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ここに紹介しましたのは、それぞれの冊子の極々一部分です。それでもこれらを書かれた方々の真摯な学究的な態度あふれる文章は、読後にさらなる興味植えつけられます。 この度第二期として 創刊号が発刊されました。今後が楽しみな雑誌です。

受入図書一覧
郷土文化誌 郡上第3冊

「郷土文化誌郡上 第3号」

  • “郡上一揆と新義民録 第1回”高橋吉一 
    江戸時代の宝暦年間に郡上で起こった百姓一揆…。 その事件があったことは、誰しも知っている事実だと思いますが、このタイトルで、この後、3回まで詳細が書かれています。郡上藩で起こった事とはいえ、その背景には江 戸幕府の財政に逼迫や、農民の暮らしの変化など大きなうねりがあり、一方では郡上と 言う土地柄の特性が、江戸時代に起こった一揆のなかでも特異なものとなっていく背景 -当時の状況と一揆の前史が、丁寧に書かれています。
  • “相伝本「東家代々首」”谷川篤
    古今伝授の東(とう)家代々の「東家集」についての解説。内容については、事務員は全く知識がないのでわかりませんが、短歌について知識のある方には、興味深いものであると思いますし、労作であることもわかるかと思います。
  • “望見・長滝白山神社の延年”清水昭男
    長滝白山神社の伝統行事“延年”について、その由来、白山長滝神社の延年の演目は1648年に長滝寺頭搭経聞坊の慶祐がまとめて「修正延年幷祭礼次第」(慶安本)によっている事などが解説されています。
  • “明治の頃の移民のはなし”話:中島勝弥翁 文:長棟准教
    短い聞き書きではありますが、明治39年にメキシコに移民で渡ったご本人が、メキシ  コでは(気温が高くて)働けないと、大胆にもアメリカ合衆国への密入国を企て、成功 した話です。読み物として、大変面白いです。

郷土文化誌 郡上第4冊

「郷土文化誌 郡上第4冊


  • “郡上一揆と新義民録 第2回”高橋吉一
    今回は郡上藩主となった稲葉・遠藤・金森氏について、信長の美濃侵攻とのかかわりか ら書いています。
    特に井口落城と郡上の関係から、その落城した年が永禄7年か10年か いずれが正しいのかの検証に焦点がおかれています。
    義民録については、五郎作こと吉右衛門(死罪)「本名を隠し、紛名にて仲間致懸合、申訳不立」とのことで死罪となった、この名前が二つあった事の正当性の検証とその人となり、那比村彦吉(遠島)についても名前の検証、中西村医師玄養(重追放)同様に名前の検証がされています。
  • “郡上の薬 豊島家「秘薬記」全文掲載・「郡上の民間薬」郡上高校生研究”
    豊島家の「秘薬記は」元長滝白山神社宮司豊島家に伝わる文書で、秘伝中の秘伝とのことです。漢方薬を沢山用いた、本格的な丸薬から、「無名の出来物妙薬 野ビルの黒焼き麻油にてとき付る」という簡単なものまで、各家に伝わる口伝も含まれています。
    ちょっと知識がないと読めないようですが、だからと言って、万民を助ける薬の作り方であるならば、秘中の秘伝書としなくても良かったのではと思ったりもします。
    郡上高校生の研究である民間薬については、今ある草等の効能が書かれており、若干手を加えたそうですが、読んでいて楽しいものです。

郡上文化誌5.6合併号

「郡上 郷土文化誌第5・6冊合併号」

  • “郡上一揆と新義民録 第3回”高橋吉一
    この回では、金森氏を介して郡上と飛騨の間に起きた事件-大原騒動について書かれています。
    今は同じ県であっても、昔は違う藩であり、そこに起きた事件がいまだにその土地に住む人々の感情に影響を与えているという点については、そういう騒動もない、岐阜市に流れ着いてきて住んでいる身には想像もつかないものです。
    義民録については、前回の医師玄養についての訂正、剱村と庄右衛門について-剱村については、以前は石高の多い所であったものの、人口が増加していき、新田開発に地形的理由により困難を極めた辺りから、貧しい村になっていった経緯、水吞百姓については歴史的定義では無高であるのに対し郡上の水呑百姓は高持であった事、百姓と水呑百姓の境はだいたい二石だったこと等、郡上内の百姓の事情について書かれています。新田開発と山の入会権の問題等、なかなか面白いと思いました。庄右衛門については、森山庄右衛門として、過去帳などから、その家系をたどっています。
    鮎走村弥七他二名(所払)について、家系調査がされています。
  • “郡上の寺院神社と宮大工-白石為治郎聞書を中心に-
    この2月にユネスコの世界無形文化遺産の候補として、宮大工や左官などが継承する「伝統建築工匠の技」が選定され推薦されることがきまりましたが、その宮大工であった父親の徒弟時代からの聞書です。関わった寺社建築のリストも作成されており(昭和50年まで)今後の貴重な資料となっていくのではないかと思います。
  • “川佐村庄屋(増田又衛蔵)明治維新の御触書・抜粋”
    歴史上の明治維新を知らない人はないと思いますが、実際どう変わっていって一般庶民にはどう滲透していったのか?それを知る一つの手がかりではないかと思います。本文中の江戸時代に使われていた貨幣の換金についての資料は、「慶応本」と「壬申本」があり、興味深いものです。
「郡上 第七冊 ‘77/’78/’79」

「郡上 第七冊 ’77/’78/’79」


  • 大沢恩沢「飯百珍伝」編集部 天保4年の、新しい主食の炊き方が書かれた本の解説です。お米と、南瓜・里芋・薩摩芋・大根を入れて炊く御飯やお粥、唐黍餅などの作り方から、各地の食糧事情等色々書かれている本で、現代語訳があるので、面白く読めます。
  • 大和町の特集  その中の座談会では、中世以降の大和町の歴史的なポイントを議論しています。
    東家が郡上郡山田庄の地頭になって赴任してきたこと。その場所、後の城下町について、東常縁が千葉氏本家の争いの収束の爲この地を離れたすきに斎藤妙椿が篠脇城を陥落させてしまったこと、けれど心からの歌を詠んだら帰してやると言う事を言い、常縁は十首の句を詠み送ったことろ、妙椿は奪取した領地を返したこと、古今伝授の話 朝倉氏侵攻の事、宝暦騒動時の大和村の事情、明治の「義校」、交通の変遷等大和村の歴史があらゆる面から話されています。
  • 座談会 明治青年大いに青春を語る:明治生まれの方々が若かりし頃の思い出を語って見えます。町の政治の話から、自分たちの生活の枇榔な話まで、読んでいて思わず笑えてくるような話が、語られています。
「郡上 第八冊 ‘80/’81」

「郡上 第八冊 ‘80/’81」

  • 以前このHPの明宝で紹介した『奥美濃よもやま話』の「新四郎さ」について 谷川健一氏が解説しています。
  • “郡上郡史の空白と宗教の変遷-再び朝倉氏侵攻を否定す-”杉田理一郎
    かねてより、長良川沿いに真宗のお寺が多いことに疑問を持っていました。白山信仰もあったのにとても不思議に思っていました。その疑問に対する回答の様な論文です。
    仏教だけで言えば、鎌倉時代の臨済宗の影響は確かに強固に郡上の地にあったものが、真宗に駆逐された様子が、一般論として述べられています。郡上にはその史料が残されていないとのことです。お寺や人名、年号等が多用され、さらっと読めるものではありませんが、大変読み応えがあります。
  • “白山信仰の成立”白石博男
    昨年は白山開山1300年祭で色々な催しものがありました。その白山を開山したとされる泰澄・白山信仰の成立についての考察です。
  • “昭和56年1月の豪雪の記録”五六豪雪といわれる豪雪の写真と記録です。今年の寒さも近年稀にみるものですが、この昭和56年の大雪は、奥美濃の社会に色々な影響を与えていたようです。
この他にも荘川桜の“桜守佐藤良二さん”の話、郡上踊民俗考など、内容の濃い一冊です。
「郡上 第九冊 ‘85/’86」

「郡上 第九冊 ‘85/’86」

  • “座談会「郡上八幡&文化を語る」1983.1.10
    今から約35年前の座談会です。殊郡上八幡の城下町に限った文化についての座談会であり、おそらく他所の人間が読めば、イラッとする部分も発言の中にあると思います。
    ただこの「郷土文化誌 郡上」を紹介するに当たりずっと読み進めて来て、本当に教養の高いものであることは間違いなくわかります。なのでそれらを産みだしてきたこの町の風土というものの一端が、読めば分かるように思います。
  • “私設・宝暦騒動の分析(その一)“奥”の一字-のこと“ 杉田理一郎
    宝暦騒動の顛末を裁く側から考察した一文です。ご本人も言われている様に、端を拓くものとして、幕府内部の権力闘争の一面から見直すと言う点で、問題提起の一文だと思います。
  • “郡上狩猟語彙集” 金古弘之 哺乳類動物調査委員会での調査の一部 民俗研究の基礎資料として集めたガリ版の配布物より転用(p276より)されたもので、岐阜県下の自治体史より、幅広く集められています。
  • “「食道記 下」(寛文9年の木版刷り)
    怪我病の民間療法、食育、四季の食べ物・諸国名物…等々、食に関するあらゆることの書かれた、1669年の本の訳です。民俗学的に興味あるものです。
  • 新四郎さについて
    第八冊でも書かれていた『奥美濃よもやま話』にでてくる新四郎さについて、実際に幼少の頃聞いていた人の話の聞書き、新四郎さのその後、実際の現場について等が書かれています。