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お雑煮


師走に入り今年もあとわずかになりました。
「もういくつ寝るとお正月…」などと歌うことはなくなりました。
 昔のお正月は、年中行事における一大イベントで、色々なしきたりが各地方によってあったようです。
 そこで、正月と言えば思い起こされる「御雑煮」について調べてみました。 岐阜の御雑煮と言えば、「角餅(煮餅)に醤油の澄まし汁、みは正月菜、鰹節をかける」位のシンプルなものを思い浮かべます。
 事実、全国の御雑煮をあつめた「お雑煮マニアック」(プレジデント社2016年)という本では、“平野の広がる美濃地方、高い山々が連なる飛騨地方。気候も違い、美濃と飛騨の間に山があることから、その文化は多少異なると言われています。それではお雑煮もさぞかし差が…と思うかもしれませんが、不思議なことにあまり差がないんです。どちらも名古屋雑煮圏内と言って…“(同書P47)ほぼ愛知県の雑煮と同じで違うのは蒲鉾が入る事(p46)と書かれており、蒲鉾?入れいないなぁと思ったのですが、それはさておき、上記の様な雑煮を代表的な雑煮として紹介していました。
 一方「聞き書ふるさとの家庭料理 第5巻 もち雑煮」( 社)農山漁村文化協会2002年)では、海津町萱野の聴き取りとして“餅は角餅、醤油の澄まし汁で煮込む、椀につけああと上からけずり節をかける(中略)一緒に入れる具は正月菜だけである”と記されています(p225)
 この本にはお雑煮についての起源等が書かれていましたので、少し引用したいと思います。
 お雑煮の誕生は室町時代、味付けはすまし仕立て(味噌は「みそをつける」ということで嫌われた)最初は上流階級がお祝い事で食されていたものが、安土桃山時代には正月に食すようになり(京都吉田神社の神職の日記より)、段々と全国的に定着していったのは元禄時代以降ということです(同書p249-251)
 雑煮については、形として角餅か丸餅か、調理方法として、煮餅か焼餅か、醤油か味噌か等で、分布されています。その地図(p250)をみると岐阜は概ね角餅・すまし文化圏に入っています。この本の記述に“里芋を加えるのは三地区-関東地区並びに近畿、九州に限定される”(p253)と書かれており、また加えるタンパク質として、“豆腐は信越の他関西でも見られる”‘(p253)と書かれています。
 私自身も子供時から50年以上、岐阜の典型的な雑煮というものを食べてきましたから、上記の記述には、何の疑問ももちませんでした。しかし本当にそうなのでしょうか?
 昔は今ほど暮らしも豊かではなく、食生活もほぼ自給自足に近い中で、正月というのは、“ハレの日”の食事をとっていたのではないかと思い、とりあえず岐阜県の各自治体(合併前の旧自治体)の郷土史にその記述をおってみました。
と当時に、お正月の料理についても調べてみました(後述)。その表は、別紙市町村別一覧にまとめました。残念ながら、書籍のみで調べているため、記述のない市町村もあります。
御雑煮について調べていくうちに、岐阜県の御雑煮というのは、正月菜だけのシンプルなものではなく、お豆腐と里芋を入れている所がかなり多いことがわかりました。
又お豆腐の切り方も西濃地方、郡上周辺辺りでは三角に切ると切り方を指定しています。
餅が煮餅か焼餅かについては、大まかに言えば美濃地方は煮餅、飛騨地方は焼餅の様です。全県下、ほぼ角餅ではありますが、白鳥町の長良川流域、石徹白、宮川村、上宝村では丸餅という所もあるようです。
これを書籍で調べる一方で知人の出身地の雑煮を聞きました。岐阜市周辺ということになりますが、砂糖をかけて食べるという方がありました。美濃加茂市ではそういう食べ方もあると書かれています。私が聞いたのは関市の方でした。母の実家では祖父は御雑煮が食べきれない時に砂糖を入れて食べていた記憶がありますが、中濃地域では一般的だったのかもしれません。
 又雑煮を炊くのに、豆ガラあるいは茄子の枝を使う所が多いようでした(かまどがあった時代の話です)

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