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大橋定夫さんの 証言調書をアップしました。 大橋さんは、羽島市で川漁師をして生計を立てていました。若いころから長良川がどう変わって行ったのか?それを証言しています。昔の長良川の様子が見てとれる貴重な証言だと思います。日本の高度成長時伴い、長良川の流域でも、夫々の自治体が地域開発を行ったことにより、昭和34~35年頃には、流域の山に保水能力がなくなったと言っています。明治期に治水工事を行った、オランダ人技師ヨハネス・デレーケは、流域の保水能力を非常に重要視していましたが、その彼の想いは生かされませんでした。大橋氏の証言の中にある長良川は今より病んでいる部分もあるかもしれません。その当時の長良川を語る史料と言えると思います。(大橋さんの息子さんたちが、「長良川漁師口伝」という本にまとめてみえます。)  長良川の上流に位置する高鷲村(現在の郡上市)の村史によれば、典型的な山村であったものが、昭和30年頃よりまず 酪農がはじめられ、昭和40年代には大根栽培・さらには高度成長期には観光目的の不動産売買が進められています。いわゆる高鷲村の三白産業が整えられていっています。そのこと自体は高鷲村の発展のため喜ばしいことではあるのですが、一方 大橋さんの証言のように このような開発が高鷲村に限らず長良川上流で行われているために長良川の様相が変わってきたのも又事実です。  これは、書類整理者の私見ですが、長良川河口堰の建設当時にはなかった環境アセスメントの考え方、一歩進めて、長良川を後世に残すためには、流域全体のグランドデザインが必要ではなかったのかと痛切に思います。地元の発展と自然の破壊にどう折り合いをつけていくのか。これは今でも難しい問題です。私が現在興味をもって調べている石垣島の新空港にしても、あの美しい白保海岸のサンゴ礁を埋め立て作ると言う計画があって、これは随分と紙面をにぎわせました。現在建設中の空港は、そこより北に入ったところにあります。建設現場を訪れると、環境にいかに配慮しているかということを説明しています。 しかし開発による赤土が海に流入し サンゴ礁に与える影響が懸念されています。 開発と環境保全 これは何時の世でも問題なのだと痛感します。