Lafcadio Hearn "In A Japanese Garden"part2

from "Glimpses of Unfamiliar Japan" 1894
renewal!

renewal 1998.9.2




南側の庭









この庭の全体からは、どこかきれいだけれどもとても寂しい、そしてそのままそこで眠りこんでしまいそうな、そんな場所を音もなく流れてゆく静かな流れの岸辺、というような印象を受ける。

この幻想を破るものは、なにひとつない。それほどまでにこの庭は、まわりから遮断されているのだ。
高い塀と垣根が、通りやそれに隣りあったものをここから閉め出している。おまけに灌木や樹々が隣家との境界のあたりにむかってたけ高く生い茂って、隣の家中屋敷の屋根までも覆い隠してしまっている。日に照らされた砂の上でちらちらとふるえる木の葉の影は、やわらかに美しい。そして温かい風がそよぐたびに、甘い花の香りがほのかに漂ってくる。そのなかに蜂の羽音も聞こえている。









庭には、あつく苔むした大きな岩がある。そしてまた水をたたえた、石造りのいろいろなすばらしい鉢がある。


    それからあの「シャチホコ」、(よく城のとがった屋根の両サイドにみえるあの大きな石造りの魚だ)、これはまあ理想化されたイルカなのだが、それが鼻面を地面につけ尻尾を虚空に踊らせている。









これはおまけ。旧居に咲く夏の花々です。
桔梗・河原ナデシコ、そしてマンリョウ。






それから、ちょうど川の堤のような感じの、緑色に花樹が影を落としている長いスロープがある。また、まるで小さな島のように見える緑の岡がある。これらすべてのみどりしたたるような小高い部分は、薄黄色の砂地のうえから隆起している。そしてまたこの砂地ときたらまるでシルクの表面のようになめらかで、そして実際の川の流れがゆるやかにカーブしたり、くねくねと曲がりくねったりして流れていく様子を模しているのだ。

    私には、この大きな方の庭が、人間のどのような感情を反映するよう意図されたのかということは、わからない。それに、もうそれを私に語ってくる人もいないのだ。

    だが、自然をうたった一編の詩としてこれを感じるのなら、そこにはなんの注釈もいりはしない。








    竹と灯心草をたばねてつくった垣根は、人が通れるように真ん中があいていて、この楽園を、おおまかに三つに分かつ区切りの役目をはたしている。


      *右奥の方に見える網代垣ですが、見えますか?
      これは庭のサイドで、南の庭と北の庭はここを通ってつながっています。砂と石は川の流れを表しています。


 この垣を通って北側の第二の庭にどうぞ。







ラフカディオ・ハーン『日本の庭』

三番目の庭


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