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長良川鵜飼い大橋 長良川長良橋





















2012年も後数日で終わります。
今年、当センターでは、「長良川河口堰」についての資料の整理をすすめてきました。一つは川那部浩哉先生からご提供いただいた、新聞等の資料の整理です。これは、主に新訴の時のもので、すでに公団は工事を始めています。この反対運動は、地元民だけではなく、広く清流長良川をそのままの姿で存続させたいと願い人達が多く集まり、全国的な運動を展開していた時期であります。新聞記事は1990年から1993年位までが、網羅的にとってあり、各誌によって論調が違ったり読み比べてみると面白いものです。これは今のところ、1991年の前半まで進めております。

もう一つは、旧訴の原告の弁護士をされた小出良熙先生よりご寄贈いただいた、裁判資料の整理です。裁判では、どんな書類が出され、どんな書類が出され、どんな証言がなされたのかを時系列的に整理を進めています。当時の裁判の速記録等が全て網羅されているわけではありませんが、公団の証人は公団の立場から、地元の推進派の証人は水害の恐ろしさと早期の完成を訴えて見えます。これらの書類は、いわゆる青焼きのもので、手書きのものが多いため、ホームページ上で公開するには不向きな状態です。見やすくかつデータとして長期に保存できるような形ですすめています。来年にはある程度の公開ができるのではないかと思います。
その他にも、今の長良川あるいは、その支流の様子などを数か所紹介してきました。資料の整理に日々費やしておりますが、来年はもう少し、その活動をしてみたいと思います。「板取は日本の原風景」と旅先で言われましたが、もう少し地元というものを見つめてみたいと思います。

というわけで、写真は年末のある日の長良川の様子です。場所は「鵜飼ミュージアム」の前あたりから、上流の方向と、下流の方向です。鵜飼いもおわり、遊歩道には人影もまばらでしたが、相変らず長良川の流れは清く、川の流れの下の石がはっきりと見えます。この清流は、私達岐阜に住む者にとって、宝物です。河口堰は開門調査をするのかどうか、今年結論がでませんでした。今後に注目したいと思いますが、やはりこの清き流れがいつまでも続くことを願います。