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今回の展示は主に2000年以降に岐阜県各地で発掘調査された遺跡の成果によるもので、縄文時代から織田信長の時代までの長きにわたるものです。
 たいへん恥をさらすようですが、私はこの企画展を見て、初めて縄文時代までの遺跡は美濃地方より飛騨地方に多いということを知りました。
 もどりまして、昭和47年に編纂された「岐阜県史 通史編 原始」を読みました。 “岐阜県の縄文時代は、中部山岳地帯の広大な自然を背景に全国でも有数の遺跡数と豊かな文化内容を誇っている。”と書かれています。
特にその独特な遺物としては、御物石器と石冠・石棒があり、今回は郡上郡有坂の「有坂薬師堂遺跡」の石冠・石棒をみることができます。  特に御物石器・石冠などの石器は、縄文の後期から晩期にかけて飛騨地方を中心に美濃・北陸と限定的にみられる、呪術性の強い石器です。
 3月に石徹白を訪れる機会があり、白山中居神社の説明を受けた際、縄文時代の拝所であるという岩を示され、その時はそこまで遡れるのかと半信半疑で聞いていたのですが、今回この企画展でこういった遺物をみると、それもあながち間違いではなく、原始からの信仰が、いつからか白山信仰に移って行ったのかもしれないと思いました。西洋史でもキリスト教の布教の際に、その土地の原始宗教であったドルイド教の神事を取り入れたとういことも聞きます。




 そして又私が、驚いたのはかなり初期の段階で釉薬がかかった陶器があったこと、須恵器に字が彫られたり、書かれていたことです。聞けば、岐阜県は昔から都に対しての陶器等の供給地であったようです。
 時代が下った室町~戦国~桃山時代には、大陸からの青磁や白磁、美濃で焼かれた織部や志野焼などを中には国の重要文化財も展示されています。
 岐阜という地は、今はどちらかと言えば、地味なイメージがありますが、古代には飛騨地方を中心に栄えた縄文文化があり、又美濃地方は交通の要所として、又都への物資の供給地として、重要な場所にあったことを再認識させられました。

図録は、センターの岐阜市に配架しました。

展示は、平成26年7月21日(月・祝)までです。