前回2014年3月に続いていの、第二巻です。
今回は岐阜女子短期大学の学生さんの聞き取りをもとに編集されているのと、ページの半分以上が石徹白で教員生活を送られた 故 船戸鉄夫さんの語りで占められています。今回話して頂いた方にも故人となられた方あみえるとのことです。
個々の語りは本を読んで頂くこととして、事務員が読んだ個人的な感想を書きます。(本はセンターに収蔵しました)
時代が進んで、便利になっていくに従って、得るものと失う物があるということ、
石徹白を愛して地元にとどまっている方、世界中をまわっても石徹白が一番と戻って見える方がいる一方で、コーヒー一杯飲めない、まちの暮らしに慣れてしまえば、なかなか自然が豊かなだけの所へも戻って来られないという声、年老いてくれば、夏は涼しい石徹白にいても冬場は子供のいるまち(都会)で過ごすという方、古くからの歴史のあるこの地区にあっても、個人の考え方や事情は様々であるということを考えさせられました。
語って見える方は、本当に石徹白に愛着のある方々なのだろうと思います。
以前調査にみえた京都の先生が、平家との関係を指摘されたとのことで、山奥の一集落にあっても、みな身ぎれいにされて、頭もよかったと邂逅してみえます。
田植の時に若い娘さんが絣の上着にピンクのたすきをかけ、手笠にも花をつけて着飾って苗を植える様子は、その美しさが容易に想像できます。結で行った作業、楽しいお盆の行事、厳しい冬の様子等、確かに辛いこともあるのでしょうけれど、どの方の語り口も、それを懐かしみ楽しむような感じを受けました。
故船戸鉄夫先生の話は、19年間石徹白で教員をされていたときのことを細部にいたるまで克明に話されていて、先生の情熱を感じずにはいられませんでした。
赴任された当初は、まだ子供が学校教育の中にだけ身をおけば良い時代ではなく、家の労働力の一環として期待されていた時代でもあり、又中学を出たら普通に高校に進学するということばかりではなかった時代で、バレーボールやスキーのレベルを上げていくことを通して、「積み重ねたことは無駄ではない」ということを伝えたのだと思いました。
多くの教え子の方が名前で出て来るのは、先生が真剣に向き合ってきたことの結果なのだと思います。石徹白にこの先生がいた意義と言うのは大きかったのだろうと思いました。その他にも身を持って体験された、災害の話なども、貴重な話だと思います。
時代が、速度を上げて進んで行く現在、昔の事を話して下さる方々は年々減って行くことでしょう。色々なことを聞きたくても、もう手遅れと言う事象に、事務員も行きあたっています。石徹白公民館さんのこの活動は、今しかできないタイムリーで意義のある活動だと思います。あとがきにもあるように、さらなる続編に期待したいです。