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この留学中に、面白くて、楽しくて、忘れられないことがたくさんあったけれども、一番大切な思い出は七月にホームステイしたことだと思っています。日本の家族といっしょに住んでいた時、日本人の生き方と文化についてたくさん学びました。時間が短かったけれど、とてもいい経験でした。
日本に来るまでは、心配なことがありました。でも、サマースクールのおかげで、日本で生活することがきっとできるという気持ちになりました。
わたしは今年で二回目のサマースクール(以下、サマスク)。昨年夏、サマスクが終わったときからずっと首を長くして待っていました。
私は2年生になって初めてチューターを経験して、チューターであることの喜びを感じることができました。2年目は、より留学生が充実した2ヶ月を過ごすことができるように多くのパーティーを企画しリーダー、副リーダーと中心となって取り組みました。そして3年目の今年は、留学生はもちろんチューターも含めた全体を常に見ていきたいと考えていました。最初の説明会でリーダーや副リーダーが決まり、今年もまた新たな2ヶ月を過ごすことができるのだという嬉しい気持ちはもちろんありましたが、3年目である私は今まで以上の責任感に負われていた部分からの不安もありました。そして頼れる先輩方がいた2年間はどんなに安心感があったのかを実感するとともに、自分がそんな存在に少しでも近づけるようになりたいと思いながら今年もサマースクールが始まりました。
とうとう最後のサマースクールが終わってしまいました。みんなが帰ってしまい学外研に行くことがない今、私は抜け殻のようになっています。4年間チューターをしてきて、毎年違ったメンバーで、キャラクターも違って、どの年もとても充実したかけがえのない2カ月を過ごしました。もちろん今年も最高の2カ月でした。
今回サマースクールチューターを初めてやって、楽しいことも嫌なこともたくさんありました。留学生たちに岐阜で充実した時間を過ごしてもらえて、また日本に戻ってきたいと言われたことは嬉しかったです。ただ私は最初から最後まで留学生たちをもてなすという気持ちではなく、留学生たちと力を合わせて何かワクワクすることをやろうという気持ちでいて、そういった気持ちの面で他のチューターの人たちとの関係がギクシャクしてしまったのだと思っています。私はどっちが良いとか悪いとかの問題ではないと思っていますが、サマースクールチューターをやる上ではどうやらおもてなしの心以上のものが必要だということを知りました。
サマスク生との2ヶ月は、色々なパーティーをしたりみんなで出かけたりと忙しいですが、楽しく、充実した日々でした。ルンドの学生たちは来た当初、会話は成立するものの何度か辞書を引いたりします。しかし、彼らの上達はすさまじく、途中から来た木浦の学生には私たちチューターのように学外研での過ごし方について説明していました。それは彼らのどちらもが自国の言語を使わず、日本語で会話をしている光景でした。言語の違う人々を、日本語が結んでいる。さらに、私も彼らと話すことで少なからず彼らの日本語上達の手伝いをしていると思うと、彼らの媒介ができたような気がしてとても嬉しかったです。
この二か月間は楽しくてキラキラしていて本当にあっという間でした。
私は去年、一昨年とチューターをやらせて頂き、今年はサポーターをやらせて頂きました。今年は6月中にサマースクールに参加出来ず、7月から参加しました。初めの挨拶も参加できなかったので、不安でした。2年間の経験上、1ヶ月間でみんながとっても仲良くなっていて、とても高い壁が出来ていると思ったからです。たしかに同じように韓国人は1ヶ月後からサマースクールが始まっています。けれど彼らは歓迎される側で、サポーターの私は彼らの手助けをする側です。緊張と不安と期待などいろいろな気持ちを抱えたまま、学外研に行きました。結論から述べますと、確かに壁はありました。やはり1ヶ月の壁はあります。けれどその壁にはドアが多く、彼らは優しく静かに迎え入れてくれたような気がします。全員にきちんと挨拶をすることが出来なかったため、「なんだか知らない人がなれなれしく話しかけてくる」と思っていたサマスク生がいたかもしれません。でも笑顔で返答してくれありがとうございました!姉って嘘付いてごめんなさい。全然血は繋がっていません。広い心で受け流してくれてありがとうございました。