このたび「総合地球環境研究所」より水に関する朝日新聞のスクラップ80点あまり詳細別紙目録、及び書籍を寄贈頂きました。
新聞スクラップは、昭和25年頃から平成5年位までのものが、それぞれのテーマごとに詳細にスクラップされています。少し紹介しますと…、
河口堰については、昭和34年9月23「日に「長良川河口ダム構想」として当時中部地方建設局の小寺隆夫氏(企画室長補佐-後の河口堰建設差止裁判の証人として幾度か証言台にたってみえます)の試案を取り上げています。
これが河口堰に関する新聞報道の初見です。
ここで時の上司が、「“治水屋”が利水のことを考えてはいけないというなら別だか、面白い案だと思う」と述べてみえます。後日裁判で公団は治水面を強調した陳述をしていたように見受けられるのですが、最初の「河口ダム」構想では、利水面について解説されており、非常に興味深い記事でした。
その冒頭に、長良川の酸素量はAクラスといわれた木曽川の三倍あると書かれています。それだけ水中の酸素を消費するものがいなかったということで、この当時は本当に“折紙つき”のきれいな川であったのでしょう。
徳山ダムについての所見は昭和32年10月9日の岐阜地方版に、電源開発副総裁が、御母衣ダムの補償問題で来岐した際に、徳山ダムの現地調査は今年度(昭和32年)の電力審議会で調査地点に挙げられており、御母衣ダムが終わり次第、するつもりでいる。地元の有力代議士からも催促がきていると述べている記事があります。
これが初見なのかはわかりませんが、ここから完成まで50年という長い時間がかかりました。
水害のスクラップには、“ゲリラ豪雨”という今では聞きなれた言葉が、昭和44年8月12日に出て来ます。
その前の年昭和43年8月29日には“あちこち豪雨”という言葉がでてきます。
昭和44年が言葉として初めて使われたようです。この言葉が頻出するのは平成に入ってからで、2008年には「流行語大賞」に選ばれていますが、それよりも40年も前に使われてていたのは意外でしたし、その前の年の“あちこち”豪雨というのも、確かに頷ける言葉ではありますが、集中豪雨の凄まじさまでは想像しがたく、面白いと思いました。
別紙の目録は、キーワードに関するもののみのスクラップです。
例えば、「水害5」 43年8月の岐阜県下の集中豪雨に関しては、この時飛騨川バス転落事故が起きていますが、そういった事件までは網羅されておりません。
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