植物分子生理学研究室
Lab for Plant Molecular Physiology, Fac Appl Biol Sci, Gifu University
論理的思考5
エビデンスベース?
ネットの論理的思考を巡る状況がちょっと面白かったので、もう少し紹介してみる。
ビジネス系ロジカルシンキング界に「エビデンスベース evidence based」というワードがある。状況認識について結論を出したり意思決定の際に根拠を持って行う、ということであり、新規提案に説得力を持たせるための技術として紹介される。社長は社員を説得する必要はないので新方針を周知する際鶴の一声で済ませるが、説得すべき相手がいる場合(上司や顧客)に役立つのがエビデンスベース、ということである。ちなみにサイエンスではエビデンスベースは研究者の血肉となっており、逆にそうでない活動は想像しずらい(ない訳ではなくて、物理には思考実験という研究者全員がもともと共有している知識を基に論理展開を試みるジャンルがある)。
エビデンスベース=科学的と思いがちであるが、ネットの情報を見ていると実はそうでもないらしい。エビデンスベースには論理的思考に則ったものとそうでないものが存在する。そうでないものの例はこれまたビジネス系の啓蒙サイトで発見した。おもしろいのとちょっと紹介してみたい。
例として挙げられていたのは「当社はミネラルウォーター事業に新規参入すべき」という提案をエビデンスと共に見せることで説得力を上げる、という話。根拠として3つ、①「市場は成長率が高く機能性を追求できれば参入可能」、②「競合は多いが圧倒的なシェアを誇る競合はない」、③「当社の強みを活用できる」、がかかっており、これらの3つの根拠はさらに3つづつの細目が支えている(細目については省略)。挙げられた根拠はエビデンスではないが、それぞれに該当するデータを持って来ればエビデンスということになり、「これはやるしかないでしょう」という流れに持っていける、ということなのであるが。。。
さて、これを理系研究者が見るとどうなるか。 論理的に見れば「参入すべきでない」側の根拠が書かれていないという事実にすぐに気がつく。 しかしそれは参入の是非の判断の際には必要な情報なのではないか?書かないというのはこのプレゼンテーターには視野が欠けているのかあるいは参入に関わる大きなリスクが意図的に隠蔽されているのか??リスク計算なしに突っ込んでいけと言っているのか??? 、、、くらいのことは一瞬で頭をよぎる。
ま、それはそうとして肯定派の話を聞いてみよう、と思い3つの根拠を見る。
①:市場が成長しているのはよいが「機能性を追求できれば参入可能」というのは全く別の話ではないか、なぜ一緒にする?
①機能性の追求は参入の必須条件なのか?だとすれば何故?
②独占的な一社が存在しないというのは市場の成長スキームから見ていくつかの状況が考えられる。構造的に巨大企業が参入できない市場なのかも知れない。これをもって無条件に参入すべしとはならないのではないか。もし仮に独占的な一社が存在しているとしてもそれをもって参入すべきではない、とも一概には言えないのではないか。中小他社にしても成長市場なのに現状維持がゴールで静止している訳ではなかろうに、これらのトレンドを調べてないのか?
③当社の強みをミネラルウォーター事業に利用できるのは確かだが、それをそのままこの業界での強みとして考えていいのか(データはないのか?)。
ということになる。つまり理系の見方では、エビデンスとして紹介された根拠と結論との関係に論理性がない、言い換えれば示された「根拠」は参入への根拠として成立していない。この結論は恣意的であり、疑うに値する、と判定される。
上記の理系研究者的視点による「疑念」は概ね MECEの概念を使って得られている。例えば、理系研究者は②ではMECEを使って(2.1)圧倒的なシェアを誇る競合がある場合、(2.2)圧倒的なシェアを誇る競合がない場合、に分け、それぞれの場合に「参入すべきかどうか」を検討している。そこで、この場合分けだけでは結論へ収束しないことに気がつく、という流れである。ついでに言えば、MECEの観点から①〜③以外の「参入すべき理由」をざっと探して見たくなる。そもそも①、②、③と並べてそこで完結していることの論理的必然性が感じられない。ここにはミネラルウォーター事業に企業が存続できるための主要条件すべて、とかが欲しいところである(無理いってる)。ともあれ、MECEは分類のためだけののツールだが、利用範囲は広い。
サイエンスにはそれなりに長い歴史(それなりに、ではあるが)と厳密さを尊ぶ風潮のなかで構築された鉄板の説得の方法論を持っている。「誰もが認めるデータ」を「誰もが認める論理」で展開すれば、「誰もが認めざるを得ない」結論が出てくるようになっている。データの集め方にも守るべき作法がある。
前々項でも書いたが、「科学」と「疑似科学」の違いは一瞬でわかるものである。ツリーやピラミッド構造、フローチャート等々で外側だけ似せても意味がない。ツリーなら分岐点はMECEに下流に繋がっている、ピラミッド図等にある「線」や「矢印」はその意味が定義されている、のでない限りは論理的というよりは「論理的風」である。
ついでに言えば、正しくMECEにツリー(ロジックツリーという名前がついている)が書かれていたとしても一般的なチェックリスト程度の使い方しかできないような気もする。意思決定のツールとして役に立つのだろうか(注1)。
道を辿ってその通りに進むのであれば、何も考えずにごく目の前の道の向きだけ見ていれば済む。しかし、道のないところを行くのであれば周囲の地形のみならず遠い先まで見通しつつ自分でルートを決定しなければならない。そのときに役立つのが論理的思考である。先人が通った道があったとしてもその道が自分が行きたい目的地へ通じているとは限らない、もしくは自分が歩ける道とは限らない、という状況でも論理的思考は必要になる。必要がないのは「何があっても既存の道からは外れない」と思っているときだけである。
サイエンスのフロンティアでは道がないので可能な限りの論理的思考を駆使する。それでも足りずに「何かもうひと押し」できるツールを求めるようになる。
(あと少し)
注1:たぶん役には立たない。その後の調べで「ロジカルシンキング」というワードは、1)アメリカ発祥と見せかけて日本のコンサル系の一部の人が言い出した業界用語であり、2)特定のプレゼンスタイルもしくはグループでの検討の様式を示すものであって、3)ロジカルなシンキング(論理的思考)とは無関係、ということを知った(Wikipediaより)。ロジックツリーというものもロジックとは無関係。ネット界では確立されたコンセプトとして就活サイト等でエコー中だが、実際は社会常識として受け入れられている訳ではない。ナイーブな人は(私も)つい語感に惑わされてしまうので要注意。
2021.12. 3
Highly Cited Researchers of Gifu University