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3月28日金曜日、岐阜大学地域協学センターの「石徹白見学」に参加してきました。
目的は、午前は文化遺産として残る 白山中居神社・神道をお祀りする「石徹白清住邸」の見学、
午後からは石徹白で試みられている小水力発電の見学でした。
急に暖かくなって、岐阜では桜もちらほらと咲き始めたような中、ここ石徹白は、雪解けの真最中でした。
道こそ除雪されていますが、田畑や山はまだ雪が数十センチ積もり(それでも今年は少ない方)、遠くに見える白山に連なる山々はまだ雪をかぶったままでした。

石徹白は、白山信仰によって栄えた場所です。白山信仰の歴史は古く、8世紀の初めには、開祖泰澄が白山に登頂し、そこで感得した三体の本地仏(十一面観音・聖観音・阿弥陀如来)が、崇敬されるようになっていきました。修験道の観点からみれば、それまで白山全体で雑然と混在していた、緒信仰(原始神道・雑密・渡来系の道教・シャーマニズム等)を修験道の枠組みのなかで統一したと言えます。(「修験道の本」学研より)  832年には、白山への信仰の道として、越前・加賀・美濃の三方から禅定道が開かれました。美濃の起点は今の白山長滝神社で美濃馬場と呼ばれ、そこから白山に向かって行き、登山口に当たる場所が、白山中居神社です。それは白山山頂と白山長滝神社の中間点を意味しているということです。 (http://haku-san.com/mod/history/「みんなの白山-歴史」参考)


そういういわれのある神社ですが、その歴史はさらに古く、神社の参殿に行く途中には縄文時代の拝所であったという、「磐境」(いわさか)が残っています。「白鳥町史」には、養老年間に泰澄大師が社殿を修復し、社域を拡張したと記されていますので、大変古いことは間違いないのでしょう。神社の杉の木は人が数人で抱えるような太さのものの多くそれだけでも歴史を感じさせられます。昔は神仏習合の形態をとっていたので、本地仏として虚空蔵菩薩を安置していましたが、明治維新の神仏分離令により、神社から外れ大師堂に安置されています。現在は イザナギ・イザナミ神をお祀りしています。  ともあれ、白山信仰による村であったことには相違なく、「白鳥町史」には、明治維新前の石徹白は神領であり、年貢を免除され、住民は社家・社人に分かれ、苗字帯刀を許されていたと書かれてあります。

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