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このハルピン街を出発点にして岐阜のアパレル産業は、昭和30~50年代にかけて隆盛を極め、日本では東京・大阪・岐阜がその拠点となります。 岐阜における生産量は、

調査年 売上高 (単位:億円) 備考
昭和24年 100  
27年 220  
30年 440  
36年 669 岐阜市・岐阜繊維問屋町連合会第1回実態調査
40年 1,335 〃第3回実態調査 生産量日本一を記録
43年 2,001 岐阜県商工労働部実態調査
48年 3,700 〃(推定)

昭和49年現在 岐阜既製服産業連合会の在籍会員数は1,500商社(S28年600社)同関連産業も含めると1800余の商社(「岐阜既製服産業発展史」p6) 時系列の産業の発展史は、「岐阜既製服産業発展史」、「岐阜ファッション産業発展史」などにその詳細が書かれています。



 時系列の産業の発展史は、「岐阜既製服産業発展史」、「岐阜ファッション産業発展史」などにその詳細が書かれています。
 又本学部の地域学実習Ⅰ「岐阜市中心市街地調査-徹明校区-」(2001年3月)では「中心市街地の繊維業」を取り上げ、その栄枯盛衰、携わった方々の聞き取りなどが行われています。
 さらに2012年3月の地域学実習Ⅻでは、11年後の日ノ本町(大ハルピン住宅住宅に相当する地区)において、市の再開発計画との関連で、高齢者の方々のライフヒストリ-を含めて聞き取り調査を行っています。
 これらの本を読んで行くと、岐阜の一大産業であったアパレル産業の変遷が良くわかります。
 この町から、大きくなって日本を代表するアパレルメーカーもあります。反対に経営が成り立たず、店を閉めて行ったところはその何倍もあることでしょう。
 岐阜市全体のアパレル・縫製産業の景気動向調査は四半期ごとに岐阜市役所において行われ、HPからそれを見ることができます。
(岐阜市アパレル景気動向調査)

 ただ、既製服の内職をしていた方々については、数的な調査もないようですし、実態も把握しかねているようです。
 現在岐阜のアパレルは、地元で縫製を行うことは極めて稀で、それができるのは、大きなアパレルメーカーの下請けができる所ですし、そこであっても外国人研修生の手がなければ立ち行かないのが現状です。それでも探せば、昔のように家族で服を縫っている所もあるようです。
 そういった下請けの実態というものも、又聞き取って残しておかなくてはいけない岐阜の一時代の遺産だろうと思います。
今回、そもそもの岐阜のアパレルの初めを、大変興味深く読みました。 又ここでは書ききれない、まとめきれない、多くの方々の体験を読むことができました。 センターには、ご紹介した本をはじめとして、アパレル産業に関する本を多く収蔵しています。別途、PDFにて目録をつけました。

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