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時代背景


河渡宿俯瞰図 河渡の渡し

1.縮尺は、模型のポータビリティ(移動便宜性)を考慮し、市販合板等の規格寸法(910 mm)に宿場・渡船場東西の主要部分をギリギリで収めるべく、1/600としました。きりの良い1/500を考えましたが910 mmでは無理があるため、きりが悪いが1/600としました。

2.河渡宿と渡船場は、長い歴史の中で宿場東西端の木戸が取り外されたり、川高札が追加されたり、渡船場の位置が南北に移動されたり、お幕場が作られたり、馬頭観音が建てられたり移動したりしています。
この模型のレイアウトは元禄9年(1696年)の古絵図(地積図)をベースにしていますが、年代は敢えて特定せず、時々で特徴的なものを織り交ぜて再現しています。 具体的には以下の通り。

① 敷地の配置・寸法は元禄9年の古絵図を踏襲しました。

② 高札場や宿場東西端の木戸も元禄9年の古絵図をもとに再現しました。

③ 川高札・蔵の位置等は中山道分間延絵図(1800年頃)を参考に再現しました。

④ 渡船場は1861年 皇女和宮御下向の時の古絵図(下記参考文献5)をもとに、お幕場とともに再現しました。

⑤ 本陣は1831年 有君御下向の時の間取り図(本巣郡志他)を参考に再現しました。

⑥ 町家は中二階(厨子二階)造りを基本とし、虫籠窓は年代を考慮し楕円形を多用しました。

⑦ 屋根葺きは、桟瓦葺きと板葺きなどをまぜて適宜配置しました。

⑧ 小道、田畑、湿地帯などは元禄9年の古絵図とともに、明治6年の河渡村地籍図(下記参考文献3)をも参考にしながら適宜配置しました。

3.再現を割愛したもの 松下神社と記念碑は、河渡宿の歴史を代表する遺構ですが、その位置と形状・規模を特定もしくは推定するだけの史料が見あたらなかったため、再現を割愛しています。



4.参考にした他の宿場町・ジオラマ 大きくはつぎの2つです。その他随時ネットで検索・参照し参考にしています。

① 三重県亀山市関宿

② 愛知県豊橋市二川宿



5.主な参考文献・史料等

①「濃洲方県郡河渡宿之図」元禄9年(1696年)5月 岐阜大学郷土博物館所蔵

②『中山道分間延絵図 第17巻』吉岡勲/編 1982年 東京美術

③「河渡村地積図」明治6年(1873年)11月 岐阜大学 村木家文書目録No. 明治402

④『岐阜市史 通史編近世』岐阜市編 1981年

⑤『本巣郡志』本巣郡教育会編 1970年

⑥『美濃国方県郡河渡村 村木家文書目録』2007年岐阜大学地域資料・情報センター

⑦『中山道 宿場と途上の踏査研究』藤島亥次郎/著 1997年 東京堂出版


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