- 歴史の見方・考え方Ⅳ 飛騨(単の上口二つ)は下々の国ではない
-明治・大正の時代史も、正しく- - 飛騨の昭和画人三友(連載 完)洞春・幸作・周一
- 加賀屋(上野)清五郎の古文書について(四)
文化六年(1807)に高山御坊(高山別院)へ宮殿と須弥壇を寄付したことを示す文書についての解説:当時の流通経路等が伺い知れます。
- 明治・大正の運送事情
高山本線が開通する以前の岐阜-高山間の交通事情。最近でこそ、高速バスが運行されていますが、高山線の開通前にもバスを走らせていたようです。
- 二十余年も昔の想いで話 両面宿儺騒動記
飛騨国府町の遺跡と両面宿儺の関連について。
飛騨の人々にとっての両面宿儺は、物語上の人物以上の意味を持つ、身近な存在であり、それ故、これに纏わる遺跡や伝承が多く存在しています。飛騨の地域学の中の一分野と言っても過言ではないと思います。 - 下呂石研究の現状(二)旧石器時代~縄文時代草創期の下呂石
下呂市湯ヶ峰でとれるガラス質湯ヶ峰流紋岩。旧石器時代の石器の材料として、飛騨~富山、遠くは新潟・奈良と広く利用されていたようです。
- 飛騨国竹原郷厩野村幕末の村札発見について
現在の下呂市東部で幕末の時代村内でものみ流通していた低額の村札が発見されたことについて書かれています。
- 新飛騨物語Ⅱ「安福」その後
Ⅰは、「斐太紀 第六号」にあります。今や全国ブランドとなった飛騨牛の有名な種牛であった「安福号」その獲得秘話などが、紹介されています。現在の牛肉は、その五代前までの血統がわかるということで、全国で飼われている肉牛の約51%がこの「安福号」の血を引いていることになるそうです。とても読みごたえがある話です。
- 飛騨と美濃のDNA比較から日本人の成立過程がわかる
-弥生人の祖先は朝鮮半島から渡来
「斐太紀」にずっと連載のような形で論文が掲載されています。筆者の方の生まれ育った地の飛騨への恩返しという心意気と、その後にとられた行動にたいへん深い感銘を受けます。飛騨という山地と古代東西交通の要所であった美濃、その違いはそこに住む人のDNAにも表れているようで、それを分析している論文です。前からずっと読んでくると一層興味が湧いてきます。
- 飛騨における安永検地以後の検地一
-吉城郡名張村五郎左衛門新田-
検地と言えば、豊臣秀吉の「太閤検地」を思い浮かべますが、そもそも検地とは年貢を取り立てるために農地を把握するため行われたもので、飛騨の地でも江戸時代に入って何度か行われているようで、それを解説しています。又、新田開発に伴う、開発者と村人との軋轢を当時の事情を踏まえて書いておられます。
「ああ野麦峠」の女工哀史等から見た飛騨について、今までのステレオタイプな見方に一考を投じた文面です。
以上が 七号の主な内容です。尚内容については、書籍整理者の個人的な感想の域を出ないものであります。