論理的思考1

 

論理的思考というワードは大学の教育関係の場面でそれなりの頻度で使われる。学生への教育目標のひとつとして「論理的思考の習得」が挙げられたりしている。昨今の人事の面接でも「論理的思考を教えることが私の教育目標のひとつです」みたいなことをおっしゃる研究職採用候補者も多い。


とはいえ、論理的思考は研究者の中でも苦手な人が多いようである。前述のようなことをいわれる候補者の研究紹介のプレゼンが全く論理的でないことも珍しくない(ので誰も驚かない)。 トレーニングを受けていない学生が不得意なのはもちろんである。


端的に言えば、日本人は論理的思考が苦手である、と思う。日本人には論理性よりは感性を重視する人の方が圧倒的に多い。感性というのはバランスのことであったり色調やテンポのことであったりする。「空気を読む」のも感性であるし、過去の経験を踏まえた成功感覚も含まれる。日本のコロナ騒動を見ていると、 ある問題に対して経験をもとに対応しつつ修正していく能力は優れているように感じたが、未知の現象に対して論理的に予測し前もって対応するのはダメダメだった。


人智を超えた自然の存在に敬意や親しみを持つ日本の文化的文脈においては、人智=つまらないもの、という図式になっており、人智のツールである論理的思考に対して評価が一段低くなっているのかも知れない。物事を論理的に進めるためには必要な情報を事前にすべて入手する必要があるが、そのような状況は実際的ではないと考えられているのかも知れない。


論理的というのは、将棋で言うなら一手づつ読み詰将棋的に悪手を捨てていくことであり、盤面全体の雰囲気からざっくりと「このへんにコマを」みたいに打つのが感覚的である。初手から最後まで論理的に将棋を指すのは現実的ではないが(スパコンでも無理)、 詰将棋ができない人が将棋に勝つ見込みはない。


論理というものは誰が使っても同じになるはずなので底の浅い技術にはなるが、だからといって社会人が論理的思考はできませんというのでは済まされない。知識を体系として持つためには必須の技術であり、科学研究だけでなく予測や運営のベースとしてビジネス、経営、行政、趣味においても活躍する。ロケットを飛ばしたり新しい社会を構築したり、あるいは大きな組織を運営したり等々、それなりにスケール感あることをするには必須である。大学生においては、まずは論理を扱えるようになり、その上で感性なりバランス感覚なりを磨いて頂ければと思う。個性は、もとから備わっているものであり意識的に磨いたり成長させたりするものではない(のでほっておいて大丈夫)。


と、ここまでは前置き。


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2021.11.25


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