岐阜大学公開講座「戦争と平和を考えるII」
「原民喜訳『ガリバー旅行記』を読む」(内田勝) 補足資料(2007.9.29)
*文中の[…]は省略箇所、「/\」は「くの字点」、【 】内は私の補足です。

[1]八畳か十畳の割合広い部屋の中央に机をすえて、そのとき原さんは『ガリヴァー旅行記』を子供向きの読物にする仕事をしていた。机の前の原さんと話を交わしているときはまつたく気づかなかつたことであるが、帰りがけに、恐らく原さんがはじめて来た私を案内したのだろう、私の前にたつて歩いている原さんの背中をみると、原さんの着物の尻の部分が、ちようど坐つて坐布団にあたつているところだけ円く大きく抜けてしまい、痩せた原さんの肉体のその部分が蒼白く露わに見えていることに気づいた。それはまるで鋏で円く切り抜いたような大きな穴になつていて、机の前で仕事をしている長い勤勉な時間を示していたが、と同時にまた、それは構つてくれる者もない独身の荒涼たる孤独の時間の長い深さをも示していた。(埴谷雄高「原民喜の回想」『埴谷雄高作品集4』256頁)

[2]ある日、彼は友人から、少年向の単行本の相談をうけた。それは確実な出版社の企画で、その仕事をなしとげれば彼にとっては六ヵ月位の生活が保証される見込だった。急に目さきが明るくなって来たおもいだった。その仕事で金が貰[もら]えるのは、六ヵ月位あとのことだから、それまでの食いつなぎのために、彼は広島の兄に借金を申込むつもりにした。
(原民喜「永遠のみどり」『夏の花・心願の国』261頁)

【↑1950年春の原民喜自身を描いた場面です。ここで言及される「少年向の単行本」は、おそらく主婦之友社版『ガリバー旅行記』でしょう。】

[3]先日から僕はスゥイフトのガリヴァ旅行記をかなり詳しく読み返してみました。小人国の話なら子供の頃から聞かされています。夏の日もうっとりして、よく僕は小人の世界を想像したものです。子供心には想像するものは、実在するものと殆ど同じように空間へ溶けあっていたようです。そういえば、少年の僕は、船乗りになりたかったのです。膝をかかえて、老水夫の話にきき入っている少年ウォター・ロレイの絵を御存知ですか。あの少年の顔は、少年の僕にとても気に入っていたのです。
(原民喜「ガリヴァ旅行記——K・Cに——」『ガリバー旅行記』220-1頁)

【サー・ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh)は16世紀イギリスの探険家。原民喜が言及している絵は、ラファエル前派の画家ジョン・エヴァレット・ミレーの作品「ローリーの少年時代」(1870年)です。】

[4]ほっと目がさめると、もう夜明けらしく、空が明るんでいました。さて起きようかな、と思い、身動きしようとすると、どうしたことか、身体がさっぱり動きません。気がつくと、私の身体は、手も足も、細い紐[ひも]で地面に、しっかりくゝりつけてあるのです。髪の毛までくゝりつけてあります。これでは、私はたゞ、仰向けになっているほかはありません。
 日はだん/\暑くなり、それが眼にギラ/\します。まわりに、何かガヤ/\という騒ぎが聞えてきましたが、しばらくすると、私の足の上を、何か生物が、ゴソ/\這[は]っているようです。その生物は、私の胸の上を通って、顎[あご]のところまでやって来ました。
 私はそっと、下目を使ってそれを眺めると、なんと、それは人間なのです。身長六インチもない小人が、弓矢を手にして、私の顎のところに立っているのです。そのあとにつゞいて、四十人あまりの小人が、今ぞろ/\歩いて来ます。いや、驚いたの驚かなかったの、私はいきなり、ワッと大声を立てたものです。
 相手も、びっくり仰天、たちまち、逃げてしまいました。あとで聞いてわかったのですが、そのとき、私の脇腹から地面に飛びおりるひょうしに、四五人の怪我人も出たそうです。
(原民喜『ガリバー旅行記』10-1頁)

[5]ある日、皇帝は、この国の見世物をやって見せて、私を喜ばしてくれました。それは実際、素晴しい見世物でした。なかでも面白かったのは、綱渡りです。これは地面から二フィート十二インチばかりに、細い白糸を張って、その上でやります。
 この曲芸は、宮廷の高い地位につきたいと望んでいる人たちが、出て演じるのでした。選手たちは子供のときから、この芸を仕込まれるのです。仮に、宮廷の高官が死んで、その椅子が一つ空いたとします。すると、五六人の候補者が、綱渡りをして皇帝に御覧にいれます。中で一番高く跳び上って落ちない者が、その空いた椅子に腰かけさせてもらえるのです。
 ときには大臣たちが、この曲芸をして、こんなに高く跳べますよと、皇帝に御覧にいれることもあります。大蔵大臣のフリムナップなど、実にあざやかで、高く跳び上ります。私は彼が細い糸の上に皿を置いて、その上でとんぼ返りをするところを見ました。(原民喜『ガリバー旅行記』27-8頁)

[6]ところで、この二大国のことですが、この三十六ヵ月間というもの、実にしつこく、実にうるさく、戦争をつゞけているのです。事の起りというのは、こうなのです。もともと、われ/\が卵を食べるときには、その大きい方の端を割るのが、昔からのしきたりだったのです。
 ところが、今の皇帝の祖父君が子供の頃、卵を食べようとして、習慣どおりの割り方をしたところ、小指に怪我をされました。さあ、大へんだというので、ときの皇帝は、こんな勅令を出されました。『卵は小さい方の端を割って食べよ。これにそむくものは、きびしく罰す。』と、このことは、きびしく国民に命令されました。だが、国民はこの命令をひどく厭がりました。歴史の伝えるところによると、このために、六回も内乱が起り、ある皇帝は、命を落されるし、ある皇帝は、退位されました。(原民喜『ガリバー旅行記』42-3頁)

[7]【1956(昭和31)年の文章。佐多稲子がアメリカ軍による空爆を回想しています。】
B29は頭上を通過して、そして息子のいる第一陸軍造兵廠のある十条方向へ向かってゆく。そして、その辺りで、爆弾がおとされている。物干場にのぼって見ている私の前で、火の玉が無数に落とされているのだ。その下にわが子のいる大きな兵器工場がある。兵器工場はB29の目標になるにちがいない。そうおもうから、私は、おもわず合掌をしてしまう。火焔があがり、その火焔の下で、私の十五歳の息子は、あるいは死んだかもしれないのだ。夕方、また疲労の脱けきらぬ身体で、キャハンを巻き、防空頭巾を下げて出て行った少年は、そこで死んだかもしれないのだ。私は合掌するだけなのである。私のそばで、おかっぱの女の子は慄えている。[…]。
 そしてまた私の住いも、周囲一町先きまで焼けてしまう夜に逢う。子どもはまとめて、戸山ヶ原へ避難させろ、と防火班長が伝えに来る。私は女の子と二人だけのわが家で、私の娘に聞く。近所の子どもと一緒に避難するか? と。娘はいや、と頭を振る。私もまた、娘を私のそばから離したくない。逃げるときは一緒に逃げよう、と言い聞かせて、二つのリュックを縁側に出しておく。近所の子どもたちは戸山ヶ原へ向かって避難するらしい。あたりは、左右、背後とも、火焔に包まれている。家の前の立木に火の粉がつき、小さくはじいている。私の女の子は今は夢中になって、バケツの水を運んで私に手渡している。しかし、いよいよ周囲は、火焔で狭められるようだ。私は娘を連れてどこかに逃れねばならぬ、とおもう。
 そしてそのとき私はおもったのだ。逃げる途中で火焔に包まれるかもしれぬと。私はもうその年まで若い日を生きてきた。が、十三歳の娘の若い日は、今後にある。私はもう火傷を負おうとも、それでどういうこともない。娘だけは、火焔から守らねばならぬ、とおもったのだ。
(佐多稲子「記憶と願いと」『佐多稲子全集 第十七巻』26-8頁)

[8]【1942(昭和17)年の文章。軍用機に乗った佐多稲子が、日本軍の空爆を眺めています。】
 東陽が焼けています、という紙片の知らせに、左手へ腰を立ててみると、黒い煙がまくれ上り、その下に太陽の光りの中でも鮮かにまっ赤に見える火が炎々と燃え上っているのであった。空から見る火炎は、音もないし、周囲の動きも見えないので、そこだけ炎々と燃えているのが、あまり静かで、不思議な気がしてくる。
 東陽はちょっとした市街で、今火災をおこしているのは丁度中央のあたりである。敵の重要な軍事施設もあるという東陽の爆撃は、今朝十時頃から始まっているということであるが、まだ友軍は入城してはいないらしい。
 この火災は友軍の爆撃によるものか、また逃げてゆく敵の焦土戦術による火災であるのか。敵は、兵力を失うことをおそれて、この頃では兵力の保存ということを目標にしているので、どんどん退却してゆくのだ、と聞いた。
 飛行機は東陽の街の上を翼を傾けながら、ぐるりと廻る。めらめらと動いている火災があんまり鮮かな色なので、油などではないか、と私たちは話し合う。
 やがて、今まで右手に見えていた太陽が左手へ廻ったので、帰途についたのだと思う。
(佐多稲子「作戦地区の空」『佐多稲子全集 第十六巻』367-8頁)

[9]結局、佐多稲子という並外れた筆力に恵まれたひとりの作家のなかにおいてさえ、爆撃する側に立った記憶とされる側に立たされた体験はあくまで一致することなく、対称的[シンメトリカル]と呼べる関係をとり結ぶ可能性も見出されないままだったのである。[…]。いささかの飛躍を承知であえていうなら、文学者佐多稲子の戦時・戦後体験のなかに見出されるこの不一致と非対称性は、おそらく彼女個人の域にとどまるものではない。それはたぶん戦争と文学ないし言語表現の間の特殊性という以上に、航空戦——とりわけ爆撃——という暴力の形式にありがちな「空」と「地」の非対称性と不可分なものだろう[…]。(生井英考『空の帝国 アメリカの20世紀』347-8頁)

[10]【ガリバーが、巨人国ブロブディンナグの王に語っています。】
 ある日、私は王の御機嫌をとるつもりで、こんなことを申し上げました。
「実は私は素晴しいことを知っているのです。というのは、今から三四百年前に、ある粉が発明されましたが、その製造法を私はよく知っているのです。まず、この粉というのは、それを集めておいて、これに、ほんのちょっぴりでも火をつけてやると、たとえ山ほど積んである物でも、たちまち火になり、雷よりももっと大きな音を立てゝ、何もかも空へ高く吹き飛ばしてしまいます。
 で、もし、この粉を真鍮[しんちゅう]か鉄の筒にうまく詰めてやると、それは恐ろしい力と速さで遠くへ飛ばすことができるのです。こういうふうにして、大きな奴を打ち出すと、一度に軍隊を全滅さすことも、鉄壁を破ったり、船を沈めてしまうこともできます。また、この粉を大きな鉄の球に詰めて、機械仕掛で敵に向って放つと、舗道は砕け、家は崩れ、かけらは八方に飛び散って、そのそばに近づくものは、誰でも脳味噌を叩き出されます。
 私はこの粉を、どういうふうにして作ったらいゝか、よく心得ているのです。で、職人たちを指図して、この国で使えるぐらいの大きさに、それを作らせることもできます。一番大きいので長さ百フィートあればいゝでしょうが、こうした奴を二三十本打ち出すと、この国の一番丈夫な城壁でも、二三時間で打ち壊せます。もし首都が陛下の命令に背くような場合は、この粉で首都を全滅させることだってできます。とにかく、私は陛下の御恩に報いたいと思っているので、こんなことを申し上げる次第です。」
 私がこんなことを申し上げると、国王はすっかり、仰天してしまわれたようです。そして呆れ返った顔つきで、こう仰せになりました。
「よくも/\お前のような、ちっぽけな、虫けらのような動物が、そんな鬼、畜生にも等しい考えを抱けるものだ。それに、そんなむごたらしい有様を見ても、お前はまるで平気でなんともない顔をしていられるのか。お前はその人殺し機械をさも自慢げに話すが、そんな機械の発明こそは、人類の敵か、悪魔の仲間のやることにちがいない。そんな、けがらわしい奴の秘密は、たとえこの王国の半分をなくしても、余は知りたくないのだ。だから、お前も、もし生命が惜しければ、二度ともうそんなことを申すな。」(原民喜『ガリバー旅行記』122-4頁)

[11]【頭でっかちなラピュタ人たち。】
 彼等の頭はみんな、左か、右か、どちらかへ傾いています。目は、片方は内側へ向き、もう一方は真上を向いているのです。[…]。それから、召使の服装をした男たちは、短い棒の先に、膀胱をふくらませたものをつけて持ち歩いています。そんな男たちも、だいぶいました。これはあとで知ったのですが、この膀胱の中には、乾いた豆と小石が少しばかり入っています。
 ところで、彼等は、この膀胱で、傍に立っている男の口や耳を叩きます。これは、この国の人間は、いつも何か深い考えごとに熱中しているので、何か外からつゝいてやらねば、ものも言えないし、他人の話を聞くこともできないからです。(原民喜『ガリバー旅行記』138-9頁)

[12]【空飛ぶ島ラピュタによる下界への「空爆」。】
 もし、下の都市が謀叛を起したり、税金を納めない場合には、国王は、その都市の真上に、この島を持って来ます。こうすると、下では日もあたらず雨も降らないので、住民たちは苦しんでしまいます。また場合によっては、上からどし/\大石を都市めがけて落します。こうされては、住民たちは、地下室に引っ込んでいるよりほかはありません。
 だが、それでもまだ王の命令に従わないと、最後の手段を取ります。それは、この島を彼等の頭の上に落してしまうのです。こうすれば、家も人も何もかも、一ペんにつぶされてしまいます。
 しかし、これはよく/\の場合で、めったにこんなことにはなりません。王もこのやり方は喜んでいません。それにもう一つ、これには困ることがあるのです。つまり、都市には高い塔や柱などが立ち並んでいるので、その上に島を落すと、島の底の石が割れるおそれがあります。もし底の石が割れたりすると、磁石の力がなくなって、たちまち島は地上に落っこちてしまうことになるのです。
(原民喜『ガリバー旅行記』145-6頁)

[13]【『ガリバー旅行記』において戦争が肯定的に描かれるまれな例。原民喜版には現われない場面です。文中の都市「リンダリーノ」は、アイルランドの都市ダブリンをほのめかしています。】
わたしがこの島に来るおよそ三年前のこと、王権を揺るがす大事件が起きた。ちょうどそのとき王は、リンダリーノという、王国の中でも首都に次ぐ第二の都市を訪問していたのだが、訪問を終えてから三日後のこと、王にかなり不満をいだくここの住民が知事をとらえ、またたくまに都市の四隅に巨大で頑丈な塔を建ててしまったのだ。都市の中心部にそびえる先のとがった岩とちょうど同じ高さで、住民たちは、この岩と四つの塔の先端に大きな磁石をすえつけたのである。[…]。王は、島を動かしてリンダリーノの上に数日間滞留させ、太陽の光と雨を奪ってしまうよう命じた。さっそくそうしてはみたものの、まったく効果があがらない。そこで王は、今度は岩を落とすよう命じた。これも利き目がない。住民がみな、塔にたてこもったり地下室に逃げこんだりしてしまったからである。最後の手段として、王は、ちょうどこの都市の真上まで島をゆっくりと下降させるよう命じた。ところが[…]天文学者の一人が、リンダリーノの岩と塔には磁石が隠されており、それに島が吸引されているのだという結論を導きだした。リンダリーノの住民は、空飛ぶ島を落下させて、王やその側近たちを全滅させ、国政の中枢を一新しようとしていたのである。この一件以来、王は人々の要求に耳を傾けるようになった[…]。(スウィフト原作『ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記』90-1頁)

【↑アイルランドがイギリスに反逆して戦争を起こし、勝利することをほのめかしたこの場面は、スウィフト生前の版ではすべて削除されていました。削除された文章をスウィフトの友人が原稿から写して初版本に書き込んでおいたために、現代に伝わっています。】

[14]【ガリバーによるイギリス植民地主義批判。これも原民喜訳には現われない文章です。】
例へば一隊の海賊が、暴風雨に吹かれて何処とも知らず漂流して、遂にボーイの一人が檣頭から陸地を発見する。上陸して掠奪する。無辜の住民に邂逅して、親切な待遇[もてなし]を受ける。そして国土に新しく命名し、国王のために領有宣言を行つて、紀念に腐つた板片や石柱を建てるのだ。それから土人が二三十人殺され、一組の男女が見本に無理に連れて行かれる。そして帰国すれば、彼等の罪業はすべて特赦を受ける。さてこゝで所謂神権享有者の名前によつてなされる新領土の礎石がはじまるのだ。即ち、早速船が派遣されて、土人達は放逐されるか、殺戮されるかするし、酋長達は拷問の苦しさにすつかり所有金を吐出してしまふ。あらゆる残忍、貪婪が公々然と許容されるのであり、地は民の血に腐臭を放つのだ。そしてこの敬虔極まる遠征に従事する、呪ふべき殺戮者の一隊こそ、実に彼等の所謂偶像崇拝者である蛮民共の改宗、開化を目的に送られるといふ、近代殖民の実状であるのだ。
(中野好夫『ガリヴァ旅行記 下』[弘文堂版]204-5頁。なお1940年に書かれたこの訳文は、戦後の新潮文庫版の395-6頁でも、「土人」を「原住民」に直し、一部の漢字をひらがなに直したほかは、ほとんどそのまま使われています。)

【圧制者に反逆する、という考え方は、しばしば戦争を正当化するために、弱者の側でも強者の側でも用いられます。】

[15]【中野好夫の娘である中野利子の著書に引用された、戦時中の中野好夫の文章。「文学と政治その他」[『文藝』1935年3月号]という文章への、『文学試論集』[中央公論社、1943年1月発行]掲載時の「追記」です。国民あるいは文化人の間に当然起らなければならない国を想う理想の火がなぜ燃え上がらないのか、といった内容の文章の後に付け加えられています。】
追記。しかしこの危惧は十二月八日をもって、見事に消し飛んだことは僕はこの上ない喜びだと思う。あの日に於て……すべての文化人ははっきり祖国の運命を見たのである。未だに十二月八日以来の文化人の行動を便乗主義と貶して疑おうとするものもあるらしい。しかし僕はそうは思わない。いや、便乗でもなんでもよい。誰が便乗しないで、じっとしていられるのだ。しかも大東亜戦争勃発以来あの正確な軍事発表が、いかに国民の内部から燃え上がった熱情に力強く応じているかを見るがよい。(中野利子『父 中野好夫のこと』70-1頁)

[16]父は疑いもなく、開戦を民族の理想の高揚として手放しで喜んでいる。
(中野利子『父 中野好夫のこと』71頁)

[17]戦争協力ということからいっても、わたしは明らかに協力者の一人だった(少なくとも例の十二月八日以後は)。(中野好夫『酸っぱい葡萄』iii頁)

[18]例の世界無比の諷刺「ガリヴァー旅行記」の作者スウィフトの言葉に、「諷刺は一種の鏡である。ただ人がその前に立って、自分の顔だけは決して見えない鏡である」という意味のことを述べたのがある。ここに悲しいが、諷刺のギリギリの限界がある。この「俺だけはそうでない」という人間の自惚[うぬぼれ]こそが、諷刺の運命を決定するものではあるまいか。
(中野好夫「諷刺文学序説」333頁)

[19]戦後の父の人生は、ある意味では贖罪の人生だったと断定してもいいと思うようになった。
(中野利子『父 中野好夫のこと』82頁)

[20]一切の人間は、自分の欲望と思いこみによってしか生きられず、また考えられないようだ。
(渡辺一夫「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」496頁)

[21]自己・欲望・思想の機械になった人間は、その機械的な行動の愚かしさを合理化しようとするために、「美しい」「もっともらしい」思想的偶像を捏造[ねつぞう]する。
(渡辺一夫「人間が機械に…」493頁)

[22]私のごときは、指を切って血を出しただけで気持が悪くなりかねない弱虫なのであろうし、第二次大戦で辛うじて生き残り、インフレのなかで辛うじて生き続けている没落プチ・ブルなのであろう。この弱虫のプチ・ブルの欲望とは、「戦争はいやだ」ということであり、この弱虫の思いこみは、「人間は自分の作ったものの機械になりやすい」ということである。もし仮に私自身が何かの機械になっているとしたら、敗戦後一頃にぎやかに猫もしゃくしもかつぎまわった例のヒューマニズムとかいう甘っちょろい思想の機械になっているのであろう。(渡辺一夫「人間が機械に…」496頁)

[23]人間には、頑強に、未だに戦争を欲しているところがある。しかし、戦争を望む人間は、自分が制度の奴隷となり機械になっているということを悟らねばならず、それがどのくらい非人間的な愚昧[ぐまい]なことかも判らねばならぬ。(渡辺一夫「人間が機械に…」495頁)

[24]第二次大戦中、私は恥ずべき消極的傍観者だった。そして、先輩や友人によくこう言って叱られた。「もし君の側で君の親友が敵の弾で殺されても、君はぼそぼそ反戦論を唱えるかい!」「敵が君に銃をつきつけてもかい!」と。僕は、その場合殺されるつもりであったし、ひっぱたかれても竹槍で相手を突くつもりはなかったから、友人の思いこみを、解きほぐす力がなかった。戦時中、僕は爆撃にも耐えられた。しかし、親しい先輩や友人たちが刻々と野蛮に(機械的に)なってゆく姿を正視することはできなかった。二度とあんな苦しい目はいやである。
(渡辺一夫「人間が機械に…」497頁)

[25]【広島に向かうB29を、空からの視点で想像する原民喜。】
 正三の眼には、いつも見馴[みな]れている日本地図が浮んだ。広袤[こうぼう]はてしない太平洋のはてに、はじめ日本列島は小さな点々として映る。マリアナ基地を飛立ったB29の編隊が、雲の裏を縫って星のように流れてゆく。日本列島がぐんとこちらに引寄せられる。八丈島の上で二つに岐[わか]れた編隊の一つは、まっすぐ富士山の方に向い、他は、熊野灘[くまのなだ]に添って紀伊水道の方へ進む。が、その編隊から、いま一機がふわりと離れると、室戸岬[むろとみさき]を越えて、ぐんぐん土佐湾に向ってゆく。……青い平原の上に泡[あわ]立ち群がる山脈が見えてくるが、その峰を飛越えると、鏡のように静まった瀬戸内海だ。一機はその鏡面に散布する島々を点検しながら、悠然[ゆうぜん]と広島湾上を舞っている。強すぎる真昼の光線で、中国山脈も湾口に臨む一塊の都市も薄紫の朧[おぼろ]である。……が、そのうちに、宇品[うじな]港の輪郭がはっきりと見え、そこから広島市の全貌[ぜんぼう]が一目に瞰下[みおろ]される。山峡にそって流れている太田川が、この街の入口のところで分岐すると、分岐の数は更に増[ふ]え、街は三角洲の上に拡[ひろが]っている。街はすぐ背後に低い山々をめぐらし、練兵場の四角形が二つ、大きく白く光っている。だが、近頃その川に区切られた街には、いたるところに、疎開跡の白い空地[あきち]が出来上っている。これは焼夷弾[しょういだん]攻撃に対して鉄壁の陣を布[し]いたというのであろうか。……望遠鏡のおもてに、ふと橋梁[きょうりょう]が現れる。豆粒ほどの人間の群が今も忙しげに動きまわっている。(原民喜「壊滅の序曲」『夏の花・心願の国』123-4頁)

[26]この辺の印象は、どうも片仮名で描きなぐる方が応[ふさ]わしいようだ。それで次に、そんな一節を挿入[そうにゅう]しておく。

  ギラギラノ破片ヤ
  灰白色ノ燃エガラガ
  ヒロビロトシタ パノラマノヨウニ
  アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキミョウナリズム
  スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ
  パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ
  テンプクシタ電車ノワキノ
  馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
  ブスブストケムル電線ノニオイ      (原民喜「夏の花」『夏の花・心願の国』158-9頁)


[27]ふと、私は畑の中に、何か五六匹の動物がいるのを見つけました。気がつくと、木の上にも一二匹いるのです。それはなんともいえない、いやらしい恰好なので、私はちょっと驚きました。そこで、私は叢[くさむら]の方へ身をかゞめて、しばらく様子をうかゞっていました。
 そのうちに、彼等の二三匹が近くへやって来たので、私ははっきり、その姿を見ることができました。この猿のような動物は、頭と胸に濃い毛がモジャ/\生えています。背中から足の方も毛が生えていますが、そのほかは毛がないので、黄褐色の肌がむき出しになっています。それに、この動物は尻尾を持っていません。それから、前足にも後足にも、長い丈夫な爪が生えていて、爪の先は鈎形[かぎがた]に尖っています。彼等は高い木にも、まるでりすのように身軽によじのぼります。それからとき/″\、軽く跳んだり、はねたりします。
 私もずいぶん旅行はしましたが、まだ、これほど不快な、いやらしい動物は、見たことがありません。見ていると、なんだか胸がムカ/\してきました。(原民喜『ガリバー旅行記』179-80頁)

[28]主人の馬は、召使の馬に命じて、この動物の中から一番大きい奴を、取りはずして、庭の中へつれて来させました。私とこの動物とは、一ところに並んで立たされました。それから主人と召使の二人は、私たちの顔をじっとよく見くらべていましたが、そのときもまたしきりに「ヤーフ」という言葉が繰り返されたのです。
 私はそばにいるいやらしい動物が、そっくり人間の恰好をしているのに気がついて、びっくりしました。[…]この動物は人間より毛深くて、皮膚の色が少し変っているだけで、あとは身体中すっかり人間と同じことです。(原民喜『ガリバー旅行記』187頁)

[29]【原民喜は原爆投下後の広島で、まるでフウイヌムのような、悲しげな馬を見かけます。】
それから私は東照宮の方へ引かえしたのだが、ふと練兵場の柳の木のあたりに、一匹の馬がぼんやりたたずんでいる姿が目にうつった。これはクラもなにもしていない裸馬だった。見たところ、馬は別に負傷もしていないようだが、実にショウ然として首を低く下にさげている。何ごとかを驚き嘆いているような不思議な姿なのだ。(原民喜「一匹の馬」『ガリバー旅行記』224-5頁)

[30] ガリヴァの歌

    必死で逃げてゆくガリヴァにとって
    巨大な雲は真紅に灼けただれ
    その雲の裂け目より
    屍体はパラパラと転がり墜つ
    轟然と憫然と宇宙は沈黙す
    されど後より後より追まくってくる
    ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪
    いかなればかくも生の恥辱に耐えて
    生きながらえん と叫ばんとすれど
    その声は馬のいななきとなりて悶絶す        (原民喜『ガリバー旅行記』225頁)

[31]私はこの国の住民たちの力と美と速さを感心しました。そして、このような穏やかな、立派な人格を、私はだん/\尊敬するようになりました。
 そして私は、自分の家族や友人、同胞などを考えてみると、とてもひどく恥かしくなりました。ヤーフと私たちが違うのは、たゞ人間の方は言葉が話せるということだけで、理性はかえって悪いことに使われています。よく、泉や湖にうつる自分の姿を見たときなど、私は思わず顔をそむけたくなりました。(原民喜『ガリバー旅行記』207-8頁)

[32]彼の妻は結婚の最初のその日から、やがて彼のうちに発展するだろうものを信じていた。それまで彼の書いたものを二つ三つ読んだだけで、もう彼女は彼の文学を疑わなかった。それから熱狂がはじまった。さりげない会話や日常の振舞の一つ一つにも彼をその方向へ振向け、そこへ駆り立てようとするのが窺[うかが]われた。(原民喜「苦しく美しき夏」『夏の花・心願の国』15-6頁)

[33]「こんな小説はどう思う」彼は妻に話しかけた。
「子供がはじめて乗合馬車に乗せてもらって、川へ連れて行ってもらう。それから川で海老[えび]を獲[と]るのだが、瓶[びん]のなかから海老が跳ねて子供は泣きだす」
 妻の眼は大きく見ひらかれた。それは無心なものに視入ったり憧[あこが]れたりするときの、一番懐しそうな眼だった。それから急に迸[ほとばし]るような悦びが顔一ぱいにひろがった。
「お書きなさい、それはきっといいものが書けます」
 その祈るような眼は遙[はる]か遠くにあるものに対[むか]って、不思議な透視を働かせているようだった。(原民喜「苦しく美しき夏」『夏の花・心願の国』15頁)

[34]嘗て私は死と夢の念想にとらはれ幻想風な作品や幼年時代の追憶を描いてゐた。その頃私の書くものは殆ど誰からも顧みられなかつたのだが、ただ一人、その貧しい作品をまるで狂気の如く熱愛してくれた妻がゐた。その後私は妻と死別れると、やがて広島の惨劇に遭つた。うちつづく悲惨のなかで私と私の文学を支へてゐてくれたのは、あの妻の記憶であつたかもしれない。
(原民喜「死と愛と孤独」『日本の原爆文学1 原民喜』244頁)

[35]おまえはいつも私の仕事のなかにいる。仕事と私とお互に励ましあって 辛苦を凌[しの]ごうよ。云いたい人には云いたいことを云わせておいて この貧しい夫婦ぐらしのうちに ほんとの生を愉しもうよ。一つの作品が出来上ったとき それをよろこんでくれるおまえの眼 そのパセチックな眼が私をみまもる。(原民喜「遙かな旅」『原民喜戦後全小説 上』248-9頁)

[36]彼にとって、一つの生涯は既に終ったといってよかった。妻の臨終を見た彼には自分の臨終も同時に見とどけたようなものだった。たとえこれからさき、長生したとしても、地上の時間がいくばくのことがあろう。生きて来たということは、悔恨にすぎなかったのか、生きて行くということも悔恨の繰返しなのだろうか。彼は妻の骨を空間に描いてみた。彼の死後の骨とても恐らくはあの骨と似かよっているだろう。そうして、あの暗がりのなかに、いずれは彼の骨も収まるにちがいない。そう思うと、微かに、やすらかな気持になれるのだった。だが、たとえ彼の骨が同じ墓地に埋められるとしても、人間の形では、もはや妻とめぐりあうことはないであろう。
(原民喜「死のなかの風景」『夏の花・心願の国』81-2頁)

[37]……彼が結婚したばかりの頃のことだった。妻は死のことを夢みるように語ることがあった。若い妻の顔を眺めていると、ふと間もなく彼女に死なれてしまうのではないかという気がした。もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残ろう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……と突飛な激しい念想がその時胸のなかに浮上がってたぎったのだった。
(原民喜「遙かな旅」『原民喜戦後全小説 上』253頁)

[38]妻と死別れてから彼は、妻あてに手記を書きつづけていた。彼にとって妻は最後まで一番気のおけない話相手だったので、死別れてからも、話つづける気持は絶えず続いた。妻の葬いのことや、千葉から広島へ引あげる時のこまごました情況や、慌しく変ってゆく周囲のことを、丹念にノートに書きつづけているうちに、あの惨劇の日とめぐりあったのだった。
(原民喜「遙かな旅」『原民喜戦後全小説 上』245頁)

[39]……隣人よ、隣人よ、黒くふくれ上り、赤くひき裂かれた隣人たちよ。そのわななきよ。死悶[しにもだ]えて行った無数の隣人たちよ。おんみたちの無数の知られざる死は、おんみたちの無限の嘆きは、天にとどいて行ったのだろうか。わからない、僕にはそれがまだはっきりとわからないのだ。僕にわかるのは僕がおんみたちの無数の死を目の前に見る前に、既に、その一年前に、一つの死をはっきり見ていたことだ。(原民喜「鎮魂歌」『夏の花・心願の国』238頁)

[40]『夏の花』以来、彼は原爆の惨劇を、その異常な恐怖を、繰り返し語りましたが、彼の心に堪えて生きのびよと命じたものが、その眼ではっきり見とどけた犠牲者たちの無限の歎きであったことは間違いありません。だが原にとって、原爆の犠牲者たちへの歎きは、同時にまたその前年に死別した夫人への歎きでもありました。原爆の惨劇をリアルに記録した『夏の花』は、夫人の墓に黄色い夏の花を捧げる前々日のさりげない描写に始まっています。それはまた、すべての原爆犠牲者の霊へ捧げる彼の献花でもあります。(山本健吉「詩人の死」原民喜『日本の原爆文学1』297-9頁)

[41]少女の頃、一度危篤に瀕[ひん]したことのある妻は、その時見た数限りない花の幻の美しかったことをよく話した。それから妻は入院中の体験から死んでゆく人のうめき声も知っていた。それは、まるで可哀相[かわいそう]な動物が夢でうなされているような声だ、と妻は云っていた。
(原民喜「美しき死の岸に」『夏の花・心願の国』67頁)

【可哀相な動物のうめき声と、美しい花の幻。〈からだ〉と〈あたま〉。】

[42]焼跡に綺麗な花屋が出来た。玻璃越しに見える花々にわたしは見とれる。むかしどこかこういう風に窓越しに お前の姿を感じたこともあったが 花というものが こんなに幻に似かようものとは まだお前が生きていたときは気づかなかった。
(原民喜「遙かな旅」『原民喜戦後全小説 上』249頁)

[43]  碑銘

    遠き日の石に刻み
        砂に影おち
    崩れ墜つ 天地のまなか
    一輪の花の幻         (原民喜『日本の原爆文学1』240頁)


【参考資料】
・生井英考『空の帝国 アメリカの20世紀(興亡の世界史 第19巻)』(講談社、2006年)
・佐多稲子『佐多稲子全集 第十六巻』(講談社、1979年)
・佐多稲子『佐多稲子全集 第十七巻』(講談社、1979年)
・ジョナサン・スウィフト著、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記 下』(弘文堂 世界文庫、1940年)
・ジョナサン・スウィフト著、中野好夫訳『ガリヴァ旅行記』(新潮文庫、1951年)
・ジョナサン・スウィフト原作、マーティン・ジェンキンズ再話、クリス・リデル絵、原田範行訳
 『ヴィジュアル版 ガリヴァー旅行記』(岩波書店、2004年)
・中野利子『父 中野好夫のこと』(岩波書店、1992年)
・中野好夫『酸っぱい葡萄』(みすず書房、1979年)
・中野好夫「諷刺文学序説」三好達治ほか『昭和文学全集 第33巻(評論随想集 I )』(小学館、1989年)329-40頁
・原民喜『ガリバー旅行記』(講談社文芸文庫、1995年)
・原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫、1973年)
・原民喜『日本の原爆文学1 原民喜』(ほるぷ出版、1983年)
・原民喜『原民喜戦後全小説 上』(講談社文芸文庫、1995年)
・埴谷雄高『埴谷雄高作品集4』(河出書房新社、1971年)
・立命館大学国際平和ミュージアム監修、安斎育郎編『ヒロシマ・ナガサキ 岩波DVDブック Peace Archives』(岩波書店、2007年)
・渡辺一夫「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」三好達治ほか『昭和文学全集 第33巻(評論随想集 I )』(小学館、1989年)491-8頁
・HBO: White Light, Black Rain: The Destruction of Hiroshima and Nagasaki. 14 Sept. 2007 <http://www.hbo.com/docs/programs/whitelightblackrain/>.

内田勝「原民喜訳『ガリバー旅行記』を読む」補足資料(2007)
〈https://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/uchida/tamiki07-2.html〉
(c) Masaru Uchida 2007
ファイル公開日: 2007-10-10

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