フェミニズムと文学研究

last update 2002.8.23


  フェミニズムとインターネット
  研究スタンス 書評関連リンク集 2000.12.7 リンク追加
  講義  1998.10.9更新
  研究業績・研究活動  2002.8.23リンク追加

 フェミニズムとインターネット
 アンドロジニーは電子狼の夢をみるか?−フェミニストのインターネットアプローチ−
(福島比呂子さん)

 研究スタンス および 関連リンク集

フェミニズムに関心を持つきっかけとなった文献
クローディア・クーンズ『父の国の母たち−女を軸にナチズムを読む−(上)(下)』(時事通信社 1990.9)
レナーテ・クライン編『不妊−いま何が行われているのか−』(晶文社 1991.1)
尊敬する業績ならびに研究者
石牟礼道子『西南役伝説』(朝日新聞社 1988.1)
西川祐子:
比較家族史学会(1994.10.29〜30)での会場からの質疑の際の彼女の発言はフェミニズムの基本的な方向性を貫いていて、痺れるほどかっこよかった。ちょうどこの時期あたりからフェミニズムの混迷が明らかになってきたと考えられるだけに、わたしにとっては強烈な印象だった。ついでながら、比較家族史学会が入会には推薦者二名を必要としたため、私は結局その場では入会ができず今日に至っている。
関口裕子『日本古代婚姻史の研究 上下』(塙書房 1993.2)および『処女墓伝説歌考』(吉川弘文館 1996.5)
白状すると前者は大部のためまだ全部は読み切れていないが、わたしの研究上の心の支え。

現在関心のあるテーマ
・イメージとしての〈母〉の形成過程およびその情動的な特性の分析:
   「業績リスト」参照。<文学>における個人性という問題と深くからんでくるテーマとしてとらえている。
・日本近代における〈恋愛〉イデオロギーの形成過程:
   興味はあるが実証的な解析などはまったく手つかず。これから勉強。どなたかプロジェクトチームを組みませんか?
・性差の問題をどのようにとりこむか:
   ひじょうにデリケートな解析を必要とするテーマだと考える。以下に、最近書いた書評をのせておく。



  <書評> 坂東昌子・功刀由紀子編『性差の科学』(ドメス出版、1997.3)

 本書『性差の科学』は、従来の女性論がほとんど人文・社会系側からのアプローチに終始していることにものたりなさを抱いていた坂東昌子氏らが、愛知大学での総合科目で「女性」というテーマをとりあげた際、「性差を生物学の基礎をふまえて論じる」、「性差を客観的データの分析を通じて論じる」という原則をたてて全体をコーディネートしていったその成果に発している。そして本書は単にその報告にとどまらず、第一部では功刀由紀子・長谷川真理子・坂東昌子の諸氏と赤松良子氏との、各専門分野の成果を織り交ぜながらの自由な談論風発のコミュニケーションに結実し、そしてもともとの総合科目の各講義はここで出されたさまざまな問題提起への補足資料・データとして用いることができるように第二部に採録されている。

 私自身はフェミニズムに関心をもつ日本近代文学研究者として、また小学校四年時の乾電池の直列・並列の段階でつまづいて以来の「理科ぎらい」として本書に接したわけだが、自分にとっても意外なことに、本書でもっとも示唆的だったのは胎生期の脳の性分化をとりあげた功刀由紀子氏「脳の性差―男の脳と女の脳―」だった。

 一般に脳の基本形はメス型でこれが男性ホルモンを浴びることでオス型化するとされる(これ自体たとえばキリスト教での、まず男が作られその劣位のものとして男の肋骨から女が作られた、とする男女創造神話に類するイデオロギーをくつがえすに足る知見だ)が、正確には脳のオス型への変換は、性巣から脳に到達したアンドロゲン(男性ホルモン)がそこで芳香族化酵素によりエストロゲン(女性ホルモン)に変換され、これが脳のエストロゲン受容体と結合することによって引き起こされるという。要するに脳のオス化(男性化)は女性ホルモンによって引き起こされるのである(P132〜133)。

 このような知見は、男/女をめぐる私たちの〈常識〉を攪乱させるに十分だ。つまり科学的データはここで私たちに、男女の性におけるある種の連続性のイメージをなげかけるのである。そしてこのイメージは逆に実践の場のフェミニズムは、無意識のうちに素朴な男女二元論に陥っていはしないかという考えに私をつきあたらせてしまう。

 坂東昌子氏による「性の分化はなぜ起こったか」も同様に、人間が雌雄二型による進化戦略を採った種であり、つまり雌雄一対で人間という種をなすのであって、そこには本来両性間の価値の序列など存在しないという大前提を私たちにすっきりと理解されてくれる(この場合の啓蒙的な筆致は「理科ぎらい」の人間にとっては非常にありがたい)。

 くりかえせば全体に本書を貫くのは、対象から文化的・社会的な価値序列であるところのジェンダー的な部分を厳密に排除し、客観的・科学的な検証が可能な生物学的な性差のみに限定して認識してゆこうとする強烈な志向性である。客観的・科学的志向性はさきの功刀氏の論でも、ラットによる検証をヒトの脳の性分化のメカニズムにあてはめられるかについての注意深い留保によく示されており、同様に統計処理の方法についてもそのサンプリングにおける偏向の問題をめぐってかわされる議論は、科学研究における隠喩構造に着目することで性差の内分泌学影響やジェンダーの差異に関する進化論的説明におけるジェンダー的偏向性を指摘した科学のフェミニズム研究の成果とも共通する、本書の最良の部分といえよう。

 その意味でいくつかの箇所で、データの示すもの以上の解釈に検証なしに踏み込んだ例が散見されるのは少々残念だった。たとえば討論の場での男性の「攻撃性」についての言及のしかた、またヒトの家族観にあって「父親」というコトバが家父長的な家族観イメージを出ていない点(たとえば「父親」という概念の希薄な母系制的家族のサンプルはほとんど考慮されない)など、特に前者は広がりを持ったテーマだけに、今一度のとらえなおしが必要と思われる。

 最終的な問題は「科学的・客観的」立場が可能であるか、という点だろう。これについてはここでは結論的なことは述べないが、人文科学の分野ではフェミニズムの立場から性差の問題を論じたバダンテールの『XY』が、本書と同様の生物学的知見から出発しながら、男と女を対立的にとらえる西欧社会のすさまじいまでの二元論の契機を徹底して文化的な面から探っていることを紹介しておこう。生物学的性差をはるかにこえて増幅する男性観の形成過程をみごとにとらえてゆくバダンテール的な知見を一方に見、そしてまったく対極の志向性をもつこの『性差の科学』を一方にもつこと。この両者をともに射程に置きうる複眼的な視野を獲得しようと努力することで、私たちは自身が生物としての性差とジェンダーとしての性差を同時に生きる存在であることをたしかに把握することが可能なのではないだろうか。

「日本の科学者」(日本科学者会議)vol.33 1998.3に所載

 なおWeb上への転載にあたっては、読みやすさに配慮し各段落ごとに改行してあります
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 1998年3月1日「性差の科学」討論会 「性差の科学」研究会) 2000.12.14 「討論会」を追加

 Eugenics and Gender(明治学院大 加藤秀一さん) *年表  1999.2.5




ランダム・リンク
 科学のカルチュラル・スタディーズ(広島大学科学史研究室 成定薫さんのホームページ)
ジョゼフ・ラウズ「科学のカルチュラル・スタディーズとは何か」をよむことができます。ここでは上記書評でふれた科学のフェミニズム研究について言及されています。
 名古屋大学でセクシュアル・ハラスメントを考えるネットワーク(NSNW)

 母は強し(ATSUYO'S HOMEPAGE) 1998.3.6追加 
北海道の主婦、ATSUYOさんのページ。総じて女性の方に強くおすすめします。「Where does baby come from?〜赤ちゃんはどこから来るの?も秀逸です。文学が繰り出すイリュージョンは、ATSUYOさんが描くような現実を圧殺しついには無化してしまうこわーい(それを文学の詐術と呼ぶ)ものです。私はこのウェブを見るたびに、そのメカニズムそのものを研究したいと思った自分の初心に返るのです。おそるべしATSUYOさんの散文精神!! 「母親失格」(99.6)も快調。
 ポルノという問題(東京経済大 山崎カヲルさん) 1998.6.5
「現代思想」ほかに掲載されたものの再掲ですが、フェミニズムの問題提起を、その現実への応用でのさまざまな困難さも含めて明晰に整理した上で、男性の立場からこれをフォローし、最終的に男女双方の問題、すなわち人間の問題として明確にこれを取り扱っています。そのほかフェミニズムとポルノ「わいせつ」定義の歴史(1)同(2)は、この問題を考える際の資料としてたいへん役に立つものです。
 セクシュアル語彙解説−増補Webページ版−(富山大 跡上史郎さん) 1999.1.14
『国文学』(学燈社、1999.1)所収の同稿の校了以降、インターネットを通じてのさまざまな反響や指摘をふまえて作られた増補Webページ版です。「「セクシュアル語彙解説(増補Webページ版)」について」ではそれらのやりとりの経緯をみることができます。特にセクシュアル・マイノリティの方からのビビッドかつアップトゥデイトな指摘を即座に反映しえた点が貴重。
 Eugenics and Gender(明治学院大 加藤秀一さん) *年表  1999.2.5

 日本 女性の動き年表−あの時からいままで、女性はどのように歩んできたのか......−(よしの祐子さん) 1999.4.16
1945年の太平洋戦争敗戦時からはじまり1990年代までをカバーしつつある女性史年表。事項のキーワード検索もできます。ネット上のこういった試みは私たちにとって非常にありがたいものです。
 World of Nushu 女書世界(文教大 遠藤織枝さん) 2000.12.7  
「女書」とは、中国湖南省農村部の農村部の女性たちが、知識人男性である父や兄の使う漢字を見よう見まねで写し、仲のいい女友達(結交姉妹)との間で心を伝え合うために創り出した文字だそうです(数百年前から伝わっているとのこと)。社会言語学の遠藤織枝さんによる、「女書」の調査研究ページ。画像がすばらしい。フィールドワーク、中国雲南省納西(ナシ)族、摩梭(モソ)の母系社会を訪ねても興味深い。
 慶応大学理工学部 (日吉) 天文学教室(慶応大 加藤万里子さん) 1999.7.7 
とくに「研究を続けるために」にリンクされた「これから学会会場で保育室を作ろうとしている方のために」「セクシュアルハラスメントと戦うために」「学者には学者らしい方法もある」は参考になりました。そのほか「バリアフリー天文学のページ」、「文科系むけの天文学」(これはちょっと重いので電話回線要注意)などのコンテンツがあります。
 フェミニズム法学とは何か(愛媛大 笹沼朋子さん) 1999.8.3 
『愛媛大学法文学部論集』5(1998)所収論文の概要。続きが読みたいんだけど、ほとんに長ーいこと更新がないのが、残念。





 講義−ジャンル別科目「フェミニズム文学論」(岐阜大学 1998年度前期)

参考リンク集 1997.5.27up
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 研究業績・研究活動
文学テキストの背景となる近代という時代、およびその種々のイデオロギー を分析する際の相対化の武器として、フェミニズム理論はきわめて有効です。 私のこの方向からの研究は、野上弥生子についての作家論、語り手論(『迷 路』)、そして作品の時代背景の解析(『真知子』)にあたって、フェミニズム 理論を援用したのがはじまりでしたが、現時点では、<母性>を近代的イデオロ ギーとしてとらえる観点からの作家論(津島佑子論ほか)がもっとも関心のある テーマとなっています。

 なお、フェミニズムの観点から小林秀雄の描いたオフェリヤ像、ソーニャ( 「罪と罰」)像の解析を試みることで、小林秀雄の批評モチーフ における他者認識の問題をとらえる従来からの持論を再展開する試みも行っています。(記 1996.11)

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  1. 真知子(共著『日本の近代小説2』 東大出版会、1986.7)
  2. 野上弥生子『迷路』論−阿藤三保子の造形をめぐって−
    (「岐阜大学国語 国文学」、1988.2)
  3. <母>へのアンビヴァレンス−津島佑子論−
    (「岐阜大学教育学部研究報告」43-1、1994.8)
    参照用Web   Webで愛する太宰治(深谷由布さん)
    こちらのリンク集から、津島美智子さん死去(1997.5.1)に関する情報に入れます。上記[論文リスト]の3−津島佑子論−の参照文献としてお読みください。

  4. 他者としての<女>たち−小林秀雄「オフェリヤ遺文」を読む−
    (共著『 「男性作家」を読む』 新曜社、1994.9)
  5. 小林秀雄における<他者>−『罪と罰』論を中心に−(「日本近代文学」  1995.5)
  6. 大江健三郎「雨の木を聴く女たち」(「国文学」 1997.2)
  7. <書評>坂東昌子・功刀由紀子編 『性差の科学』
    (「日本の科学者」 33-3 1998.3)
  8. 〈母〉の変容・序論(「岐阜大学国語国文学」 1998.3) 
    参照用Web   第七回研究会 報告  1998.11.17
    8の論文を報告内容とした「大学教材としての日本近代文学研究会」でのレジュメ。参加者との質疑応答をいれておきました。

  9. 笙野頼子論−フェミニズム批評のための鏡−
    (「岐阜大学教育学部研究報告」47-2 1999.3)
  10. 「女生徒」−可憐で、魅力があり、少しは高貴でもある少女-(「国文学」44-7 1999.6)
    参照用Web  ウェブ上での研究公開におけるルールとマナーについて
    上記論文に対するウェブ上でのある反応について考察しています。

  11. <書評>新・フェミニズムの会編 『『青鞜』を読む』(「社会文学」13 1999.6)
  12. 『女人芸術』(渡辺澄子編『女性文学を学ぶ人のために』(世界思想社 2000.10)
  13. 太宰治『斜陽』─その揺籃期の物語─
    (井上理恵・江種満子編『21世紀のベストセラーを読み解く』 學藝書林 2001.3)

  14. <展望>フェミニズム・インターネット・文学研究(「日本近代文学」第64集 2001.5)

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  15. <研究発表>国語科教育におけるジェンダーフリー教材の問題−「文学教材」と人権教育の接点を求めて−(日本女性学会 個人研究発表(第3分科会) 2002.6.8)
  16. <研究発表>ジェンダー・フリーと<文学>教材の微妙な関係
    (日本近代文学会東海支部 第8回研究会) 2002.7.13)


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