TOP >センター資料TOPICS>「岐阜をもっと知ろう!」


この3月末に出来たばかりの本を読みました。
岐阜大学は、その半分以上は県外からの学生さんです。
岐阜大学に来られたのも、偶然という方も多々みえることと思います。
 大学を離れて、一般的に「岐阜って?」と問われた時、県外の方の大部分は、愛知県の北の県と答えられるのが多いのではないでしょうか?あるいは場所の特定も出来ない方もみえることでしょう(私は栃木県と間違えられたことがあります)。
 先日TVで東京の方が春まだ浅い高鷲の風景をこれが岐阜県?と驚いて見えたのが、印象的でした。私達岐阜県民にとっては、例え岐阜市近辺が桜の真っ盛りであろうと、奥美濃や飛騨ではまだ雪があることは当然のことなのですが、知らない人は知らないのだということを目の当たりにしました。
 では、岐阜県民である私はどうなのでしょうか?と考えた時、知っている事ばかりではないことを認識しました。 岐阜にずっと住んでいても、自分の周囲しか目に入らなければ、その範囲のことでしか判断をしないわけですから、個々の持つ“岐阜”に対するイメージや知識は、千差万別と言えるでしょう。

 前置きが長くなりましたが、この本は、そんな“岐阜”をあらゆる方面から、解説している本です。読んでみれば、「へぇ~そうだったんだ」と思うことが多々あります。

 個人的に一番おもしろかったのは「円空」についてです。円空仏は今では有名です。
円空が岐阜県の生まれで、修行として全国を行脚して5000体以上の仏像を彫ったということは知っていましたが、その芸術性については、円空は円空という解釈しかしてきませんでした。その芸術性という部分について、その見方などが論ぜられていて、読めば芸術家としての円空というものを発見することになるでしょう。

 歴史という点では、前学長の森秀樹氏の「私的見聞による岐阜の歴史」が、自身の家系に触れながらも、岐阜県の中で動いた大名や藩について解説してあり、歴史の中における岐阜というものが、とかく織豊時代で終わっている感があるのを、その後についてもそうではないことが書かれていて、大変勉強になりました。
 金華山に登って西を見れば伊吹山系が終わって養老山系が始まる所が丁度関ヶ原で、この景色を見た織田信長は何を想ったのだろうかと言う一文がありますが、確かに濃尾平野が終わり、山地が始まるその山の頂上に立って、あの場所を見れば、あの向こうに行ってみたいと思うでしょう。反対に京都から東へ向かって、琵琶湖と山地の間を抜けて濃尾平野へ出てきた時の広さというものも、昔何もなかった時代に思いを馳せれば、それも又感動的だったのではないかと思います。

 今日的話題としての、まちづくり、山の問題、水の問題…これは岐阜県に限ったことではないのかもしれませんが…、解説してあります。

 岐阜県は地理的には日本の真中にあって、かつ海こそないものの、海抜0mから3000mまである県ですから、その自然は多彩です。
森林率は全国二位で81%になっています。その森林の45%が人工林であることを本で初めて知りました。又それらがきちんと手入れされないことや、里山を利用するということが無くなってきているために山が荒れているということ、清流で名高い長良川をとりまく環境の悪化…河口堰の問題ではなく、外来生物の問題等も解説されています。
 私事ですが、ここで仕事を始めて、改めて岐阜という場所と向かうことになりました。実際学生時代を除けば殆ど岐阜に住み続けているのですが、自然も歴史も、本当に興味深い地であることの発見の連続でした。そして、海は山から、山は海へと繋がっていることを実感しました。
 縁があって、岐阜に関わられた方は、この本を手にとってみて下さい。 各方面からの切り口で岐阜が紹介され、又今日的問題も提起されています。
 その中に自分の興味なり、やりたいことが見つかれば…、それこそがこの本の意義だろうと思います。