基礎研究

 

IT業界ではフロントランナーがゼロから一気に新技術を開発して実装版を世に出し、それに群がるセカンドランナーが雑多な機能を付加して初期型のエッセンスを台無しにしつつ、しばらくして凡庸な、というかオトナのサードランナーが円熟の完成版を世に出す、という流れがある1。長期的に見れば最後の完成版が最も社会に貢献することになる。今でいえばワープロや表計算ソフト、ウェブブラウザは円熟期にある。


バイオの分野では、まず新技術開発とその最初の利用法のデモンストレーションで核心的な知見を得る。新技術というのはPCRとかGFPとかNGSとかノーベル賞級のものが思い浮かぶが、そういう大物ばかりという訳でもない。その新技術をいち早くセカンドランナーが生物種を変えて適用し動植物菌類微生物での違いがあるのかないのか確かめ、サードランナーが後追い研究により周辺的な知見を発表し、そのあたりから実学的な研究者(バイオでいうと医学薬学農学)が新技術の恩恵を受容するようになっていく2。サードランナーくらいまでがいわゆる基礎科学と呼ばれその後にくるものは応用研究ということになる。


研究のフロントで行うのは、地図も何もないところに地形図を作成して道を作り標識を立てる、ようなことである。 科学の世界では地図がないところは山があっても「見えない」。地図があって初めて誰もが認識できるようになるので地図は重要である。 教科書に書いてあるような知識は詳細な地図があるところの情報なので、そのような場所にはフロントランナーの活動の余地は少ない。地図が全くないエリアで、高い山とか深い谷が「ありそうな」ところを嗅ぎ分けて狙っていくことになる。必然的に「どのあたりに地図が無いか」に敏感になり、見えないながらも何かの気配を感じ取れることを重視するようになる。学問ではあるのだが、これまでの知見を整理するような作業(学者というとこれが思い浮かぶ)は必須ではあるがメインではなく、中心になるのは「探検」になる。予見、計画、探索、リスク管理、撤退、等々の世界である。


セカンドランナー以降は成功例を追っていくので、追従している間は予見は不要で撤退の心配がない(追従しているばかりではないが)。リスク管理の重みもだいぶ違う。


フロントランナーとサードランナーは違う世界におり、研究スタイルや苦労のポイントなど全く話が噛み合わない。ノーベル賞受賞者の苦労話(オリジナルで面白くて波及力の高い研究を着想するのがいかに難しいか、とかいう話になる)が自身の経験を通して理解できるのは実際のところフロントランナーとセカンドランナーくらいまでである。ちなみに「面白い」というのは一見どうなっているのか見当がつかないような不思議な現象で、なんとか解明出来るくらいに複雑という意味。一見して仕組みを推測できてしまうようなのは底が浅くて面白くない。


さて、ここで問題になるのはどの階層の研究者も自分がやっているのは「研究」である、と思っているところである。同じ単語を使っているのだが、その内実は階層によってかなり異なる。異なるが同じ言葉を使って話をするので話が噛み合わないことになる。理解しあうためには議論を突き詰めていくという作業が必要になるが、そうすると失礼な状況が発生するような予感がするのでなかなか突き詰められない。


最近とある方々と話をしていて、「基礎研究」ということばが通じないという場面に直面した。同じ言葉を用いているのだが指している意味合いがだいぶ違うようだった。


基礎研究というのは表面的には応用研究とは峻別されており、「直接的には実用的な成果が望めない研究」という解釈は誤解なく行き渡っている。ただ、どのあたりまでを「直接的」と見なすか、が人によって違い、応用に近い研究に携わる人の方が厳しい線引きをする。私のは大分ゆるいようである。また、波及力のある研究でなければ実施する意義はないと私個人は考えるので、意義のない研究は研究というよりは「暇つぶし」のカテゴリーに入れたくなる。このあたりも人によっては通じない。


スジの良い基礎研究は非常に大きな影響力を持つ。裾野が広いとも言う。例えば大豆の栄養素を高める(応用)研究はその裾野(下流)に大豆の新品種がくるだけだが、植物の栄養素を改変する技術開発は大豆だけでなく作物全般がくることになり裾野が広がる(これも応用研究)。植物の栄養素の生合成を改変しその結果を予測するには「植物の栄養素の生合成はどのように調節されているか」をまず知る必要があり、これを調べるのが基礎研究である。畑や野外の自然環境で植物がどのような生合成の調節を行っているのかを理解すること、の下流には作物全般の栄養素を改変する技術開発だけでなく、栽培環境や散布肥料の調節による栄養素生産の改良技術開発なども含まれ、さらに大きな裾野を持つことになる。栄養素生産の改良というのは具体的に言えば、甘みや酸味を増やす、ビタミンCを増やす、等々である。


すぐに役立つ研究はすぐに役立たなくなる」という言葉があるが、基礎研究はその対極にある。先の例で言えば、大豆の新品種開発は次の新品種が開発されれば「役立たなくなった」という状況であり研究の恩恵を受ける期間もそこで終わるが、植物の栄養素を改変する技術の恩恵はより長期間続く。さらに植物の栄養素の生合成調節の知識からの恩恵ははるかに長期間続き、実際のところ終わりが見えないくらいである。


それはそうと、考えるうちに「基礎研究」がどういう研究を指すのかわからなくなってきた。素数の研究は典型的な基礎研究(=役に立たない)だと思っていたが、今では暗号方面で応用され社会実装されている。物理の核分裂の研究も最初は純粋な基礎研究だったはずだが、今では発電に応用され社会の根幹を担っている。これがひとつ、活動当時は自他共に認める基礎研究であったものが、結局は実用化されてしまった、というパターン。実用化されればその前段階の研究はすべて実用化のための基盤開発、すなわち応用研究とも解釈できてしまう。かのサイエンスの女王(数学)を応用研究呼ばわりすると嫌がられるが、つながっているのだから仕方がない、直接手は汚していないのだからいいじゃないか、ということで諦めてもらう(?)。


逆に、早すぎる応用研究という例もある。今の時代にバッテリーの高性能化の社会的な重要性に疑問を感じる人はいないと思うが、40年前だとどうだろう?研究者本人には遠いゴールが見えていたので応用研究(の基盤構築)として捉えていたはずだが、一般の人には用途のない「基礎研究」と見えていたのではないだろうか。


とか考えつつ、思いついたのが「純粋な基礎研究は存在しない」という仮説である。言い換えると「すべての基礎研究は将来社会の役に立つ」。科学研究は未来を掴むための活動、というようなことを以前書いたが、うまく繋がったようである(よしよし)。


2022.10.28


1WriteNowとCricketGraphは初登場したときから完成されていたので例外としたい。


2話をわかりやすくしてみた。この話の場合はフロントが技術革新である。新しい研究コンセプトがフロントに来る場合もある。コンセプトというのは証明すべき概念のことで、定理のようなもの。一連のデータを束ねて解釈する際に使われる「ストーリー」と言えば近い(実際にはストーリーに沿ってデータを集めることの方が多い)。「土壌に含まれる窒素と炭素の量比が植物の生理応答を決めている」とか、「気温が下がると植物の耐凍性が誘導される」とかがある。それぞれ一番最初に言い出した研究者がいて、そのストーリーに沿って多くの類似した研究が続き、あたりまえの解釈として定着し教科書に載る。

沢登りで言えば、登りきれるかどうかわからない未踏の滝をトップで登るのがフロントランナー、トップから縄を下ろしてもらって二番手で続くのがセカンドランナー、登攀の報告がいくつもあるなか地図にあるルートを辿って残置ロープや階段、吊り橋を利用しつつ登るのがサードランナー。ファッション界でもビジネスモデル界でも類似の構造が存在する。


3私が所属している日本植物生理学会では3月の大会(学会)の際に高校生の自由研究のポスター発表のスペースがある。ひとつの高校がポスター一枚を貼って研究紹介をする。高校生は全国から遠征してくる。最近は大学の先生方が指導していたりするので定型の研究が多いが、20年くらい前はユニークな研究が多くて面白かった。

ある年、血液型判定のキットを使って「魚の血液型を判定する」という発表があった。キットはヒト用のABOなので、「サバ 個体#1=A型」とかいうデータが示されることになる(「ナメクジ=判定困難」というのもあったが)。「そういえば魚の血液型についての情報は全く見たことがなかったな、何故だろう?」と思いつつポスターを眺めていた。

見たことがなかったのはもちろんそのような研究が過去行われていなかったからであり、何故行われなかったかと言えば、、、魚の血液型は知る必要がないから、であることに思い至った。血液型の情報が必要になるのは輸血の際だけである。魚の輸血は今も昔も行われていないので血液型を知らなくても誰も困らない、ので魚の血液型は研究されてこなかった、ということになる。

発表は、キットの利用拡張に勇敢さを感じたのでそれなりに楽しめた。ところで、これは基礎研究なのであろうか?




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