昼からはシンポジウムがあり、熊本県の球磨川の荒瀬ダムを撤去する運動「豊かな球磨川をとりもどす会」事務局長つる詳子さん、
長良川河口堰より先に閉門となった利根川河口堰の現場より元茨城県内水面水産試験場の浜田篤信さん、
長良川の現状について当大学当学部の向井貴彦先生によるお話でした。
球磨川からの報告では、ダムを撤去したところ、泥河原は砂礫の河原に戻った。自然の河川に人工構造物を造れば、その場の自然を壊すことになるけれど、それを撤去すれば、自然はその場の自然のあるべき姿にちゃんと戻って行くというお話で、大変勇気づけられる内容でした。
霞ヶ浦からの報告は、長良川河口堰よりも前に利根川河口堰は閉じられており、長良川に利根川の轍を踏ませるなと、当時から言われておりました。利根川河口堰は、それによって汽水湖であった霞ヶ浦を“関東の水がめ”とすることを目的としてもので、現在は霞ヶ浦からの導水事業について係争中ということです。
ここでのお話で一番印象的だったのは、「もう20年、けれどまだ20年です。利根川は20年経って、そこから益々酷くなりました」と話されたことです。
向井先生は、地元長良川のことを話されたので、熱心に聞いてしまったのですが、岐阜県のアユの種苗センターが稚アユを放流しているので、アユの漁獲高だけみていても、川の自然環境が改善しているかどうかはわからないということ、
実際にそう言ったものの対象になっていないアユカケは、長良川ではほとんど見かけなくなってしまったと言う話をされました。
長良川が天然の河川なのかという質問に対しては、
「里山という言葉があるように里川という概念-手を加えても尚豊かに残る自然と、それと共生する人々がいること-があり、これは県が長良川上流・中流域を世界農業遺産にということに合致するかと思うのですが、河口堰はその自然を壊していることは、間違いのない事実であるということでした。
そして、一番大切なことは、河口堰があるという風景が、当たり前であると思ってはいけないということで、
人のうわさも75日という諺がありますが、どんなに熱心な反対運動が起ころうと、補償をして完成してしまえば、完成した人工建造物に対して声を上げる人は少なくなっていく、このことを正に行政は待っているのであって、昔の長良川を知っている人達は、なかった時代の長良川の美しさを語り継ぎ、現状がおかしいという事を消して忘れてはいけないということと言われ、最もな話だと思いました。
20年の集会は、ともすれば同窓会のようになってしまうのかなと思っていたのですが、そうではなく若い世代の方々が、過去からの思いを受継ごうと活動してみえる姿に勇気づけられました。
地域資料・情報センターは、当日年表のパネル展示と、河口堰関連の書籍等の展示を行いました。今となってはなかなか見られないもの等も展示しました。展示内容は別紙です。
閲覧ご希望の方は当センターまでお申し出ください。
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