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気になることば 第35集   バックナンバー索引   同分類目次   最新    

*「気になることば」があるというより、「ことば」全体が気になるのです。
*ことばやことばをめぐることがらについて、思いつくままに記していきます。
*「ことばとがめ」に見えるものもあるかもしれませんが、その背後にある、 人間が言語にどうかかわっているか、に力点を置いているつもりです。

19971129
■「場合」の場合

 熊本の福田嘉一郎さんからメールがきました。 御出身地の大阪の南部では、「場合」をバヤイと発音することが多いが、これは後続母音のイをきっかけにしてできたものと思うがどうだろう、とのことでした。

 実はちょっとだけ困りました。前回、「試合・具合」などを紹介したとき、「場合」をバワイ・バヤイというのも頭に浮かんだのでした。 が、話がちょっと込み入るので、避けてしまったのです。天罰覿面。
 とりあえず、次のように考えてみました。御批正ください。

 「場合」baaiだと、一つめの母音がi・uではないし、aからaへ移るのですから、前回のタイプ2では説明できません。 また、aという母音は一番母音らしい母音なので、似た(あるいは近い)子音もない。つまりタイプ3もあてはまりそうにない。

 でも、何とかしてaの連続を避けようとすれば、一連のbaaiのなかから子音になりそうなものや、 そのきっかけを探すという段取りになるのでしょう。
 そこで、最後の母音iに白羽の矢がたてられ、それに近いj(ヤ行の子音)を挿入したのがバヤイなのでしょう。福田さんのおっしゃる通りだと思います。 そして、最初の子音b(両唇・破裂・有声)に注目して、すこし弱めたw(両唇・摩擦・有声)を挿入したのがバワイなのでしょう。 どちらかといえばタイプ3に近いものと言えましょうか。

 これで一応の説明は完了します。本当はもう少し詰めなきゃいけない。 でも、このくらいにします。今日のところは。 
 こういうことって、岸田武夫さんの著書をみると全部書いてあったりして。
まだ見てないんです。図書館に登録替えをしてしまったらしい。すみません。

 また100円柿を買ってしまった。
 いつも買ってる無人販売所とくらべるのが目的の一つ。なんせ、山側の通勤路をとると、10箇所以上も無人販売所がありますからね。かしこい柿消費者になるにはこのくらいはしないと。
 目的の二つめは、硬いヤツは置いておくと柔らかくなって美味しくなる、という命題を柿においても実証するため。まぁ、たぶん、そうなるでしょうけれど。
19971130
■バヤイの場合

 「場合」をバワイ・バヤイと発音する説明は前回のとおり。 でも、何だか、腑に落ちないなぁ、という気もしますね。 専門家は、こういう説明に慣れているので、かえって違和感がないかもしれませんが。

 bawaiだと、wは、先に出てきたbに由来するので、あまり不自然という気はしないでしょう。 ちょっとモデル化していうと、頭脳にある発音待機所みたいなところを一旦通過した音であり、それを発音したという感覚も頭脳に残っているでしょう。 そのごく短期の記憶からもう一度呼び出すのでしょうから、さほど違和感はないことになると思います。
 あるいは、発音器官(この場合は唇)を閉じるという脳からの命令を実行したばかりで、意識も唇に集中した直後なので、もう一度同じ(あるいは似た)命令を実行するのはたやすい、と見てもいいかもしれません。

 けれど、まだ発音されてないiに由来するjをつかうbajaiは不自然な気がしませんか。 これはどう考えたらよいか。 発音待機所で待機している音から見つけ出してきた、と考えましょうか。 あるいは、あとに発音するつもりで準備していた音を、一つまえでも似たように繰り越した、と見てもいいかもしれません。

 そうなると発音待機所なるものが、どうなっているのか知りたくなりますが、どうしましょうね。 ちょっと困りましたね。 でも、多分、音(の記憶)は、bとかaとかの音を最小単位として(単音)、単語内の順番にぎょうぎよくならんでいるのでしょう。そのうえの単位が語(単語)なのでしょうね。 そして、句・文・段落・文章と大きくなるのではないかと思います。

 ところで、バワイの方も実はつめるべき点がありますが、それはまた明日。
19971201
■バワイの場合

 「場合」をバワイと発音するのも、ちょっと考えると問題があります。 挿入されたw(両唇・摩擦・有声)は、一度出てきたb(両唇・破裂・有声)に由来するわけですが、母音の連続をさけるためなら、wでなくてbそのものを繰り返したっていいはずです。 なぜ、bではなくwになるのか、これが問題といえば問題になります。

 考え方としてはいろいろあります。 まず、単語の側面として、bを挿入したババイだと、別の語とまちがわれやすい、という可能性があります。 そのものズバリの「ババイ」という単語がなくても(「お婆さんくさい」とかいう意味であるような気もしますが)、聞く側にとっては、「ババ〜」ではじまる語への連想が働いてしまいそうです。 それを避けるために、性格のちょっと変わったwになったことも考えられます。

 そういうことは可能性としてまったくないとは言い切れないですが、「ババイ」「ババ〜」を想定しての話なので、バワイ以外の同じ現象についてあてはまるとは限りません。 もっと、他の語にも流用・応用できるような説明の方が、説得力があるものと思います。

 とは言え、いい案がないんですよね。とりあえず、以下のように考えてみますか。
 「場合」をbaaiと発音するとき、二つのaのあいだには発音の切れ目がきます。 声帯の振動を一旦とめて、また発音するのです(声門閉鎖)。 それを[']とか[?] (ただし、点なし。以下では省略)で表す流儀もあります。丁寧で正確な発音を、正確に記述するなら[ba'ai]となるわけです。 その流儀の説明では、[']も一つの音としてあつかわれます。

 ただ、実際問題として[']は他の音と等し並みではありません。 [baai](バーイ[さようなら])と[ba'ai](場合)のように意味の区別に役にたつこともあるのですが、単語(文節)のはじめだと、この差は解消されます。 たとえば、「愛」を['ai]と発音しても[ai]と発音しても意味はかわりません。 (注)
普通、私たちの発音だと['ai]になるでしょう。 が、[ai]の発音はむずかしい。声帯の振動の開始(閉鎖の解除あるいは破裂)を感じさせないようにいうには、[hai]とでもいうつもりで、しかも「ハ」とは明らかには感じさせないように発音する必要があります。
 ですから、[']は単に母音の切れめをしめすに過ぎない、とも言えるわけです。 で、そのような曖昧な、あるいは価値の低い[']を、立派な子音で置きかえるのは躊躇されるのではないでしょうか。 「場合」だと、bを挿入するわけにはいかないということです。

 ただ、どうしても明確な切れめが欲しい、という要請もあるのでしょう。 要請と躊躇という相反するベクトルの妥協点としてえらばれたのが、bを弱めたwなのではないかと思います。
19971202
■「気ぜわしない」
 すっかり傾いた陽差しが外の水面に照り返してきて、障子から天井にかけて気ぜわしなくゆらめいている。
泡坂妻夫「雪の大菊」『自来也小町  宝引の辰 捕者帳』文春文庫
 「いとけない」など「〜ない」という形容詞が、「無」の意味がなくても (詳細にみれば、意味的にはつながっていくらしいのですが) 使われることは知られているとおり。 が、引用の部分、ちょっとひっかかってしまった。 もちろん、「気ぜわしない」という語はあって、誤用というわけではない。 古語(的)である可能性はあるにしても。

 私のあたまのなかでは、どうやら次のようになっているらしい。
       「気」なし  「気」あり
せわしい     ×       ○       ○=使う
せわしない    ○       ×       ×=使わない
 そこで、「気ぜわしない」が引っかかってしまったというわけ。 「せわしない」を使うくせにね。 人間、そうそう体系的(システマティク)にことばを把握しているわけではない、 というごくごく当たりまえの事例です。

 ただ、引用のところ「気ぜわしく」にすると、ちょっと不気味な感じがしませんか。 何だか、光線が意志・感情をもってるかのように見えてしまう。 たぶん、私が「気ぜわしい」を使う(分かる)ので、そう感じるのでしょう。
 そういう生々しさが、「気ぜわしなく」にはないような気もしないではない。 あまり使われていない語(だと思う)なので、「枯れて」いるのでしょうかね。 そこまで考えて泡坂妻夫は使ったのだろうか。

 16時30分ころ、福井方面からの強い風に乗ったとおぼしく、こちらでも雪が舞いました。
 今日は、前日とは変わって、寒い一日です。 明け方の寒気で、少し風邪を引いたようです。 はやく治さねば。やらねばならぬことどもが待っている。

 げげ、冗談じゃない。まだ、雪がちらついている。
19時20分補訂。

19971203
■「建都千二〇〇年」

 NHK『堂々日本史』(シリーズ首都誕生@)を見た。 転々とした都造営の試行錯誤の最終結論が平安京だったという筋。 番組の最後に遷都1200年の時の時代祭りの映像が流れていた。 そこで思い出した。

 「建都」を選んだことについてはいろいろ物議があったんでしょうね。 「遷都」よりは民主的なのかな。いや、自主的と言った方がいいのかしら。 ともあれ「遷都」は避けたいという市民感情はわかります。

 辞書の仕事の打ち合わせ後だったか、国語語彙史研究会の二次会だったか、ぶらぶらと祇園界隈を歩いたことがあった。 軒下には、あちこちに「建都千二〇〇年」云々と書いた赤提灯がさがっていた。 なぜ「千二百年」でも「一二〇〇年」でもなく「千二〇〇年」なのか、気になった。

 はじめ、現代風に「一二〇〇年」と書くつもりだった。 でも、提灯に縦書きすると「三〇〇年」と紛らわしくなる。 そこで「千二〇〇年」にしたのでしょうね。 単に「千二百」と「一二〇〇」が混淆したわけではないように思えます。

 あああああ、低調だなぁ。
 しかし、用事というのは重なるときに重なるものですね。 何とかならんものか。
19971204
■「○○自慢」の二ュアンス

 何年かぶりで『時刻表』の大きいやつを買った。もちろん、JTB版。 これまでは携帯も考えて小型のばかり買っていたが、やはり大型はいい。 臨時列車も定期列車と一緒に見られる、1ページの収録範囲が広い、 情報量が圧倒的。 ついつい、利用する予定のない線区まで見てしまう。

 北陸線の特急ラッシュは壮観ですね。いくつ愛称があるのやら。
 「雷鳥」だけでも、昔からの「雷鳥」、最近はやりの「スーパー雷鳥」、停車駅の少ない「サンダーバード」。さらに臨時の「フードピア雷鳥」「冬こそ北陸雷鳥」というのもある。

 しかし、「サンダーバード1号」なんて聞くと、あのイギリス製(だったよね)人形劇を思い起こしてしまって楽しいかぎりですね。
 「サンダーバード1号」は大阪発富山行。 やはり南海の楽園からは発進しないか(当たり前です!)。 SL博物館・梅小路機関庫から牽引されて堂々と京都駅に入線・始発とか、山科トンネル駅を新造してそこを根城にしてるとか、趣向があると面白いですね(変に乗ってしまってます。こういう日は寝付きが悪い)。

 ところで、本家「雷鳥」はL特急で、ほかの分家はただの「特急」。 どう違うのか、凡例(最近の学生はボンレイと読んでくれる ;_;)では、つぎのとおり。
数自慢の昼間の特急の愛称で、特急料金は、[特急]と同額
 いいなぁ、これ。「数自慢」の背景に「質は二の次です。問わないでください」と言ってるようで。 同じL特急の「しらさぎ」(名古屋〜金沢・富山)をときどき利用するが、使い古された車両しかみたことがない。 何本か和倉温泉行きというのもあるが、まさかそこが車両解体所になってるんじゃないだろうね。 廃棄用の引き込み線が海までつづいてたりして。
 ま、『時刻表』まで侵入されたJTBとしては、どこかで反撃しないと。
 昨日は23時まで研究室にいた。 帰るとき、車のガラスには霜がびっしり。 岐阜も冬になりました。
19971205
■幻の逸品、買います

 この時期になると、古本屋さんから目録がたくさんとどくようになる。 ボーナスでふところが緩んでいそうだから、ということなのだろう。 それにしても昨日は一度に4冊もきて、びっくりするやら、うれしいやら。

 そのなかで、ほとんど同じような本なのに、値段がずいぶん違っていたので、びっくりしたものがある。
 ひとつは東京の古本屋さんからのもの。 相場より高いけれど、その分、珍しかったり、綺麗だったりする本を扱うお店である。 嘉永3(1850)年の『両点正誤/懐玉節用集』で5千円。 もうひとつは、大阪の古本屋さんので、やはり嘉永3年の『懐宝数引節用集』、2万5千円。

 ほとんど同じような内容。希少価値・学術的価値という点でもおそらくは同等だろう。 70ミリ×150ミリくらいで厚さ20ミリ程度のものである。 まぁ、まったく同じものではないのだから、値段を云々するのもおかしいが、 古本屋さんの目としては、きっとどちらも同じにみえるはずである。 もちろん、保存状態その他で多少の差は出るにしても。

 京都で同じようなものがでたらどうか。 やはり本屋さん次第なのだが、上限が3000円、安いところなら1000円を切ってもおかしくない。 表紙がとれてたりしたら200〜300円、下手すると捨ててるかもしれない。

 このように、江戸時代の実用に供された本の値段は、あってないような場合が少なくない。 そんなところで、掘り出し物と普通の買い物とふっかけられた物との差が出てくるのだろう。 どの場合も、よく経験している。

 延宝8(1680)年にでた『合類節用集』は、写真復刻版もあるが、ときおり市場にも顔をだす。 私が知るかぎりでは10冊揃い物が3回でている。 私の収集歴からすると4〜5年に1度くらいの割合になる。
 1度目は名古屋からで12万円。大判で藍色の立派な表紙だった。保存状態もいい。 私は、写真版で十分だったので見送ったが、友人が購入した。
 2度目は仙台からで2万円。余白を切り詰めた小判で、表紙は薄茶色。 保存状態も普通からちょっと汚めだった。これが底値だろうと私が購入した。
 ところが、3度目が曲者だった。もっと底値が出てきたのである。 先月、京都の古本屋さんからきた目録では1万円だった。

 大判が安く入手できれば嬉しいと思っていたので、即電話したが、のがした。 現物をみてないので何とも言えないが、ひごろ、安く提供してくれてる本屋さんだけに、ひょっとしてひょっとすると超掘り出し物だったかもしれない。

 大判・藍表紙だったら欲しいなぁ。 お買い求めになった方、これをお読みでしたらゆずっていただけませんか。 値段は相談のうえで。
 携帯用パソコンが欲しいとあれこれ悩んでいるのだが、Windows95が動く最小パソコン・リブレット(東芝)にしようと腹をくくりつつある。

 最大の欠点は、外部からデータなりソフトなりをいれるのにどうするかという点。 CDROMドライブはもちろんフロッピィドライブも外付け・別売りになるからだ。 本体が小さくても周辺機器をあれこれ買いそろえたり、場所をとったりでは興ざめである。

 ところが、というか、やっぱりといおうか、Windows95の「ケーブル接続」を使えば、別のパソコンのドライブ類を使えることが確認されたのである。 理屈のうえではできるだろうと思っていたが、同じフロアの同僚で、そうして使っている人がいたのである。

 あとは値崩れしてる60タイプにするか、MMX−Pentiumの70タイプにするか、である。
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