Windows ディレクトリに Msmail.ini ファイルがあることを確認してください。 このファイルがない場合は、Msmail.ini という名前で空のファイルを作成してください。これはクウでいいんだよね。カラ、かな。C:\WINDOWS\EXCHANGE.TXT
「この前の晴れた日というと、三日前ですよね」思えばこの言葉も面白い。全部漢字で書くと「日日」になる。 でも「日日」と書いたのでは「日々」と紛れる恐れもある。 また、同じ字が続いているのだから、同じ読み方だと思ってしまうのが人情だろう。 湯湯婆のような例外や、子子子子子子子子子子子子子子(猫の子仔猫・獅子の子仔獅子)のような遊びはともかくとして。
「ええ。あれから、ずっと昨日まで降っていた」
「だから日にちがはっきりするんです。三日前。(下略)
北村薫『覆面作家の愛の歌』角川文庫108ぺ
「本を手にしたら、いつだってあの人に会える」「まきれもない」は打鍵ミスではありません。原文もそうなっています。 が、これが今日の主題ではありません。
さりげなく、セリフに込められてはいますが、これは、まきれもない北村さんの豊嶋さんへの鎮魂の言葉でした。
大多和伴彦「解説」(北村薫『覆面作家の愛の歌』角川文庫)
A 佐藤のこのうえなくどうしようもない文体ただ、この例文だと、「このうえなくどうしようもない」のが「佐藤」なのか「文体」なのかわかりません。 そう、「このうえなくどうしようもない佐藤」はあり得ないからBでよい、という風にことが進まないのが世の常(というより個人的には情けない、だったりするかも)。
↓
B このうえなくどうしようもない佐藤の文体
C 佐藤の、このうえなくどうしようもない文体これだと大丈夫。少なくとも「このうえなくどうしようもない」のは文体であって、佐藤ではないかことがはっきりします。めでたしめでたし。
「損するのがわかってても、出さなきゃいけない本て多いでしょう。 本屋って、たまたま損するわけじゃあないのよ。 本屋が稼ぐっていうのは、売れない本のため。 ね、社員のためじゃないの。 一億入ったら、《ああ、これだけ損が出来る》と思うのが、本屋さんなの」何やら、最近、出版人のお行儀が悪い。 いや、何も写真週刊誌のエゲツなさとかを言っているのではない(言いたくなることもあるけれど)。 もっとずっと私に身近なことで、そう思うことがある。北村薫『朝霧』東京創元社 81ペ
かつうまく表示できてないかもしれませんが、「喝」の真上に「かつ」とルビが来ます。 なお「か」と「つ」の間には空白はありません。あ、原文は縦書きですので、ルビは右側に来ますが、それ以外は一緒です。
和尚さんに《邪魔立てするな、喝ーっ!》と文字通り一喝されてしまって、とぼとぼ帰ってきた。北村薫『覆面作家の愛の歌』角川文庫 46ぺ
(二)必要(本質的)なもの以外のむだや気負いがすべて省かれていて、かえって深い味わいを持つようになる。「芸が−」「枯れた字」これの応用である。 たしかに、パソコンのソフトなどでも不要要素が消えて、実に気持ちよく使えるものがある。 誰が使いだしたのかしらないが、コンピュータ関係者もなかなか洒落ている。 何ともいえず、いい表現だと思う。
『新明解国語辞典』第5版
喬は腰に朝鮮の小さい鈴を提げて、そんな夜更け歩いた。 それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。 銀の地に青や赤の七宝がおいてあり、美しい枯れた音がした。モノに使った例だが、「美しい」という表現があるように、美的な要素は踏まえている。
梶井元次郎「ある心の風景」(CDROM版新潮文庫の百冊)
父は自分達に対してもよくこんな愛嬌を云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、何時か這入り込んで来た。それ程枯れた御世辞だから、それが自分には他(ひと)の「御早う」位にしか響かなかった。これは「御世辞」なので人間の行為だが、文脈からは美的要素が感じられない。
夏目漱石『行人』(CDROM版明治の文豪)