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気になることば 第40集   バックナンバー索引   同分類目次   最新    

*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、 人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。

19980104
■宮部みゆきの「拙速」
 この商売に、拙速はあり得ない。スピードがすべてに優先する。たとえ盗り残したものがあっても、未練を残してはいけない。そんなことをしていると、高い塀の向こう側で、仮釈放の日までの日数を、壁に刻んで過ごすような羽目になる。
宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』講談社文庫。46ペ
 「拙速」。とりあえず『広辞苑』には「仕上りはへたでも、やり方が早いこと。」とある。 多くの場合、「兵は拙速を尊ぶ」という形で使われる。 戦略も盗みもスピードが大事なのだろう。

 というわけで、宮部の「拙速」はまったく逆の意味になっている。 おそらく、「拙」を、「速」にかかるマイナス評価の修飾語とみたのだろう。 まぁ、「悪事・悪行」の「悪」、「善行・善人」の「善」のように、評価性の濃い字には、そういう語構造の漢語は少なくないので、ありうるといえばありうる間違いではある。 もちろん、「拙者・拙著・拙論」など「拙」字自体にも、そういう構造の熟語は多い。

 何度もいうようだが、宮部作品は好きである。 質さえ落ちなければ、どんどん書いてほしい。 できれば、主人公が共通する短編連作を。
 未読の方は、『我等が隣人の犯罪』(文春文庫、だったか。北大ミステリ研のレビュー)が短編集でもあるので、読みやすいと思う。 最初の「我等が隣人の犯罪」は、なぜかちょっとだけ目頭が熱くなった。
 東京駅丸の内南口にある「チップトイレ」というのは、いかなるものなのだろうか。 入り口にチップ入れがあるが、普通チップを払うのは用が済んでからである。 用を済ませんとさっさとなかに入る。

 用がすんだら、手を洗う。ところが、その水がでない。 というか、出し方がわからない。水をだすための把っ手もない。 感応式かと思って手を差し出したがだめである。 これであわてたのか、水の出し方を書いたものも目に入らない。(多分、ないのでは?)

 チップを払わずに出てきたのは、いうまでもない。
19980105
■昔々のファンレターから

 昨日、高橋克彦ファンのためのHOMEPAGEを作ってらっしゃる方からメールをいただいた。 検索エンジンで「高橋克彦」で検索したらいきあたった、ついては企画中のお気に入りの作品BESTに投票していかないか、とのおさそいである。こころよく『北斎殺人事件』に一票を投じた。

 このメールをきっかけにいくつか思い出したことがある。
 もう10年くらいまえのこと、厚かましくも高橋克彦氏にファンレターを書いたことがあった。 たぶん、『北斎〜』を読んだ直後だったろう。知的興奮と人の温かさを感じたあまりの行動だった。 もちろん、若かったから、というのもあるかもしれない。

 そういえば、変なことも書いた。 登場人物に塔馬双太郎という浮世絵研究者(探偵役の一人)がでてくるが、ちょっと珍しい名前である。 ひょっとして、アナグラムか何かがしかけてあるのかと邪推し、私案まで書いてしまったのである。 んんん、こっ恥ずかしいなぁ。(私案まで公開するのは許してね)

 そんな、とるに足らない内容だったが、高橋氏はきちんと封書で返事をくれた。 何だか恐縮するような、もったいないような気になったものである。 もちろん、小さなファンレターもないがしろにしない姿勢にも打たれた。

 それに引き換え、俺ときたら‥‥‥   院生だけでも年賀状の返事をだそう。
 ついでにもう一つ思い出した。高橋氏との遭遇接近である。
 国会図書館のなかに、まずいスハゲティーをだす喫茶室がある(ほんとにまずい。ウドンと紛うほどやわらかなヤツが出てくる)。そこで、タバコをふかしながら想を練っていたのであろうか、虚空をながめる高橋氏を見かけたのである。
 一瞬、これこれのファンレターをだした佐藤です、と名乗ろうかともおもったが、お邪魔しては大変である。「引き返す勇気」を絞りだして、その場を去ったことであった。
19980106
■複製本の値段

 去年、『大日本永代節用無尽蔵』(文久4年版)を買った。 幕末の本屋仲間(組合)の記録によると訂正版があることがわかる。 そこで、訂正前と訂正後の本を比較したいのだが、図書館の目録類ではそこまで記してない。 結局、現存する『大日本永代節用無尽蔵』を片っ端から見ることになる。

 国公立大学の図書館同士だと提携が結んであるので、図書館間の貸借ができる。 出かけなくても、本が来てくれるわけだ。 ただし、江戸時代までの本では原則として貸借ができない。 結局、「足でかせぐ」しかない。 が、『大日本永代節用無尽蔵』文久版には複製本がある。 これなら貸借もできるだろう。 順調に調査がすすめば、出かけるべき図書館が一つ減ることになる。

 そこでうちの図書館の相互利用係に申し込んだのだが、見込みが薄そうだとの電話。 価格が高いので応じてくれるかどうか分からないという。 その値段とは30万円(大阪教育大の記録)‥‥‥

 絶句である。
 実は、10年ほどまえに大阪の古本屋で、この複製本を見たことがあった。 一冊本で、厚さは13〜4センチもあったろうか。 もとの本の体裁を復元しようと、袋綴じ・和本仕立てになっていた。 それが、木箱に収められている。

 問題の中身だが、もとの本の刷りが悪く、かすれが目立った。 また、これだけ厚いと、綴元のほうはすこぶるみにくい。 私だったら、どうせ復元なんぞは経費がかかるだけだから、洋装本(普通の本)仕立てにする。 みやすさを優先して三分冊。当然、できる範囲で、刷りのよい原本をさがすだろう。

 さて、古本屋での売価は1万円。これにもおどろくが、本屋として「1万円でも売れるかどうか」 あるいは「こういう杜撰なものは1万円で十分」との判断が感じられ、好ましく思った。 当然のことながら買わなかった。 いま思えば、ほんのちょっぴり後悔もあるが、その時はこちらも意気に感じた(?)のである。

 そんな本の定価が30万円だって? どうなっているんだ。
 本物を買っても10万円でお釣りがどっとくる。 前にかったときは3万円でお釣りがきた。 紛うことなき初刷りで、いま刷ったようなものでも20万円くらいなのではないか。
19980107
■薄田泣菫「節用集を食(くら)ふ」

 先集からの続きです。泣菫『茶話』(チャバナシと読むそうな)を見つけたので、抜粋します。

 話の主、西依成斎は、肥後(熊本)生まれの儒者で、京都に学び、小浜藩にも仕えた人だそうです。 『茶話』には「女遊びを断って20年、おかげ93才の今でも壮健だ」と弟子に言い放った話が載ってます。 93才引く20年は‥‥
 それでは、抜粋です。
 (成斎は、本ばかり読んで家業を手伝わなかったので、家を追われた−−佐藤注)
 成斎は泣く泣く家(うち)を出たが、それでも出がけに節用集一巻を懐中(ふところ)に捻ぢ込む事だけは忘れなかつた。 (中略)節用集といふのは今の小百科全書の事だと言ひ添へて置きたい。
 成斎はその節用集を抱へ込んで、狗児(いぬころ)のやうに鎮守の社殿の下に潜り込んだ。 そして節用集を読み覚えると、その覚えた個所だけは紙を引拗(ちぎ)つて食べた。 書物を読み覚える頃には、腹もかなり空いてゐるので、節用集はその儘(まま)飯の代りにもなった訳だ。で、十日も経たぬ間(うち)に、とうと大部な節用集一冊を食べてしまつたといふ事だ。
 う〜ん、あんまり偉人伝らしくないなぁ。 勉強して勉強して完全ならしめるために胃の腑におさめた、という風ではないですねぇ。 腹がへったから食べたのか‥‥‥

 それにしてもあまり面白くないですね。 こうなったら、泣菫が依拠した資料にあたってみるか(原拠が面白いとはかぎりませんが)。  『漢学者伝記集成』にはこの逸話はなかったので、『肥後先哲遺蹟』でしょうかね。 あるいはもっと直接的な資料があるのかしら。 ご存じの方、心当たりのある方、御教示いただければ幸いです。
 『大日本永代節用無尽蔵』の複製本、到着しました。 やはり、以前にみたヤツです。 自分の本とみくらべているわけですが、一丁落丁を発見。 もちろん、複製本の方で。ムカツクー。
19980108
■「よく焼き」

 思い出したのでちょっとだけ。

 昨年の暮れ、岐阜にきた富山の友人とホテルで夕食を食べた。 メインディッシュは、飛騨牛のステーキである。 ウェイターは、もちろん、焼き方を聞いてきた。 わたしはためらわず「ミディアム」といったが、友人は「よく焼いたヤツ」と言った。
「ウェルダン」という言い方を知らないはずのない人なのだが、主義としてそう言ったのだろうと思った。

 さて、メインディッシュが運ばれてきた。 ウェイターは「ミディアムはこちらでしたね‥‥ こちらがよく焼きになります」と言って友人の前に皿を置いた。

 「よく焼き」ということばは初耳だが、それにしてもこのウェイター、よくやる。 皮肉がこめられている、というのではない。その逆である。 たぶん、彼は、客の言い方にできるだけ逆らわない表現をしたいと思って、「よく焼き」を使ったのだろう。 そう私に思わせるのは、ほかの料理を運んできたときの彼の態度である。

 こういう柔軟性、マニュアルばやりのファミリーレストランでは望めないだろうな。 「よく焼いたヤツ」。レストランの試金石として都合のいいことばかもしれない。
19980109
■初買い

 今年最初の和本の買い物は、某古書店の目録で注文した『増補以呂波雑韻』(延宝8・1680年刊)になるかもしれない。 「かもしれない」とは、中途半端な書き方だが、ちょっと悩んでいるのである。

 昨日、郵送されてきたのだが、すでに所持している寛文4(1664)年刊本とほとんど同内容らしい。 多分、同じ版木を使ったか、復刻したものだろう。 そのうえ、最後の10数丁には、横一文字に虫食いもある。ちょっと悲しい。 「以呂波韻」についてはそんなに血道をあげて収集してるわけではないので。

 でもいいか。その本屋さんからは初めての買い物だし、安かったし、何より、応対が丁寧であった。 FAXで注文したら、折り返し確認の電話があったのである。 表紙は替えてあるが、いいか、とのこと。 たしかに目録にはその旨の注記はなかった。 したがって、当然といえば当然なのだが、やはり確認してくる点で誠実さを感じた。

 んん、ちょっとまて。虫食いについても注記がなかったゾ。 こういう場合、それなりの対処を要求できるのが普通である。 ぱっと思い浮かぶ選択肢は三つ。
@虫食い無注記を根拠に、このまま返送する。
A虫食い無注記を根拠に、割引してもらう。
B何も言わず金を払う。
 実はAはやったことがない(@は結構やっている)。 Bは、その本が欲しいかどうか、市場に出回りやすいかどうかにかかっている。 欲しくて欲しくてしようがない本なら、とりあえずそのまま買うことになる。

 ということで、延宝版『増補以呂波雑韻』は返品かな。
19980110
■「週間〇〇」

 WWW上で、週刊誌の名を「週間〇〇」とするのをよく見かける。 変換結果を見過ごしたわけで、他人(ひと)のことは言えないのだが、一体、どれくらいの率で発生するものか、気になった。

 で、定番のgooで検索。なかなか高い率である。私も気をつけよう。

  週間朝日/週刊朝日 158/ 813 16.3%
  週間ポスト/週刊ポスト 127/ 531 18.2%
  週間文春/週刊文春  94/ 721 11.5%
  週間新潮/週刊新潮  47/ 499  8.6%
  週間宝石/週刊宝石  46/ 254 15.3%
  週間読売/週刊読売  44/ 262 16.8%
  週間大衆/週刊大衆   5/  55  8.3%
  週間  /週刊   521/3135 14.3%

 これらは、いわゆる週刊誌である。漫画・劇画系を調査すると、また違った結果がでるかもしれない。 というのは、わざわざ「週刊マガジン」と「週刊」まで書く必要性が少ないように思うから。 もちろん、「月刊マガジン」があったとして(あるのかな?)、両方を話題にする場合は別。 少女漫画などは月刊誌も多い(と記憶する)ので、結構、資料も集まりそうではある。

 で、最近の国語審議会の案として、「漢字を読めることを重視する」というのがある。 上のような状況を見るとき、そうした方がよいと思う。

 が、一方で、「読めることの重視」の背景に、ワープロが定着したから、というのがあるらしい。 しかし、これは違うだろう。理解(読める)があってはじめて使用(書く)するのが、言語使用の元来の姿だからだ。 分からないものは使えない、というのが普通である。 知ったかぶりは別にして。

 「読めることの重視」に対して、ワープロの存在は、ニ義的なものに過ぎない。 そう見ると、「読めることの重視」という結論は、どうにも時代に媚びた、底の浅い結論のように見えてくる。 もちろん、やっと気づいたか、という気もするが。
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