受入図書一覧
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「飯田・上飯田の歴史」上・下 飯田市歴史研究所編集 飯田市教育委員会発行
この地域に生きた普通の人々の暮らしや営みを、時々の日本の歴史と関連付けながら分かり易く叙述して蓄積していくことで、この地域の全体史を構築していくという趣旨の下、編集されています。「飯田市史」とせずにこのタイトルにしたのは、旧飯田町(かつての城下町)と上飯田(城下町を取り囲む村域)が1937年に市として誕生したこと、その母体を表しています。詳しい記述の章立ての最初に各章に概要が書かれており全体像が把握しやすいこと、各所にカラー印刷が施されていて見易い事、短いコラムが所々にあって大変読みやすくなっています。まさに飯田市の歴史を未来に残すにふさわしい一冊だと思います。 |
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飯田市制施行70周年記念 みるよむまなぶ飯田・下伊那の歴史 飯田市歴史研究所 編
飯田市制施行70周年記念事業の一つとして刊行された「図誌」です。飯田市域に残されている文化財・資料のうち特に江戸時代以降の絵図、近代以降の古写真等から各テーマごとに、それらの資料を見て、それを読み解き、理解を深めるという構成で、1テーマ毎に6ページが割かれています。古地図・村絵図の類は、史料として認識されているものの、本書の中の「禅僧たちの戦国時代」は禅僧の肖像画より、戦国時代の伊那谷の仏教界の様子が解説されていたり、「実写された桑葉」-養蚕に欠かせない桑の葉の拓本ですが、多くの種類の桑葉があり、蚕(昔はお蚕様と言っていましたが)が一齢から五齢までその一生に適した桑葉の供給が研究されていたことを示し、この地方の養蚕の様子を解説しています。又「シチズン腕時計を生産する株式会社平和時計製作所の入社式の写真は、戦後の高度成長期を支えた女性についての解説等、一見すれば何でもないようなものから、読み解かれる歴史を見ることができます。ビジュアル的にもよくできている本だと思います。
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飯田・上飯田の歴史別冊「描かれた上飯田」 -明治初期の地引絵図をよむ- 飯田市歴史研究所 編集 飯田市教育委員会 発行この地図は明治の初期の地租改正にともない時の政府の要請で日本全国で作られた、土地の字番地、区画・所有者等を記した絵図です。これに関連した説明は「野々倉の集落に残る文書について」にあります。ここ飯田の地図は、2008年に東京の古書店から購入したとのことです。その地図と現在との比較が地区ごとに細かく調査されています。古書店に流れたものを飯田市歴史研究所が買い取ったと言うことは意義深い事ですし、それをさらにこれだけの書籍の仕上げたという飯田市歴史研究所の情熱の力量を感じずにはいられません。
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飯田市歴研ジュニアライブラリー3 「飯田・下伊那の災害」文・吉田忠正 監修・飯田市歴史研究所 地域が育んで来た歴史文化は、地域すべての共通の宝物として沢山残されている。それらの調査研究の成果を、若い世代に語り継ぐためにジュニアライブラリーが刊行されています。 本書はその第3巻に当り、飯田・下伊那地域の地形・地質の特徴、静岡-糸魚川構造線・中央構造線が走っていること、南アルプスと中央アルプスに挟まれた地域であること、その地質として花崗岩とそれの風化したマサ(真砂)が多く土砂崩れが多発すること等を説明しています。 又過去の災害を 水害、地震、火災、飢饉に分けて、それらがいつ起きて、どのような対策がとられたのかを解説しています。 |
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「下伊那奈のなかの満州 聞き書き報告集」 1・2.7~10 満蒙開拓を語りつぐ会編
この地方は、典型的な“養蚕型農村”で昭和の初めの恐慌時に生糸の大暴落により大打撃を受け、国策としての満州移民に多くの人を送り出した地域です。長野県だけで全体の14%、約31,000人の人を送り出し、終戦前夜のソ連の突然の宣戦布告により、満州の奥深くより死の逃避行を余儀なくされ、なんとか故郷に戻った方の数は約54%にすぎません(長野県内各域の詳細の報告は信濃毎日新聞社「長野県開拓団の記憶」に集計されています。 戦争を経験した多くの人が「あの戦争は何だったのだろう」と問いかける様に、満蒙開拓に行き全てを失い帰村された方々にとっては、今尚「あの満蒙開拓は何だったのだろう」と問いかけ検証を続けています。その活動の経緯と意義は第1巻に詳しく書かれています。 今回は3~6集までは、古書店でも手に入れることができませんでした。それはこの本を手にとった方が、容易く古本市場に出すことができない貴重な体験の綴られた本であることのあらわれではないかと思います。 サッと読める類の本ではないと思いますが、時間をかけて内容を理解しながら読んでみたい本です。 |
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聞き書き-飯田町の暮らし-大正昭和期・飯田町の社会史:飯田市歴史研究所 近現代史ゼミナール
瑞浪市の教育委員会が、市内の文化財について写真入りで解説してある本です。
飯田市が聞き書き(オーラルヒストリー)に力を入れているのには、3つの理由があります。1つは、飯田市が昭和22年の大火で役場庁舎が焼失したことから、行政文書の保存が期待できない点、2つめは近現代史ゼミナールは、地域地に生きる庶民の日常生活や社会関係を中心とした「地域社会史」を志向しており、個人はその歴史を文字には残していないので、記憶の収集が不可欠であるという事、3つめは先の2点からオーラルヒストリーの研究手法の特質が飯田市歴史研究所の指向に合っているという点です。上記の点を踏まえて、日常の暮らしを毎号4~7名の方に語って頂いています。 |
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いとなむ はたらく飯田のあゆみ 飯田市歴史研究所編
上の「飯田市制施行70周年記念 みるよむまなぶ飯田・下伊那の歴史」とともに市制70周年記念に刊行されたオーラルヒストリーの本です。 上記の2つのテーマに基づく聞き取りの他に、そういったものにこだわることなく、地域で多様な活動を行てこられた市民の方からも継続的な聞き取りをおこなっており、ここでは70周年に相応しい7編を選び、それぞれの冒頭に詳しい解説をつけています。 飯田市のオーラルヒストリーの本には「今を生きる人々の脳裏にある遺産(記憶)これの保存が急がれる」と書かれていますが、世の中が大きく動く時も、平穏な時もそこには粛々と生きる人々の暮らしがあり、一見すれば何の価値もないようですが、その暮らしの積み重ねこそが歴史なのですから、飯田市の取り組みは、その意義は大きいと思います。 |
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戦争と養蚕の時代をかたる 飯田市歴史研究所
上記のオーラルヒストリーの聞き取りの中から、戦争経験と養蚕・製糸にテーマをしぼったものです。
この飯田下伊那地方にとって養蚕と戦争体験は、歴史を語る上にこの地方独特のテーマではないかと思います。ただこの本では昭和初期の世界恐慌の煽りを受けた養蚕農民の満州開拓の話は、別のシリーズで刊行していますので、その部分を聞き取ったものではないです。資料や解説は詳しく掲載されています。
それでも戦争の聞き書きについては、満州開拓に言ったからこその「八路軍に抑留されて従軍した二人」という貴重なものが掲載されていて読み応えがありました。 養蚕については、養蚕農家の暮らしぶりというよりは、この地の養蚕を支えた種繭家・蚕の幼虫の内もっとも管理が難しい一齢・二齢の稚蚕を飼育し各農家に配蚕し、養蚕農家を指導した指導員・繭を集荷して製糸を行った天龍社の糸引さんのお話し等が収録されています。今はもう殆どなくなったしまった養蚕産業の一連の流れがわかります。 |
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満州移民・飯田下伊那からのメッセージ 飯田市歴史研究所
本書は、この地域から何故多くの方が満蒙開拓に出向いて行ったのかを解説しています。
・第一章満州移民の前史 1920~30年代の飯田下伊那では、シルク景気の後の世界恐慌の煽りをうけて、満州移民を決断するまでの背景を ・
第二章満州移民の送出と開拓地の生活では、国策としての満州移民とどうかかわって、彼の地に赴いて行ったか、そしてその地はどでどんな暮らしをしたか ・第三章逃避行から引き揚げへでは、8月9日のソ連参戦で、満州の奥深い地に取り残された開拓団の方の惨状を ・第四章満州移民の戦後史では、引き揚げてきた後も又新たなる地を求めて開拓に赴く方、残留孤児問題等を取り上げています。 この本を読んで後「下伊那のなかの満州 聞き書き報告集」を読むのが良いかと思います。
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満州泰阜村分村-七〇年の歴史と記憶 同書編集員会編 不二出版
最後になりますが、本書は飯田市歴史研究所の出版物ではありません 。飯田市に隣接する泰阜村の満州開拓の記録です。 1043頁にわたる力作です。この本の前に「満州泰阜村分村-後世に伝う血涙の記録」(1979刊)の続編を成す者ですが、何分にも前のことなので、本書でその抄録として再録されています。上の本と同じような内容ではありますが、泰阜村役場の分村送出関係資料・名簿等が掲載されています。読み物としては、なかなか骨のいるものですが、後世に残すべき一冊として、当センターにも収蔵しました。
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