TOP>飛山濃水>彼岸花



今年の夏は雨が多く、夏らしい日も少なかったのではないかと思います。
9月に入り、残暑もさして厳しいとは言い難く、すっきりした青空の日が大変ありがたいです。それでも例年より、秋へ向かう速度は速いのか、木々の緑もその色が褪せてきた様に感じます。
 秋分の日の頃、里山には「彼岸花」が咲きます。決して都会には咲かない花です。
全草が毒草でもあり、家に持ってくると火事になるとか言われることがあり、あまり好かれない花ではないかと思いますが、田圃のあぜ道や用水の法面に咲く景色は、初秋の風物詩だと思います。  何もないところに突然茎を出して花を咲かせ、その後葉が出るそうですが、私はあまり気づいたことがありません。秋のある一時期だけに咲く花というイメージが強いです。
 ご存知の方も多いと思いますが、「彼岸花」は、お彼岸の頃に咲く花だからという意味と、 大変な毒草ではありますが、その地下の鱗茎にはたくさんの澱粉を含んでいるため、救荒作物とみなされて、これを食べたら、彼岸へ行く(死ぬ)ということで、その名がついたとも言われています。
 救荒作物について解説した本として有名なものに、今の山形県の米沢藩の藩主 上杉鷹山が家臣に命じて刊行した「かてもの」という、いわゆる代用食になる植物についての手引書があります。これは刊行後、1832年の天明の大飢饉の時に、大いに活用され米沢藩では一人の餓死者も出さなかったということですから、当時の植物学の集大成の一つでもあったのでしょう。その中には、彼岸花は記載されていません。彼岸花は日本全国どこでも咲く花ですから、それがないということは、これは私の想像ですが、本当に最後の最後に食するものであり、うかつに食用には供さなかったのではないでしょうか。
(余談ですが、沖縄では、ソテツの実が同じく毒を持ちながらも救荒作物とされており「八重山嶋農務帳」には一軒につき20本は植えるべきであると記されています-「日本農書全集」34巻p153参照、又実際に、食物に困りソテツを食べざるを得なかった「ソテツ地獄」と呼ばれる時期がありました)
 あぜ道に多いのは、その全草の持つ毒性故に、害虫を寄せ付けなかったから、堤防の多いのは、その地中にはミミズも住めない為、もぐらも寄せ付けない、よって堤防の強度が保たれる為、お墓に多いのは、昔は土葬であったため、墓を荒らすものを寄せ付けない為ということが言われています。
 それが、今各地で見事な群生地となって、秋の花の名所となっています。ここ岐阜県では海津町の津屋川の土手に10万本の群生地があるそうです。それはそれで見事なのですが、田圃のあぜに咲く小さな群生は、昔からの里山の風景を思い出させてくれる風景で、これはこれで秋の空に映えて美しいと思いました。