、由緒ある神の村であったのです。それ故に起こった事件としては宝暦年間の「石徹白騒動」があります。詳細はまた別の機会にと思います。









 詳細をお知りになりたい方の参考文献としては、

…石徹白は、昭和33年に白鳥町に編入されそれまでは福井県大野郡石徹白村でした(一部は福井県に和泉村に編入)  宮本常一氏は、昭和12年の3月と昭和17年の10月の2回にわたって石徹白を訪れており、非常に綿密なフィールドワークの記録がのこされています。氏の弁によれば、彼が民俗調査旅行として、はじめてそれらしい旅行をしたのが石徹白であったこと。彼はそこで明治維新を体験した古老に会って、明治維新を民衆はどう受け止め、その後の時代をどう生きたのかを聞きたかったということ。ここ石徹白は明治3年の神仏分離令で村の様相が大きく変わってしまったことを聞き、特に檀那場についてと、土地所有権の問題について強い関心を持ったと述べています。

大変個人的な話で恐縮ですが、私は昭和46年頃、石徹白を訪れております。たまたま父方の母親の姉妹が嫁いでいたことで、訪れました。当時越美南線(現長良川鉄道)の白鳥駅から1日3本のバスが出ていて、それに揺られて、峠に差し掛かると、風が強い場所なのか、木が皆同じ方向に枝を伸ばしているのに驚いた記憶があります。 まだスキー場もない時分でした。戦後すぐに訪れたことのある父親からあれこれ聞かされていましたが、水の流れが豊富でとてもきれいだったこと、その時も訪れた白山中居神社の杉の木の大きさに圧倒されたこと、高地であったからでしょうか、ごちそうになったジャガイモの塩茹でがとてもおいしかったことを記憶しています。

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