写真をみていただけば分かりますように、通常の市史編さん以外にも、これだけの刊行物を出しています。飯田市には歴史編纂に関して、たいていの市町村が「教育委員会」のもとで行っているのに対して、「飯田市歴史研究所」という機関を設けて、刊行物を出版しています。しかも毎年「飯田市歴史研究所年報」という形で年間の成果を毎年刊行しています。この活動は、地方史を自治体が取り組むという点においては、きわめて稀有な事ではないかと思います。
「飯田市歴史研究所年報」の第1巻の冒頭で、飯田市長が
「昭和十二年に誕生した飯田市は、その後あわせて十三の町村と合併し、平成五年には十万都市に発展。(中略)市制七十周年に向けて、当初は市誌編さん事業を企画しましたが、昨年(平成十四年)八月に単に冊子の刊行だけを目的とせず、市の恒久的な文化事業の一環として、地域の歴史・文化を調査・研究しその成果を現在そして未来の市民に還元しようとする「総合的かつ恒常的地域史研究事業」方針を確立いたしました。(中略)このような事業を、充分な歴史研究能力を有する専門の方々と、行政を介しながら、地元の状況を熟知する市民とのまさに「協働」で推進できれば、飯田市の目指す都市像「環境文化都市」創出に大きく寄与できるだろうと確信しております。(後述)(飯田市歴史研究年報第1巻2003年12月)と述べておられます。
その事業を推進するために、飯田市では5年を一区切りとした“飯田市歴史研究所中期計画”を策定しており、現在は第3期目の途中となっています。
計画・実績報告等は飯田市歴史研究所のHP(https://www.city.iida.lg.jp/soshiki/39/)で見ることができます。
これらを実現するための「協働」ということに関しては、飯田市歴史研究所 市民研究員(過程)を募集しており、書類審査の上若干名を2年間、必要とあらば年間10万円の調査研究費を支給して研究に従事してもらい、終了後は歴史研究所の共同研究への参加、または基礎研究計画を提出して研究に従事することができます。郷土史に興味を持つ方々は何処でも多いと思いますが、その方々を一定の水準にまで指導していく事業を継続的に行っています。
地方公共団体の財政の厳しい折、ある意味何の生産性もないこの分野に予算を配分しているという事は、飯田市の英断であると思います。
それは、この地が歴史学者として名高い 古島敏雄氏を輩出した地域であり、古島氏の研究の出発点が、この出身地である飯田・下伊那地域であったこともあるでしょう(詳しくは「飯田市歴史研究所年報第4巻」をご覧ください)。
あるいは、この地域は戦前・戦中の満蒙開拓に多くの村民を送りだした地であり、それ故、語りつがなくてはならない史実があるということもあるでしょう(飯田市歴史研究所からは、満蒙開拓に関してのオーラルヒストリーの本が何冊か出版されています)
このことは、たまたま先日(9/27)の朝のTVドラマで「暮らしの手帖」の名物編集長であった花森氏(TVでは「あなたの暮らし」の花山氏)が、あの苦しかった戦争を、耐え抜いてきた普通の人たちが、どれだけの思いをしてきたのか、ささやかな幸せを犠牲にしてきたのか、それを 戦争を知らない世代の人に残して、二度とあの悲惨な戦争をしてはならないと話していたこととかぶるのではないかと思いました。
この満蒙開拓については、長野県は全体の約15%の人々を送り出しており、このオーラルヒストリーを残すことは使命なのかもしれませんが、岐阜県であっても、全国では6番目、全体では約4%の人を満州の地に送り出しています。又それ以前には濃飛大震災の後には、多くの北海道開拓民を送り出しています。ですから、決して関係のない事ではないのです。
これらをはじめ先の戦争については、今聞いておかなければ、語る人がいなくなってしまうという事実が散見されます。それを一つの体系として残して行く飯田市の取り組みは、本来はあちこちでなされるべきものなのかもしれません。
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